学士会アーカイブス (今月)
~随想~ 豊かな社会のために 岩崎 俊一 No.932(平成30年9月)
~随想~ 豊かな社会のために
岩崎 俊一
(日本学士院会員、東北大学名誉教授、東北工業大学名誉理事長・名誉学長)
No.932(平成30年9月)号
今、情報処理分野でパラダイムシフトが起きている。これまで高速に計算するコンピュータが重要視されてきたが、リアルタイムで発生する多種多様のデータを記録・保管・分析して、それらのデータから意味のある傾向や価値を導き出す「ビッグデータ」という手法が注目されている。
これまでは一秒間にどれだけの計算ができるのか、コンピュータの中央演算処理装置(CPU)の性能を向上させることが重要であった。ところがビッグデータでは、分析や解析には計算性能が問われるが、それよりも、どのようなデータをどれだけ多く集めたかによって、導き出せる意味や価値が異なってくる。CPU性能に対して、記録・保管するビッグデータの量と内容が重要になる。
このビッグデータの記録と蓄積を支えているのは、コンピュータの二次記憶システム(ストレージ)を構成するハードディスク装置(HDD)である。これには当初から、安定で大容量化の可能な磁気記録技術が使われてきた。
磁気記録技術は、一八九八年のデンマークのヴォルデマール・ポールセンの発明以来百二十年の歴史を持ち、時代と共に発展してきた。私はその歴史を振り返ってみて、ほぼ四十年毎に次を担う技術が発明されてきたことに気付いた。最初のポールセンの発明は、鋼線に録音する線状の記録方式であった。先行したエジソンの蓄音機に対して書き換えの容易さなどで注目されたが、性能面から実用化は限定的であった。この四十年後の一九三五年頃にドイツで磁気テープを用いる面状の記録方式が発明された。記録が線から面になることで、録音品質は大幅に改善された。その結果、音声だけでなく映像やデータの記録などの新しい応用も広がった。
さらに約四十年後の一九七七年に私は垂直磁気記録方式を発明した。針状の磁極を用いて磁性膜面に垂直方向に記録する方式は、記録を面から点に転換すると同時にアナログからディジタルへと変えた。これにより極めて大容量の情報の蓄積が可能となり、インターネットと結合してIT社会を大きく発展させている。
凡そ四十年毎に技術的な革新が起こることは他の分野でも見られる。例えば、電気信号の増幅のための三極真空管(一九〇六年)からトランジスタ(一九四九年)、そして超大規模集積回路(超LSI、一九八〇年代)に至る変革や、マルコーニの無線通信(一九〇一年)からマイクロ波通信(一九四〇年代)、さらに光通信(一九八〇年代)への変革がある。このように、ある方式や原理に対して技術革新を起こす次の発明がほぼ四十年間隔で起きることを私は「技術革新の四十年則」と呼んでいる。これは研究者の世代交代も重なる普遍的な経験則のように思う。なお、この技術革新は原理的な変革を伴うことが多いが、磁気記録では三世代にわたり、一貫して磁気スピンの反転という原理が継承されていることは意味深い。
二〇〇五年に垂直磁気記録の実用化が始まり、コンピュータのストレージの容量を十倍以上にするパラダイムシフトがもたらされた。面内から垂直への転換は瞬く間に行われ、二〇一〇年以降は年間五億台ほどに達する工業生産品が全て垂直方式に置き換えられた。テレビ、コンピュータ、医療、放送、出版、教育、セキュリティなど、さまざまな分野での新たな利用が始まった。それらのデータをインターネット上で扱うクラウド技術は我々の生活を大きく変えつつある。
垂直記録方式がこのように劇的に浸透した理由は、ハードディスク(HDD)の容量価格比、つまりコストパフォーマンスが画期的に向上したためである。即ち、一九八〇年代には三・五インチ型HDDで容量が三十メガバイトのものが二十万円もしたが、現在は三テラバイトのものが一万円ほどで買えるようになった。つまり、データ容量/価格のコストパフォーマンスは二百万倍になった訳である。これは記録ビット間に吸引力が働く垂直記録方式の本質による。この性能が現代のビッグデータを支えていると言っても過言ではない。数百エクサバイト(1020バイト)の情報をインターネットで全ての人が共有できる今の社会は、情報技術による新たな第四次産業革命の時代を迎えていると言える。
興味深いことに、「技術革新の四十年則」の四十年周期は、近代日本の転機としてもしばしば表れている。私の独断もあるが転機は、一八六七年の大政奉還、一九〇五年の日本海海戦の勝利、一九四五年の太平洋戦争敗戦、および一九八五年の技術・経済大国の実現がある。ここには明らかな四十年周期を見ることができる。
社会における四十年とは、社会が一つの基本政策、共通主張・イデオロギーなどを保持できる期間と考えれば、先に述べた技術革新の四十年周期も、社会の技術面での進化の裏付けの一つと考えることができる。注目すべきは、日本の転機においても科学技術の役割が次第に増してきていることである。これより、日本の次の転機は二〇二五年になるが、それは第四次産業革命の情報技術が作る新たな価値を持つ社会が確立する時期である。これまで人類が経験したことのないZB(ゼッタバイト)を超える情報を持つ社会の出現である。
嘗て太平洋戦争に負けた戦後世代の一人一人の目標は、Quality of Life(QoL)と表現された。これは当時目標とした「個人主義」に基づくもので、社会全体を見渡したものではない。これに対し私は、磁気記録の研究から、極めて稀なことであるが、「技術は社会を大きく変える」という体験をした。つまり、事の大小にかかわらず、科学・技術に携わる者は「個人」を「社会」に広げたQuality of Society(QoS)の視点に立つことが必要であると考えている。
それは正にIoT(Internet of Things)による新たな「ものづくり」の時代であり、古来「草木にも魂が宿る」とした日本人の自然観に近く、日本人の特性を十分発揮できるような時代になると予想される。従って、そのような日本の社会の在り方が、世界の規範となることも夢ではないと思われる。これは私たちの次の世代の人たちによる実現を期待したい。
(日本学士院会員、東北大学名誉教授、東北工業大学名誉理事長・名誉学長、東北大・工博・工・昭24)