学士会アーカイブス (今月)
千曲川ワインバレーという試み―シルクからワインへ:農業による地域の再生をめざして― 玉村 豊男 No.906(平成26年5月)
千曲川ワインバレーという試み―シルクからワインへ:農業による地域の再生をめざして―
玉村豊男
(文筆家・長野ガーデンファームワイナリー代表)
No.906(平成26年5月)号
いま、長野県東御市を中心とする千曲川の沿岸地域が、新しいワイン産地「千曲川ワインバレー」として注目を集めています。
もともとこの地域は日本有数の少雨地帯で、その乾燥した気候により巨峰の名産地として知られてきましたが、日照時間の多さに加えて標高が高いため昼夜の寒暖差が大きいことから、山梨県などが地球温暖化の影響に苦しむ中、欧州系ワインぶどうの栽培適地として急速に脚光を浴びるようになりました。
標高八五〇メートルの丘の上にあるヴィラデストワイナリー1)が、醸造開始以来わずか数年のうちに高品質のワインで評価を高めたこともあり、二〇〇八年に東御市がワイン特区2)を取得すると、隣接する丘陵地帯に相次いで二社の小規模ワイナリーが創業しました。その後もこの地域でブドウ栽培とワイン醸造を希望する移住希望者は増え続け、現在ではすでに一五名を超える新規就農者が、合計一〇ヘクタール余の畑でワインぶどうの栽培をはじめています。
ワインは、畑で栽培したブドウを収穫し、その果実を潰して発酵させ保存しておくという、農家の営みから生まれたお酒です。古代ローマから現代のフランスまで、つねにワインづくりは畑の傍らでおこなわれてきました。
ワインの生産は、いま、世界中に拡大しています。旧来の限られた緯度帯の地域だけでなく、アジアでも、オセアニアでも、アフリカでも、欧州先進国の銘醸品に劣らない上質なワインが続々と生み出されています。それは農業技術と情報環境の革新がもたらしたものですが、いまワインという農業的なお酒がこれだけ多くの人を惹きつけるのは、現代人にとって土地に根ざした暮らしそのものが魅力的だからでしょう。
日本における本格ワインの生産は明治維新とともにスタートしましたが、食文化の相異もあって、一般には受容されませんでした。その後、初心者向きの甘い「ポートワイン」全盛の時代が長く続き、その段階を卒業して多くの消費者が本格ワインを志向するようになるのは、一九七〇年代に入ってからのことです。が、このとき、日本の大手メーカーは、原料のブドウが足りないからと、外国からバルクワインや濃縮果汁を輸入して「国産ワイン」に仕立てるという、姑息な手段に訴えました。
本来ブドウをつくることからはじまる農業であるべきワインづくりを、原料を輸入して加工する、工業的な方法で手早く大量生産しようと考えたのです。このときの間違った選択が、いまもなおワイン生産の先進地では拭い難い負の遺産として残っています。
しかし、「千曲川ワインバレー」に集う人びとは、ワインづくりが農業の仕事であることを理解して、ワインをつくるためにはまずブドウの樹を植えなければならない、と考える「ワイングロワー(ブドウを栽培してそのブドウでワインをつくる人)」ばかりです。その意味でこの地域は、日本で初めての世界基準のワイン産地であるといえるでしょう。
私のところへは、毎月、何人も、会社を辞めてワインづくりの道を選びたい、といって相談に来る人がいます。もっとも多いのは四〇代前半くらいの男性で、会社や家族にとくに不満があるわけではないが、ふとしたきっかけから、自分の人生はこのままでいいのか、もっとほかに充足感を得られる生き方はないのか、と自問した末、自然の中で土と触れ合いながら地に足をつけて暮らしたいという思いに目覚めて、ワインづくりを目指そうと決意するのです。相談に来る人にはとりあえず思い止まるよう説得しますが、人生のどこかでワインに魅せられ、生きることの実感を求めて新しい一歩を踏み出そうとする思いが真剣であれば、私は彼らを心から応援し、祝福をもってその背中を押してあげたいと思っています。
私は、彼らがそれぞれの夢を実現して、この地域にたくさんの小規模ワイナリーが集積することを期待しているのです。大手ワイン会社の巨大な工場を誘致して地域おこしを図るのではなく、個人で立ち上げた小さなワイナリーがたくさん集まることによって、新しい産地の魅力が生まれるはずです。
ワインは農業の産物ですから、工業製品と違い、ブドウのできる畑の条件やワインをつくる人の技術や個性によって、一本一本が異なる特徴をもっています。だからワイナリーは同じ地区に多数集まっても排他的な競争にはならず、むしろ集積することが生産適地としての評判を高めるのです。カリフォルニアやオレゴン、またニュージーランドの各地域など、上質なワインができるという評判が立つとあっというまに膨大な数のワイナリーが集積する例は、世界各国で見られます。
大規模のビジネスライクなワイナリーと違って、個人の夢をささやかなサイズで実現した小規模ワイナリーは、その創業の決意から実現までの苦労など、簡単には語り尽くせない物語に満ちています。そうした小さな個人ワイナリー(インディーズ・ワイナリー)では、あり余る情熱を注いでつくられたワインそのものが魅力的であるばかりでなく、それらを育てた人や風景のありさまもまたワイナリーめぐりの大きな楽しみとなります。
ワイン産業は裾野が広く、観光や飲食をはじめとしてさまざまな産業に影響をもたらします。小さなワイナリーがあちこちに増えればその周辺にカフェ、ショップ、レストラン、ペンションなどができ、それらに食材や資材を提供する仕事も、また域内の交通機関等も活気を帯びることでしょう。そうして地域に多様で個性的な魅力を付加して経済や社会を活性化するのが、小規模ワイナリーの集積がもたらす効果なのです。
私が「千曲川ワインバレー」にこめる期待は、ワインづくりをきっかけに、農業、あるいは農業をベースとするライフスタイルが、新しい時代に再び根づくことです。
千曲川流域の扇状地と河岸段丘は、長いあいだ養蚕の中心地として知られてきました。雨が少なく日照が多い、風通しのよい乾燥した気候が、蚕の餌となる良質な桑の葉を育てたからです。大地から拳のように突き出した黒く短い幹。桑の樹とブドウの樹はよく似ていますが、水に乏しく日当たりがよい桑山は、ワインぶどうの栽培にぴったりの条件を備えています。
養蚕製糸業は、明治以降の殖産興業政策の中心的な役割をにない、最盛期には日本の海外輸出高の半分近くを占めたという、戦前戦後を通じて日本経済を支えた最大の産業でした。しかし、昭和三〇年代からの集団就職によって夥しい数の若者が田舎から都会に移住し、農業から工業へと一挙に産業の構造が転換します。農業の六次化産業である養蚕製糸業は、昭和四〇(一九六五)年前後を境に急速に衰退し、取って代わった近代工業が高度経済成長を実現するのです。
以来五〇年、日本は工業と輸出によって富を蓄えて世界有数の経済大国となり、同時に放置された田園は荒廃して、農業をはじめとする一次産業はいま壊滅の危機に瀕しています。私は、工業による「近代化」が極限に達して成熟の時代を迎えたいま、かつて故郷の田畑を棄てて都会に流出した団塊の世代とその子息たちが、その半数でもよいから田園に回帰し、ふたたび農業を生活の一部とすることを願っています。都会で得たスキルと人脈を自然の中の暮らしに活かしながら、ワインぶどうを育てることで農の営みに触れ、美しい田園風景の中でワインのある食卓を仲間とともに囲んで心豊かな人生を送る……。
桑の葉を食べた蚕は、体内で美しい糸を紡ぎます。それを艶やかな布に仕立て、着るものをつくる仕事。ブドウは、その果粒の中に地下の清水を汲み上げます。それを芳醇なワインに仕立て、飲みものをつくる仕事。ともに、自然との関わりの中で私たちの暮らしをかたちづくる「六次化農業」です。
シルクから、ワインへ。半世紀にわたる工業化の時代を経て、日本を支えてきた六次化農業を新しいかたちで復活させ、人口減少時代における地域の社会と経済を再生させること。それが、この地域に新規就農者を定着させて小規模ワイナリーの集積を実現し、「千曲川ワインバレー」の形成をめざすプロジェクトの目標なのです。
私は、その手はじめとして、ワインづくりが農業の仕事であることを広く知ってもらうために「日本ワイン農業研究所」を設立し、新しくつくる小さなワイナリーを拠点に「千曲川ワインアカデミー」を開講することを計画しています。そこで農業に携わる人材をひとりでも多く育成し、ワインというキーワードで日本の農業に元気を与えることができれば、私たちは成熟の時代を生き延びるたしかな知恵を手にすることになるでしょう。
1)ヴィラデストワイナリー
玉村豊男が一九九二年に東御市ではじめて欧州系ワインぶどう品種を植え、二〇〇三年に醸造家の小西超とともに創業したワイナリー。シャルドネの二〇〇五年ヴィンテージが洞爺湖サミットの昼餐会に採用され、二〇〇七年ヴィンテージが第六回国産ワインコンクールの最高金賞を受賞するなど、「千曲川ワインバレー」が欧州系品種の栽培好適地であることを実証した。
2)ワイン特区
酒税法の定める正規の最低生産量(六〇〇〇リットル)の三分の一の規模で免許が取れる特別許可区域(構造改革特区)。いまのところ長野県では東御市と高山村、坂城町が取得しているが、現在、上田市、小諸市、立科町など東御市に隣接する市町を合わせて特区の範囲を拡大する取り組みが進められている。
(文筆家・長野ガーデンファームワイナリー代表・東大・文・昭46)