学士会アーカイブス (今月)
行政法は滅びる、憲法は存続する 塩野 宏 No.820(平成10年7月)
行政法は滅びる、憲法は存続する
塩野 宏
(成蹊大学教授)
No.820(平成10年7月)号
一 はじめに
多くの人が、日本は今変革期にあると指摘しており、なかには、それは明治維新の変革に匹敵するという声もある。もっとも、だからといって、大勢は、日本国憲法の即時改正まで主張しているのではないようなので、それで「維新」とはやや大げさの感がしないでもない。
それはともかく、変革は私の専門分野である行政法の分野に著しくみられる。実は、行政法の分野では、これと全く逆の言葉が語られたことがある。すなわち、それは日本の行政法学がもって範とした、ドイツ行政法学の始祖であるオットー・マイヤーの「憲法は滅びる、行政法は存続する」という言葉である。これは、ドイツ帝国憲法が廃止され、ワイマール憲法が制定された直後の一九二四年に、オットー・マイヤーが、彼の行政法教科書第三版の序文に書き記したもので、読んで字のとおり、帝国憲法は滅んだが、旧憲法の下での行政法の基本的枠組みはそのまま残されたと彼が認識したことを意味するが、それは当然に、彼が構築したドイツ行政法学の強固な姿を誇るものであった。
私自身、この言葉の妥当性について、行政法学の研究をはじめた当初に、ドイツ行政法に則して検討したことがあるので、昨今の大変革の合唱を聞くと、これを表題の「行政法は滅びる、憲法は存続する」に置き換えてみたくなる。
以下、その感想を簡単に綴ってみたい。
二 日本国憲法の制定
いまさら、憲法の存続にもかかわらず、行政法は滅びるなどというと、明治時代の行政法システムは、最近までそのまま残っていたのかと解されるかもしれない。しかし、それは、誤解である。日本国憲法の制定とともに、日本の行政法の諸制度は確かに大きく変革した。明治時代の行政法諸制度の基礎となっていた行政裁判制度は廃止された。また、基本的人権尊重の観点から、行政の権力的執行を広く担保していた行政執行法は廃止された。警察官の職務行為に関する一般法として、警察官職務執行法が一九四八年に制定されたが、この法律は、警察官の権力的活動を厳しく限定するものである。
救済法の領域では、新たに国家賠償法が制定され、損失保障は憲法上の原則となった。行政裁判法などの行政訴訟に関する諸法律が廃止されたあと、しばらくの間は民事応急措置法という民事訴訟の特例に関する簡単な法律が制定されるにとどまった。一九六二年に制定された行政事件訴訟法及び行政不服審査法は、行政活動に対する国民の権利利益の救済の充実を図るものである。さらに、アメリカの独立規制委員会をモデルにした行政委員会が、数多く設立された。
行政改革の名において日本の独立直後の一九五二年には、アメリカ的な行政委員会の多くのものが廃止または審議会化されたことに、注意しなければならないとしても、日本国憲法の制定とともに、日本の行政法制度は表面的には大きな変革をした。しかし、その後の展開のなかで、日本は、アメリカ型でもなく、ヨーロッパ型でもない、独自の行政スタイルを形成していったのが、表題にかかる問題の発端である。
三 日本の行政のありかた
一、特徴
私がここで行政スタイルという言葉で意味しているのは、行政が私人との関係において行政を遂行する実際上のありかたを指す。各国にそれぞれの行政上の法制度があるように、制度とは別にそれぞれの行政スタイルがある。日本のそれは、ごく大雑把にいえば、次のような特徴を備えている。
① 最初に挙げられるのが、行政指導の活用である。行政指導は行政過程のあらゆる段階で用いられる。すなわち、免許や許可のいわゆる事前規制の方式がとられているとき、申請に至る前段階で、申請の内容について行政指導が行われ(事前指導)、これに従った申請書についてはじめて行政機関がこれを「受理」するということがよく行われてきた。そこに至るまでは、書類の「返戻」ということが繰り返されることもある。届出制度、つまり、事後規制のもとでも、届出の受理前の指導、不受理などが行われる。
私人の側に違法行為があり、これに対して行政側が監督上の権限を有しているときでも、直ちにこれを発動するのではなく、さしあたりは、勧告、警告等のよりマイルドな手法が用いられる。直ちに権力的措置をとると、それこそ識者から、「強権的である」として非難の対象ともなった。行政指導は、法律上の監督権限や規制権限がないときにも用いられ、適切な行政指導がなされることが要請されることもある。
② 行政指導の活用と密接な関係をもつが、相手方との一定の合意というか、納得を得た上で、行政がなされていくことが多い。行政指導は、形式的には一方的な行政の意思の表明であるが、実務上には、相手方(これは関係業界であるときも多い)との交渉の余地を残しているのである。
③ たとえ不本意なものではあっても、一応、相手方の納得のうえで行政がなされていくために、紛争が裁判所に持ち込まれることが少ない。その結果、行政のコストは、見かけ上は比較的小さくてすむ。
④ 規制手法としては、いわゆる事前規制が活用され、市場への参入障壁は比較的高く設定されるが、許可・免許によって一度市場への参加を認められると、それに対する監視・制裁はそれ程厳格にはなされることなく、行政指導中心の行政のコストに見合った規制、私の用語でいうと歩留り的行政がなされる。
⑤ 以上のような行政では、関係者にとっても行政側の意思決定の過程が不明確であることがある。つまり、なぜ当初の申請ではいけなかったのか、行政指導の理由は何なのかも明確でないことがあり、局外にある者にとってはなおさら不透明である。この点は金融行政、薬事行政などのいろいろの事件で、問題とされてきたし、つい最近の山一証券株式会社の事例でも大蔵省との間の情報のやりとりが、行政指導であったのか、どのような行政指導があったのか、国民にとってはわからないという点が問題となっている。
⑥ 何時ごろからこのような形で行政が行われるようになったのか、日本国憲法のもとでの産物なのか、淵源は明治憲法のもとの行政にあり、戦後のそれは旧来の行政のありかたを発展させたものなのか。実は、この点に関する学問的研究はすすめられていない。行政指導が日本独特のものであるということも断定できない。ただ、行政指導が他国にあるとしても、これが、全ての行政分野に通じて多用されるとともに、許可制、届出制という行政法制度のなかにしっかりと組み込まれてきたこと、民間からそのことに対する厳しい批判がなかったことは、日本の行政法が模範としてきた、ドイツやアメリカにはみられないものである。その意味で、成文法上の法制度とは別に、日本風というか和風の行政が定着してきたことは事実である。
二、批判
この和風行政は、しかし、昨今、一挙に内外の批判の対象となり、現今の行政改革論議の大半は新たな行政のありかたへの模索であるということができる。それには、日本の経済が高度の成長を遂げ、産業界の政府からの独立性が相対的に高まるにつれ、日本でも、規制緩和の要求が強くなってきたこと、これまでの日本の行政の不透明性が、現実にさまざまな欠陥を露呈するようになり、国民の反発を買うようになったこと、これに加えて、国際経済力の強くなった日本に対して、アメリカなどから、日本の社会経済システムの閉鎖性、不透明性を批判する声が強くなってきたことが挙げられる。さらに、登場の時期を同じくする地方分権推進の動きも視野に入れるならば、改革の底に流れるのは、社会のそれぞれの主体の自己決定への自覚であると私は考えている。つまり、人それぞれであれ、企業であれ、さらに地方公共団体であれ、国との依存関係のもとで、いわばお上任せのながれのなかで身を処してきた、あるいは、それによって、ある程度の平均的豊かさを享受していたのに対して、自らのことをみずからの責任において果たすという原点への注目が日本においても強くなってきたことを意味する。
四 新たな装い
和風行政の改革は、すでに始まりつつある。その先鞭をつけたのが、一九九三年に制定された行政手続法である。そこでは、行政の直接の相手方となる、許認可等の申請人、不利益な処分の相手方との関係における行政の公正さの確保、透明性の向上が意図されている。また、行政指導についても、その基本原則及び明確化原則が明らかにされた。これにより、自己の意見や態度を行政に対して明らかにし、行政にも明確な対応をして欲しいと思う人には、そのための法律的道具が用意されたことになる。しかし、行政手続法は、処分の相手方との関係における行政の作法を定めたものであるので、行政運営の公正さ透明性の確保には限界がある。行政と相手方が密室のなかでの取引によっている限りでは、行政の閉鎖性は変わらない。
ここに一般的に国民に政府保有の情報の開示請求を認める情報公開の必要性がある。さらに情報公開は、日本の行政との関係では、行政手続法以上に、これに変革を迫るものといえる。すなわち、現在国会に上程されている情報公開法(案)は、同法の重要な目的として、政府の諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにすることを掲げている。この「説明責任」の基礎となったのは、英米法系の諸国が情報公開法の基礎として挙げているaccountabilityの概念である。それは、政府は国政を信託した国民に対して、記録を公にしてその活動の状況を説明すべしという原理であるが、日本では、これまで、このような政府の説明責任について、官も民も明確に意識してこなかったのである。いいかえると、日本は、戦前はドイツから、そして戦後は英米からも多くの法制度を導入したが、政府と国民に関するこのような基本的関係はいままで観念としても実態としても、意識されたことはなかったのである。ところが、経済成長をなし遂げたあとで起こった、政府の色々の欠陥ある対応は、この説明責任の欠如に由来するところが大きいことに、日本人が初めて気がついたのである。その意味で、政府の説明責任を基礎とした情報公開法の制定は日本の行政に変革というか、革命をもたらすものということができる。
五 おわりに
現今の行政改革では、行政手続法、情報公開法のほかに、各種の規制緩和に加えて、行政組織法の改革作業も行われている。
今国会に、中央省庁の組織改革を内容とする中央省庁等改革基本法案が、提出されている。この法案は、内閣機能の強化、国の行政機関の再編成、国の行政組織並びに事務事業の減量、効率化等について、基本理念、国の責務及び基本方針を定めている。もっとも、行政組織の具体的なあり方は、この法律(案)が成立したあとで、個別の法律、たとえば、内閣法、国家行政組織法、外務省等の各省設置法の改正や、新しい法律の制定、たとえば独立行政法人に関する法律の制定をまたなければならないし、国の担当する事務事業の具体的な減量や公務員数の削減をこの基本法が定めているわけではない。その意味では、もし改革が省庁の統廃合にとどまるものであれば、日本の行政組織法の変革を意味するものではない。いいかえれば、本来の行政改革の名には値しないものである。この法律および関連法律が制定されたときに、その効果として、行政のありかたそのものが変革するかどうかに注目する必要があるわけである。
地方分権推進委員会の答申に基づき、現在、地方自治法の改正作業が、政府部内で進められているところであるが、その改革の中核部分は、国の地方公共団体に対する関与を法定事項とするとともに関与の方法を行政手続法に準拠した透明なものとすること、国と地方公共団体の紛争について政府に特別の紛争処理機関を設置するとともに地方公共団体は裁判所に出訴することができるものとすることなどの、地方公共団体の自己決定権の充実を図るものである。
行政手続法の定着や情報公開法の制定、さらに上記の行政組織の改革が日本国憲法のもとですべて実現したときに、日本の行政法および行政法理論が質的にも異なったものとなるのかどうか、まだ、判断することはできない。しかし、もし、そうなるとすると、オットー・マイヤーの言葉と逆に、「行政法は滅びる、憲法は存続する」という本稿の表題、より正確にいえば、「憲法典は存続する。行政法は変革する。和風行政は衰退する」が現実化するかもしれない。もっとも、その実現は一に国民の側の対応如何にかかる、というのが、和風行政の変革である所以であることに注意しなければならない。
(一九九八年五月)
(成蹊大学教授・東大・法・昭31)