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学士会アーカイブス (今月)

窓の彼方の天国 柳 宗玄 No.790(平成3年1月)

窓の彼方の天国
柳 宗玄
(お茶の水女子大学名誉教授)

No.790(平成3年1月)号

私たちの時代には、窓から空を見上げると、たとえ晴れていても、見えるものは青みの薄れた灰色の空である。それでも空が見えればまだいい方で、窓から空が見えない建物に住む人たち、さらに窓の全くない室の中で仕事する人たちが、甚だ多い。澄んだ空の青、流れる白雲などを、多くの人はすっかり忘れてしまっている。ましてその彼方に天国を夢見る人などは、もう誰もいない。

天国あるいは死後の世界にほとんど関心をもたない私たちの時代は、考えてみれば人類の歴史上極めて特殊な時代なのであろう。過去の時代にはどの民族もすべてそのようなことについて強い関心をもった。もちろん現代でも、なお多くの社会では、宗教の伝統が生き続けており、死後の幸福を願い、そのために現世を正しく生きようと努めている人は多い。しかし近代的な合理主義の社会では、人々は死後のことをほとんど考えず、刹那主義に走り、とかく利己に陥りがちの享楽主義に溺れている。もっともこのような生き方は、過去にもなかったわけではない。

無常の悲しみと現世の悦楽を歌った十一世紀のペルシャの詩人オマル・ハイヤーム作「ルバイヤート」は、死後の世界を軽侮して次のように言う。

エデンの園が天女の顔でたのしいなら、
おれの心は葡萄の液でたのしいのだ。
現物をとれ、あの世の約束に手を出すな、
遠くきく太鼓はすべて音がよいのだ。
                             (小川亮作訳)

さらに古く、『論語』に次の文章がある。

「子は怪力乱神を語らず。」(述而第七)

その意は、孔子は、怪異、異常な力、乱れた現象、鬼神については語ることを避けた、というのである。さらに、

「子曰く、未だ人に事うること能わず。焉んぞ能く鬼に事えん。……未だ生を知らず。焉んぞ死を知らん。」
                             (先進第十一)

その意は、孔子の言うのに、私は生きている人にさえまだ十分に仕えることができないのに、まして死者の霊にどうして仕えられよう。……まだ生がわからないのに、どうして死がわかろう、と。

要するに孔子は、死後の問題について論ずるのを避けているのである。死後の世界のことを否定していたのかどうかは明瞭でない。しかし、死の問題は、人間が生きている間は絶えず人間に覆いかぶさっている大きい問題であるはずで、この問題を避けているのは、どうも解せない。これに対して老荘をはじめとする道家は、死後の問題に対して堂々と立向って恐れ憚るところがない。

例えば老子(第十六章)は言う。

「夫れ物は芸芸たるも、各その根に帰す」

つまり、すべてのものは芸芸(うんうん)として盛に活動するが、すべてその根源に帰ってゆくものだ、という。そしてさらにすべてのものは遂には永遠の道に帰一すべきものである、と付加える。

深遠な理論を展開した思想家たちに対して、一般の民衆はもっと具体的に死後の世界を想像する。現世の生活はとかく厳しくて矛盾に満ちている。己のみの利を計る狡猾者が世にはびこり、他人を愛し他人を救うために時には己を犠牲にして憚らぬ者は、この世では報われないことが多い。このような矛盾に満ちた現世において、その倫理的秩序が確立されるためには、死後の問題が当然係ってくるであろう。かくて天国と地獄という理念が、多くの地域で民衆の心の中で具体的な形をとり、それが現実と同様の実在性をもって受取られてきたのである。

過去の宗教文学の中に、天国ないし極楽についての記述を求めると、例えば阿弥陀経において、極楽の光景に関する具体的な記述がある。それによると、極楽国土は七重の欄楯、七重のターラ樹の並木、鈴をつけた網、さらに金、銀、瑠璃、玻璃によって周囲が飾られている。また七種の金銀宝石でできている蓮池があり、そこには車輪ほどの大きさの青、黄、赤、白の花が咲く。池の周辺にも七種の金銀宝石でできている木が茂っている。天の音楽が常にきこえ、花の雨が降り、白鳥、孔雀、おうむ、舎利、迦陵頻伽、供命たちが、夜と昼に三度ずつ集まって囀る。

以上を要するに、樹木が豊かで、水があり、花で彩られ、さまざまの鳥たちが囀っている、というのが極楽の光景である。さらに極楽は金銀宝石で満ち満ちているというが、それは極楽が、色鮮やかで光に満ちた美しい場所であるということか、それとも金銀宝石を最高の財宝として貴ぶ庶民が、それらに満ち満ちた理想郷を夢見たものか。何れにしても、樹木が多量に伐採され、水が汚濁し、野山を飾る草花がむしり取られ、鳥たちが姿を消してゆく私たちの環境は、この極楽からはますます遠退いて行くのであろう。

さて西方の極楽といえば、旧約聖書の創世紀の記すところの「エデンの園」が思い出される。そこには、見て美しく食べておいしい実のなるさまざまの樹が生えていて、そこから流れ出る一つの川が、四つに分かれて各地をうるおした、という。エデンというのはバビロニヤ語のエディヌを語源とするらしく、それは、荒地、砂漠を意味する。いわゆるオリエント地域で発生した極楽の観念は、すべて荒地や砂漠にあるオアシスの理想的な類型から発生したようで、重要なのは樹木でありその果実であり、さらに樹木を育てる豊かな水である。それらの恵みがあれば、鳥も獣も人も生きられるのである。注目されるのはエデンの園について花の記述がなく、また金銀宝石も園には見当らないことである。生きられるというぎりぎりの情況だけが、楽園の条件とされたわけである。

エデンの園は、正確に言えば天国ではなく地上の楽園であり理想郷である。他方、新約聖書の黙示録第二十一章には、天国の都イェルサレムの描写があるが、これは、エデンの園とは全く異なった類型に属する。それは、この都は正方形で、高い城壁に囲まれ、東西南北に三つずつ城門がある。町は透き通った水晶のような純金でできているが、城壁は碧玉(ヤスピス)で飾られ、その土台は、碧玉、サファイヤ、瑪瑙その他十二種の宝石でできている……という。この天国の都には、樹木や川の描写は全くなく、天国があらゆる色彩の輝きに包まれた燦然たる場所としてのみ描かれている。玄奘が大唐西域記で詳述する須弥山もまたこれに似て、それが金、銀、瑠璃、玻璃などで成っていたことが思い出される。

人間が思い描く天国ないし極楽は、人間が住む現世での生活の体験をもとにして想像し作りあげたものに違いない。現世での生活環境にさまざまな類型の変化がある以上、人々の夢見る極楽の像にも、種々の相違があるはずである。それについての細論はさておき、以上紹介した東西の例からすれば、天国的な像は二種類に大別できる。第一は、樹木が生い茂り水の豊かな環境で、第二は、金銀宝石の満ち溢れた絢爛たる聖域である。その何れの場合も、神仏その他至高の存在やその眷族、天人などがしばしば姿を現わすことは言うまでもない。

このような至福の世界は、宗教美術において、つまり壁画、布絵、写本画などとして、その表現を見た。しかしそれらは、いかに見事に描かれたとしても、壁土、布や紙、顔料などの性質上、聖域の輝きを表すには限度がある。ところが西洋の中世すなわち十二、十三世紀ごろに、天国の輝きを現実のものとして人々の眼前に示す驚くべき試みがなされた。それが、ロマネスク・ゴシックの絵ガラス窓である。

絵ガラス窓というのは、要するに、赤、青、緑、黄、白など各種の色のガラスを、しかるべき形に切り、これを横断面が工字型の鉛の紐に嚙み合わせながら組合せ、これによって図像や文様を表現し、それを窓に嵌込むものである。眼鼻口、髪、衣紋、細かい文様などの細部は、グリザーユという技法でガラス面に焼付けて表す。この絵ガラスを嵌込んだ窓は、ガラスを透過する光線によって美しく輝き、まさに宝石を鏤めたように輝く。もちろん鉛の線はものの輪郭を描き出す線となり、細部のグリザーユと共に、全体として図像や主題を表現する役割を務める。しかし、絵ガラス窓の優れた作例を前にすると、見る者は図柄を読み取る余裕もなく、ただその色彩の輝きに息を呑むばかりである。それは壁画や写本画とは、全く別次元のものである。それは私たち現代人が見ても甚だ感動的なものであるが、それらが作られた時代の人がそれらをどう見たかは、当時の記録によって知ることができる。

例えば十二世紀のフランスの宗教界の大立者、サン・ドゥニ修道院長スゲリウスは、彼が新たに建て替えた聖堂の窓に関して、次のように言っている。

「これらの窓は、私たちを物質界から非物質界へと引上げる……。」

更に、これは単に窓だけではなく多様な色彩の宝石に飾られた十字架を中心とする「神の家」全体に関してであるが、

「それらを見ると、私は自分が、この泥土の世界でもなく純粋な天国でもない不思議な場所に住んでいるような気がする。」(以上「統治の書」)

つまり彼は、理性的にはまだこの現実の世界に止まっていることを意識しているが、感覚的には、ほとんど天国的なものを感じていたのである。

更にシャルトルの参事会長であり神学校長であったロワッスィのペトルスは、一二〇〇年頃に次のように記している。

「太陽の光を導き入れる聖堂のガラス窓は、聖書と同じである。それは、私たちの心を光で照らすことによって、心から悪を追払うのである。」

聖堂の窓には、実際に聖書などのさまざまの場面が表現されているのであるが、その意味を読み取ることによってではなく、窓から射し込む華麗な光が心の奥まで射し込むことによって、心が浄化されるということであろう。

南フランスのマンドの司教で著名な典礼学者であるグィリエルムスは、十三世紀末に次のように記している。

「ガラス窓は聖書である。それは聖堂の中つまり信徒たちの心の中に真の太陽すなわち神の光を注ぎ込むことによって、それらを照らすのである。」(「諸聖務提要」)

これを見る者の側から言えば、窓を見ることによって心に聖なるものを感ずる、ということ、つまり窓の彼方に光まばゆい天国を感ずる、ということであろう。

このような絵ガラス窓は、十二世紀を通じて次第に大型化し、やがて壁は完全に放逐されて、聖堂が絵ガラス窓で囲まれるに至る。その窓には、建物におけるその位置によって幾つかの形式があるが、窓のうちの窓とも言うべき見事な窓は、聖堂の西正面および南北両正面の上部を占める円型の窓、いわゆるばら窓である。

ばら窓というのは、ばらの花のような美しい丸い窓ということである。しかしよく見ると、その全体は、多くは車輪のような形が複雑に変化したものである。ばら窓は、丸い窓という点では、古代ローマ時代に遡るいわゆるオクルス(目の意)がその起源であろう。しかしオクルスは、単に壁を円型にぶち抜いた採光用の窓に過ぎない。このような窓は、その後長く生き残り、少なくともロマネスク時代にまでかなりその例を見る。このような窓が高い位置にあるときは、それは太陽を連想させる。

この窓が大型化すると、円枠の中に何らかの骨組を作ってこれを補強する必要が出てくる。単なる円型の石板を透し彫にしたものもあるが、十一世紀から、多数の石材を組合せて骨組を作り、これを円形の窓に組立てたものが現れた。最初はガラスを嵌込まなかったようだが、次第にガラス、しかも鉛の紐を用いた色ガラスの組合せを嵌込むようになった。石の骨組は、前述のように車輪の形をしたものが原則で、窓が大型化するにつれ、車輪の形が複雑に変化し、さらに車輪とは関係のない様々の形の骨組も生まれた。

ところで、何故丸窓の骨組が原則として車輪の形をとり、何故、そのような窓が建物の正面の高壁に配されたのか。これを説明するためには、キリスト教聖堂と古代ローマの葬礼美術との関係を見る必要があろう。

聖堂はもちろんキリスト教典礼の行われる場所であるが、それは墓棺ないし墓碑と非常に関係がある。つまり聖堂はただの建物ではなくて聖遺物(キリストや聖人たちの遺物、とくに聖人の遺骨)を中核として建てられた建造物であり、祭壇には聖遺物が収められており、多くの聖堂は貴重な聖遺物器あるいは聖人の石棺を保存している。見方によれば、聖堂は聖遺物箱や石棺を収める巨大な容器であり、それらの形を多かれ少なかれ写し、また聖遺物器や石棺もしばしば聖堂の形をとった。

古代ローマの葬礼芸術の中心は、石棺ないし墓碑であるが、石棺の正面、そしてとくに墓碑の前面を見ると、縦長の石板の上部が、半円形又は三角形状に尖り、そこに三日月または太陽が表され、その下方には死者の像や銘文が刻まれている。月は死者の霊が憩う所という意味をもつが、太陽信仰が有力になるにつれて、そこにもっぱら太陽(多くは巴文の複雑化した形、時には車輪文)が表現されるようになる。

やがてキリスト教の時代になり、メロヴィング朝の多くの石棺は、このような太陽文によって飾られることになる。それらの多くは車輪文の形をとっている。そしてその車輪文は、石棺正面や墓碑の形式と繋がる聖堂正面の上壁に、巨大な窓となって継承されたものと思われる。

しかしこの窓の本質は、外から見たその形態よりは、内部から見るときの、その輝く色彩の効果にある。内部からは、車輪文などの石の枠組の形には誰も注意を向けない。人の目にするものは、絢爛たる色彩の輝きである。それは、黙示録の記すあの天の都イェルサレムを思わせる輝きである。

もちろんそれらの巨大な丸窓(パリ大聖堂の南北のばら窓はそれぞれ直径十二メートル半に及ぶ)は、大規模な図像展開の場として利用されている。北のばら窓は、太陽の光を直接には受けぬ位置にあり、太陽なるキリストの出現する前の旧約聖書の時代の図像に当てられる。南窓にはキリストを中心とする新しい宇宙の秩序が表現される。西窓すなわち日没の方角の窓は、この世の終末なる最後の審判に当てられる。ばら窓以外の建物各部分の窓は、旧約聖書、新約聖書、聖人伝などから選ばれた無数の場面が見られる。しかしそういった図像の意味内容よりも、ともかく色彩の輝きが、これを見る者の心を夢幻の世界へと引上げるのである。それは、この世のあらゆる宝石、いやそれを遥かに越えた無数の宝石を夜空にばら撒いたような見事な輝きである。まさに窓の彼方の天国を見る感じである。

(お茶の水女子大学名誉教授・東大・法・文・昭17・20)

(本稿は平成2年5月21日午餐会における講演を骨子としたものであります)


〔口絵図版解説〕

シャルトル大聖堂北ばら窓
一二三五年ごろ、直径一〇・一五メートル、中央に聖母子、周辺に鳩、天使、旧約時代の王、預言者たち
下の縦窓は高さ約七メートル半、中央に聖アンナと幼き聖母他は旧約時代の人物たち