学士会アーカイブス (今月)
老いと生きがい就労 辻 哲夫 No.902(平成25年9月)
老いと生きがい就労
辻 哲夫
(東京大学高齢社会総合研究機構特任教授・元厚生労働事務次官)
No.902(平成25年9月)号
超高齢社会がやってきた
我が国においては、世界史上未曽有の超高齢社会を迎えている。
今私たちは、人生九〇年時代を迎えつつある。平均寿命は、男子七九歳、女子八六歳だが、六五歳を迎えた人は、平均的に男子八四歳、女子八九歳まで生きる。このような時代に私たちはどのように老いを迎え、社会はどのようなシステムを創ればよいのか。とりわけ、団塊の世代が後期高齢者(七五歳以上)になり、後期高齢者人口が概ね五分の一を占める二〇二五年を一つの目安として社会の常識や価値観の変容も迫られている。
私の所属している東京大学高齢社会総合研究機構(以下「機構」という)では、ジェロントロジーの視点に立って、この課題に取り組んでいる。ジェロントロジーとは、個人の長命化と社会の高齢化について、生活の質(QOL)に重点を置き、医学、心理学、社会学、教育学、法学、経済学、工学など、多方面の知見を動員して学際的に研究する学問だ。
直近の知見によると、現在の七六歳の人の歩行速度は、一九九二年の六五歳の人と同じ歩行速度を保っている。歩行速度は、老化の典型指標なので、日本人は約一〇歳若返っている。六五歳で「老人」という思想は、すでに過去のものと言わねばならない。
我々は、頭を切り替え、誰もが長命となった時代にふさわしい、老い方上手になることが必要なのである。そこで、現在の日本人の老いの姿を良く知り、より良い老い方を目指したい。とりわけ、今後は「生きがい就労」といったことが大切ではないかということについて述べたい。
日本人の老いの姿
現在の日本人の老いの姿を見てみたい。機構特任教授の秋山弘子先生が二〇年かけて調査された資料によると、日本の男性の高齢期の自立度の形は三パターンに分かれることが分かる。六〇代ごろから急激に重い要介護になるパターンが二割程度、七五歳あたりを境にかなりの自立度を持ちつつ、徐々に自立度が落ちていくパターンが七割程度、残りの一割くらいは九〇歳ぐらいまでほぼ完全自立を維持している。
一方、女性は、急激に自立度が落ちるパターンは一割強と少なく、徐々に自立度が下がっていくパターンが九割を占め、男性のようにほぼ完全自立が九〇歳ぐらいまで続いているパターンはあまりない。これは、ひざが痛いという程度でも完全自立のパターンのグループに入らない分類になっており、女性は男性に比べ、総じて足腰から弱りやすいということが分かる。しかし、決して女性の自立度が低いというわけではなく、総体としては男性より高い自立度を維持していると言える。
以上のことから言えることは、老いの内容も多様であり、老いの姿を我々は良く学び、より良く老いる老い方を考える必要があるということである。
老いと上手に向き合う
自立度が下がるパターンのうち、急激に自立度が落ちるパターンは、大きく言って生活習慣病系の病気、つまり血管が傷む病気である。生活習慣病については、メタボリックシンドロームという概念が明らかになり、かなり予防が可能である。要するに、血管内の代謝の不全が共通項であり、その予防は、しっかり運動する(よく歩く)とともに太りすぎないように適正なダイエットをすることである。薬は、血圧や血糖値の管理等症状コントロールはできても今のところ血管内の代謝の不調自体は治せない。要するに、「歩く」「食に気を付ける」ことが最も優れた根本的な生活習慣病の予防であり、これを励行し、生活習慣病からなるべく遠ざかって、脳卒中等で急激に重い要介護になるというグループから外れるのがまず一番である。
もう一つの徐々に自立度の下がるパターンは、いわば通常の老いの姿といえ、足腰が弱る、物忘れが進むといったことから始まるが、近年の研究で、その進行もかなり制御できることが分かっている。かつては、高齢者の寝たきりは普通のことであったが、廃用症候群という概念が明らかになった。要するに体を使わないから筋力が弱るわけで、寝かせきりにするからますます寝たきりになるということが分かり、早期のリハビリを行いできる限り動くという努力をすることにより寝たきりの高齢者はずいぶん減った。寝たきりがかなり予防できるのであるから、もっと早い段階から予防できるはずである。それが介護予防である。その方法を端的に言えば、「動く(歩く)」、「しっかり食べる」ということである。七五歳ぐらいからが一般的な転換点と言われているが、今度は逆に年を取ったらしっかり食べることが大切で、近年のデータでは、高齢期になると小太りの人の方が、痩せの人より長生きするということが分かっている。
家に閉じこもっていたら、運動量も少ないし、食事だって手抜きになる。
結論から言うと、老い方上手とは、閉じこもらないということに尽きる。要するに、年を取っても、社会参加し続けることが、健康と自立への王道であるということである。
今後大都市圏の高齢化が大きな社会問題となる。経済成長の過程で大都市圏に移り住んだ人々が、一斉に老いていく。会社勤めをしていた大都市の大部分の高齢者が、地域に戻り役割もなく老いて閉じこもっていくとしたら、どうなるのか。
高齢者の地域デビュー
ではこのようなこれからの高齢者が、できる限り元気で自立度を維持するにはどうするか。今後は、高齢者世帯は、一人暮らしと夫婦だけというのが、普通であり、子世代が同居して、高齢者を見守ったり相談に応ずるというパターンの世帯は、マイノリティとなる。国は、一定の利用料の支払いにより見守りや相談をしてくれる「サービス付き高齢者向け住宅」を整備し始めているが、誰もがこのような住宅に入れるわけではない。特にコミュニティが十分できていない大都市圏などにおいては、地域住民が何らかの形で高齢者世帯の見守りや相談といった機能を持つような方向でのまちづくりの必要性が日本社会の極めて大きな課題となるだろう。このようなまちづくりの最大の担い手は、元気高齢者である。会社勤めが終わってから、地域でもうひと働きすることが、求められており、いわば「高齢者の地域デビュー」が必要だ。
とはいえ、誰もが自治会の世話役になったり、ボランティア活動に入れるかといえば、そう簡単ではない。まず、まちづくりの第一歩として、家から外に出て人と交わるにはどうしたらよいか。私の所属している機構が、柏市の大団地に住む典型的なサラリーマンOBの高齢者に、どうしたら地域社会に出る気になるかと聴き取りをしたところ、仕事があるともっとも出やすいという意見が多かった。「ハッピーリタイアメント」という概念は一般的でなく「仕事が好き」という日本人の気質は、超高齢社会における美徳といえる。
生きがい就労の試み
定年退職して地域に戻り、そこでまた週五日のフルタイム就労あるいは週五日のパートタイム就労をするかといえば、高齢者にそこまでの気持がないことも多いし、気に入った仕事に会えるわけでもないのが一般的だろう。そこで、自分の都合に合わせて週一、二回働けて、若干の収入もあり仲間もできる、ひいては地域の助け合いにも繋がっていくという、いわば生きがい就労といった形態ができないものか。
機構は、柏市でモデル的に、地域で高齢者が働きやすく、かつ、高齢者に対して一定の需要のある仕事の場を見出すとともに、そこに、例えば、三人で一人分とか、六人で二人分といったように高齢者がチームを組んで、いわばワークシェアリングする方式を開発しようとしている。機構では、この新方式をプチ就労とも呼んでいる。
そのような就労の分野として、まずは、農業(都市野菜)、子育て支援、食(レストラン、配食)、生活支援・福祉の四分野を設定した。現在準備中の食以外の分野は、すでに動き始めている。
その取り組みの順番としては、機構が具体的な就労の場となる事業所を探し出したり作ってもらったりする。例えば、地元農家の有志でLLP(有限責任事業組合)を作ってもらったり、地元幼稚園や特別養護老人ホームで高齢者でも取り組める仕事を用意してもらう。この段階の取り組みがうまく動く上で、市役所が取り次いでくれるなど、地元行政の協力が効果的だった。その上で、就労セミナーを機構が主催し、高齢者の生き様や働き方について学んでもらうとともに、地元の受け皿となる事業所から仕事の説明をしてもらう。柏市は人口約四〇万人だが、一回あたり一〇〇人程度がコンスタントに集まった。六割程度が男性だ。そして、就労希望者を募り、グループを組んでもらい、事業所とお見合いしてもらう。このような過程を経て、取り組みを開始して四年目現在で延べ一七四人が就労されている。
皆さん大変張り切っておられ、ちゃんと正規の手当をもらうので責任を感じるし、励みになる、仲間ができて楽しいといった感想を寄せられている。事業所も適切なコストで必要な人員が得られると満足しておられる。また、就労セミナーの受講者は意欲的な人が多く、市が開催するまちづくり講演会などへの参加もよくして下さる。このような形を通して、高齢者が新たな地域社会の担い手になることが期待される。また、機構は、このような就労参加者の健康関連のデータを取っており、興味深いのは、就労している日以外の休日も外出が増え、心身の健康状態も良い方向に変化しているということが分かってきている。
今後の展望
この機構の取り組みは、社会技術開発という観点に立って、公的な団体から一定の研究費の助成を受けて行っているものである。大学がこのような取り組みを行うことで、地元行政の協力が得られやすく、事業者も地域住民も期待を持って参加して下さっているという面はあるが、我々としては、この研究を更に進化させ、その過程をつぶさに分析し、評価し、政策的に見て実施可能なシステムとして標準化し、政策提案にまでもっていき、全国に普及させることを目指している。
このような社会の課題解決のための実践的研究が今後の大学の重要な役割だと考えている。
(東京大学高齢社会総合研究機構特任教授・元厚生労働事務次官・東大・法・昭46)