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学士会アーカイブス (今月)

アメリカ外交の現在地――理念の空洞化をめぐって 西崎 文子 No.968(令和6年9月)

アメリカ外交の現在地――理念の空洞化をめぐって
西崎 文子
(東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授)

No.968(令和6年9月)号

1 はじめに

ロシアのウクライナ侵攻が続く中、本年六月のノルマンディー上陸作戦の記念式典は、欧米諸国内での孤立主義の高まりに警鐘を鳴らし、結束を求めるのに格好の機会であった。この日バイデン大統領は、各国首脳や元兵士を前にして、何万人という多大な犠牲は、自由や民主主義擁護のための尊いものだったと讃えた。翌日には、米軍がドイツ軍要塞を奪還した岬を訪れ、アメリカの民主主義は国民それぞれが個人を超える大義のために存在すると信じるよう求めていると述べ、いかなる場合にも民主主義擁護という課題に背を向けることはできないと強調した。

アメリカ大統領の演説としては定番とも言えるものであったが、どれほど説得力があったかは疑わしい。国内支持率の低迷、ウクライナ戦争の膠着、イスラエルのガザ攻撃などさまざま状況が、アメリカ、とりわけバイデン政権の威信低下をもたらしている。さらに、この数十年のアメリカ外交の変遷そのものが、アメリカの言葉を空虚に響かせている。本稿では、この歴史的過程を、アメリカの理念に焦点を当てつつ考察し、アメリカ外交の現在地を知る一助としたい。

2 歴史的変遷

歴史的に見て、アメリカの理念の空洞化は、冷戦後のアメリカ外交と共に進んできた。冷戦終結後、「ヴィジョンとかいうもの」を苦手とするG・H・W・ブッシュ大統領が、目まぐるしく変転する国際情勢を前に「世界新秩序」を唱えたとすれば、経済問題を争点に掲げて当選したクリントン大統領は、「市場民主主義の拡大」を合言葉にアメリカの経済的力の維持・増強をはかった。反面、両政権は、流動的な世界情勢に翻弄され、外交的混乱に陥った。旧ユーゴスラヴィア、ソマリア、ハイチの内戦への対応がその例である。つまり、冷戦後の世界には、ITバブルや湾岸戦争に見られるようなアメリカ一極集中をもたらす力だけでなく、アメリカの地位の相対的低下をもたらす、より複雑な力が作用していたのである。

このような中、アメリカの理念の空洞化に決定的な影響を持ったのが、G・W・ブッシュ政権とトランプ政権であった。両者の外交は、一方は介入主義、他方はアメリカ第一主義と対極的にも見える。しかし、アメリカ中心の単独主義的傾向を持つ点で、両者はコインの表裏の関係にあり、その外交スタイルにも共通点が存在した。

(1)ブッシュの場合

九・一一同時多発テロ事件以降、ブッシュ大統領が頻用したのは、アメリカ外交の旧知の理念を表現する民主主義、自由、正義であった。テロリストが憎むのは、われわれの民主主義そのものであると公言する彼のもと、アフガニスタン攻撃は当初「無限の正義作戦」と名付けられ、その後「不朽の自由作戦」と改称された。二〇〇三年に開始されたイラク攻撃も、「イラクの自由作戦」と呼ばれている。

重要なのは、ブッシュ外交がアメリカと自由や正義とを等号で結びつけたことである。「われわれの側につくか、テロリストの側につくか」と問い詰めた大統領だけでなく、当時大きな影響力を持った「ネオコン」もその前提を共有した。その一人、R・ケイガンは、アメリカを軍神マルスに、ヨーロッパを美の神ヴィーナスになぞらえて軍事行動に慎重なヨーロッパを批判した。また、ネオコンとは区別されるが、政権内ではラムズフェルド国防長官が「古いヨーロッパ」と「新しいヨーロッパ」とを区別して、西ヨーロッパ諸国を嘲笑した。正義を振りかざす彼らは、「敵」のみならず、同盟国すらも侮蔑したのである。

自由や民主主義の理念をあたかも自国の占有物のように捉え、軍事行動に突き進む姿勢は、相手勢力の敵意を刺激するに止まらなかった。それは、同じく自由や民主主義を標榜する同盟国にアメリカに対する深い疑念を植えつけ、また、国内にも反発の種を蒔いた。その独善性は、多くの人々の神経を逆撫でし、理念外交そのものへの不信を招いたのである。

(2)トランプの場合

このような理念の空洞化をさらに助長したのが、トランプ政権であった。就任式でトランプ大統領は、それまでの政権が引き起こした「大惨事」を克服し、「アメリカを再び偉大にする」と険しい表情で語った。人民は連邦政府から権力を取り戻し、その絶対的な忠誠をアメリカ合衆国に向けなければならない。こう述べて愛国主義を称揚した彼は、アメリカの苦境は、一部エリートが自国より外国の利益を優先する経済・軍事政策を進めた結果だと断定し、「アメリカ第一主義」を宣言した。それは、民主主義政府の役割は、社会に存在する多様な価値観や利害を調整することにあるとの原則を度外視した、ポピュリスト的レトリックに彩られた演説であった。

同年の国連総会でも、トランプは同様の主張を繰り返した。「主権、安全、繁栄」をキーワードとするこの演説は、主権の擁護こそが力の根源であるとして、各国が自国の利益を第一に考えるように、アメリカもアメリカ第一主義をとると力説した。その上で彼は、イランや北朝鮮などの「敵対国」に対する強硬姿勢を露わにしたのである。人権や環境問題などを無視し、権力政治的観点からのみ世界を捉えたこの演説からは、自国の利益と世界の利益との一致や、自国の外交の利他性を無理にでも世界に説得しようとしてきたアメリカの姿はなかった。その意味で、この演説は、アメリカを呪縛から解放したと言えるかもしれない。しかし、それはアメリカの外交理念の説得力を損ない、さらには外交における理念の意義そのものを危険に晒すものであった。

3 変容する世界とアメリカ

このようなアメリカ外交の変化は、世界各地のポピュリズムの台頭と連動しており、アメリカ単独の問題ではない。同時に注意すべきは、世界に見られるのは、ポピュリズムの台頭のみではないことである。アメリカ外交の現在地を文脈づける意味で、注目したいのは次の二つである。

(1)国際社会の変容

一つは、大国の思惑とは別に、多様な国際組織が独自の理念と存在意義とを発見し始めていることである。これは、ハマスとイスラエル双方に厳しい判断を辞さない国際司法裁判所や国際刑事裁判所、各国政府から独立して活動する国際人権NGOなどに代表される。

これは、アメリカの圧倒的な軍事・政治・経済力が、その道義的・理念的地位を下支えしてきた状況が崩れつつあることを示唆している。つまり、アメリカに問われているのは、今後も自由や民主主義のモデルとしての看板を維持するのか、それともこれを捨て、軍事的ヘゲモニーを強調する「普通の大国」となるのかである。看板を維持するとすれば、アメリカは変容する国際社会の価値観や倫理観に、より注意を払わざるを得ず、また、看板を下すとすれば、それは大きな歴史的断絶となろう。いずれにせよ、従来の路線の継続は困難になるはずである。

(2)アメリカ社会の変容

もう一つは、既存の政治に対する右派の怒りがトランプ人気を押し上げる一方で、パレスチナ支援を訴える学生らのように、人権、環境、貧困などの問題に鋭く反応し、既存の政治を批判する左派の人々が、若い世代を中心に増えていることである。SNSの広がりや、社会のさらなる多様化が、人権意識を高め、政府や政治家の無為への怒りを煽っていると言えよう。

このような批判が、アメリカの発してきた理念そのものへの不信を昂じさせるのか、あるいは理念を賦活させる方向に動くかは明らかではない。仮に、人権擁護を掲げる運動が、目前の政治闘争に飲み込まれていく場合には、その運動は社会の分裂を深めることになろう。しかし、人権や環境、貧困などの問題をグローバルかつ相互依存的に捉える動きが強まるならば、これは逆に民主主義や平等、自由の概念を鍛え直す可能性を秘めている。つまり、アメリカ外交の方向性は、アメリカが今後どのような社会を目指すかに深く関連しているのである。

4 おわりに

今日、世界各地に見られるのは、強い遠心力であり、それはアメリカ社会が共有してきたとされる理念のさらなる空洞化と連動している。この遠心力は、例えばオバマ大統領のように、戦争や移民・人種問題についての理念を積極的に語る人物を、左右両側からの攻撃に晒してきた。理念そのものの欺瞞性や理念と行動との不一致が注目されたからである。他方、この遠心力は、本音を押し通すトランプらにとっては、利用すべき政治的資産に他ならない。メキシコ系移民やアフリカ諸国への侮蔑的言葉を連発する人々にとって、自由や民主主義、社会の統合といった理念は自らの利益に沿う場合にのみ想起されるまさに看板に過ぎないからである。

この遠心力を勢いづかせるか否かが、秋の大統領選挙によって左右されるのは言を俟たない。同時に、左右双方から、そして国際社会からも批判されてきたアメリカの理念の空洞化を阻止し、それを実体あるものに変化させていくには、例えばウクライナ戦争やガザの人道危機への対応に見られる「二重基準」の誹りを克服する必要がある。いかにして、自由や民主主義の理念を、実体を伴うものにしていくか。それがアメリカのみならず、日本や世界各地の人々に課された課題であることは明らかであろう。

(東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授、イェール大・Ph.D.・東大・教養・昭58)