学術・文化の発信と交流Ⅲ

南原繁氏南原繁氏

戦後、學士會月報が復刊したのは1955(昭和30)年4月。午餐会の講演が再開されたのは、さらに2年後の1957(昭和32)年4月のことでした。

月報復刊号には、「新しい大学制度をめぐって」と題して、政治学者で戦後初の東大総長を務めた学士会副理事長(後の理事長)の南原繁氏を司会に座談会が開かれ、その内容が収録されました。出席者には、戦前にいわゆる滝川事件で公職を追われて戦後に京都大学に復帰し総長となった滝川幸辰氏、やはり戦前に森戸事件で東京帝大の助教授職を失い、戦後に文部大臣を経て初代広島大学学長を務めていた森戸辰男氏らがいました。

同年は、学士会委員だった美濃部達吉氏の弟子で八月革命説の提唱者として知られる憲法学者・宮沢俊義氏が「口語体の憲法」を、東京工業大学学長の内田俊一氏が「原子力と日本の工業」をそれぞれ寄稿するなど、新時代の到来を感じさせる編集内容となりました。
午餐会の講演も、東京大学教授で第1次南極地域観測隊隊長を務めた永田武氏の「南極基地設営より帰りて」を皮切りに、日本のロケット開発の父と称された糸川英夫氏の「人工衛星とロケット」などが再開初年を飾りました。

森戸事件で森戸氏と同様に東京帝大を追われたマルクス経済学者、大内兵衛氏も復職し、東大を定年退官後は法政大学総長と学士会理事を務め、講演で「社会保障制度の問題」、月報で「レニングラード大学」などを発表しました。

有沢広巳氏有沢広巳氏

次男の力氏もやはりマルクス経済学者で東大副総長を務め、学士会副理事長に就任。兵衛氏の門下で戦後初の経済政策「傾斜生産方式」を唱えた有沢広巳氏は学士会理事長に、同じく門下の美濃部亮吉氏も昭和40年代に始まった夕食会で講演しています。

一方、マルクス主義の政治学と対比される近代政治学の一派を築いた政治学者・思想史家の丸山真男氏は「近代日本の知識人」などを、同じく近代政治学と民主主義を研究して東大法学部長と明治学院大学学長を歴任した福田歓一氏は「国家の運命―主権国家をめぐって―」をそれぞれ演題に講演しました。2人はいずれも南原繁氏から西欧の政治思想を学んだ教え子です。

言語学者では、民俗学者でもあった金田一京助氏が大正期、學士會月報に「日神を魔神から取返す話」を書いていますが、その長男である春彦氏は1972(昭和47)年に「硬骨の人―亡き父金田一京助の思い出」を学士会会報(昭和39年に『學士會月報』から改題)に寄せたほか、1977(昭和52)年には「日本の言葉と歌」というテーマで夕食会の演壇に立っています。

文学界からは、1965(昭和40)年に小説家の三島由紀夫氏が会報に「法学士と小説」を執筆。プライバシー問題が法廷で争われた有名な『宴のあと』事件の被告となった心境を綴りながら、東大法学部出身の三島氏が、法学士であり、小説家でもある自身の社会生活上の「ハンディキャップ」について論じています。

井上氏講演会井上氏講演会

このほか、1969(昭和44)年に芥川賞作家の丸谷才一氏が辞書の引き方、買い方についてユーモアを交えて紹介した「辞書あれこれ」を会報に寄稿。1983(昭和58)年には同じく作家の井上靖氏が「最近考えていること」、1986(昭和61)年には詩人の大岡信氏が「日本言語文化と国際化」と題した講演を行っています。

益川氏講演益川敏英氏講演(平成21年7月)

理系分野では、平成になってノーベル賞受賞者が相次いで会報や講演に登場しました。京大基礎物理研究所教授の益川敏英氏は、物理学賞受賞前の2002(平成14)年に「二十一世紀と大学」と題して会報に寄稿。この中で、中世の欧州を起源とする大学の歴史を振り返りながら、21世紀の大学に求められるものはローカルな“専門的な知識”ではなく、より基本的で汎用性のある知識だと指摘しています。

また、益川氏より前に物理学賞を受賞した東京大学名誉教授の小柴昌俊氏は、その翌年に「ニュートリノ天体物理学の誕生」の演題で、受賞対象となった自らの研究分野について解説しました。

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