学士会アーカイブス
~随想~ 人類哲学の使命 梅原 猛 No.919(平成28年7月)
日本のほとんどの大都市が焼け野原になり、太平洋戦争での日本の敗戦が確実になったころに名古屋にある旧制高校・八高の生徒であった私は、一生の仕事として哲学を選んだ。当時、日本の哲学者といえば、ウィリアム・ジェームズやヘーゲルなどの西洋哲学と禅思想を融合させて独創的な哲学を樹立した西田幾多郎が燦然と光を放っていた。私は、西田幾多郎やその後継者である田邊元が形成した学風が受け継がれていた哲学の聖地というべき京都大学文学部哲学科に入学した。ところが戦後の日本の哲学界は、西田や田邊のような独自の哲学を語ろうとせず、もっぱら西洋の哲学を研究し紹介することを学者の使命とした。 私は、それは哲学ではなく、哲学についての学すなわち「哲学学」と考え、日本哲学会などにおいて名だたる哲学者に甚だ率直、無礼な質問をして、悪名をとどろかせた。それは洛陽の紙価を高めたともいえる私の主著『隠された十字架』や『水底の歌』が刊行される少し前であった。 ニーチェは哲学者の人生を「ラクダの時代―獅子の時代―幼子の時代」の三段階で考えた。つまり哲学者はまずラクダのように忍耐強く哲学を学び、その後、暴れる獅子の如く伝統を強く否定し、最後に、無垢な幼子のように自らの思想を生産する時代を送るという論である。私の悪名は獅子の時代ゆえであると自己弁護していた。 私は、独自の哲学を創造するにはやはり日本の文化、宗教、歴史について西田や田邊より深く学ばねばならないと思い、日本研究を志したが、愚鈍の身ゆえ日本研究に五十年の歳月を要した。そして日本思想の本質が、鎌倉時代の三つの新仏教、浄土、禅、法華仏教の前提となった「草木国土悉皆成仏」という思想にあることを見出したのが二十年ほど前である。 また私は人間とは何かを問い続けてきたが、プラトンやデカルトやニーチェとは異なる新しい人間観を見出した。それは、人間とは戦争すなわち大量の同類殺害をせざるを得ない動物である、という人間観である。 人間以外の動物は、種の末永い存続を図るため基本的に同類を殺さない。霊長類や猛獣の一部に子殺しの行動が見られるが、それはほとんど群れのボスの交代のときのみに起こる例外的現象であり、人間のようにさまざまな口実を設けて戦争、すなわち大量の同類殺害をする動物は他にいない。それゆえ私は、人間を本質的に戦争、すなわち大量の同類殺害をする動物としてとらえたのである。 人間はどうしてそのような大量の同類殺害を行ってきて、今もなお行おうとするのか。私はその原因の一つに言葉があると思う。人間は、国や地域によって言語が異なるが、自己と異なる言葉を話す人間を同類とは認め難かったのであろう。 しかしもっと根深い原因がある。それは、人間が自然の破壊者であったことであろう。人間以外の動物は決して自然を破壊しない。人間による自然破壊の物語が、人類最初の都市文明を生み出したメソポタミアのシュメールに伝わる「ギルガメシュ叙事詩」に記されている。 五千年前、シュメールの王位に就いたギルガメシュが最初に行ったのは森の神フンババの殺害である。彼は親友である半人半獣のエンキドゥとともに、みごとにフンババを殺す。森の神の殺害は、小麦農業を生産の基礎とする文明にとって必要欠くべからざることであった。森を破壊することによって広大な農地が得られるからである。西洋社会ではこうして次々と森が破壊され、農地が拡大し、そのうえにすばらしい文明が築かれた。そして森の神フンババ殺害は、森に住む多くの動植物の命を奪うことを意味するのである。 これは、極東アジアの稲作農業を生産の基礎とする文明では事情が異なる。稲作農業には大量の水が必要であるため、水を蓄える森が不可欠である。日本では、田植えが始まると、山の神すなわち森の神が田に下りて来て田の神となり、稲刈りが終わるとまた森に帰って山の神になると信じられている。 私は、このように自然を破壊して多くの生物を殺した人間が、人間同士の殺し合いである戦争を行うのは必然的であったと考える。そして殺人兵器の技術が進歩し、ついに原爆、水爆の開発にいたった。そのような人間の運命を変えなければならないと私は思う。 数年前、私は『人類哲学序説』を上梓し、「草木国土悉皆成仏」という理念が新しい人類の理想になるべきだと語った。しかしそれは序論にすぎない。本論では、この人類文明を飛躍的に発展させた西洋哲学に対する厳しい批判をしなければならない。それを書くにはまだ十年ほどの時間が必要であろう。十年経つと私は百歳を超えることになるが、少なくとも百歳までは生きて、新しい哲学を創らねばならないと思っている。 (京都市立芸術大学名誉教授・国際日本文化研究センター顧問・京大・文・昭23)
|