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胃の全摘手術を受けて――胃の手術を受けた人の食生活について―― 杉村 隆 No.843(平成15年11月)
胃の全摘手術を受けて――胃の手術を受けた人の食生活について――
杉村 隆
(学士院会員・国立がんセンター名誉総長・東邦大学名誉総長)
No.843(平成15年11月)号
私の病気の経験が患者さんや学問の進歩に役立てば
今日、医学の診断技術は格段に進歩し、体を傷つけることなく、体内の状況を手に取るように見ることが出来るようになった。血液や、ごく少量の生体材料を用いて、分子生物学的手法の進歩した組み合わせで、病気の原因や進展状況も分かるようになってきた。
日本の医学界の伝統というのか習慣というべきか、大学の名誉教授等がご逝去になると、生前より自らの病理解剖を指示され、病理解剖学の進歩に寄与されようとするのが通常である。推測するに、この習慣はドイツ医学の伝統ではないかと思う。勿論、今でも死後の一点における病理解剖学により得られる知見は、まだ大きいものがある。
しかし、それ以上に、病気の進展のプロセスの中、生身の時に起こることで、一般論として把え難い事柄や、病気に伴って一人一人の患者さんが持つ主観的、感覚的、情緒的な面を、医学者、医師は先駆けて、一般の人に、あるいは医学界に訴えることも、病理解剖に協力するのとは別に大きな意義があろう。そんな考えから、自身の病気のことを他人に尋ねられればオープンに話し、書くような機会があれば、少しでもお役に立つようにしてきた。
私のこれまでの病気、入院等
私が医学部を卒業してから五十余年になるが、その間、四十七歳ですい臓がん、五十四歳で肺がんを疑われたことがある。腎結石の破砕術が中途半端で、尿管中に砕けた石が詰まり、全身麻酔下で手術し、その後そこが瘢痕となり尿管閉塞と水腎症が起こり、再び全身麻酔下で尿管膀胱移植術を受けた。六十六歳の時ほとんど無症状の心筋梗塞になったこともある。またその十年後、冠動脈狭窄のために二個のステントを挿入してもらった。その前には日常生活下の普通の運動により心負荷が感じられていたので、まさに地獄の三途の川辺まで行って戻ってきた感がする。
二度の尿管手術の後で、最近はあまり起こらなくなったが、後腹膜に感染巣があるのか、時々発熱する。しかし、この病変は、あまりまともに受け止めて相談に乗ってくれる医師が少ない。普通の人に起こる病気ではなく、腎石破砕不十分―尿管閉塞―手術―尿管瘢痕狭窄―尿管膀胱移植という複雑な経過で生じたものだからである。また私は、左肺下葉が大きく二つに分かれているために、左下葉に慢性炎症が起こりやすいが、これは奇型の一種に近い。右脊椎動脈が細いが、これも生まれつきのものだから心配しないようにと言ってくださる医師がおられるので、楽天的に、それに従うことにしている。
これらの経験は、東大の医学部の加我君孝教授と、高本眞一教授が主催される「医の原点」という講義シリーズで話をする機会を与えられ、それを本にしたものや、また日経新聞の「私の履歴書」をまとめた一冊に書いてある。
今度は本当にがんになって
医学者として、一生の様々な異常事態をあるがままに記載しておくことは、死後の二、三時間の解剖で専門家のみが立ち会いを許される病理解剖と同等、または、それ以上に、医学の進歩に有効と思い、折々に機会があれば、自分自身の闘病経験を記してきた。最近「医師ががんになった時」というような論説や書物が多く発刊され、広く、がんの患者さんの心身の支えになっているのは心強い限りである。
私も、本年三月十七日の検診で、胃の体上部、噴門近くに「早期胃がん」と称すべき病変が発見され、四月八日に胃の全摘出手術を受けた。最初の発見は、内視鏡検査で、国立がんセンター中央病院の斉藤大三内視鏡部長と後藤田卓志医師によった。その折に採取した小さい組織切片は、下田忠和病理検査室医長により顕微鏡下に間違いなく「胃がん」と診断された。ごく僅かに粘膜筋板下に入っているが、胃の固有筋層には及んではいないとのことであった。内視鏡下の粘膜及び粘膜下層の切除、胃の部分的切除、胃の全摘等の選択肢があったが、国立がんセンターの笹子充第一領域外来部長、佐野武医長の決断で胃の全摘を受けた。手術に伴う心臓の既往症のリスクについては、これまでに長く診て下さっている慶應大学病院の三田村秀雄教授に、術前の検査を受け、アドバイスを頂いた。
胃全摘後の再建手技は、第一図に示すようなRoux-en-Y法という、スイスのルー博士が一八九七年に最初の五十例について報告した方法で、安全性が高く、国立がんセンター病院でもこれまで約三〇〇〇例が行われている。幽門側胃切除後の再建として日本で広く行われた手技にBillrothⅠ法とBillrothⅡ法がある。考えてみると、ビルロート博士により考案されたBillrothⅠ法、Ⅱ法は、やはり十九世紀に誕生したものであり、ビルロート博士の胃切除の最初の発表は一八八一年とされている。ウィーン大学の医学史博物館で、一八八〇年頃の胃がん切除胃のホルマリン漬けを見たことがある。ところで、十九世紀末に完成された胃の手術法は、当時の医学のレベルの高さを示す。一方、他の医学領域の二十世紀中の進歩を考えると、十九世紀の術式が二十一世紀に行われているのは不思議な気もする。考えてみると、インスリンがベスト(Best)博士らにより発見されたのが一九二二年だから、ルー博士もビルロート博士も、自分の術式による胃の手術後の食事に伴う血糖値の動きについては、深い関心はなかったと思う。
勿論、術式の根幹は同じでも、手術の緻密性、安全性、迅速性を来した手技の熟達、術中の麻酔、術後の管理等は、隔世の進歩を遂げた。
私の場合で言えば、手術は全身麻酔で行われるし、術後の硬膜外麻酔も有効なので、痛みはよくコントロールされていた。のどが渇くとか、点滴の不自由さとか、五本の管が入っていることによる苦しさはあった。日一日と快復し、十一泊後には退院することになった。入院中は典型的な術後のクリニカル・パスに合致するという経過をたどった。
外科医は胃がん摘出の手術を、いろいろな術式で行う。術後いろいろな不都合も起こる。勿論、部分切除から胃全摘まで、術式によって、患者の後遺症は様々である。抜糸をして退院すると、後は定期的に外来で術後の回復の経過を診察することになっている。一般的に言えば、この時期になると外科医は次の患者さんの手術に忙殺されて、術後の患者さんは何とかうまく日常を過ごしていると希望しながら、関心が薄れがちである。勿論、患者さんの生命に関わるようながんの再発とか、手術にある確率で起こり得る縫合不全とか、腸が屈曲癒着して生じるイレウス(腸閉塞)等が起これば、外科医の適切なアドバイスや再手術など寄与が再び大きいことは言うまでもない。
私の場合、最初の診断から手術までの二十日間、手術と手術後の入院期間十一泊の経過を、財団法人高松宮妃癌研究基金の年報CANCER第三十三号、六十七―八十三頁(二〇〇三年)に記載させて頂いた。入院中は医師、看護師の厳重な観察下にあるので、万事お任せして安心であった。
退院後のリハビリと社会復帰へ:特に食生活
退院後のリハビリ、社会復帰への経過は、一人一人の患者により様々である。些細なことでも気軽に相談できるホームドクターの存在があれば理想である。
退院後の食事等については、国立がんセンター中央病院の栄養管理室が作った「胃の手術を受けられた方のお食事について」という小冊子が役に立った。A4版六頁に要点が書いてある。一番大切なことは、①「分割食にしましょう」。一日三食の間に、午前十時と午後三時にビスケット、牛乳などをとること、②「よく嚙んで、ゆっくり食べましょう」。口から食道は通るだけですぐに腸に届く。本来、健康な胃を持っている人は、一度胃に食べたもの、飲んだものをためて、胃でこなれたものが少しずつ腸に入るのが普通である。従って、胃の働きを意識的に口で代行しなければならない。初めの頃は食事中に、秒針のついた時計を目の前に置いて、一分間に一回以上はお皿や茶碗より口に新しいものを運ばないようにしていた。
よく嚙むことは当然であるが、あまり嚙みすぎると義歯が口腔粘膜に刺激を与える。その結果、口腔粘膜に繰り返して作られる傷から、前がん状態を経て、がんが発生する可能性もある。私の義歯を長い期間診て下さっている歯科の貞包剛男先生に、術後体重の減少や、頬や口腔周辺の脂肪が失われることによる義歯の不適合性の存在を診て頂き、義歯は問題がないと確かめてもらった。また心配な口腔粘膜は、頭頸部がんの第一人者である、国立がんセンター東病院の海老原敏院長に診て頂き、前がん状態と理解される所見はないから心配ないということであった。③「食事時間を規則的にしましょう」。これは術後一ヶ月位、主に自宅にいる時はよいが、社会活動をはじめると、なかなか守るのが難しくなる。努力することと、少々浮世の義理を欠く覚悟をすることである。④「食事内容は段階的に進めましょう」。笹子先生から、原則的にはほとんど何を食べてもよいが、少しずつ始めてみて、様子を見るのが良いと言われて、実行している。トライ アンド エラーを臆病に実行してみるようにとのことであった。⑤「食べ過ぎないように気をつけましょう」。もう少し食べられるかなと思いながら、少しずつ皿の上に残すようにすることである。会議等で幕の内弁当が出た時などは、自由に残せばよいが、コースの食事の時も、半分位は食べることにして、皿の右手にフォーク、ナイフを平行にしておけば、察して皆さんと同じ時に皿を下げてくれるので問題ない。むしろ自宅で自分の好きなものを食べる時の方が失敗しやすい。⑥「アルコールは手術後、少量は飲むことが出来る」。私はもともとアルコールをあまり嗜まなかったので問題はない。しかし、一般に炭酸ガスの多いビール等は勧められないそうである。この小冊子はその他に、有用便利な情報のエッセンスが載っている。
言うまでもないが、術後の食生活は、女房、家人の協力が大切なことである。私の女房は本屋さんの棚で『胃を切った人の食事』(主婦の友社、監修 羽生富士夫、喜多村陽一、池上保子氏)とか、『胃手術後の人の献立カレンダー』(女子栄養大学出版部、監修 香川芳子氏)を見つけて買ってきた。笹子先生からは、ご自身の編・著になる『胃がん治療のすべて』(築地書館)を頂いた。その第四章“手術後の経過と注意すること”の一項目f、“食事の仕方”が具体的、科学的でとても良い。以前国立がんセンターにおられ、現在多賀須消化器内科クリニック院長の多賀須幸男先生からは『患者二〇〇人の貴重な食体験、胃を切った私達の食事塾』(協和企画、松尾裕監修)を頂いた。これは“術後一年迄の食事塾”、“術後五年迄の食事塾”、“術後十年前後の食事塾”、“高齢者の食事塾”に分かれていて、計二〇〇人の経験が語られている。実に一人一人悩みは様々であり、各論的であり、共通項としてまとめるには難しい所がある。勿論、胃を切ったといっても、部分切除から全摘まである。一人一人が、かくも違うものかというのがよく分かる。頼るべきは自分自身の体験だなと感得出来る。要は、国立がんセンターの栄養管理室の勧める六項目を守り、少しずつ自分にあったやり方を体験により探り出すに限る。
私自身の経験から言うと、①早く食べ過ぎて、食べた物、飲んだ物が、鳩尾の辺りでつかえることのないようにすること、②食べ過ぎをして、いわゆる食後間もなく起こる早期ダンピングの機会を少なくすること、③いわゆる食後二、三時間後に起こる低血糖による後期ダンピングを自ら察知予見して防ぐこと、④就寝中の逆流・誤嚥による肺炎を絶対避けること、⑤その他、自重し、体力を温存し、感染に対する抵抗力等を消耗しないこと、である。
私の失敗経験から
私の失敗談をご披露すると、術後十六日目に、家内が煮た子持鰈の厚めの白身と卵巣を食べた時であり、これは少し早めに次々と口に運んだのが良くなかったらしい。食道の下部につまった感じが生じ、暫く時間がかかった。また術後三十日目、フランクフルトソーセージを少し早めに食べたら、つかえたことである。そもそもソーセージは均質であるので、よく嚙んで飲み込んでも、食道の中でまた塊になるのであろうか? つかえた時は、水やお茶を飲んでも、つかえた上に重なるだけで効果はないので、室内を歩いたり、跳ねてみたり、肩こり用の電動バイブレーターを背中にあててみたりする。つまった時は、大抵食事のはじめに、これはうまいと思ったものを、思わず早く食べた時である。さらに術後二ヶ月半に鉄火巻き二つ、思わず早く食べた時である。そのずっと前に、きゅうり巻きや新香巻きを注意深く嚙んで食べて何でもなかったから、鉄火巻きがつまるのは解せないが、使用している海苔の性質により膜としての強さが違うことに関係したのかもしれない。
いなり寿司の袋の油揚げにも商品により微妙な違いがあるように思える。簡便に買ってきたパック内のいなり寿司の袋は丈夫にできていることがあるのだろうか、膜としてつかえた気持ちがしたことがある(術後四ヶ月目)。機械的に大量に作るため、丈夫な袋になっているのかと思うのは弱者のひがみかもしれない。
一般的に言えば、嚙んでも繊維が残るもの、膜状のものが残るもの、よく嚙んでも均質過ぎて、またくっついて塊となるものは要注意である。海草は注意と言われるが、わかめを細かい粉状にしたふりかけ等は問題ない。不思議なのは納豆で、あのヌルヌルが食道・腸管結合部の通りを良くするのか、他のものも食べやすくする。メロンは一番内側の種子に面した所に、意外と繊維が多い。種子に注意すれば、西瓜は繊維がなくて良い。
しかし何より重要なのは、食材よりも、よく嚙んで、ゆっくり口に運ぶことである。言うは易く行うは難し。術後四ヶ月も経つと、そうめん、そば、うどん等は、うっかりすると女房と同じ早さで食べてしまい、注意されて、ブレーキをかけるようなことがある。
おいしいと思って食べた食事後、三十分位に、いわゆる早期ダンピング症状になったのは、術後一ヶ月半目に鰻の蒲焼きを一串食べた時である。その前に、術後二十八日目には可成りの量の鰻の蒲焼きを食べて問題がなかったので、うっかり一串全部食べてしまった。やがて脈拍が九十近くになるし、何とも眠くなって仕方がない。血液の腸管への分布が多くなってしまう結果と思われる。そんなことがあったら眠ってしまえと、笹子部長からうかがっていたので、ソファーの肘に頭部をのせて二時間程眠った。幸い、吐き気等もなかった。この経験以後は、決して決して、おいしくても、食べ過ぎないように臆病になった。しかし、一般に、少しうまいと思うおかずを多目に食べると眠くなるので、その時は一時間位眠ることにしている。
後期ダンピングというのは、食後二~四時間位に、急に体中の力がなくなるような感じで気がつく。Roux-en-Y法では、笹子部長が説明してくれたものにより作図した第二図のように、食物が胃に一時蓄えられてから腸に行くのでなく、すぐに腸に行くので、炭水化物を多くとった食事の後、血糖値が急に高くなり、それに対応するようにインスリンが過剰に分泌される。その過剰なインスリンのために、今度は血糖値が下がり過ぎて低血糖が起こる。
自分で指の先を針で刺し、〇・〇五ml以下の血液で簡単に血糖値を測定できる装置が売られている。それを使うまでもなく「あ、来たな」という時に、キャラメルとか、コーヒーや紅茶に入れる一袋の砂糖の粉を口中に入れ、唾液と共に飲み込むと、三、四分後には症状が戻る。引き続きキャラメルをなめたり、ジュースを飲んだりすると、全く普通になる。森永キャラメルというクラシックなキャラメルには、「滋養豊富、風味絶佳」と書いてある。最近発売となった、沖縄の黒砂糖を使った森永黒糖キャラメルが口当たりがよい。鹿児島のセイカ食品の南国特産ボンタン飴はキャラメルの箱に入っているが、一個一個がオブラートで包んであるため、ポケットの箱から直接口に運べ、人様と会議中等の時に具合が良い。
「あ、来たな」という時の血糖値は、大体50-60mg/dlである。70mg/dlの時は何も感じないので、急なので、時に驚くことが多い。書物を読んでいる時は何でもなく、体を動かし始めて暫くすると、急に脱力感を覚えることがある。また書物を読んだり、原稿を書いたりしていると、目がチラチラするというのが最も早い兆候で、キャラメル一~二個で消失する。この時に糖分をとらないと、更に冷や汗が出たり、脈が早くなったりする。時には意識が朦朧になると言われている。だからいつもキャラメルを持参している。また、大体その時間帯になると、予めキャラメルやのど飴を口に入れるようにする。お守りのようなものである。
ところで、血糖値が上がり過ぎ、食事後は尿中の糖が陽性になることが多い。時には強陽性になる。私のように軽い糖尿病2型の傾向があった者は、長期的にどうなるのかまだよく私自身には理解できない。
誤嚥性肺炎らしいものになったこと
一番の大失敗は、術後二ヶ月経過した時に罹った誤嚥性肺炎らしきものである。手術のための入院中は勿論だが、退院以来、枕を重ねて頭部を高くして睡眠をとるようにしている。これはとても大切なことである。何故ならば、普通の人は食道と胃の間に噴門という関所があり、その筋肉が必要に応じて収縮したり弛緩したりする。食道から胃に食物が入る時には開き、その他の時は閉じているから、胃の内容物が食道に逆流することはない。同じように胃と十二指腸の間にも幽門という関所があり、胃が収縮して十二指腸に胃の内容物を出す時に開き、その他の時は閉じている。従って十二指腸の内容物が胃に逆流することはない。因みに、粘膜表面のpHは、食道では中性、胃では酸性、十二指腸ではアルカリ性になっている。
胃がんの手術の摘出法により、噴門や幽門がなくなっている場合がある。勿論私のような胃の全摘の場合は、第一図にあったように、食道はのっぺらぼうに空腸につながった一本の管のようなものである。うっかり頭を体に水平にしたりすると、腸の内容物が“のど”の方に上がってくる。消化管内に留まるべきものが、呼吸時において、肺への空気の出入り口である喉頭にひそかに近づいて来る。そもそも、胸部には二つの管が走っている。食物のための食道が背骨の前にあり、空気を通す気管がさらにその前にある。健康な時でも、喉頭にある喉頭蓋という蓋があり、食物を嚥下する時に気管に食物が入ることはない。さらに気管の内側には細胞の表面に繊毛という細かい毛が生えていて、絶えず内側から喉の方へ波うった運動をしている。小さな埃や痰等が自然に喉頭を通って外に排出されるようになっている。
もし食物の一部が気管に深く入ると、嚥下性肺炎が起こる。私の場合、食道・空腸に食物の一部が入った時に、もし頭を下げて寝たりすると、意識なく寝ている間に食物が喉頭に上がってきて、気が付かぬ間に気管に入ることがあり得る。そして誤嚥性肺炎が起こる。事実、術後二ヶ月目に、まず“のど”が痛む普通の風邪をひいた。うがいをしたりしていたが、微熱があった。同じ頃、女房も喉が痛いというので、多分普通のアデノウイルス感染による喉頭(気管の上部)と咽頭(食道の上部) に炎症が起こったことは間違いない。咽頭、喉頭に浮腫(むくみ)が生じたと思われるのは、二人とも声が嗄れていたので確かであろう。所が二、三日した晩、夜中の二時頃に目が覚めたら、のどがやたらに痛い。中耳の方まで痛みが放散する。これは頭を無意識に低くして寝込んでいるうちに、逆行性喉頭炎を起こしたものかと思われる。あらかじめ普通の風邪をひいていたために逆流が起こり易くなったのかもしれない。それを就寝中に誤嚥したのか、翌日から体温も三十九度近くなった。挙げ句の果てに再入院して、脱水を避けるための水分補給の点滴と、細菌に対する抗生物質投与で危機を脱した。エックス線撮影上、左下葉に肺炎の症状があった。幸いに抗生物質も効いたようで、二日半位の投与で解熱し、数日で退院出来た。
その他の生活条件
食べ過ぎるとどうしても、腸より食道に逆流する可能性が高いので、それ以後は食べる量にも注意すると共に、ベッドの上には、テレビを見る時に使う三角形の背もたれのようなものを通信販売で購入して設置した。硬い枕と一緒に柔らかい枕を重ねて、足先はシーツに別の枕を固定し、体がずれない仕掛けを作って、よく寝ている。紐で背もたれ上に枕をぶら下げたような型のものを作っている(第三図)。人によっては水平でないとよく眠れないという方もあるようなので、傾斜を少なくするとか、それぞれの方々に合うようにエ夫されると良いと思う。
もう一つ注意すべきは、水分の摂取である。水分を多く摂ると腸管の中に入る食事が少なくなる。結局、水分の摂取が少なくなる傾向になる。小生のように以前に腎結石が出来た人は、殊の外、水分量を摂らなければならない。ミルクと薄い砂糖の入った紅茶の缶(三八〇cc)や、ペットボトルの水(五〇〇cc)を側に置いておくようにして、折にふれて少しずつ飲むことにしている。酸化マグネシウムという緩下剤を、私の場合、朝食後と夕食後に〇・五グラムずつ摂っていると、便秘などに悩まされずにすむ。疲れやすく、眠ればいくらでも寝られるが、七〇パーセント位の活動は出来ている。
本当は少し心配していること
心配なことは、食道に食道炎とか食道がんとかが起こらないかということである。知人に胃の全摘の後に食道がんの発生を経験した人がいる。食べ過ぎで食道に負担をかけないようにする。口腔内粘膜は前がん状態に近いものがないと述べたが、食道粘膜上皮にはある可能性はある。最初に胃がんを発見して下さった斉藤部長は、術後の経過が落ち着いた所で食道と食道・空腸結合部の内視鏡検査をしようと言っている。
何事にも完全ということはないが、私の場合は、粘膜下のがん細胞浸潤は少なく、がん細胞の性質も穏やかな方であった。リンパ節(五十二個)と、見た限りの静脈内にがん細胞がなかった。とはいえ、すり抜けたがん細胞が、いわゆる再発として体内のどこかで増殖することもあり得る。
また更に少々長期的に考えると、数年の間に胆石を発生する例が胃全摘患者の二割位にあるという。胆嚢から胆汁が出るのは十二指腸中を脂肪が通過していく時である。Roux-en-Yの術式では、総胆管から開口している十二指腸の所を食物が直接通過することがない。WHOの事務局長を務められた中嶋宏先生は、ご在任中に胃がん切除の手術を受けられた。そして七年後には胆石の手術を受けられた。胃の全摘手術と同時に胆嚢の摘出手術をする術式もあるようだが、中嶋先生は腹腔鏡手術で胆嚢切除を行われたと話して下さった。胃、胆嚢の両手術ともWHOの事務局長の激しいご職務に大きな支障のないように遂行された。また私の場合は、十二指腸の総胆管開口部等に胆石がつまった時に、内視鏡的にそれを処置することが出来ない。何しろ十二指腸の上部は盲端になっているのだから。しかしこれは、胆嚢へ行く迷走神経を切った場合であり、私のように、この神経を温存したケースでは、胆石の手術が必要になった例は数パーセントと笹子部長が言うので、少々安心している。迷走神経は胆嚢の収縮、胆汁の排泄に関係している。また食物が十二指腸を通らないとカルシウムの吸収が下がるとも言われている。牛乳でも多目に摂ろうか。
いろいろな事を心配しても仕方がない。あまり気にしないで何でも食べてと、笹子部長は言われる。失敗して自ら注意するようにとのことである。それより、気分を積極的にもって、無理のない程度で、あまりくよくよしないことが良いらしい。
患者さんが自覚的に感じることは、医師に話しても案外通じないことが多いという話を聞く。沢山の患者さんの対応の経験がある笹子部長、斉藤部長は勘が良く、すぐに適切なアドバイスをして下さる。
先に述べた多賀須先生が顧問をしておられる、「アルファー・クラブ」という、患者さんによる、会員制の情報交換会がある。患者間の悩みや、良いまたは苦い経験話がニュースレターとして一ヶ月に一度配られる。どの患者さんにも、いろいろな苦労や心配があり、励まされる。
これからの取り組み
ゆっくり食事をするという第一鉄則もつい忘れて、うっかり女房と同じ早さになり、「早すぎる」と注意されることもあるが、つまり女房の作った食事がうまいということで、うまいので早く食べたい物を、思い直して、ゆっくり食べる人生もそう悪いものではない。
いずれにしても、一回に食べられる量は圧倒的に少ないので、午前十時、午後三時に、朝食、昼食を分け、夕食も軽めにして、二時間後にクッキー、せんべい等を少々とると、早期および後期ダンピングは起こり難い。
胃の全摘をした人は、胃体部から分泌されるキャッスル因子がないため、この因子と結合して腸管よりはじめて吸収されるビタミンB12の欠乏になり易いそうである。B12の入ったビタミン錠や、カロリーメイト(ブロック、スティック、ゼリー等の製品がある)等を摂ることにしているが、不十分で、B12の皮下注射を受けた方が良いと笹子部長は言われる。アラキドン酸からプロスタグランデインの生成を効率的に阻害するDHA(ドコサヘキサエン酸)入りの牛乳や、腸管内の菌フロラ中に乳酸菌が増えた方が良いと言われているので、ヨーグルト、飲むヨーグルト、更に、我が研究所の津田洋幸部長が、いろいろ良い効果があるという、ラクトフェリンの入ったヨーグルト等を食べているが、効能の程はわからない。中には特別健康増進指定等と書かれているものもあるが、どれ程確かに定義されたものか分からない。少し凡庸に見えても、こういう物質の効果の研究は、案外国民にとって大切である。今日、競争的研究とか喧伝されて、外国に同工異曲のものがありながら、自分の研究を国際誌にそこそこ発表すると気が利いているように見えて評判が良い。結局は二、三年の中に忘れ去られるものに重点が置かれすぎているかもしれない。
胃の手術後、血圧は低めで定着している。少し高めだった血中の糖のついたヘモグロビン HbA1cも正常値になった。しかし毎食後インスリンが過剰生産されるということが、長期的糖代謝、すい臓機能にどういう影響を及ほすのか、先に述べたように、まだ納得のいく勉強をしていない。
術後のそれぞれの時期で注意すべき重点事項も、人それぞれにより、時と共に移ろっていくのであろう。主治医との接触を保つことが勧められる。
終わりに
人間はいつ災難に遭うかわからない。がんになるのも災難に遭ったようなもので、交通事故に遭うのに似ている。しかし、がんにはかなりはっきりした原因がある。原因が一つだけでなく、多数のものが長い期間に作用して、正常細胞ががん細胞になるのだから、がんの予防には持続的な日常生活下での努力と、普通に実行出来ることが大切である。欧米諸国で胃がんは数十年の間に激減した。男性の肺がんも発生が減り始めた。しかし、がんに罹ることの予防は一〇〇パーセント完全ではないので、無症状の中にがんの存在を知る検診の科学を推進することが望ましい。かなり早期に医師によって診断されることは、完治の機会を高める。これは私自身の経験からも明らかである。信頼する医師を決め、症状があってもなくても、定期的に検診を受け、必要なら更に詳しく診察、検査を受けるようにすることがよい。
文中に述べた通り、胃の手術といっても、胃の部分切除、全摘出等、様々な場合がある。最近は早期診断例が多く、開腹手術よりも内視鏡下にがんの粘膜部分をはがし取る方法で完全にがんを取り除けるようになりつつある。現在、国立がんセンターの場合、開腹手術と内視鏡下粘膜切除法、(endoscopic mucosal resection, EMR)の比率は1:1に近づきつつある。選択肢が多くなり、後遺症の少ない方法が発展するのは素晴らしいことである。
本稿は著者自身の体験を中心として、出来るだけ具体的な記述を試みたが、全ての人が同じでない経過、症状を示すので、あくまでもご参考ということでご理解を頂きたい。
本稿は、国立がんセンター垣添忠生総長、笹子充(三津留)部長、斉藤大三部長に読んで頂き、訂正を加えてある。
参考となる書物
- 「やはり定期検診は大切だ」杉村隆(財団法人高松宮妃癌研究基金「CANCER」第33号、P67-83、2003)
- 「胃の手術を受けられた方のお食事について」国立がんセンター中央病院栄養管理室(非売品 ホームページ:http//www.ncc.go.jp/jp/ncc-cis/pub/care/010328,html)
- 「胃がん治療のすべて」笹子三津留(築地書館、2000)
- 「胃を切った人の食事」羽生富士夫、喜多村陽一、池上保子監修(主婦の友社、2003)
- 「胃手術後の人の献立カレンダー」香川芳子監修(女子栄養大学出版部、1999)
- 「患者二〇〇人の貴重な食体験、胃を切った私達の食事塾」松尾裕監修(協和企画、1997)
- 「医の原点 自分が病気になった経験から」杉村隆(金原出版『医療と心5 医の原点』加我君孝、高本眞一編、P81-106、2003)
- 「がんよ驕るなかれ」杉村隆(日経サイエンス社、1994)(岩波現代文庫、2000)
- 「発がん物質」杉村隆(中公新著、1982)
- 「がんと人間」杉村隆、垣添忠生、長尾美奈子(岩波新書、1997)
(学士院会員・国立がんセンター名誉総長・東邦大学名誉総長・東大・医博・医・昭24)