事務局からのお知らせ
加藤弘之先生謝恩会の出席者について、ご協力のお願い
事務局からのお知らせ
加藤弘之先生謝恩会の出席者について、ご協力のお願い
謝恩の情(学士会創立の発端となった加藤弘之先生謝恩会)
≪明治19年4月18日≫@小石川植物園 出席者122名
※最後列中央の渡邊安穂は渡邊安積の誤植です。昭和61年発行の『学士会百年史』に掲載以来、誤って記載しておりましたこと、ここにお詫びして、訂正致します。
ただいま、学士会事務局では、学士会創立の発端となった明治19年4月18日に開催された加藤弘之先生謝恩会出席者について、情報収集を進めております。
会員の方にもご協力を頂きながら取りまとめ、122名のうち、ほとんどの出席者の経歴が判明しておりますが、いまだ若干名、肩書き等が不明のままとなっております。
下記にリスト一覧を掲載しますので、不明欄の箇所(空白欄・赤字箇所)の情報をお持ちの方は、情報提供のご協力を、何卒、よろしくお願い申し上げます。又、誤った記述も充分に考えられます故、ご教示頂けましたら幸いです。
情報の提供、ご教示をいただく際の連絡は、会報課(kaihou@gakushikai.or.jp)まで、メールにて、お願いします。(2018年11月)
「加藤弘之先生」謝恩会出席者一覧
氏名 | フリ仮名 | 写真No | 生没年 | 出身 | プロフィール | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 朝比奈知泉 | アサヒナ チセン | 8 | 1862- 1939 |
茨城 | 新聞記者、「東京新聞」「東京日日新聞」主筆。大日本史論賛集校閲。 |
2 | 蘆野敬三郎 | アシノ ケイザブロウ | 56 | 1866- 1941 |
東京 | 数学・天文学・気象学者。海軍大学教授。東京理科大創立者の一人。 |
3 | 荒川義太郎 | アラカワ ヨシタロウ | 22 | 1862- 1927 |
東京 | 官僚・政治家。横浜市長、鳥取・香川・長崎等の県知事、貴族院議員。 |
4 | 有賀長雄 | アリガ ナガオ | 110 | 1860- 1921 |
大阪 | 法学者・社会学者。日清日露戦役従軍法律顧問、衷世凱の法律顧問。元老院書記長。21カ条の要求に反対す。 |
5 | 飯島 魁 | イイジマ イサオ | 68 | 1861- 1921 |
静岡 | 動物学者・鳥類学者。モースやホイットマンの指導を受ける。日本の近代的鳥類学の指導者、開成学校で野球を経験。 |
6 | 石川 巌 | イシカワ イワオ | 60 | 1859- 1902 |
兵庫 | 商品学。東京高等商業教授。一橋大学で福田徳三をはじめ黄金時代を築いた一人。申酉事件。 |
7 | 石田二男雄 | イシダ ニナオ | 30 | 福井 | 測量学・土木。東京山林学校教授。京都府技師。 | |
8 | 石藤豊太 | イシドウ トヨタ | 36 | 1859- 1945 |
広島 | 火薬学者。帝国大学工科大学教授、京都・九州帝国大学講師、日本化薬製造㈱取締役技師長。 |
9 | 井原師義 | イハラ モロヨシ | 101 | 1857- 1905 |
山口 | 教育者。進学予備校「進文学舎」で英語又は数学の教師、後の有名人を教育す。※早稲田大学百年史第1巻に記載あり。 |
10 | 岩川友太郎 | イワカワ トモタロウ | 59 | 1855- 1933 |
青森 | 動物学者。モースやホイットマンに学ぶ。女子高等師範教授。「日本産貝類標本目録」を編集。 |
11 | 巌谷立太郎 | イワヤ リュウタロウ | 83 | 1857- 1891 |
滋賀 | 鉱山学者。東大教授。日本新聞社創立発起人。 |
12 | 印東玄得 | インドウ ゲントク | 16 | 1850- 1895 |
和歌山 | 我が国初の生命保険会社(明治生命)の設立にかかわり、日本初の保険医。慶應義塾にて理学講習会を教授。 |
13 | 宇野 朗 | ウノ ホガラ | 92 | 1850- 1928 |
静岡 | 医学者。外科・東大病院長。楽山堂病院長。 |
14 | 梅若誠太郎 | ウメワカ セイタロウ | 29 | -1928 | 静岡 | 法律学者、経済学者。宮城県書記官。早稲田大学予科教授。「英国憲法論」訳書。梅若流と関係? |
15 | 大久保三郎 | オオクボ サブロウ | 28 | 1857- 1914 |
東京 | 植物学。ミシガン大学で植物学を修める。東京大学御用掛植物教場助手、帝国大学理科大学助教授、高等師範教授。東京都知事大久保一翁の子。 |
16 | 大澤謙二 | オオサワ ケンジ | 104 | 1852- 1927 |
愛知 | 医学・生理学。医学者として初の東大教授、生理学教室の創設者。貴族院議員。 |
17 | 太田保太郎 | オオタ ヤスタロウ | 100 | 1859- 1934 |
新潟 | 検事、弁護士、実業家。神戸市会議員・議長、神戸鉄道・兵庫電鉄顧問、摩耶鋼索鉄道社長。 |
18 | 大平松二郎(明33~松次郎) | オオヒラ マツジロウ | 78 | ‐1909? | 東京 | 19年工科大卒。特許局入局。 |
19 | 大屋權平 | オオヤ ゴンペイ | 85 | 1862- 1924 |
山口 | 鉄道技師。東海道線の建設に参加、鉄道院技監、朝鮮総督府鉄道局長官。 |
20 | 緒方正規 | オガタ マサノリ | 89 | 1853- 1919 |
熊本 | 衛生学者・細菌学者。東京帝国大学医科大学学長。東京学士会院会員。第5回日本医学会総会会頭。 |
21 | 小川忠武 | オガワ タダタケ | 12 | 石川 | 五高創立時講師(明治20年~24年英語・哲学・歴史担当)。仏語・露語も堪能、デュマ「仏蘭西二人皇后」翻訳。 | |
22 | 荻原朝之助 | オギワラ アサノスケ | 19 | 1865- 1942 |
長野 | 姫路尋常小学校勤務。スマイルス著「俊傑少年」訳、「英語綴字軌範」監修。 |
23 | 奥田義人 | オクダ ヨシト(ギジン) | 32 | 1860- 1917 |
鳥取 | 政治家、官僚。農商務次官、法制局長官、貴族院議員。中央大学創立者の一人、中央大学学長、東京市長。 |
24 | 織田顯二郎 | オダ ケンジロウ | 46 | 1857- 1903 |
静岡 | 化学者。「小化学書」(レムセン著を久原射弦と共訳)。京都理工科大学教授。明治30年~明治32年まで洋行。 |
25 | 小野徳太郎 | オノ トクタロウ | 94 | 東京 | 教育者。仏教学に通じ「仏教対耶蘇教」(萩山口)著者。父は小野述進(おののぶざね)。塾「藍田学舎」を父・述進と創設。大阪府視学官(明治35~?)。 | |
26 | 樫村清徳 | カシムラ キヨノリ | 14 | 1848- 1902 |
山形 | 医学。医師・東大教授。神田駿河台に、山竜堂病院開業。 |
27 | 片山芳林 | カタヤマ ヨシモト | 45 | 1855- 1921 |
長野 | 医学。東京帝国医科大学外科助教授。東宮付きの侍医頭を経て宮中顧問。森鴎外の東大同級生。 |
28 | 加藤彰廉 | カトウ アキカド | 84 | 1862- 1933 |
愛媛 | 教育者。大阪高商校長、衆議院議員、北予中学校長、松山高商校長。 |
29 | 加藤高明 | カトウ タカアキ | 71 | 1860- 1926 |
愛知 | 貴族院議員、外務大臣、24代内閣総理大臣。東大出身最初の総理。日英協調に尽力した駐英大使。妻は岩崎弥太郎の娘。 |
30 | 加藤弘之 | カトウ ヒロユキ | 113 | 1836- 1916 |
兵庫 | 政治家、教育家、官僚。帝国大学総長、貴族院議員、初代帝国学士院長、枢密院顧問。明六社を結成、天賦人権論、社会進化論から民権思想批判。 |
31 | 金井 延 | カナイ ノブル | 107 | 1865- 1933 |
静岡 | 経済学者・社会政策学者。「東大七博士」の一人、日露戦争に際して主戦論を主張。「社會經濟學」著。静岡統計年鑑翻訳。(1886年までラートゲン私設助手) |
32 | 狩野亨吉 | カノウ コウキチ | 20 | 1865- 1942 |
秋田 | 教育者。第一高等学校校長。京大文科大学長。安藤昌益等思想家発掘。浮世絵の収集家。夏目漱石の友人。 |
33 | 川地方敬 | カワジ | 50 | |||
34 | 菊地 安 | キクチ ヤスシ | 55 | 1862- 1894 |
茨城 | 地質学者・鉱物学者。磐梯山の噴火活動をはじめて調査・記録し、石巻・一関の地質図を作成。帝大教授。 |
35 | 木下廣次 | キノシタ ヒロジ | 93 | 1851- 1910 |
熊本 | 帝大教授、一高校長。京都帝大初代総長。文部省専門学務局長。京都大学のいわゆる「自由な学風」の基礎を作る。 |
36 | 桐山篤三郎 | キリヤマ トクサブロウ | 2 | 1856- 1928 |
長崎 | 教育者。東京理科大創立者の一人。長崎県立中学「猶興館」館長、海星中学校校長。 |
37 | 久原躬弦 | クハラ ミツル | 27 | 1856- 1919 |
岡山 | 有機化学者。一高校長、東京帝大教授、京都帝国大学総長。ベックマン転位の研究など。開成学校で野球を経験。 |
38 | 久米金彌 | クメ キンヤ | 96 | 1865- 1932 |
東京 | 内務省参事、宗教局社寺局長、農商務省特許局長、山林局長、農商務次官。ラートゲン弟子。 |
39 | 倉田吉嗣 | クラタ ヨシツグ | 44 | 1854- 1900 |
長崎 | 東京府技師、建築家。明治30年永代橋(石川島製作)を設計。帝大教授、攻玉社土木科教授。 |
40 | 小泉忠謨 | コイズミ | 33 | 経済学者。エグレストン著『生計の指針』訳者。 | ||
41 | 古賀護太郎 | コガ モリタロウ | 102 | 佐賀 | 東京開成学校教授補、東大理学部仏語指導。仏語通訳官と類推、詳細不明。ベルギー・仏・英留学。 | |
42 | 小金井良精 | コガネイ ヨシキヨ | 17 | 1859- 1944 |
新潟 | 解剖学者・人類学者。東大教授。夫人は森鴎外の妹。作家星新一は孫。 |
43 | 國分寺新作 (國府寺新作) |
コクブンジ(コウデラ) シンサク | 67 | 1855- ? |
兵庫 | 外務書記官。明治13年文(政哲)卒。明治36年に國分寺姓から國府寺姓に改姓。 |
44 | 小島憲之 | コジマ ノリユキ | 26 | 1856- 1918 |
栃木 | 建築家。東京図書館の増築書庫・閲覧室を建築(現在東京芸術大学が大学院美術研究科・文化財保存学研究室によって利用)。東大理学部、一高、東京美術学校で英語も教える(夏目漱石も教える)。一校で長年用器画を担当していたため、伊東忠太等、小島に学んだ建築家は多い。東洋人として初めてコーネル大学に留学。 |
45 | 五代龍作 | ゴダイ リュウサク | 69 | 1858- 1938 |
和歌山 | 東京大学教授、日本鉱業会会長。五代友厚の養子。島津家鉱山事業7代目館長。開成学校で野球を経験。 |
46 | 小藤文次郎 | コトウ ブンジロウ | 35 | 1856- 1935 |
島根 | 地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学など。東京大学理学部地質学・採鉱学科初の卒業生。ライプチヒ大学、ミュンヘン大学留学後、東京大学教授。開成学校で野球を経験。 |
47 | 齊田功太郎 | サイダ コウタロウ | 87 | 1859- 1924 |
長野 | 植物学者。高等師範教授、女子高等師範(お茶の水大)教授。著書『大日本普通植物誌』『最新図説内外植物誌』。 |
48 | 酒井佐保 | サカイ スケヤス | 13 | 1861- 1918 |
高知 | 物理学。第六高等学校初代校長(岡山)、第三高等学校校長。名著『新撰物理学教科書』編纂。 |
49 | 佐々木政吉 | ササキ マサキチ | 18 | 1855- 1939 |
東京 | 内科・結核の診断治療。帝大教授。杏雲堂医院院長。佐々木東洋の養子。 |
50 | 鮫島 晉 | サメジマ シン | 81 | 1852- 1917 |
新潟 | 教育者。数学・物理・化学専攻。理科大創立メンバー。女子師範教諭、小諸義塾教師(藤村も同時期在籍し小説のモデルとなる)。私立文武館、明道中学、平戸女学校教師。 |
51 | 澤井 廉 | サワイ レン | 118 | 1865- 1894 |
岡山 | 電気工学。梅浦精一、渋沢栄一らの電話会社設立のためアメリカに渡り、エジソンの弟子となり、蓄音器発明に貢献。 |
52 | 渋谷慥爾 | シブヤ ゾウジ | 64 | 1854- 1895 |
佐賀 | 法律家・弁護士。中央大学創立者の一人、初代幹事。中大でローマ法・英国刑法・帝国憲法等担当。 |
53 | 下山秀久 | シモヤマ ヒデヒサ | 21 | 埼玉 | 機械工学者。第5中学教授、米沢高等中学校教授。熊本高等工業教授。米沢高等工業二代校長。『工学字彙』編者。(野村龍太郎供編) | |
54 | 末延道成 | スエノブ ミチナリ | 9 | 1855- 1932 |
高知 | 実業家・政治家。三菱汽船・日本郵船支配人。東京海上保険・豊川鉄道社長。岩崎弥太郎に認められ、財界にて多数の要職を歴任。貴族院・勅選議員。 |
55 | 鈴木千代吉 | スズキ チヨキチ | 120 | 山形 | 機械工学。米沢興譲館第2代校長。甘粕練成の二男。(西ヶ原農事試験場技師)(特許局技師) | |
56 | 関谷清景 | セキヤ キヨカゲ | 95 |
1854 |
岐阜 | 地震学。東大教授。世界初の地震学教授。南校卒後、英国にて地震研究、地震予防に関し研究。 |
57 | 仙石 貢 | センゴク ミツグ | 34 | 1857- 1931 |
高知 | 鉄道官僚、鉄道技術者、鉄道大臣、南満州鉄道総裁。「雷大臣」と呼ばれた。 |
58 | 高須碌郎 | タカス ロクロウ | 70 | 1856- ? |
東京 | 第三高等中学校、第一高等学校教授。数学・中等教科書「普通代数学」編纂。海軍兵学校文官教授。東京開成学校で野球を経験。 |
59 | 高橋一勝 | タカハシ カズマサ | 88 | 1853- 1886 |
埼玉 | 「明法志林」を刊行し、編集長のち主幹。中央大学の創立に尽力。大卒代言人(弁護士)第1号。東京府議会議員。 |
60 | 高橋健三 | タカハシ ケンゾウ | 57 | 1855- 1898 |
東京 | 官僚・政治家、内閣書記官長、ジャーナリスト。陸羯南とともに大阪朝日に入社。岡倉天心と親交があり、『国華』の創刊に参画。 |
61 | 高橋三郎 | タカハシ サブロウ | 23 | 1859- ? |
静岡 | 薬学。明治薬学専門学校二代校長。海軍薬剤大佐。泰昌製薬社長。第10代日本薬剤師会会長。丹羽藤吉郎(No.85記載)死去に際し追悼文上陳。 |
62 | 高橋順太郎 | タカハシ ジュンタロウ | 3 | 1856- 1920 |
石川 | 医学・薬理学者。初代東京帝大薬物学教授。実験薬理学をドイツから日本に導入。フグ毒の研究で著名。サルバルサンの国産化製薬アーセミン606(アーセミン商会=第一製薬の前身)の薬理監修を行う。その他の研究成果として、肺結核薬「ファゴール」創薬をはじめ、肺炎薬「フェマール」、強心薬「パンギタール」、鎭咳薬「アンチッシン」など世の中に送り出し、日本薬物学の泰斗にふさわしい功績を残した。 |
63 | 高橋捨六 | タカハシ ステロク | 82 | 1862- 1918 |
福井 | 弁護士、東京弁護士会会長。日銀顧問。中央大学の創立時の学校経営に尽力。著書『日本親族相續法義解(全)』。 |
64 | 高橋豊夫 | タカハシ トヨオ | 42 | 1861- 1944 |
山形 | 数学者。東大理学部数学科第一期生、菊池大麓に数学を学ぶ。著書『幾何学初歩』菊地大麓校閲。広島高師教授。 |
65 | 田澤敬輿 | タザワ ケイヨ | 15 | 1853- 1917? | 北海道 | 医師。帝大卒後、明治天皇侍医。正四位勲五等。『學士會氏名録』には大正6年まで記載。 |
66 | 田中稲城 | タナカ イナギ | 58 | 1856- 1925 |
山口 | 図書館学。官僚。帝国図書館初代館長。東大教授。 |
67 | 田中館愛橘 | タナカダテ アイキツ | 4 | 1856- 1952 |
岩手 | 地球物理学者。東京帝国大学教授。山川健次郎、菊池大麓に師事。地震・天文・航空・度量衡など研究。文化勲章。 |
68 | 棚橋一郎 | タナハシ イチロウ | 97 | 1862- 1942 |
東京 | 教育者・漢学者。衆院議員。哲学館(東洋大学)で嘉納治五郎とともに倫理科教師。三宅雪嶺と雑誌『日本人』刊行。郁文館中学創立。最初の私立高等女学校「東京高等女学校」創立(校長棚橋絢子)。母は教育者、棚橋絢子。 |
69 | 玉名程三 | タマナ テイゾウ | 40 | 1861- 1937 |
長崎 | 物理学。東京理科大創立者の一人。第三高等学校物理学科教授。 |
70 | 田原 榮 | タワラ サカエ | 47 | 1858- 1914 |
島根 | 物理学。早稲田大学高等予科長。大学予備門病気中退。 |
71 | 坪井九馬三 | ツボイ クメゾウ | 91 | 1859- 1936 |
大阪 | 歴史学者。東京帝国大学教授。文科大学長。著書『最近政治外交史』『西洋史概説』等。 |
72 | 寺尾 壽 | テラオ ヒサシ | 109 | 1855- 1923 |
福岡 | 天文学者。藩校修猷館に学ぶ。理科大創立メンバー。初代物理学校校長。東京天文台長。東大星学科教授。 |
73 | 徳永満之 (清沢満之) |
トクナガ(キヨサワ) マンシ | 38 | 1863- 1903 |
愛知 | 宗教哲学、仏教思想家。浄士宗得度後、帝大哲学科専攻。大谷大学初代学長。近代仏教信仰樹立。明治29年徳川姓から清沢姓に改姓。 |
74 | 所谷英敏 | トコロダニ? ヒデトシ | 49 | 1857- 1888 |
茨城 | 明治16年理学部化学科卒。東京府瓦斯局。 |
75 | 富塚 恂 | トミヅカ | 24 | |||
76 | 内藤耻叟 | ナイトウ チソウ | 116 | 1827- 1902 |
茨城 | 歴史家・国語学者。水戸弘道館出身、同校において会沢正志斎、藤田東湖らに師事。のちに幼少期の徳川慶喜の学問の相手も。小石川区長等を経て、帝大教授。著書『徳川十五代史』『安政紀事』等。 |
77 | 中川恒次郎 | ナカガワ ツネジロウ | 75 | 1863?- 1900 |
大阪 | シドニー初代領事、各国で領事等歴任。ラートゲンの弟子、国家学会創立参画。著書『経済実学講義』。 |
78 | 中島鋭治 | ナカジマ エイジ | 98 | 1858- 1925 |
宮城 | 土木学者。東京帝国大教授。日本の水道の父。近代衛生学の父とも呼ばれている。 |
79 | 中野省吾 | ナカノ ショウゴ | 117 | ?- 1922 |
新潟 | 法律学者。著書『大日本帝国憲法説明』(1889年刊)。京都府立第一中学校教諭を経て、府立第三中校長。 |
80 | 中原貞三郎 | ナカハラ テイザブロウ | 48 | 1859- 1927 |
山口 | 土木技術者。陸軍陸地測量部、農商務省、大阪・東京土木出張所長 。利根川荒川渡良瀬川改修工事、朝鮮各地道路整備。 |
81 | 中原貞七 | ナカハラ テイシチ | 63 | 岩手 | 教育家。成立学舎校主。三宅雪嶺の雑誌『日本人』を棚橋一郎らと共に同人。岸和田中校長、八尾中校長。『高等読本』編纂。 | |
82 | 中村恭平 | ナカムラ キョウヘイ | 61 | 1855- 1934 |
愛知 | 教育者。東京理科大創立者の一人。山川健次郎(東京帝大総長)秘書、東大助教を経て、東京物理学校第三代校長。 |
83 | 中村正直(敬宇) | ナカムラ マサナオ(ケイウ) | 114 | 1832- 1891 |
ああ | 啓蒙思想家。明治の六大教育家の一人。福沢諭吉と「明六社」を結成。東大教授。元老院議官。サミュエル著「西国立志編」ミル著「自由論」を翻訳出版。 |
84 | 南條文雄 | ナンジョウ ブンユウ | 31 | 1849- 1927 |
岐阜 | 梵語学。仏教学者・宗教家。真宗大谷派の誓運寺に生まれる。東大講師、真宗大谷大学監。サンスクリット研究、仏典の英訳。オックスフォードからマスターオブアーツ称号。 |
85 | 難波 正 | ナンバ タダシ | 53 | 1859- 1920 |
岡山 | 工学士。電気工学、蓄電池。東京理科大創立者の一人。元電気学会会長。京都大学教授。 |
86 | 丹羽藤吉郎 | ニワ トウキチロウ | 37 | 1856- 1930 |
佐賀 | 製薬士。東大教授。薬品製造学の権威。全国病院薬局長会議創設、第6代、7代日本薬剤師会長。医薬分業に尽力。 |
87 | 信谷定爾 | ノブタニ サダジ | 39 | 1857- 1893 |
東京 | 教育者。東京理科大創立者の一人。東大助教授、陸軍士官学校教授。 |
88 | 野村龍太郎 | ノムラ リュウタロウ | 86 | 1859- 1943 |
岐阜 | 土木工学。鉄道官僚・実業家、南満州鉄道総裁、土木学会会長。鉄道院副総裁。 |
89 | 畠山重明 | ハタケヤマ シゲアキ | 103 | ?- 1920? |
東京 | 法学。神戸地方裁判所、長崎地方裁判所。弁護士。著書『法理学汎論』。『学士会会員氏名録』には大正9年まで記載あり。 |
90 | 濱田健次郎 | ハマダ ケンジロウ | 105 | 1860- 1918 |
大阪 | 官吏。東京学園創立者。内閣官報局で官報送り仮名制定。大阪商業会議所書記長。 |
91 | 原 坦山 | ハラ タンザン | 111 | 1819- 1892 |
福島 | 儒学、医学。曹洞宗僧侶・東京大学印度哲学初の講師。曹洞宗大学林(現駒澤大学)総監。小田原の最乗寺住職。 |
92 | 原 龍太 | ハラ リュウタ | 72 | 1854- 1912 |
福島 | 土木工学者。東大教授。吾妻橋・御茶ノ水橋・江戸橋などの橋梁の設計・施工、馬車鉄道の敷設、下水道工事等に携わる。著書『土木学』『測量教科書』。 |
93 | 原田 豊 | ハラダ ユタカ | 11 | 1850- 1894 |
茨城 | 医学。東京大学教授。東大病院医師。脚気を科学的に研究。 |
94 | 土方 寧 | ヒジカタ ヤスシ | 73 | 1859- 1939 |
高知 | 法学者。東京帝国大学法科大学長。英法の研究に道を開く。中央大の創立者の一人。貴族院勅撰議員。 |
95 | 平山 順 | ヒラヤマ ジュン | 122 | 1863- 1943 |
静岡 | 数学。陸軍砲工学校、海軍大学校、学習院教授。沼津兵学校附属小学校出身。 |
96 | 藤田四郎 | フジタ シロウ | 76 | 1861- 1934 |
三重 | 官僚、農商務次官。日本火災保険社長。台湾製糖会長。逓信省三時間、後藤象二郎大臣秘書官等。 |
97 | 富士谷孝雄 | フジタニ タカオ | 52 | 1860頃? ‐1893 |
東京 | 地質学。東大助教授を経て外務省翻訳官。著書『地文学講義』等。 |
98 | 二見鏡三郎 | フタミ キョウザブロウ | 77 | 1856- 1931 |
千葉 | 土木工学者。全国の三角測量に従事、三高教授、京都帝国大学教授。東大初の測地学者。著書『土木工学鉄道篇』等。 |
99 | 穂積陳重 | ホヅミ ノブシゲ | 115 | 1855- 1926 |
愛媛 | 法学者。日本初の法学博士の一人。東京帝国大学法学部長、貴族院議員、枢密院議長。中大創立メンバー。妻は渋沢栄一の娘。 |
100 | 堀(内藤)誠太郎 | ホリ(ナイトウ) セイタロウ | 7 | 1845- 1902 |
山口? | 農学。マサチューセッツ大農学校留学。開拓使御用掛、札幌農学校教授、クラーク通訳、東京帝国大学植物園事務掛。理科大学舎監。翻訳『婦女生理一代鑑』。中井猛之進は息子。中井英夫は孫。 |
101 | 箕作佳吉 | ミツクリ カキチ | 90 | 1858- 1909 |
東京 | 動物学者。東京帝国大学理科大学で日本人初の動物学教授。慶応大教授。菊池大麓は兄、箕作元八は弟。 |
102 | 箕作元八 | ミツクリ ゲンパチ | 99 | 1862- 1919 |
東京 | 歴史学者。高等師範教授。動物学科卒なるも近眼の為顕微鏡見れず西洋史に転向、近代フランス史。著書『ナポレオン時代史』等。菊池大麓、箕作佳吉は兄。 |
103 | 三守 守 | ミモリ マモル | 1 | 1859- 1932 |
徳島 | 数学者、教育者。東京理科大創立者の一人。東京女子師範学校教授、東工大教授。数学の教科書著作多数。 |
104 | 三宅雄二郎(雪嶺) | ミヤケ ユウジロウ(セツレイ) | 122 | 1860- 1945 |
石川 | 哲学者・評論家。自由民権運動家、国粋主義者、雑誌「日本人」創刊。文化勲章。 |
105 | 三輪桓一郎 | ミワ カンイチロウ | 74 | 1861- 1920 |
東京 | 理学。東京理科大創立者の一人。東大助教授、京大教授。新撰幾何学教科書編纂。 |
106 | 元田 肇 | モトダ ハジメ | 108 | 1858- 1938 |
大分 | 政治家。衆議院議長、逓信大臣、鉄道大臣。中央大学創立者の一人。政党出身者として初めて枢密顧間官に親任される。 |
107 | 守屋物四郎 | モリヤ モノシロウ | 80 | 1857- 1907 |
岡山 | 林学者。樟脳精製研究。東京工科学校教授兼農科大学助教授、東大(農)教授。著書『樟脳製造論』。 |
108 | 谷田部梅吉 | ヤタベ ウメキチ | 54 | 1857- 1903 |
秋田 | 物理学。東大図書館長。東京理科大創立者の一人。マニラ初代領事。山口高等中学教頭、数学参考書多数出版。鹿児島造士館教授。訳『突氏・訓蒙代数学』(全2巻・明20刊)。開成学校で野球を経験。 |
109 | 矢田部良吉 | ヤタベ リョウキチ | 112 | 1851- 1899 |
静岡 | 植物学者。詩人。東京大学初代植物学教授。著書『新体詩抄』。『日本植物図解』。 |
110 | 山川健次郎 | ヤマカワ ケンジロウ | 5 | 1854- 1931 |
福島 | 物理学者。日本人初の物理学教授。東京、京都、九州・各帝大総長(京都は東大と兼任)。大山捨松の兄。少年時代、白虎隊に入隊、ニューヘブンのベーコン家に住む捨松とはアメリカ留学時、捨松の日本語を教育。著書『学生諸君に告ぐ』『武士道に就いて』。 |
111 | 山口鋭之助 | ヤマグチ エイノスケ | 25 | 1862- 1945 |
島根 | 物理学者、官僚。京都帝国大学教授、学習院院長。帝室図書分類・陵墓の管理。著書『山陵の研究』。 |
112 | 山田直矢 | ヤマダ ナオヤ | 66 | 1860- 1939 |
鹿児島 | 鉱山学者、経営者。東京帝国大学教授、三池炭鉱専務 石狩石炭社長。 |
113 | 横井佐久(佐久冶) | ヨコイ サク | 106 | 1862- 1889 |
福井 | 造船技術者。海軍大技師として仏留学中に、パリで客死。 |
114 | 吉岡哲太郎 | ヨシオカ テツタロウ | 65 | 1860- 1915 |
東京 | 理学士。農商務省技師、水産講習所技師。東京女子学園創立者の一人。吉岡書籍店創業。幸田露伴とも交流。『新著百種』出版にあたり、尾崎紅葉・森鷗外に小説依頼。訳書『化学教科書』。(草軽鉄道初代社長?) |
115 | 吉田彦六郎 | ヨシダ ヒコロクロウ | 43 | 1859- 1929 |
広島 | 化学者。染色工学。ウルシの樹液中の酸化酵素の存在を推定(フランスでラッカーゼを命名)。三高教授、京大教授。 |
116 | 吉武榮之進 | ヨシタケ エイノシン | 119 | 1864- 1927 |
長野 | 純正化学。染色工業技術研究。東京府中学校教諭、二高教授、東京高工教授、同校校長。『実用色染学第3版』を校閲 |
117 | 李家裕二 | リノイエ ユウジ | 62 | 1859- 1901 |
山口 | 内務官僚。三重県知事、徳島県知事。 |
118 | 和田雄治 | ワダ ユウジ | 79 | 1859- 1918 |
福島 | 気象学者。東京理科大創立者の一人。日本の天気予報の創始、海流の調査、富士山頂での気象観測。日露戦争で朝鮮仁川の臨時観測所所長、後に朝鮮総督府観測所所長。著書『日本環海海流調査業績』。 |
119 | 和田義睦 | ワダ ヨシムツ | 121 | 1860- 1943 |
高知 | 土木工学。帝大在学中に、山口鋭之助と角帽をを創案。また、広田理太郎、田中館愛橘、沢井廉と共に明治19年自転車会を設立。内務省技師。新潟萬代橋2代目設営。日本初の女性議員、高良とみは娘。 |
120 | 和田垣謙三 | ワダガキ ケンゾウ | 51 | 1860- 1919 |
兵庫 | 経済学者。東京帝国大学法科大学教授、農科大学教授。日本女子商業学校校長、東京商業学校校長を歴任。著書『経済教科書』、『西遊スケッチ』等。 |
121 | 渡邊 隆 | ワタナベ タカシ | 41 | 蝦夷地の地名調査、「蝦夷地山名辞書 稿-松浦武四郎文献を中心に」の著者。 ※同姓同名の別人の可能性あり。 | ||
122 | 渡邊安積 | ワタナベ アサカ | 10 | 1859- 1887 |
山口 | 法学。新聞記者。官僚。東京日々新聞社で社説執筆。次いで農商務権少書記官兼参事院外議官補。中央大学創立時の幹事兼教授。著書『主権論』『アンソン氏契約論』。 |