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学士会アーカイブス

~随想~ 量子力学百年に秘められていること 佐藤 文隆 No.972(令和7年5月)

~随想~ 量子力学百年に秘められていること
佐藤 文隆
(京都大学名誉教授)

No.972(令和7年5月)号

本年は国連で決議したIYQ量子科学技術百年の記念の年である。国際人権年(一九六八年)や国際婦人年(一九七五年)といった社会啓発キャンペーンとして国連が記念年を設定することは当初から行われていたが、科学の進歩を啓発する記念年を設定したのは二〇〇五年の世界物理年からであった。一九〇五年のアインシュタインの三つの業績を記念する「アインシュタインのミラクル・イヤー」として各国の科学団体がさまざまなイベントを実行した。これがきっかけでその後国際天文年、国際化学年、国際光学年など、次々と国連決議での記念年が行われてきた。

これらは必ずしも何周年という動機ではなかったが、今度の国際量子科学技術年は一九二五年から一九二七年にかけて起こった量子力学という物理学の基礎理論が誕生して百年を記念するものである。ハイゼンベルグの行列力学を端緒として翌年のシュレーディンガーの波動力学が提出され、これらの数理理論の同等性の認識や確率解釈などが追加され、関係者がすべて集まった一九二七年のソルベー会議を経て現在の量子力学が完成したと広く認識されている。この過程で前記の二人のほかディラックやボルン、ボーアやアインシュタインも貢献をした。「量子」という概念を初めて提起したのは一九〇〇年のプランクであり、これを発展させたのがアインシュタインやボーアであり、量子力学登場までのこの時期の量子論は前期量子論と呼ばれている。

現在、量子力学は物理や化学を基礎とする理工系の大学教育では必須の基礎(basic)科目であり、理工系の大学院入試問題にも登場する普通の科目である。文系の学問であるように「認める」とか「認めない」とかいった学説ではない。ところがこの時に取りまとめを主導したボーアとハイゼンベルグのコペンハーゲン解釈にアインシュタインが「認めない」という疑念を表明したが、まもなく欧州ではファシズムが台頭してユダヤ人のアインシュタインも亡命を迫られる。多くの物理学者は原爆開発などの戦争に巻き込まれ、論争は中断した。第二次大戦終結後、原子分子や電子のミクロの現象を利用する技術が拡大して、量子力学は百倍にも規模が拡大した理工系大学教育の必須の科目になっていった。アインシュタインが提起した「疑念」は放置されたままで、そこに引っかかる初学者にはそんな根本問題には悩まずに「黙って計算しろ」という掛け声のもとに、電子と光子を操るトランジスタやレーザーの半導体産業を基礎にした量子科学と技術は飛躍的に拡大して、さまざまな危惧を誘発する程に社会経済生活に変化をもたらしつつある。

確かに「疑念」を放置しても何の支障もなかったのである。こうして「量子力学は実験室でルーティンに使われて大成功しているが、その解釈の合意はまだないままである」という奇妙な状態が出現したのである。学問では根本問題が重要であることが強調されるが、数理理論の解釈という根本問題を迂回することで「実験室で大成功」なのである。深く考えずに「黙って計算しろ」でやってきたことによって一大社会革新を引き起こす大成功がもたらされたという奇妙な姿がみえてくる。

筆者は「物理学の世紀」といわれた時代の最盛期である一九六〇年に大学院に入って物理学のみちを歩み、業界の大勢に従って「黙って計算しろ」で、人並みの学者人生を歩むことができた。量子力学の学習時には確かに腑に落ちない「疑念」に気づいたが、それには関わらずにきた。ときどき、これに足を取られて研究者人生で躓く同業者の光景もみてきた。

量子力学完成後百年、ボーアらが主導する解釈にアインシュタインが呈した「疑念」には「合意がなくても、ラボでは支障がない」ことは歴史的経験ではある。ただ歴史の経過で変化した事態もある。量子科学技術の進歩で手にした多くの実験機器や情報処理のコンピュータの威力によって、ボーア・アインシュタイン両巨匠の論争で提起された思考実験の論議が今では実験によってシロクロがつくようになったことである。「量子もつれ」という現象の実験的操作で大きな進展があったのは二十一世紀に入ってからであった。そこから量子テレポートとか量子コンピュータなどの新技術時代が始まる情勢になっており、「量子の新世紀」の入り口にあるという認識が産業界にも広まっている。

こうした情勢の中にあって、研究者人生も終わった京都大学を定年になった頃から、この「疑念」の正体は何だろうと思索していくつか著作をものにしてきたが、昨年には『量子力学の100年』(青土社)を上梓して毎日出版文化賞を受賞した。その際気づいたのは百年前とは第一次世界大戦の戦後であり、欧州はワイマール時代などといわれる革新的な雰囲気が横溢する時代であったことである。自然科学研究者の多くにいわゆる経験主義の新興学問の気分が強烈にあったことである。巨大な制度に拡大した現代の科学界と異なる研究者の自己認識にも気づかされた。

(京都大学名誉教授、京大・理博・理・昭35)