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学士会アーカイブス

~随想~ 未来への漂着 眉村 卓 No.935(平成31年3月)

~随想~ 未来への漂着
眉村 卓
(作家・平安女学院大学文化創造センター客員教授)

No.935(平成31年3月)号

もしもタイムマシンで戦国時代に行ったらとか、五十年後の世の中を見ることができたら――とかの言い方をしても、現代では聞き流す人のほうが多いだろう。それは話を面白くするための仮定、で済むからである。

しかし私がSFなどというものにのめり込んだ昭和三十年代初期には、そうはいかなかった。時間旅行なるものが新奇な発想だと思う人間のほうが、普通だったのだ。いや今でも辞書には時間旅行という項目はなさそうだし、タイムマシンはあるにはあるが、H・G・ウェルズの空想科学小説に由来する想像上の機械とある。

にもかかわらず、時間の中を行ったり来たりするという概念は、少なくとも発想としては現在は一般化している。これは、時間旅行で語られる例えばタイムスリップなどが、日常感覚に通じているせいかもしれない。いやそれどころか今の世では、時間旅行や過去行き未来行きが、当たり前のように話されている。理由はいろいろ考えられるだろうが、ま、ここでは、そういうことになっているのを前提にして、つづけたい。

かつて描かれた時間旅行者は、どこかの時点に到着して、周囲に適応できずまごまごする例が多かった。知らない時点への旅行者だから、そうなってしまうのである。

ここで私は、時点を飛んでではなく、未来に流れて行った人間について、話してみたいと思う。それは、老いと未来の絶え間ない到来についてである。

世の中のメンバーの一員として生きてきても、人間、生きていればいずれは現役を離れなければならない。時代も変わってゆき、ついて行けない事柄が、後から後からとやって来る。しだいに自分が余計者であることがはっきりして――というのは、未来に流されて行っているからである。現役から外れても地域社会への参加とかボランティアとかで、みんなの役に立ちつづけても、やがて終わるし、ましてそれができない人では、国民総活躍社会とか何とか言われても、どうしようもない。

つまり、そういう未来に来てしまったということ。

とはいえ、健康寿命がつづいているうちは、やりたいこともやれるし、生きている甲斐もあるかもしれない。

その健康寿命も、あちこちが悪くなってくると終わりである。あとは最終寿命(?)が尽きるまで、今度の未来はつづく。

私事であるが私自身少し前に、元気な独り暮らしの時期はおしまいになってしまった。今は、世話して下さる方々に「ありがとう ありがとう」を言うしかないのである。そういう未来に来てしまったわけだ。正直なところ、自分ではこんなに長生きするとは考えもしなかった。しなかったが、そうなればそれなりに覚悟して、何か考えるしかない。

ここで思うのは、私は連続的に日を送って、この年になったということだ。三十歳や四十歳で突然現在の八十代になったわけではない。

そういえば、以前、年を取ってゆきながら、不思議だったのは、なってみると年寄りというのは、若い時分に想像した年寄りそのものの面がある一方、全く違うところもあることだった。それに、青年とか中年、定年とか還暦とかについての概念・印象が、変わってきたのである。どう変わってきたのかを、しかし年下の人に説明するのは、簡単な作業ではない。

そうなのだ。

老年というのは、どうやらまだ本当に解明されていないらしい。

そう信じてゆくのが、老人自身のためなのではあるまいか。そして、可能なものなら、そういう老人が年を取って得たもの、体得したものを、何とか活用するすべはないだろうか。

私は、かつて描かれた時間旅行者は、知らない時点への旅行者だからまごまごする、と書いた。ある一点から他の一点に飛んでぽんと到着したのでは、所詮訪問者であり観光客であり、到着地に同化するのはむずかしいだろう。

これに対して、ある一点から流されて今の現在に来るのは、いわば漂着であり、漂着者である。漂着者はそこで生きてゆくしかない。

以前私は大分年上の大学の先生から、へえと思うような話を聞いた。その人は、自分より五十歳も若い人たちに語りかけるが、学生たちは、それだけ年が開いていると面白がって本気になってくれる、というのだ。そういうことがよくあるのかそうでないのか、私は知らないが、あれば結構だという気がする。老年の記憶や発想をうまく活用することが、どんどん変わりゆく未来にとってプラスになるというのは、「もったいない」精神の発露そのもののようで……そういう技術が花開いてもいいのではあるまいか。

(作家・平安女学院大学文化創造センター客員教授、阪大・経・昭32)