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学士会アーカイブス

いま、カタルーニャで何が起こっているのか No.930(平成30年5月)

いま、カタルーニャで何が起こっているのか
田澤 耕
(法政大学国際文化学部教授)

No.930(平成30年5月)号

二〇一七年の秋頃から、日本のマスコミで「カタルーニャ独立」が取り上げられる機会が増えている。本稿では、カタルーニャとは何かを明らかにしつつ独立運動について解説を試みたい。

1.カタルーニャとは何か

「カタルーニャ」には広義のカタルーニャと狭義のカタルーニャがある。広義のそれは、カタルーニャ語文化圏と定義でき、狭義のカタルーニャとは、スペインの行政区分の一つカタルーニャ自治州のことである。今、独立が問題となっているのはこのカタルーニャ自治州である。カタルーニャ自治州の面積は関東七県とほぼ同じで、人口は約七百五十万人。スペインのGDPの二〇%を有する豊かな地域である。

そのアイデンティティの最も重要な柱になっているのが言語である。

カタルーニャ語は、かつてローマ帝国が支配していた地域の共通語であったラテン語が、帝国衰退と共に地域ごとに独自の発達を遂げた、いわゆる「ロマンス諸語」の一つである(図1)。フランス語、スペイン語、ポルトガル語などとはいわば姉妹の関係にある。ロマンス諸語は元が同じだけに、多かれ少なかれ似通っているが、カタルーニャ語は、その地理的位置を反映し、フランス語とスペイン語の中間的な特徴を持つ。

図1

カタルーニャ語には豊かな文学的伝統があり、ルネサンスの思想家たちに影響を与えた神学者ラモン・リュイや、セルバンテスを唸らせる傑作騎士道小説『ティラン・ロ・ブラン』1)を著したジュアノット・マルトゥレイなどが出ている。

しかし、カタルーニャ語は健全な発展を遂げることができなかった。長い歴史の中で、何度かその存在が脅かされてきたが、中でも最大の危機は、スペイン内戦後に成立したフランコ独裁政権下での弾圧だった。「強い統一スペイン」を標榜するフランコ政権は他民族の独自性を一切認めようとせず、カタルーニャ語の教育や公の場所での使用を厳しく禁じたのだった。

フランコが死去して独裁制が終焉を迎え、一九七八年に民主的憲法が制定されると、異民族の文化も尊重されるようになった。ここ四十年間、カタルーニャ語を正常の姿に戻す努力が綿々と続けられてきた結果、最近の調査ではカタルーニャの住民の九〇%以上がカタルーニャ語を聞いて理解でき、八〇%以上が話せるという結果が出ている。

カタルーニャが一つの「国」として意識されるようになったのは十世紀末の頃で、それまでフランク王国の辺境領として対イスラム教徒防衛にあたっていたものが独立したのである。その後勢力を拡大し、中世には一大地中海帝国を形成した。その栄光は長くは続かなかったものの、このことが現在のカタルーニャ・ナショナリズムの遠い拠り所となっていることは間違いない(図2)

"図2

2.二〇一七年、カタルーニャで何があったのか

カタルーニャの独立運動に世界の注目が集まったきっかけは十月一日に行われた独立の可否を問う住民投票での出来事だった。投票の順番を待つ住民に、突如、完全武装のスペイン治安警察の警察官たちが襲い掛かり、警棒で殴る、蹴る、引きずり倒す、ゴム弾を発射するという挙に出たのである。結局千人近い負傷者が出た。その様子を映し出す動画は世界中に配信された。EUの一員である「民主国家」スペインでまさかこんなことが……フランコ独裁政権の再来を危惧した人も少なくなかったのではないか。

そもそもスペイン中央政府はこの住民投票は違憲であるとして、断固阻止の姿勢でのぞむ方針を明らかにしていた。スペイン憲法はスペインが一つの「国」(nation)であると規定しているので、独立の是非を問うこと自体違憲であるという理屈である。しかし、それでもカタルーニャは投票を強行し、前述の事態となったのである。

官憲による妨害にもかかわらず投票率は四〇%台に達し、独立支持票は九〇%を超えた。この結果を受け、カタルーニャ自治政府大統領2)カルラス・プッチダモンは十月十日、「私は民衆の、カタルーニャが独立国家になってほしいという意志を受け止める」と表明した。ただし、「独立を数週間棚上げして、交渉の可能性を探る」と付け加えた。しかし、EUもバチカンも、カタルーニャの独立には冷淡で、仲介の申し出はなかった。

中央政府は交渉に応じる姿勢を一切見せなかったばかりか十六日、独立支持派の二つの民間団体のリーダーを「反乱罪」等の疑いで逮捕、拘置してしまった。彼らは平和的デモを組織したに過ぎないにもかかわらず。こうしてスペインはEUで唯一、政治犯を持つ国となった。

交渉の余地が見いだせないままやむなく二十七日、カタルーニャ議会はカタルーニャが共和国として独立国家を形成することを議決した。

これに対し、中央政府は自治権の停止と自治政府への介入をもって応じた。カタルーニャ議会は解散、自治政府は中央の管理下に置かれることとなった。

身の危険を感じたプッチダモン大統領は三十一日、五人の閣僚と共にカタルーニャを脱出、ブリュッセルに向かった。彼の判断は正しかった。というのも、十一月三日、国内に残っていたジュンケラス副大統領以下閣僚が逮捕拘留されたからである。

スペイン首相ラホイは、カタルーニャ議会を解散すると共に、十二月二十一日に総選挙を実施することを命じた。中央政府の厳しい対応が奏功し、反独立派が過半数を占めるであろうという目論見だったのである。ところがいざ蓋を開けてみると再び独立派が過半数の議席を獲得した。

当然、自治政府首班候補は、独立派第一党の候補者リスト一位のプッチダモンである。ところが、彼には逮捕状が出ており帰国できない。では、どのようにして大統領に就任するのか? 本稿執筆時点では先が見えていない。3)

3.独立運動の背景と今後の見通し

では、カタルーニャはなぜ独立を望んでいるのか。そもそもカタルーニャは独立志向の強い土地ではなかった。交通の要衝であるカタルーニャは、古代から商業中心地で、その住民も現実主義的な思考法が身についている。独立は「そろばんが合わない」はずだった。

それが二〇一〇年を境に大きく変わった。それまで住民の二割に過ぎなかった独立派が一挙に六割程度に急増したのである。何が二〇一〇年にあったのか。この年、スペインの憲法裁判所が、二〇〇六年に改正された新カタルーニャ自治憲章の、とくにカタルーニャの民族的アイデンティティやカタルーニャ語の使用の拡大を謳った部分が違憲であるとの判断を示したのである。現実主義的カタルーニャ人もさすがにこれには怒った。そしてその怒りは二年後、百五十万人の大規模デモとなって表面化したのである。

さらにもう一つ考慮しなければならないのが経済的な側面である。

スペインでは、原則的に自治州の税を中央が吸い上げて、自治州間の格差に配慮した形で再配分する。当然、豊かなカタルーニャは出す額よりも戻ってくる額の方が少ない。それは仕方のないことだが、問題はその差額の限度がヨーロッパで最も大きく設定されていることである。生産性の低い南部諸州の人々が自分たちよりもいい生活をしている。当然、カタルーニャ人の不満が蓄積される。それでも経済が成長していた頃はまだよかった。ところがリーマンショック以降、カタルーニャでも経済危機は深刻である。「自分たちの金を自分たちで使えれば……」とカタルーニャの人々が思うのも無理からぬことである。カタルーニャ自治政府は十八回にわたって中央政府に税制改革の交渉を申し入れたものの、まったく取り合ってもらえなかった。

こじれにこじれてしまった独立問題。スペインは内外に対し、武力行使も辞さない権威主義的国家というイメージを持たれてしまった。一方、独立派と反独立派が拮抗するカタルーニャでは深刻な社会分裂が生じた。双方にもう少し柔軟な対応のできる懐の深い政治家がいたら、と悔やまれるが後の祭りである。

おわりに

カタルーニャと関わりを持つようになって三十年以上になる。カタルーニャに関する私の最初の著書は、『カタルーニャ50のQ&A』(新潮選書)で、樺山紘一先生が推薦文を寄せてくださった。それまで日本には先生の『カタロニアへの眼』(現在、中公文庫)しかカタルーニャ関係の本はなかった。その先生が推薦してくださったのだから大いに感激した。そして今また、先生が私の『學士會会報』への執筆を後押ししてくださったと聞いている。ありがたいことだ。期待に反しないよう、今後もカタルーニャ一筋で勉強していきたい。

  • (注)
  • 1)岩波文庫の拙訳で読める。
  • 2)President de la Generalitat の訳(Generalitatは元々は身分制議会の常設代表部であった)。日本のマスコミなどでは「首相」という訳語を使うことが多いが、以下の理由から本稿では「大統領」と称する。最適な訳語とは思わないが、他に適当なものがないので。①「首相」は国王、大統領などの下に位置する行政の長である。スペイン国には首相がおり、自治州の長を「首相」というのはおかしい。かといって「知事」もそぐわない。②President de la Generalitatは十四世紀に起源を持つ役職で、プッチダモンはその第百三十代にあたる。この間、一時的にカタルーニャが共和国となったこともあったが、そのときも称号に変化はなかった。
  • 3)その後、逮捕状は取り下げられたものの、プッチダモンがフィンランド訪問中の三月二十四日、再び出された。急遽ベルギーへ戻ろうとしたプッチダモンはデンマークとドイツの国境でドイツ警察当局に拘束され、二十九日現在釈放されていない。なお、プッチダモンに続き、大統領候補として名前が挙がった三人はいずれもスペイン当局が拘束中であるため、未だ大統領は選出されていない。このまま約二か月が経過するとカタルーニャ議会選挙が再び行われることになる。

(法政大学国際文化学部教授、バルセロナ大学・カタルーニャ語学博・大阪外語大・外修・昭51)