学士会アーカイブス
『中国人物伝』について 井波 律子 No.913(平成27年7月)
『中国人物伝』について
井波律子
(国際日本文化研究センター名誉教授)
No.913(平成27年7月)号
昨年刊行された、拙著『中国人物伝』(全四巻、岩波書店刊)は、私がこれまで書いたもののなかから、政治や文化などさまざまな分野で活躍した人々をとりあげた文章を集成し、新稿を加えて時代順に編み直し、春秋戦国時代から近現代まで、およそ三千年の中国の歴史を、「人」を通してたどったものである。四巻の内容は、あらまし以下のとおりである。
第Ⅰ巻「乱世から大帝国へ 春秋戦国―秦・漢」は二部構成をとり、合わせて二十一項目からなる。第一部「乱世の生きざま―春秋戦国時代」でとりあげたのは、まず春秋五覇、伍子胥、美女西施である。ついで、思想家に目を向け、まず儒家思想の祖孔子をとりあげた後、道家思想の祖老子と荘子を中心とする隠者の系譜をさぐり、孟子、荀子、韓非子など、戦国時代に輩出した思想家にもスポットを当てた。さらに、蘇秦や張儀などの遊説家、荊軻ら五人の刺客をとりあげ、最後に大遊俠ともいうべき「戦国四君」の軌跡を追跡した。
第二部「乱世の生きざま―春秋戦国時代」は、まず中国全土を統一した秦の始皇帝にスポットを当てた。ついで、始皇帝の死後、騒乱の渦中から、もと遊俠の劉邦が皇帝にのしあがる顚末をたどった。さらにまた、漢王朝では女性の存在が鍵となるケースが多いため、女性たちの側から漢王朝の興亡を照射し、これにつづいて、漢王朝を絶頂期に導いた武帝の繁栄から没落への軌跡をたどった。武帝の時代には傑出した文人や歴史家も多く出現した。そこで、滑稽と呼ばれる東方朔、宮廷文人の司馬相如、大歴史家の司馬遷をとりあげ、それぞれの生涯の軌跡をたどった。
武帝の晩年から下降へと向かいはじめた漢王朝は、やがて外戚の王莽に滅ぼされる。この第二部の後半では、まず王莽をとりあげ、その奇怪な軌跡を追跡しつつ、漢王朝の終幕を描いた。ついで、王莽滅亡後の混乱を収拾し後漢王朝を立てた光武帝の姿を描出した。
第Ⅱ巻「反逆と反骨の精神 三国時代―南北朝」も二部構成をとり、合わせて二十四項目からなる。第一部「飛翔する英雄たち―三国志の時代」は、後漢末から三国時代の終焉までを舞台とし、まず後漢を実質的に滅ぼした董卓を皮切りに、曹操、劉備、孫堅・孫策・孫権父子など、三国志世界の英雄の軌跡にスポットを当てつつ、この時代のアウトラインをたどった。これとともに、周瑜、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠をとりあげ、それぞれの魅力を浮き彫りにした。ついで、三国時代の文学に目を向け、まず曹操および息子の曹丕・曹植、さらに曹操傘下の文人、孔融と陳琳をとりあげ、それぞれの曲折に満ちた生の軌跡をたどった。また、曹操父子と因縁の深い女性にもスポットを当てた。つづいて、魏王朝の実権をにぎった司馬懿の複雑な生きかたを追跡し、また司馬氏に滅ぼされた諸葛誕の一族のその後をたどり、曹操軍団の猛将夏侯淵の系譜が、西晋を経て東晋に至るまで連綿と受けつがれていったさまを検証した。
第二部「風狂と反骨の精神」では、まず魏末、理念的抵抗を続行した「竹林の七賢」をとりあげ、ついですぐれた軍事家にして歴史家だった杜預に焦点をあてつつ、司馬の孫司馬炎が立てた西晋が全土を統一した概略をたどった。三国時代から西晋さらにはその命脈を受けついだ東晋へと、時の経過とともに、時代の主役となったのは貴族階層である。このため、まず超名門貴族「琅邪の王氏」の王導、王敦、王羲之らの生の軌跡をたどりながら、貴族文化が洗練されてゆく様相を見た。さらに、東晋に揺さぶりをかけた桓温、この桓温を抑え込んだ謝安を筆頭とする大貴族「陽夏の謝氏」にスポットを当て、また謝安の姪の才媛謝道蘊にも目を向けた。東晋は不安定な王朝だったが、芸術や思想の面では豊饒であった。そこで、神仙思想家の葛洪、画聖の顧愷之をとりあげ、その一端を紹介した。東晋は五世紀初めに滅亡し、以後、江南では劉宋、斉、梁、陳と、四つの王朝が短い周期で興亡した。いわゆる南朝である。この南朝を象徴する存在として隠遁詩人陶淵明をとりあげ、また『顔氏家訓』の著者顔之推の数奇な生涯をたどりつつ、南朝末期の様相を見た。
第Ⅲ巻「大王朝の興亡 隋・唐―宋・元」は三部構成をとり、合わせて三十項目からなる。第一部「北方創始の大王朝―隋・唐」では、まず隋の文帝の妻独孤皇后、唐の則天武后にスポットを当てた。ついで隋の放蕩天子煬帝、唐王朝の実質的な創立者である太宗李世民のそれぞれの軌跡をたどった。これにつづき、唐が下降へと向かう契機となった晩年の玄宗の姿を、楊貴妃、安禄山との関係性を軸に描いた。唐代は芸術・文化の花咲いた時期であり、輩出した大詩人のうちから、李白、杜甫、元稹、白楽天をとりあげ、その生の軌跡と作品をたどった。また、女性詩人の薛濤と魚玄機をとりあげ、第一部の結びとした。
第二部「文治主義の帝国―五代十国から宋」では、まず宋の太祖・太宗が乱世を平定し、新しい時代を築いた経緯をたどる一方、五代十国時代の異色の政治家馮道、詞の名手李煜、隠遁詩人林逋をとりあげ、これについで、北宋の王安石、蘇東坡、米芾らの軌跡を探った。
南宋では、まず政治的人物として秦檜、名将岳飛をとりあげ、その対照的な生の軌跡を見た。また、女性詩人李清照、豪快な詞の作者だった辛棄疾の生と作品をたどった後、南宋の三大詩人、楊万里、范成大、陸游の生の軌跡と作品にスポットを当てた。
第三部「モンゴルの嵐―元」は、まずモンゴル勃興の経緯をたどった後、金の遺民として生きた大詩人元好問と戯曲家白仁甫、元に抗い処刑された南宋の詩人文天祥をとりあげ、その生の軌跡をたどった。やがて元は衰え、「紅巾の乱」と総称される大反乱が勃発した。この騒然たる転換期における異色の詩人楊維楨をとりあげ、第Ⅲ巻の結びとした。
最後の第Ⅳ巻「変革と激動の時代 明・清・近現代」も三部構成をとり、合わせて二十九項目からなる。第一部「漢民族統一王朝の復活―明」は、まず明の始祖洪武帝および永楽帝が支配体制を確立した経緯をたどった。ついで、明代中期以降、自前の生きかたや考えかたを案出した人々にスポットを当て、沈周、呉中の四才、天才画家徐渭、思想家の王陽明をとりあげた。明末に至るや、さまざまな分野において、さらに矯激な形で自己表現を果たそうとする人々が続出した。そのなかから、李卓吾、蔵書家の范欽、戯曲家湯顕祖、登山家・紀行作家の徐霞客、文人張岱をはじめとする快楽主義者群像、通俗文学の旗手と呼ばれる馮夢龍、名講釈師柳敬亭、女性文人の柳如是をとりあげ、これらの人々の生きかたと作品を追跡し、多様な角度から明末に生きた人々の姿を探った。なお、第一部の末尾で宦官魏忠賢、殺人に明け暮れた張献忠をとりあげ、明滅亡の最終局面をたどった。
第二部「ふたたび北方異民族の支配下に―清」では、まずヌルハチから康煕帝までの間に、満州族の清が中国全土支配を確立してゆく過程をたどり、合わせて清の中国支配に功のあった明の降将呉三桂のただならぬ軌跡を追跡した。これにつづき、歴史家万斯同、戯曲家孔尚任、納蘭性徳、独特の画風をもつ、明の王族出身の画家八大山人をとりあげ、満州王朝清の統治が強まるなかで生きた人々の複雑な生の軌跡と作品を探った。
清代中期以降、自由志向、自前志向がさらに深化した形であらわれるようになる。そこで、「揚州八怪」の一人である画家の鄭板橋、『儒林外史』の作者呉敬梓、大文人袁枚等をとりあげ、それぞれの生の軌跡と作品をたどった。
第三部「王朝国家から近代国家へ―清末から近現代」では、まず西太后をとりあげ、権力への妄執にとりつかれた彼女が、王朝時代の幕引き役を演じた姿にスポットを当てた。ついで、譚嗣同、梁啓超、秋瑾をとりあげ、彼らの鮮烈な生の軌跡を追った。一九一一年、清は滅亡し、中華民国が成立したものの、政治や社会に根底的な変化は見られず、錐もみ状態がつづく。そのなかで、欺瞞の体系の破壊者として闘いつづけた魯迅、長い戦いを経て、一九四九年、中華人民共和国を成立させた毛沢東をとりあげ、それぞれの闘いの軌跡と表現者としての特徴を探った。
以上が、春秋戦国時代から近現代まで全四巻、全百四項目、百名を超える主要登場人物から成る拙著『中国人物伝』の概略である。拙著はせんじつめれば、それぞれの時代をめいっぱい生きた人々の貌をいきいきと蘇らせながら、無数の小さな川が大きな川に流れ込むように、個別の生の軌跡が無数に重なり合い、長い中国史の流れを形づくってゆくさまを、今、ここに具体的に浮かび上がらせることができればと、願う試みにほかならない。
(国際日本文化研究センター名誉教授・京大・文修・文・昭41)