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学士会アーカイブス

~随想~ 私の一生で出来ること。 加賀 乙彦 No.910(平成27年1月)

~随想~ 私の一生で出来ること。
加賀 乙彦
(作家)

No.910(平成27年1月)号

私は一九二九年生まれで、二〇一四年の誕生日で八五歳になった。

小学校二年生のときに、蘆溝橋で日中両軍が衝突して、戦争が始まった。それは小学校六年の年の一二月の太平洋戦争まで拡大され、軍国主義教育が徹底して行われるようになり、暢気に小説など読める雰囲気が周囲から消えてしまった。両親の勧めもあって私は陸軍幼年学校という将校養成学校に入った。運動神経の鈍い私は、午前中の学科の授業にはついていけたが、午後の剣道、柔道、体操、教練の連続教育にはまったくついていけなかった。このときの、暗いみじめな経験は、私の長編『帰らざる夏』に微細に書き込んである。

戦争は今の平和な時代に暮らす若者には、想像も理解もできない、残酷な出来事だ。私が小説で描く世界は、現代の若者に、戦争を肌で感じる出来事として提出することに向かうようになった。

戦後、旧制高等学校に入ってから、私の読書癖は再燃した。一九五〇年ごろから、猛烈な勢いで翻訳小説が出版された。授業をさぼって、文庫本を読むというのが、楽しみだった。旧制高校という所は期末試験さえ通れば、授業に出席しなくても、誰からも文句を言われない有難い所であった。その学校で三年間に読んだ沢山の本は、いちいち感想をノートに書いておいたので、今でもよく内容を覚えている。そして、大学の医学部に入ってからは、往復計二時間の通学時間が、都電のなかで読書する格好の場所になった。満員で立って読むのがもっともよい読書の姿勢なのだと、大脳生理学者の時実教授に教わった。立っていると、脚の血液が脳まで上がっていき、知的な仕事をするのに、理想的な姿勢になるというのだ。へミングウェイが立ち机に向かって小説を書いたのは、執筆のときの彼の創作力が最大になると知っていたからだというのも、教授に教えていただいたことだった。

ところで、私が小説の読書に熱中していながら、自分で小説を書こうとしだしたのは、三五歳になったころからである。ある同人雑誌『犀』の同人になって、短編小説をいくつか書いてみて、どうも自分の書きたいのは、短編ではなくて、長編らしいと気が付いたのだ。長編小説『フランドルの冬』が出版されて、三九歳のとき、それが或る賞をもらってから、作家への道が開かれてきたのだが、文芸雑誌に短編を注文されて、それに応じながら、私はなにか不思議な力に吸着されて、長編小説を書きたくなるのだった。男女の単純な、または美しい恋愛小説よりも、性格も趣味も社会的地位も違う人々があられもなく入り乱れて活躍するような、つまりこの世の中がそうあるような乱雑な世界を、長編小説として書きたくなったのだ。そうなった理由は、自分にはわからない。そうすることが人間の本質を描きだす唯一の方法だと気が付いたとしか言いようがない。

五七歳になって、私は自分の書きたいと思う、複雑で奇怪な、と言っても、この時代にぴったりと接着している、自然な人間世界を目指して『永遠の都』と名付けた小説を書き始めた。この作品に一〇年かかり、書き上げたときに、私はすっかり疲れ果てていた。

登場人物が大勢いる。あまりに大勢いすぎて、まとまりを欠くようでいて、読んでいるときは、うまくまとまっている。奇妙な小説だなと作者自身がケチをつけようとすると、編集者や読者から、「面白いですよ」と褒められる。そこで読み直すと自分が体験したことを書いた部分もあるが、想像の世界で、ありえないウソもごまんと書いている。とにかく、一九二九年生まれの私が、観察し体験し苦しめられ楽しんだ時代を、自分の文体が飛び出すとおりに書いた小説なのだ。自作の出来不出来は私には云々する資格がない。それでも戦中という時代に密着した『永遠の都』の続編を書いてほしいと、文芸雑誌の編集長に注文された。私は七〇歳になっていた。

疲労困憊が少し治ってきたときに、私は注文を引き受ける決心をした。『永遠の都』を何度か読みなおしているうちに、二〇世紀の戦争のおぞましい時代だけでは、小説は終わってはいない。戦後の平和な時代、戦後民主主義の時代、それに密着した大勢の登場人物の末路を書かないでこの小説を終わらせてはいけないと、はっきりとした自覚が不意に私を突き動かした。そうして自分の人生を削り取って行く小説を書き始めた。戦後をひっくるめて『雲の都』と名付けた小説の連載が終わったのが二〇一二年一月号、単行本が出版されたのが同年七月で、私は八三歳になっていた。二つの長編を書くのに私は自分の晩年の二七年間を消費した。

八〇歳を過ぎると、余生に何をしたらいいかという悩みが生まれる。私は若い人々に向けて戦争と平和の時代の差異を、さらに書き続けようと決心した。人生は短い。しかし、それがどんなに短くなっても、私は戦争と平和の時代の差異を書き続けるであろう。そして若者よ私の本を読めと叫びつづけるであろう。

(作家・東大・医博・医・昭28)