学士会アーカイブス
次の世代のための日本経済の再生 米倉 弘昌 No.894(平成24年5月)
要 約 Ⅰ.わが国の現状と課題 経済の面では歴史的な円高が継続し、企業の輸出事業の収益を圧迫しました。今年に入ってもこの状況は変わらず、円高のさらなる長期化が懸念されています。EUでは加盟国の債務危機問題が勃発し、財政規律の強化に向けて懸命の努力が続きますが、収束の見通しは立っていません。このような欧州経済の混乱や米国経済の低迷によって、これまで世界経済を牽引してきた新興国の成長にも減速の兆しが出ています。 これらの困難な状況のもと、日本が直面している課題について、まず論じたいと思います。 (1)二〇年にわたる低成長 バブル崩壊から今日までの「失われた二〇年」と言われる日本経済の停滞ぶりは、数字の上でもはっきりと表れています。二〇一〇年までの過去二〇年間の名目GDPの平均成長率を国別に比較すると、先進国では米国が四・七%、ドイツが三・四%、アジアの新興国では中国が一六・五%、インドが一三・七%、韓国が九・四%であるのに対し、日本はわずか〇・四%と際立って低い成長率です。豊かさの指標となる国民一人あたりGDPでも、日本は先進国中で最低水準です。 日本は第二次世界大戦によって名目GDPの八六%に匹敵するストックを失いました。しかし戦後、国際社会からの支援と国民の血の滲むような努力によって立ち上がり、先進国に追いつき、経済大国へと成長しました。日本経済が「キャッチアップの時代」を過ぎ、「フロントランナーの時代」に入った七〇年代末、高度経済成長期は終わりを迎えましたが、それでも八〇年代、実質で四・四%という、他の先進国と比較してもかなり高い水準の成長率を維持しました。 こうした力強い成長を見せてきた日本経済が、バブルの崩壊後、二〇年もの長きにわたって停滞を続けている要因として、経済のグローバル化が進む中で事業環境の自由化・国際化という世界の流れに後れをとったために、海外市場の成長を十分に取り込むことができず、バブル崩壊に伴って生じた需給ギャップをうまく埋められなかったことが大きかったと思います。 経済成長の低迷によって世界における日本市場のプレゼンスが次第に低下し、国内外の企業による日本への本格的な新規投資が減少しました。消費も抑えられ、新しい雇用が生まれにくい状況になりました。若い世代の雇用や所得が不安定になるにつれて、結婚や出産が以前に比べて難しくなったと感じる人が増え、少子化の問題が顕在化しました。さらに近年は、生活困窮者の増加とそれに伴う社会保障支出の増大も問題となっています。 (2)急速に進行する少子高齢化 人口推計は「最も蓋然性が高い」と言われており、今年一月に発表された将来人口推計でも、「今後もこうした傾向が続き、人口減少の趨勢を今世紀中に止めることは難しい」と予測されています。その結果、問題となるのは一五歳から六四歳までの生産年齢人口の減少、いわゆる働き手の不足です。 人口と経済成長は切っても切れない関係にあります。経済成長は、「労働投入量」「資本投入量」「技術進歩」の三つの要因で決まるといわれています。生産年齢人口の滅少は「労働投入量」の減少を意味します。世界に誇る技術力と優れた人材の力を強みとしてきた日本にとって、生産年齢人口の減少は、「日本の経済成長を引き下げる」という重大な意味を持ちます。 保育サービスの拡充、多様な働き方に対応した柔軟な労働市場の構築など幅広い対策を通じて、国をあげて子育て世帯の仕事と育児をサポートし、早急に少子化に歯止めをかけていかなければなりません。 (3)財政問題と社会保障制度の行き詰まり 国民皆保険が達成された一九六〇年代、約一〇人の現役世代が一人の高齢者を支えるという状況でしたが、二〇〇五年には三・三人、二〇一一年にはニ・五人にまで減少し、三〇年後の二〇五〇年には一・ニ人の現役世代が一人の高齢者を支える、というところまで落ち込むと予測されています。戦後の高度成長と人口増加を前提に設計された現行の社会保障制度は明らかに限界を迎えています。さらに二〇〇九年度以降、国の借金が税収を上回る状況が続いています。 世代間の不公平も無視できないほど広がっています。世代毎に、生涯を通じた「受益」と「負担」を計算する「世代会計」という手法があります。「受益」とは、道路・ダムといった社会資本や、治安・国防、医療・介護といった公共サービスから得られる「利益」を指し、そのサービスを供給するのに必要な税金、保険料を「負担」としてカウントします。ここで試算を一つ紹介しますと、今の六〇歳以上の世代は、差し引きで約四〇〇〇万円の受益超過です。逆に二〇歳未満の世代は約八三〇〇万円の負担超過で、その格差は実に一億二〇〇〇万円に達します。 このような世代間の不公平に対する勤労者の不満や、社会保障制度の持続可能性への不安が、かつてなく高まっています。こうした不安が消費者マインドを冷やし、内需の回復を遅らせる一つの要因になっています。 仮に、現役世代や企業の負担に依存する現行制度を今後も継続していくならば、企業や従業員の活力は低下し、日本の将来を背負う若者の就業意欲や勤労意欲も損なわれるでしょう。その結果、経済成長が阻害され、社会保障制度を支える力は一層弱まっていきます。こうした負のスパイラルを防ぐために、若い世代に過度の負担を強いる現在の社会保障制度は早急に改めていかなければなりません。 (4)震災復興とエネルギー政策の再構築 大震災によって日本は「エネルギー政策の再構築」という新たな課題を背負わされました。電力の安定供給は国民生活と企業活動を支える土台です。昨年夏、電力不足による大規模停電を回避するために「計画節電」が実施され、企業や国民は大きな負担を強いられました。このような混乱が再び生じれば、企業の生産拠点の海外移転が一段と進み、国内産業の空洞化に拍車がかかるでしょう。海外移転を「企業活動のグローバル化の動きとして当然」と捉える見方もありますが、移転が過度に進行すると国内雇用の維持が困難になり、技術力をはじめとした日本の産業競争力が失われることになりかねません。このような事態を回避するために、電力安定供給を保障するエネルギー政策を早急に再構築しなければなりません。 Ⅱ.我々が、次の世代のために果たすべき責任 戦後、日本は文字通りゼロから出発しましたが、国民が一丸となって復興に取組み、やがて高度経済成長期を迎え、終戦からわずか三〇年で世界経済をリードする経済大国へと急成長を遂げました。その後、バブル経済とその崩壊を経験し、低成長の時代となった訳ですが、私が特に強調したいのは、「失われた二〇年」を経た今もなお、日本企業は技術カ・人材・チームワーク・ボトムアップによる改善・創意工夫といった面で、世界のトップレベルにあるということです。 我々は将来を悲観するのでなく、冷静に日本の強みを評価し、再び力強い持続的な経済成長を実現しなければなりません。次の世代が未来に期待を抱くことができる、活力溢れる「新しい日本」を作らなければなりません。そのために我々にできることは何か。三つの「果たすべき責任」から考えたいと思います。 (1)「豊かさを追求する」 私はかねてから「ダイナミックな経済成長のためには、経済の牽引役である企業自らが知恵を絞り、行動を起こすことが必要である」と主張してきました。民主導の経済成長を実現する上で、最も重要な推進力となるのはイノベーションです。イノベーションは日本企業の競争力の源泉であり、これまでも日本の経済発展の大きな原動力でした。 ①未来都市モデルプロジェクト 現在進行中のプロジェクトの事例を二つ、ご紹介します。一つ目は「豊田次世代エネルギー・モビリティ都市」です。トヨタ自動車・豊田市・名古屋大学が中心となって、低炭素型コミュニティーや交通システムを構築していこうという取組みです。エネルギーの消費を抑える「省エネ」、エネルギーを創り出す「創エネ」、エネルギーを蓄える「蓄エネ」のための最先端の機器やシステムを装備した住宅を分譲し、各技術の実際の効果を検証していきます。プラグ・イン・ハイブリッド車や電気自動車に蓄えた電気を家庭で使用できるようにするシステムの実証実験なども実施することになっています。 二つ目は、愛媛県西条市の「西条農業革新都市プロジェクト」です。私が会長を務める住友化学が中心となって、先端技術を駆使した先進農業を推進するプロジェクトです。昨年八月、西条市の第三セクターやJA西条、民間企業の皆様と共同で「株式会社サンライズファーム西条」を設立しました。GPSを使った無人の農機やラジコン・ヘリコプターを農作業に利用し、農薬や肥料の精密散布を行うことや、IT技術を活用して農作物の生産・流通の工程管理を行うといった取組みを進めています。競争力のある日本の新しい農業のモデルを創り上げていきたいと考えています。 ②異分野の技術の融合でイノベーションを加速する 「未来都市モデルプロジェクト」においても、異分野・異業種の技術や知見を組み合わせたり、繋ぎ合わせたりしています。町や地域で、技術やサービスの提供者と利用者が知恵を出し合い、一体となって課題を解決しています。こうしたアプローチで開発を進めています。日本の強みである技術カ・チームワーク・創意工夫の力を存分に発揮して、イノベーションを加速させ、経済に活力を与えていきたいと思います。 ③被災地の新たなまちづくり・地域産業の復興 民間企業は、災害に強いまちづくりや、より快適な環境づくりで必要となる技術やノウハウを数多く持っています。経済界は、先ほどお話しした「未来都市モデルプロジェクト」における環境・エネルギー・ICT・医療・交通、農業といった分野での成果を、各地域のニーズに応じて被災地に展開することで、新しいまちづくりを支援していくことができると考えます。 地域産業の復興を進めることも必要です。産業の復興についても、震災前の状況に戻すという発想ではなく、被災した地域の今後の発展に繋げていくという視点が大切です。東北地方はこれまでも電子部品・自動車部品・精密機械・医薬品等の分野において、国内の重要な生産拠点としての役割を担ってきました。具体的な復興策として、こうした東北の「ものづくり」の強みを活かしながら、国の「震災復興特区制度」を活用して、被災地に新たな工業団地を作ることや、大学、研究機関を誘致して産学連携の研究開発拠点を開くといった取組みも考えられると思います。 震災復興は大きな挑戦であり、政治の強いリーダーシップの下で、国・自治体・企業・国民全体が痛みを分かち合い、一丸となって取り組んでいかなければなりません。被災地の再生なくして、日本の真の再生はあり得ません。経済界として、民間企業の持てる力を最大限に発揮して、引き続き被災地の復興に貢献したいと考えています。 (2)「雇用と生活を守る」 ①現役世代の負担軽減となる社会保障制度改革を 今年一月、政府・与党は「社会保障・税一体改革素案」をまとめ、二月一七日には「大綱」として閣議決定しました。消費税率の引き上げ時期や上げ幅などが具体的に盛り込まれ、財政健全化への重要な一歩であったと思います。経済界としては、政府・与党に対し、野党の協力を得ながら通常国会中に必要な法制上の措置を講じていくこと、社会保障給付の効率化・重点化に一層踏み込み、現役世代に過大な社会保険料の負担を求める現行制度を早急に改革していくことを強く働きかけていきたいと考えています。 ②雇用形態の多様化を進め、若者の就労サポートを また、職種や企業規模といった点でのミスマッチや、高齢者雇用のあり方、高止まりしている長期失業者の割合、働き方に対するニーズの多様化など、構造的な課題も山積しています。 こうした状況を打開するために、世の中のニーズや企業活動の変化に対応し得る、多様で柔軟な労働市場を作っていかなければなりません。現在、高齢者雇用の義務付けの強化や労働派遣法の改正など、規制強化に向けた議論が続いていますが、過度の規制は国内の事業環境をさらに悪化させ、雇用の減少を招く恐れがあります。「非正規雇用は好ましくない労働形態であり、正規雇用こそ望ましい働き方だ」というような硬直的な考えに捉われることなく、労使双方の利益に適う形での雇用の流動化・多様化を早急に進めていくべきであると思います。 就労サポートの具体例として、仕事を探している人が生活支援給付を受け取りながら職業訓練を受けることができる「求職者支援制度」等のセーフティネットを拡充させること、いわゆる「トランポリン型の雇用政策」の推進があります。さらに、公的な職業訓練プログラムや職業紹介機能を充実させ、エネルギー・環境・医療・介護・観光・農業など今後、労働力の需要が拡大すると期待される分野で雇用を促進していくことも必要です。本格的な少子化の進行に伴う生産年齢人口の減少に対応するためにも、こうしたミスマッチの解消に向けた対策の実施は急務です。 (3)「世界と共に生きる」 ①高いレベルの経済連携を推進する 経団連ではかねてより、二〇二〇年までにFTAAP3)を構築することを目標に掲げ、その実現に向けたステップとして、①TPP4)への早期参加、②日中韓FTAの実現、③ASEAN+65)によるEPAの実現、を求めてきました。中でもTPPは、アジア太平洋地域だけでなく、グローバルな経済連携のルール作りに発展する可能性を持つ重要な枠組みであり、FTAAPの構築に繋がるEPAのうち、唯一、具体的な交渉が始まっています。その意味で昨年一一月、ホノルルで開かれたAPEC首脳会議において、野田総理がTPP交渉への参加に向けて関係国と協議を開始することを表明されたことは、日本にとって大変有意義な前進であり、総理のご決断に改めて敬意を表したく思います。その後、交渉参加に向けて各国との事前協議が順次始まり、二月初旬にはワシントンで米国との事前協議が始まりました。今後、参加国との本格的な交渉に入っていくことになります。経団連では政府に対し、引き続きTPP参加を強く働きかけていきます。 一方、農業の競争力の強化にも同時に取り組んでいかなければなりません。規制緩和をさらに進め、民間企業など優れた経営能力を持つ多様な担い手を確保するとともに、農家の事業規模の拡大を促し、生産性と効率性を高めていく必要があります。日本の農作物の品質と農業技術は、世界で高く評価されています。 経団連としても、農業界と連携して日本の農作物の輸出促進、民間企業の持つ経営・事業運営に関する知見の活用、加工・物流・品質管理等に関する技術の活用を進め、日本の農業の競争力強化に積極的に貢献したいと考えています。 ②アジアの発展に貢献する 戦後、日本は先進国から復興援助資金やインフラ整備プロジェクトヘの融資など様々な支援を受け、復興を成し遂げました。恩を受けた相手を助けるのは「恩返し」ですが、別の人を助けることで自分が受けた恩を送っていく「恩送り」という考え方があります。恩を送られた人は、さらにまた別の人を助けることでその恩を送っていく。その結果、人を助けるという行為が、世の中にどんどん広がっていくことになります。 この「恩送り」の考え方は、英語圏では“Pay it forward”という言葉で表現されるそうです。これまでに日本が受けた様々な「恩」を、インフラ整備への協力、経済協力という形で新興国や途上国に「送って」いく。「恩送り」の実践という意味でも、アジアの発展に積極的に貢献していかなければなりません。 Ⅲ.結び 震災後、大変な状況にあっても諦めることなく知恵を出し合い、支え合いながら目の前の困難を一つ一つ乗り越えていく被災地の方々や、自ら進んで被災地に駆けつけ、懸命に復旧作業に取り組む若い人達には、心を打たれ、大いに勇気づけられました。 世界に冠たる技術力、不屈の精神と助け合いの気持ち、強力なチームワーク、こうした日本ならではの強みを発揮しながら自信を持って行動を起こせば、日本は必ずやこの危機を乗り越え、再び力強く発展していくことができると確信しています。 我々経団連も、「行動する経団連」として、「未来都市モデルプロジェクト」をはじめとする取組みを加速させ、民主導の経済成長と豊かな国民生活の実現を全カで後押しし、復興・再生から新たな飛躍へと大きく踏み出していく一年にしたいと考えています。 (注)
(社団法人日本経済団体連合会会長・東大・法・昭35)
(本稿は平成24年2月20日午餐会における講演の要旨であります) |