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学士会アーカイブス

知識と思考 外山 滋比古 No.883(平成22年7月)

知識と思考
外山 滋比古
(お茶の水女子大学名誉教授)

No.883(平成22年7月)号

要 約

日本人は明治以来、英語の翻訳と格闘してきた。英単語にはつぎつぎ新しい訳語を生み出し、センテンスのレベルでも「英文解釈法」という素晴らしい方法を編み出し、大きな成果を挙げた。しかし、日本語にはパラグラフが存在しなかったため、「欧米の言語構造が、パラグラフ単位で意味を積み重ねている」ことを見落とし、これを軽視した。今もってわれわれが欧米文化の根本を理解しきれていないのは、ここに原因がある。一方、国語教育においても、教材は相変わらず文学作品が中心である。日本語をもっと科学的・論理的・思考的な言語に作り変えなくてはならない。そして、その「新しい日本語」を担うものとして、エッセイという表現形式が着目される。ここに、現在の閉塞状況を突破する糸口があると考える。

曲がり角に来た日本

この十年ぐらい、日本の社会全体がだんだん元気を失っています。「世界の先進国として、経済的・文化的に本当に伸びていけるのか」「ひょっとすると先進国になれないのではないか」という気持ちを持つ人が少なくありません。

社会が一つの壁にぶつかり、曲がり角に来ているとすれば、原因があるはずです。その原因を、私は以下のように考えます。

日本は、明治から百数十年にわたって、先進国に追い付き追い越そうとして西欧文化を学び続け、ある程度、模倣に成功しました。しかし、先進国に近づくに従い、人々は「今までと同じ考え方や生き方では、新しい世界を十分切り拓いていくことが出来ない」と気づき始めました。ことに、国際化が進んできて、他の国と比較し、少し欠けているところがあるように感じる人が増え、一種の社会的な閉塞感が生まれました。

文明開化~言葉の壁

私達の国は、明治初頭に長い間の鎖国を解いて開国し、西欧の知識・文化・文物を移入しました。これは、真似をするということです。明治の人達は、「早く外国に追い付こう」と、外国に学びました。

その時、最初に遭遇したのは、目に見えない言葉の壁でした。日本は島国なので、外国と陸続きで国境が繫がっている大陸国とは非常に違う文化の発展をしてきました。その上、二百何十年の鎖国を経たために、明治に開国した時には、日本の文化はかなり特殊な性格をおびていました。それを否定して、「万事外国に倣う」ことを国是にしましたが、それを非常に困難にしたのが言葉でした。

まずは単語から

言葉は非常に難しい。外国語の代表として英語を学ぶことになりましたが、外国語をどう理解すればいいかわからないので、まずは単語から勉強しました。今で言う「大学」に相当する「大学南校」という所で、二十歳前後の青年達が英語の単語を学びました。

非常に素朴な教え方で、日本に有るものないものを区別、「ビー・オー・オー・ケイ、book、ブック、本」と大声で唱えました。もちろん日本にないものも沢山あります。これらは、「エッチ・オー・ティー・イー・エル、hotel、ホテル、日本にないもの」、「bread、ブレッド、日本にないもの」と口で言いました。

日本にないものには対する訳語がないので、学生達は何とか工夫して新しい訳語を作ろうとしました。非常に多くの人達が真剣に考え、大変なエネルギーを費やして新しい訳語が作られました。その数は数千語に及ぶと思われます。例えば、英語の「バンク」から「銀行」という言葉を引き出すのも大変なことでした。まず、お金を扱うところなので、銀座の「銀」をとり、中国語から企業という意味の「洋行」の「行」をくっつけて、「銀行」としました。なかなかの名訳だった。中国も感心して採用しました。

当時の人は漢学の素養が豊かでしたので、多くの英語の名詞を漢字二字で訳すことに成功しました。こうしてしばらくすると、たいていの英単語に対応する日本語が揃いました。

英文解釈法が確立

単語の問題が一段落すると、つぎに、どんなに単語だけ理解しても、言葉として働きを持つことにはならない。センテンスを理解しなければならないと思うようになりました。センテンスを日本語にするのに、さらに大変な壁が立ちはだかりました。これを乗り越えるのに、単語の訳語を考えるよりもはるかに多くの努力が必要となりました。日本語と外来語では、文中の語の順序が違うのです。

それまで、オランダ語の勉強をした人達はいましたが、とうとうセンテンスを理解する方式を作り出せないまま終わっていました。しかし、英語の勉強を始めた人達は、センテンスを日本語にするために、懸命に知恵を絞りました。

一番の問題点は、やはり英語と日本語では語順が全く違うことです。中国語は、たまたま英語と同じ「主語・動詞・目的語」の語順ですが、日本語は、「主語・目的語・動詞」です。

大昔の人々は、中国から輸入した漢文に返り点を付けて読みました。世界史上に例がない、奇想天外な読み方です。明治の人達はそれを思い出し、語順を変えるために、英語に返り点ではなく番号を付けました。

「I have a book」の「I」のところに「1」、「a」に「2」、「book」に「3」、「have」に「4」を付けました。そして、「私は一冊の本を持つ」と訳せば日本語になるということを考えました。

語順の入替は、なかなか面倒です。ヨーロッパの人々は、互いに違う言語で話していても語順の入替が不要なので、簡単に相手のセンテンスの意味が理解出来ます。しかし日本語は、おそらく最も困難な語順の入替をしなければなりませんでした。

さらに、関係代名詞という厄介な言葉があります。後ろにまた長いセンテンスが出て、関係代名詞と、さらに関係副詞などが付くと、番号が「35」とか「40」となってしまい、頭が混乱します。とても手に負えないので、番号を付けるのをやめました。

このように試行錯誤を経ながらも、語順の違いを正して理解していく英文解釈法の開発がすすみ、明治中頃より本格化していきました。そして明治の終わり頃には、学習院の南日恒太郎教授が、『英文解釈法』を完成させました。

この英文解釈法には百二十から百三十個のルールがあり、これらを使用すれば大抵の英語の文章が読める、とされました。やがて、この解釈法があれば、シェイクスピアから「タイムズ」まで読めるという確信を日本人が持つようになりました。

「英語が大体読める」という自信がつくと、大学でも日本語の講義をするようになりました。明治初年以来の人々の悲願でした。アジアで最も早く始まり、かつ充実した自国語による大学教育でした。

そのうち、「英文解釈法をうまく発展させれば、機械翻訳も可能になる」と考えられるようになりました。しかし、語順の入替は大変複雑で機械で処理しきれない微妙な問題が残り、機械翻訳はついに実現されませんでした。

大正期を経て昭和になると、『英文解釈法』は、高等専門学校等の入学試験向けの受験の参考書となりました。ひろく普及しましたが、英文解釈法の価値は見失われることになりました。そのうちの一冊、大正初期に出版された山崎貞著『新々英文解釈研究』が、昨今のレトロブームで再び脚光を浴びているようです。英文解釈法は、語順の違う外国語の学習法として、世界でも、類例を見ない素晴らしい工夫であり、日本人には外国語理解の大きな武器となりました。

パラグラフを重視しなかった日本人

日本人はそこで安心してしまい、「もうこれで外国語は分かる」と考え、センテンスの先にパラグラフ(段落)があることを、知ってはいましたが、重要視しませんでした。

理由の一つは、平安朝の昔から日本の言葉が一度もパラグラフを持ったことがないためです。単語やセンテンスの概念は多少ありましたが、パラグラフという概念は日本にはありませんでした。例えば、『源氏物語』にはパラグラフは全くなく、初めから最後までのっぺらぼうに続いています。古典はすべてそうです。

明治二十年代に文部省が国定教科書を作った際、「外国の本を見ると、みんなパラグラフが付いている。日本もやはりパラグラフを付けなければいけない」と考えて、国語の教科書にパラグラフを付け、「新しいパラグラフの始めは一字下げる」というしきたりも導入しました。しかし、実際にはパラグラフを重視するものはほとんどありませんでした。

新聞社がパラグラフをはっきり認めるようになったのも戦後で、それまではパラグラフもなく、句読点もいい加減でした。日本語はヨーロッパの言葉の影響を非常に強く受けたと言われますが、最も形式の整った文章の一つである新聞の社説でさえ、パラグラフについての認識が薄かったり、各社ごとにパラグラフの取り方が異なったりしました。新聞社でさえ、パラグラフの重要性への理解が不十分なのです。

もし、英文解釈法の次に、「段落解釈法」や「パラグラフ理解法」のようなものが出来ていれば、おそらく、私達の外国語理解、更には外国文化理解もかなり違ったものになったと思います。

例えて言うなら、単語は点、センテンスは線、パラグラフは面のようなものです。点と線をどんなに沢山並べても面になりません。また、面の中にある線が単独の線とは違うように、センテンスもまた、単独である時とは異なる意味合いを、パラグラフの中やコンテクスト(文脈)の中で持ちます。外国語を勉強している人を含めて、そのことを十分理解せずに現在に至っています。

パラグラフの中にこそ、思考・思想・考え方が表れます。センテンスや単語の次元は、思考の要素がほとんど入りません。日本が外国から学んだものはこの単語とセンテンスのレベル止まり、英文解釈法止まりでした。それでも知識を習得するにはかなり効率がよく、近代化に非常に大きく貢献しました。

しかし、センテンスの先にパラグラフがあるということを教える人がいませんでした。日本人でそれをはっきり自覚した人もごく限られていました。私達はパラグラフを無視して、ストーリーの続く限りは同じパラグラフで行くという、昔ながらのやり方を続けてきたのです。

「レンガの言葉」と「豆腐の言葉」

日本人は、単語とセンテンスの集まりが文章であり、文章が沢山集まって本が出来ると思っています。しかし、本来、少なくともヨーロッパの言語では、パラグラフが単位です。パラグラフは一つのレンガのようなもので、これをしっかり積み重ねればどんな大きなものにもなります。

ところがパラグラフがない日本語は、ものを表現する時には、大きな考えや思いの大事な箇所だけを残し、そうでないものを削り落としていきます。ものを考えたり表現したりする時の基礎、単位がはっきりしないので、どんどん削っていけるのです。すると最後には、俳句や短歌のような小さいところまで行きます。例えて言うなら、日本語は豆腐的です。これは積み重ねられないので、結局は切るしかありません。

豆腐の言葉でレンガの言葉を理解するのは、たいへん難しいことです。ですから、私達が理解したと思っているヨーロッパ文化のかなりの部分は、大きく誤解されているおそれがあります。

翻訳が面白くないのは、パラグラフ軽視のせい

例えば、外国の本を翻訳する時、本当はパラグラフ単位の意味を翻訳していかなければいけないのに、パラグラフの感覚がないので、単語とセンテンスだけを、英文解釈法の知識によって翻訳します。

すると、分からない箇所が沢山出てきます。でも、処理が出来ないので、原文忠実・逐語訳という方法を編み出しました。分からない箇所は原文に忠実に、原文にある単語の意味を一つ一つならべて、分かっても分からなくてもその通りに訳す方法になります。

そういう翻訳は、最近はさすがになくなりつつありますが、実は、昭和の初めどころか、戦争が終わってから昭和六十年代ごろまでは、原文忠実・逐語訳の翻訳がほとんどでした。

そうすると、例えば哲学書などは、極めて原文訳上は難解で面白くないものになります。面白くないのは哲学が面白くないからだと考える人もいるでしょう。しかし、これは逐語訳にこだわったからパラグラフとしてのまとまりがなくなり、翻訳がつまらないことばになってしまったからです。また、「分からないのは、自分の頭が悪いんだろう」と考える人もいるでしょう。訳されている元の本が先進国の一流の著者の書いたものである以上、「それが分からないのは自分に力がないからだ」と考え、憂鬱になるのです。その憂鬱に耐える人は学者になりますが、大抵の人は、しばらくすると翻訳を読むのをやめてしまい、もっと面白い本を読むようになります。

日本の翻訳がおしなべて面白くないのは、パラグラフの意味を考えないからです。日本の近代化は翻訳に大きく依存してきたので、翻訳が面白くないことはきわめて重大です。

センテンスを日本語訳するのに語順の入れかえが必要なら、パラグラフ単位なら、センテンス順を入れかえないと日本語にならない、という自明の理に気づかずに翻訳をしてきたのです。他方、例えば、イギリス人がドイツ人のカントの哲学書を訳すと、原書にあるかどうかは別にして、時には大変面白い訳が出来ます。それは、原文のドイツ語の段落を英語のパラグラフに置き換える時に、多少の加工を加える、あるいは新しい補足を入れてまとまりをつけてパラグラフにして訳しているからです。

パラグラフ理解こそ、ヨーロッパ理解の道

このように私達は、パラグラフを軽視してきた結果、現在もなお、パラグラフ単位の意味をはっきり認識出来ていません。日本人の考えをヨーロッパ人に伝える際にも、パラグラフに基づいた、しっかりした論理展開をしないで、ただ「センテンスを並べていけば、そのうち自然にまとまるだろう」などと考えがちです。ですから、日本人の主張は、パラグラフ単位で考えるヨーロッパの人達に十分アピールしません。おそらく、外交官からビジネスマンにいたるまで、いたるところでこのようなことがおこっているはずです。原因は、外国語の文化を輸入するにあたって、一番大切な単位であるパラグラフの認識を欠落させ、単語とセンテンスのレベルで「理解した」と考えたことです。

冒頭で結論を述べる、ヨーロッパ人の思考構造

では、英語のパラグラフとはどのようなものか、と言いますと、一行、約十二語として、行数十五行から二十行、単語数で二百五十から三百語の集まりの文章です。

各パラグラフは三部に分かれているのが典型的です。最初の約三行に、抽象的で最も重要な点が出てきます。次の数行に、「例えば」、「そこで」という言葉をきっかけにして、最初の抽象的なことを敷衍するような話が出てきます。最後の二、三行で、もう一回抽象的なことになります。

最初の抽象的な一般論は、動詞は現在形です。真ん中の具体例は、動詞が過去形で、「こういうことがあった」「いついつ、何々をした」という話です。最後に、「かようにして、何々は何々である」という抽象的一般論に帰ります。抽象・具体・抽象という三層構造になっています。この三つが同心円のように重なっているのがしっかりしたパラグラフです。情報量の大きさは、初めほど大きく、逆三角形をしています。日本人の発想はこれとは逆に終りほど重要で三角形をしています。

なかなか本題に入らない、日本人の思考構造

日本人は、未だに、パラグラフを正しく理解していません。「二百字ぐらいで、ある種のまとまった考えを述べるもの」と、理解しています。

その上、日本人には元々、議論を明晰に展開する習慣がありません。強いて三角形にすると、初めはちょろちょろで、何を言っているか分かりません。

例えば手紙も、初めは用件を言いません。「そろそろ桜の頃になりますが、お元気でいらっしゃいますか」。本当はそんなことは言いたくありませんが、初めから本題に入るのは大変失礼なので、初めに枕のような文句を振ります。なかなか本題に入らないまま、だらだらと様々なことを書いて、最後に、「実は、お金が借りたいのですが…」などという話になります。

初めから、「お金を貸してくれますか」と言ったら、日本ではお金を貸してくれないのです。お金を借りに来たのに、「お宅のお庭は立派ですね」「お宅のお子さんも、よく出来るようじゃありませんか」など、お世辞を言って、相手を良い気持ちにしておいて、最後に、「さて、実は…」となります。

極端な場合には、一番言いたいことは言わないでしまいます。すると、相手が、言い出せなくて帰ったけど、あれはお金を借りに来たのに違いない」と察して、あとで手紙か電話で、「何かお頼みになりたいことがあったんじゃありませんか」と言う。言い出せずに帰った人は、「さすがにあの人はよく分かった人だね」となります。

日常会話でもそうです。アメリカの青年と日本の女性が仲良くなったとします。アメリカの青年が、「ドライブに行きませんか」と言うと、日本の女性は、「まあ、嬉しい、素敵」と言います。「じゃあ、いつ行きましょうか」と言う時になると、「いや、その日はちょっと具合が…」「その日もちょっと。実は、母が今病気でして…」と言って、結局は断るのです。

外国人は、「初め、『行く』って言ったのに、しゃべっているうちにどうして行かないことになるのか分からない。日本人の『イエス・ノー』は、曖昧で不可解である」と戸惑いますが、日本人としては、別にそんなに悪気があったわけではありません。

初めの「素敵」は挨拶で、朝早くなくても「おはよう」と言うのと同じで、意味がないのです。終わりの方で言ったことには意味があります。終わりの方で、結局、「ノー」と言うから、「初めの『イエス』は、どうしたのか」と言われます。

日本人としては、そんなことを言われると大変困ります。私達は、相手の人になるべく衝撃を与えないように、どうでもいいことを話します。あちこちをぐるぐる回って、だんだん本丸に近づきます。その間に、聞いている人は、「ああ、これはどうも頼み事があるらしいな」といった見当をつけます。それが、「以心伝心」「腹芸」や「あうんの呼吸」と言って大事にされます。

衝突する発想法

私達が一つのパラグラフのようなまとまった表現をする時は、終わりの方ほど大事です。日本人の富士山型の三角形と、欧米人の逆ピラミッド型の段落とが衝突すると、誤解と摩擦を生じます。今現在、日本は、様々な国際問題を抱えていますが、もう少し早く段落の意味を追究していれば、そのうちのある部分は解消していたでしょう。

相手が日本人の発想を十分理解していれば別ですが、そうでない場合は、絶えず、「日本人はいい加減なことを言っている」「言っていることがくるくる変わる」「はっきりした考えを持っていない」と誤解されます。これは、私達が外国の言葉を勉強する際、単語とセンテンスのところまで来て、「言葉はこれで分かった」と思い、そこで意味追究を打ち切ってしまったためです。

欧米のものごとを考える人達は、パラグラフを単位にしてものを考えています。従って、例えば、本を書く時でも、「この問題に関して、私は、五十パラグラフあれば書けます」、「八十パラグラフ必要です」、「一日に五パラグラフは書けますから、五十パラグラフの場合は十日あれば書けます」、「三パラグラフしか書けないから、これは一カ月かかります」というように考えます。一つのものの考え方、思考の単位は、センテンスではなく、もちろん単語ではなく、パラグラフであるということを、私達は、現在もまだよく理解していません。

言葉は、元来、知識を与え、知識を伝えるものですが、知識よりさらに上のレベル、ものの考え方や思考が伝わってくるのは、パラグラフの次元に入ってからです。私達が外国の文学や文化を勉強しても、本当のことを理解出来ないでいるのは、パラグラフという次元に到達する前に、思考を停止してしまうためです。

単語やセンテンスは知識によって理解できますが、パラグラフは考え方の問題です。これは、文法でも論理学でもなく、一種の心理学のようなものです。まず、一番大事なことを抽象的に言って、次は具体的に言って、また抽象的なことに戻るというようなことは、日本人は殆どしたことがありません。だから、外国の本を読んでも、話を聞いても、「抽象・具体・抽象」という三層構造の考え方で話されたものの意味は、よく分かりません。

入試のテクニック

これを端的に示すのは、入学試験の英語の問題です。英文和訳の問題では、大体、独立したパラグラフが出ます。これだと、前と後ろのパラグラフを読まなくても、そのパラグラフだけで完結した意味になるからです。入学試験でパラグラフを崩すような出題をするのは、英語がよほど分からない先生で、普通はパラグラフを問題とします。

日本人はそのはじめの抽象的思考に慣れていないので、受験生は、最初の三行ぐらいのところがよく分かりません。しかし、実は、パラグラフの真ん中にある具体例は、ストーリー的で、過去形が使ってあって、よく分かります。

「最初の三行が分からなければ真ん中は分からない」と思い、最初の何行かを一所懸命考えます。そして、時間がなくなると諦めてしまいます。あとで答案を見ると、痛ましくも鉛筆で行ったり来たりした痕跡が残っています。

そんなことをする前に、まず、一応ずらっと最後まで読むと、おぼろげながらパラグラフのまとまりが見えてきます。一回で分からなければ、二回、三回読みます。すると、最初の抽象的な部分が困難でも、真ん中の具体例はよく分かります。そこで、最初にパラグラフの真ん中を読んで理解し、次にパラグラフ冒頭に行き、最後にパラグラフ後半に行けば、何でもなく分かります。三部はさきにも述べたように同心円になっていることが多いのです。

ところが、日本語と同じように、「最初が一番易しくて入り易く、最初が分からなければ、あとは分からない」と思います。そのために英語の試験で失敗した人が夥しくいるはずです。

ヒアリングにおいても、パラグラフは大事

パラグラフとは、ものを書く人の文体(スタイル)、個性、思考の特性も表しています。「抽象の部分が短いか、長いか」「最後の結論の抽象を省くか、非常に沢山書くか」ということは、個人差があり、これによって文章が面白いかどうかも違ってきます。

私達が、現在まで百年、そういうことを考えずに外国の文物を理解してきたということは、大変痛ましいことで、「どうして、もう少し早く、パラグラフの意味が大事だということを悟らなかったか」と、悔やまれます。

現在は、文章を読むより、むしろ話す方に関心が行っています。なるべく早く外国語を耳から聞かせて話せるようにすることに関心が集まり、小学校で英語を教えることになりました。この場合でも、やはりパラグラフの単位が大事です。

多くの日本人は、外国人との日常会話にはあまり苦労しなくなりました。しかし、ある種の主張や考え方を持ったスピーチを聞くと、二十分位聞くと分からなくなりがちです。私達は一文一文に注意を払い、逐一理解しようとしますが、本当はその必要はありません。多少分からない箇所があっても、パラグラフの意味が取れれば、相手の言っていることは十分分かるし、時には非常に面白いと思うことも出来ます。

単語は一つの知識の単位です。センテンスは文法です。一方、パラグラフがあるからこそ話にしっかりしたまとまりが生じるので、パラグラフは一種の論理と思考です。「単語とセンテンスの言葉の世界」と、「パラグラフの言葉の世界」は、大きく違うはずです。

外国語理解は、名詞中心ではなく、動詞中心で

私達は明治から外国語を学び、外国の知識を習得してきたつもりでいますが、「パラグラフ以前の、単語とセンテンスのレベルの知識を習得した」に過ぎません。

確かにかなりの成果は上げました。例えば、中国と比べると、中国人は単語の翻訳に成功せず、明治の日本人が考えた漢字の造語を、数百に及んで輸入しました。日本の単語の訳語が非常に優れていたと言えますが、外国語の学習は名詞中心でした。

しかし、外国人の考え方を理解する上で本当に着目すべきは、パラグラフです。そして動詞こそ、「抽象的な箇所では現在形」「具体的な箇所では大体過去形」というように場面によって形を変え、パラグラフの中で重要な役割を果たしています。

私達は歴史的にパラグラフを持たず、重要性も理解しなかったために、「動詞によって、ものの考え方や見方の判断が出来る」ということに思い至らなかったのです。残念なことです。

私達が外国語を読んだり聞いたりして相当勉強しているつもりでも、ジョークなどをなかなか分からないのも、パラグラフの中にある動詞を中心とした面白さが分からないからです。ジョークを考える際、小さなパラグラフにおける言葉の面白さは、文法的な意味ではなく、前後関係で持っている言葉の働きです。私達は、パラグラフを十分考慮しなかったために、外国人の笑いを笑うことが出来ません。アメリカやヨーロッパの人達の笑いが本当に分かるようになるのにも、パラグラフの理解が必要なのです。

「国語」ではない「日本語」を創出する

私達は今、岐路に立たされています。今までのように、「外国語の単語、翻訳されたセンテンス」というレベルで判断したり考えたりしても、所詮は借り物です。「今までと同じやり方では、新しいことを考えついたり、自分の考え方を表現したり出来ない」と、反省しなければなりません。

私達が日本の言葉を「日本語」と呼び出したのは、今から四十年ほど前です。それまでは「国語」でした。今やそれが波及して、「国語」という言葉の影がだんだん薄くなりました。小学校や中学校では、依然として「国語」と呼んでいますが、いずれ「日本語」になると思います。

一つには、日本の言葉を勉強したい外国人が増えてきたからです。「国語」とは、自分の国の言葉のことですが、どこの国の言葉もその国の人には「国語」です。それを、日本の言葉だけ指して「国語」と称するのは不適切だ、と気づいたのです。

しかし、「国語と日本語はどこが違うのか」についてはなおほとんど関心を持たず、無自覚なままです。国語審議会でも十分検討されず、「単語をどうするか」「文字をどうするか」ばかり問題にしています。

「国語」を「日本語」と捉え直したのは、大きな変化でした。これによって、ある種の独立性を持ちました。今までのように翻訳中心の言葉ではなく、一つの民族社会の独立の言語体系があるということを、「日本語」という名前によってはっきりさせたのです。

私達は、この流れをはっきり自覚し、日本の言葉を、「新しいことを発見したり主張したり、新しいものの考え方を表現したり、面白いことを言ったりすることの出来る言葉」にしていかなければなりません。

過渡期の今、私達は、日本語の文章では、相変わらず、小説が一番面白いと思っています。小説は、現在も外国語の影響を受けることが最も少ない日本語で書かれています。だから分かり易いです。

一方、翻訳言葉では、最小限の文法的・論理的意味は伝わりますが、ものの考え方や感じ方を含めて、あまり面白くありません。また、論文は、大体においてヨーロッパ的論理を持った段落の意味を中心にして書かれているので、面白くなりません。

私達は、ここで新しい言葉を生み出さなければなりません。そして、「その言葉を用いれば、ものを知ったり覚えたりするだけでなく、自分の考え方や判断などを的確に示すことが出来、面白く論じることが出来る」ことを実現する必要があります。

イギリス・ロイヤルアカデミーの英語改造

これは一種の革命的変化になりますのでたいへん難しいのですが、先例があります。今から三百年前、十七世紀の終わりのイギリスです。イギリスも、日本と同じように島国なので、大陸から入ってきた先進文化を理解するのに大変苦労しました。そして、イギリス人の考え方、イギリス人の納得のいく言語表現がうまく出来ませんでした。

その時、「ロイヤルアカデミー」という「学士会」に非常に似た組織の中心人物だったトーマス・スプラットという人が、「今のイギリスの英語は、十分に我々の新しい考えをうまく表現出来ない。これでは文化を生み出すには、新しい英語を作らなければいけない。少なくとも学者や知的な人間は、今までのような情緒と感覚を中心にした曖昧模糊たる表現をすてて、明晰で論理的で分かり易く面白いことの言える言葉を作らなければいけない。そういう英語に」と提唱しました。

これは社会的に大きな反響があり、英語の散文は、それまでの詩的、文学的な表現を有り難がる言葉から、一種の科学的・論理的・思考的な言語に大きく変わりました。

それ以降、イギリスから科学者が続出しました。ニュートンもその影響を受けたと言われています。イギリスがヨーロッパの文化国家として後進国ではなくなったのは、ロイヤルアカデミーによる英語改良のおかげによると言えます。

新しい日本語を担うものとしての、エッセイ

今、私達は、新しい日本語、新しい言葉、そして、(詩や小説も結構ですが)、新しい面白い散文形式の日本語を求めています。

このことについて考えをめぐらす時、私は、小説に取って代わって徐々に読者を獲得しつつあるエッセイに注目したいと思います。エッセイは、新しいものの考え方を含んだ文章表現で、エッセイが広まるということは知的にも望ましいことだと思います。

寺田寅彦が大正から昭和にかけて書いたエッセイは、新しい日本語の方向を最も示すものとして、非常に注目されます。物理学者だったために可能だったのかもしれません。文化を生み出す力があり、真似をするだけではなく、新しいものを生み出す思考性のある言語を作っていくには、当面、科学者の力によるところが大きいと思います。

私はもう年を取っていて、先のことを言う資格はありませんが、これからの社会が新しい日本語を確立することが出来れば、文化的に世界からしっかりと独立した存在であることが出来ると思います。そういうものがはっきりしないと、日本人のアイデンティティは確立せず、閉塞から没落になる恐れがあります。そういう意味で、新しい日本語、新しい散文が生まれることを期待します。

昔、私が非常に感心したのは、瀧澤敬一の『フランス通信』というエッセイです。昭和七年に『フランス通信第一』の連載が始まりました(初出・『學士會月報』昭和七年四月号)。これは素晴らしい散文で、寺田寅彦とは違う意味で、知的散文の模範になるものです。これは、『第十』ぐらいまで続いた、大きな影響力のあった本です。

今後、私達が新しい文章形式と新しい言語を創造することが出来れば、おそらく、世界に遅れを取ることはないでしょう。それを怠り、今までのように先進文化の真似をしているのでは、前を行く文化がだんだん減り、模倣しても十分な成果が上がらなくなります。

自立した文化を創るには、新しい知的な言語を創ることが必要です。それには、一人の人ではなく、多くの人がそういう関心を共有することです。散文は、考える時の基本だということを認識する必要があるでしょう。

今までの言葉は知識が中心で、思考は影が薄かったのですが、知識と思考が一緒になって出来るエッセイは、知識と思考がかなりの部分で調和・融合しているので、将来の日本の言葉をリードしていく最も有望なジャンルです。

「エッセイ」という言葉が一般に普及するようになって、まだ二十年ぐらいしか経っていませんが、従来の随筆とは違った新しい日本語の散文が、エッセイには込められています。そういう意味で、私は、エッセイがもっと栄えることを期待します。そして、日本語を他の国の言葉に負けない思考性と創造性を持った言葉にしたいと考えています。これで私の話を終わります。

ご清聴、ありがとうございました。

(お茶の水女子大学名誉教授・東京文理科大・文・昭22)
(本稿は平成22年3月23日午餐会における講演の要旨であります)