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高速鉄道システムの海外輸出について 葛西 敬之 No.880(平成22年1月)

高速鉄道システムの海外輸出について
葛西 敬之
(東海旅客鉄道㈱代表取締役会長)

No.880(平成22年1月)号

国鉄が分割民営化されて二三年目を迎えた昨年の七月、当社は東海道新幹線の技術の海外輸出を専門に担当する海外高速鉄道プロジェクトC&C(Consulting & Coordination)事業室を発足させた。海外の高速鉄道の建設・保有主体の要請を受けて基盤構造物、軌道、信号設備、車両、運行管理、修繕保守などを含めたトータルシステムのマスタープランを提案し、経済性・収支採算性を試算することから始まり、建設が具体化した段階では日本の関連企業を束ねてプロジェクト全体の工程管理を行うほか、運転・保守など各種マニュアルの提供、要員の教育・訓練など、高速鉄道が安全・安定的に運行されるまでの支援とコンサルティングを企画・推進する部門である。それは当社が創業期を終え、第二期の発展段階に入ったことを象徴するいわば必然的な一歩であった。

 

国鉄時代を通じて東海道新幹線はその高い収益を自らの進歩・改良に注ぐことなく、専ら国鉄のほとんどの路線が生み出す膨大な赤字への内部補助に充当してきた。国鉄の分割民営化により東海道新幹線の持続的経営を使命として引き継いだ当社は、山陽、東北・上越新幹線など完全な意味での採算路線とは言えない新幹線の建設費の約二分の一に当たる二・六兆円の債務を肩代わりするという少なからぬ負荷を背負ってスタートしたが、国鉄時代の様に底なしの泥沼に足を取られることがなくなり、遅ればせながら東海道新幹線の近代化と体力強化を経営の最優先課題の―つに掲げ、基盤構造物、軌道、電力設備、信号設備、運行管理システム、車両などすべての分野で技術開発や近代化を含めた維持・強化に取り組んできた。運行速度を従来の時速二二〇kmから時速二七〇kmに向上させるために、時速二七〇kmの三〇〇系、時速二八五kmの七〇〇系、時速三〇〇kmのN七〇〇系を矢継ぎ早に開発投入したのが好例である。国鉄から引き継いだ車両は二〇〇三年までにはすべて三〇〇系、七〇〇系電車により淘汰され、今や当社発足後に開発投入された三〇〇系、七〇〇系も急速にN七〇〇系に置き換えられる過程にある。

かく飛躍・変貌を遂げた東海道新幹線のこれからの課題は、行くべきところまで行き着いた新幹線システムを一層磨き上げることになるだろう。

日本の高速鉄道関連の製造業は、国鉄の分割民営化からこれまで東海道新幹線の技術開発にけん引されて進化し、新技術の普及が生みだす新規需要により活況を呈してきた。東海道新幹線の技術的成熟はこのフロンティアが今後は期待できなくなることを意味する。ここに高速鉄道技術を海外展開することの必然性が生まれる。

 

東海道新幹線が開業以来四五年間にわたって打ち立ててきた列車事故による死傷ゼロという完璧な安全記録をこれからも日々積み重ね、永遠に続けていくためには、社員の旺盛な士気、厳正な規律、高度の技術・技能という人的な要素と同時に、あらゆる分野での設備・機器類の信頼性を維持・向上することが不可欠である。そのためには日本の鉄道関連製造業の受注規模を確保し、その活力を温存しなければならない。その意味で海外市場にフロンティアを求めることは東海道新幹線の旅客の安全を守るための自衛的施策としても重要である。

幸いにして地球温暖化ガスの削減に集まる高い関心を反映し、省エネルギー性に優れる高速鉄道は世界的に関心を高めており、追い風を受けての試みとなるだろう。ちなみに当社の最新車両であるN七〇〇系の旅客一人当たりのCO2排出量は、国鉄時代の〇系車両に比べて二分の一、ボーイング七七七の―二分一、自家用車の一五分の一であり、まさに比類なく高い省エネルギー性を誇る。

また国鉄の分割民営化に伴い、技術開発の主体である当社と製造業者の関係も変化を求められるに至った。国鉄時代には国鉄の技術者の着想と国鉄の資金により開発された技術は製造受注者である各製造業者に自動的に移転され、彼らはそれを製品化して私鉄に売り、海外諸国の発注に応札し利益を上げることが当然とされてきた。しかし、民営化された当社が投下した技術開発費の知的所有権は当社の株主に帰属すべきものであり、経営者はそれを自ら活用して安全・安定輸送の確保、快適なサービスを実現するだけでなく、製造業者が他に売却する場合はそこからも何らかの形で投資を回収する努力が求められる。

この二つの条件変化に対応するために、当社としても保有する高速鉄道技術の海外輸出に積極的に取り組む決意をするに至ったのである。当社のユニークさは高速鉄道のトータルシステムの保有者であり、運営者であり、ダイナミックなイノベーターでもあるという点にある。従って高速鉄道の輸出における当社の役割はトータルシステムの供給者であり、関連製造業の統合者でなければならない。

その観点に立っていくつかの留意点を述べてみたい。

まずは何を輸出するかを明確に掲げる必要がある。日本の新幹線の技術というだけでは仕様、性能、経済性など、買い手が求める諸元についての説明、訴求が具体性を欠き、説得力が弱い。従って今回海外高速鉄道プロジェクトC&C事業室を発足させるにあたり、当社はN七〇〇-I Bulletと超電導磁気浮上式鉄道(SCMAGLEV)のトータルシステムを商品として掲げることに決したのである。世界で唯一、当社だけが保有するSCMAGLEV技術については後に附言することとし、ここではフランスのTGVやドイツのICEなど国際的に競争相手があり、当社自身も台湾新幹線など、不完全ながら経験のある東海道新幹線のN七〇〇-Iシステムを俎上に話を進めることにする。

N七〇〇系は東海道新幹線の限りなく完成形に近い最新最高の車両である。早晩、東海道新幹線の車両は全てN七〇〇系に統一され、時速三〇〇km運転を完成目標として磨きをかける段階に入るだろう。従って当社が海外市場に問うべきは当然N七〇〇系のトータルシステムであることは言を待たない。

 

N七〇〇-Iはその輸出仕様である。N七〇〇系との間に基本的相違はないが、八両編成を標準とし、巡航速度はその本来の性能である時速三三〇kmとする。これがInternational、すなわち国際仕様の意味である。

東海道新幹線ではあらゆる列車を一六両の固定編成とし、すべての車種について各号車ごとの長さ、座席数、ドアの位置を統一し、各車種の走行性能に拘わらず時速二七〇kmで運行している。かくして究極の互換性、効率性が実現されているのだが、それは大量・均等な旅客流動が存在する東京~大阪間で初めて可能な理想形である。東海道新幹線の列車がすべて一六両編成で長さ四〇〇メートルであるのに対し、フランスのTGV、ドイツのICEはいずれも一〇両編成、二〇〇メートルを編成の固定的単位としている。海外市場における需要の規模を考えると、当社が提示するN七〇〇-Iシステムも二〇〇メートルを標準とする方が現実的であり、かつフランス、ドイツとの比較をする際にも優位性が一層鮮やかに顕示できる。

一列車二〇〇mの座席数はN七〇〇-Iで六四〇席、TGVは三六〇席、ICEで四一〇席であり、しかも一座席当たりの面積、座席間隔ともにN七〇〇-Iは競争相手を上回っている。これは主としてフランス、ドイツが列車の両端に配置した機関車による動力集中方式を採っているため、その分だけ旅客座席空間が狭められることによる。加えて一座席当たりの重量、エネルギー消費量は勿論、加減速性能の面でもN七〇〇-Iの優位性は顕著である。さらに、動力が各車に均等に分散化されている動力分散方式のメリットはそれが運行される路線の需要量に応じて、性能・効率性に変化を生ずることなしに標準編成長を変え得る弾力性にある。編成長が六両から一六両程度まで何両であってもその性能は標準である八両編成と変わらない。動力が機関車に集中している動力集中方式の場合は小刻みな対応は不可能であり、需要が少ないため一〇両編成を短くし、仮に八両とする場合、出力面の無駄を承知で機関車二両と客車六両を連結するといったやり方をせざるを得ない。

 

欧州の在来鉄道のほとんどは一九世紀に膨大な国費を投じて建設された貴重なインフラネットワークであり、ヨーロッパで新たに建設される高速鉄道はこの在来鉄道網との直通運転によるネットワーク化を前提とした仕様となっている。在来線に乗り入れれば高速列車は平面交差の踏切に進入してくるトラックに注意を払い、重厚長大の貨物列車、機関車けん引方式の旅客列車などの間を縫って運行するしかない。かかる条件下での安全性確保のためには、重くて頑丈な機関車が前後を固めて衝突に備えなければならない。信号システムも高速専用区間、在来区間の異なるシステムに対応するデュアルモードが必要となる。フランス、ドイツの高速鉄道は純粋な高速鉄道の効率性、安全性を犠牲にして新旧混合ネットワークとしての最適化を図っているのである。この点で日本の新幹線の場合は在来線が狭軌であったため、東海道新幹線は高速旅客列車専用の標準軌で建設された。何ものの侵入をも許さない専用軌道だからこそ、全列車の運行を中央指令で集中管理するとともに、運行の自動制御システムにより完璧な安全を機械的に担保し、軽量で高性能の列車を高速、高頻度で運行しながら比類の無い安全性、安定性、正確性、利便性、快適性、高速性、効率性を実証してきた。

輸出を考える場合も、このユニークなシステムをそのまま適用し得る条件を備えている地域を対象にする必要がある。基礎構造物、軌道、信号システム、車両、運行管理、保守などすべてがN七〇〇-Iシステムと同一であれば、同じマニュアルを供与して同じ訓練を行うことにより、日本と同じレベルの安全性と高度のサービスが約束されるからだ。

 

どこを輸出市場と考えるか。

様々な先端技術の集合体である巨大インフラシステムを輸出するからには知的所有権が確立し、契約の尊厳が社会通念として定着し、法制度のインフラが完備し、政情が安定している国で、しかも巨大なインフラ投資をする経済力を保有する国でなければならない。このような条件を備えるのは現時点ではアメリカ以外にない。

アメリカの既存の鉄道会社は自らインフラを保有し、貨物輸送に特化して十分採算性を持った経営を行っている。路線網も長距離貨物輸送の必要性を反映したもので高速旅客輸送を考えたものではない。旅客輸送公社であるAMTRAKは政府の補助のもとにコミューター輸送に利用できる一部区間を借用しているにとどまる。

またアメリカの旅客輸送は、その国土の広大さを考えれば乗用車による地域内輸送と航空機による長距離都市間輸送の組み合わせが基本となることは言を待たない。従って、高速鉄道はたとえば北東回廊地域(ボストン~ワシントンD.C間)のように人口が稠密な中距離都市間輸送分野での補完的・代替的な輸送手段に特化したものとなり、そのためには貨物線の借用ではなく、旅客専用の新線を建設することが必要となる。

当社はアメリカのパートナーとともに、このような条件に適った地域に高速鉄道を建設する働きかけを強化していこうと思う。

 

どのように進めるか。

高速鉄道の経済性を決するのは輸送密度である。現在世界で数多くの高速鉄道が運行されているが、その中でインフラの建設・保有費をも含めた採算性を支えるに足る輸送密度を有しているのはただ一つ、東京~大阪間を結ぶ東海道新幹線のみであり、それ以外の路線はインフラ建設・保有の全部または一部負担を公共的資金に依存している。アメリカの旅客輸送需要を考えると高速道路と同じように、インフラは政府の負担で建設・保有し、列車運行は民間の会社ないしは官民共同の企業体が行うという役割分担形式が最も可能性が高い建設・保有・運営の形態であろう。すなわち、何らかの形で連邦・州政府の関与が不可欠となる。とすればアメリカ政府の意思決定メカニズムに通暁し、官民に幅広い人的なネットワークを持つアメリカのパートナーと提携し、一体となって計画の売り込みを行なうことが有利である。当社としてはアメリカのパートナーが持つ推進力と当社の持つトータルシステムの統合能力を合弁事業という形で組み合わせ、受注を目指す日本企業のオーガナイザーとして役割を果たそうと考える。ただしこれらは自ら建設・保有・運営の主体にはならないことが前提である。

 

最後に国鉄の分割民営化後二二年間、当社が開発に取り組み、実用化に成功したSCMAGLEV技術の輸出について附言しておく。

SCMAGLEVは東京~大阪間を時速五〇〇km、約一時間で結ぶ究極の高速鉄道である。国鉄時代は技術研究所で細々と実験が続けられてきたが、民営化後、将来中央新幹線が建設された際には当社が東海道新幹線と一元的に経営すべきであるという公式文書に基づく政府の要請により、中央新幹線の一部となる山梨県下の一八・四kmに当社の負担でリニア実験線を建設し、一〇年余にわたる弛みない走行試験と開発を進めてきた。その結果、昨年(二〇〇九年)七月には「超電導磁気浮上式鉄道実用技術評価委員会」において、「営業線に必要となる技術が網羅的、体系的に整備され、今後詳細な営業線仕様や技術基準等の策定を具体的に進めることが可能となった」との判定を受けるに至った。

現在、一八・四kmの山梨リニア実験線を四二・八kmに延伸し、併せてこれまでの開発成果を充当し、完全な実用線仕様とする工事が進んでいる。この実用線四二・八kmの完成後は、それとシームレスな形で超電導リニアによる中央新幹線の工事が進捗することが望ましく、現在、全国新幹線鉄道整備法による中央新幹線建設の手続きが進行中である。順調に行けば東海道新幹線のバイパスとして二〇二五年までに東京~名古屋間が完成することになる。

現在進行中の実用線四二・八kmの延伸工事と雁行的にアメリカでも同程度の長さの空港アクセス路線を建設することは可能であり、規模の利益による機材の製造コストの低減も魅力的である。SCMAGLEVは日本では東海道新幹線と一体になって東京~大阪間の高密度・高速旅客流動を担う使命を帯びているが、アメリカのような巨大な国土においては航空輸送に代わる交通手段としてではなく、空港アクセス時間を短縮し、トータルとしての所要時間短縮を狙う方が現実的であると思う。

 

以上思いつくままに述べてきたが、この計画が進展することにより二一世紀の日本の安全保障、経済的安定にとって死活的に重要な日米同盟を、経済・産業面の相互補完、協力協調関係で補強することができれば幸いだと思っている。

(東海旅客鉄道㈱代表取締役会長・東大・法・昭38)