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学士会アーカイブス

凛然たる批判的知性の追憶 伊藤 誠  No.878(平成21年9月)

凛然たる批判的知性の追憶
伊藤 誠
(東京大学名誉教授・国士舘大学教授)

No.878(平成21年9月)号

四月一八日に大内力先生が逝去されて、日を追うごとにむしろ追憶と喪失感とが増している。

先生は一九一八年生まれ。ちょうどマルクス生誕後一〇〇年目に生を受けられたことになる。ゼミのコンパの席か、そのことをうれしそうにおっしゃっていた。大内ゼミに参加させていただいたのは、一九五七年四月からで、社会科学研究所の地下の演習室にあの黒ぶちの丸いめがねでさっそうと入ってこられ、すばらしい切れ味でテキストの石渡貞雄『農民分解論』(一九五五)を論評され、宇野三段階論の魅力にひきこまれる思いをした。ノートもなしに話してくださることが、ゼミでも一回ごとに起承転結が明快で、そのまま文章になっている印象であった。

先生は、すでに『日本資本主義の農業問題』(一九四八)、『日本農業の財政学』(一九五〇)、『農業問題』(一九五一)、『農業恐慌』(一九五四)など、日本の農業問題の研究をいっきにひきあげた名著をあいついで上梓されていた。それ以前の多くの研究が、農業問題の基本は、農業内部の土地問題にあり、とくに「封建的」地主制の存続にあるとみていたのにたいし、先生は、ドイツに続く後発的な日本の資本主義の発展の全機構のなかに農業・農民問題を位置づけて解明する新たな試みを展開されたのである。そこには、農業経済学の研究をリードされつつ、日本資本主義の発展と現状、資本主義の世界史的発展段階論やその基礎理論への深い素養と理論的関心が示されていた。たとえば、戦前一九三六年ごろの日本の農産物価格は、C+〇・七三vの(資材の補?費用のほかには労賃相当分に二七%不足する所得しか与えない)水準であったといった分析は、その一端をうかがわせる鮮やかな印象を受けた。

実際、その後の先生のご研究は、『地代と土地所有』(一九五八)、『信用と銀行資本』(一九七八)などの経済学の原理論、現代資本主義論の名作『国家独占資本主義』(一九七〇)、現状分析としての『日本経済論』上下(一九六二-六三)や一三冊におよぶ共著シリーズ『日本資本主義の成立?発展・没落』(一九五四-六九)など、経済学のほとんど全分野にしかも見事な体系性をそなえて展開されてゆき、日本のマルクス経済学の研究をつねにリードする役割を果たしていた。それらの全体は、晩年の主要なおしごととされていた『大内力経済学大系』全八巻(一九八〇-二〇〇九)においていっそう拡充されつつ、結集されている。このような先生のご著作の全体は、日本の社会科学の分野における金字塔として、永く参照され続けるにちがいない。

ことに最近、経済学の研究が各専門領域に細分化され、テーマが断片化される傾向が生じているなかで、先生のおしごとのきわだった総合性と体系性とは、実に貴重なものといえよう。それは、われわれ後続世代の研究の大きな支えともなっている。しかも数多くのご著書のいずれも、先行研究についての批判的点検を学問的準備としてふまえたうえで、難解な問題にムダなく明快な整理・分析が展開されており、すっきりした読後感を与えられる。あるとき、漱石より?外が好きだとおっしゃっていたことも想い起される。父上の兵衛先生のつややかな文体とは味わいが異なるところがあって、小説家の好みもあるいは違っていたのではないか。

兵衛先生のことはめったにうかがったことはないのだが、東大紛争のさなか、加藤一郎総長代行との二人三脚で重責を担われることとなったおり、「親父が珍しく手紙をよこして、自分が人民戦線事件でつかまったのは五一歳の時だった、お前もちょうど五一歳のはずだが、人間はその位の年にはとんでもない責任を負わされることになるものだ、死んでもしかたがないと覚悟してきちんと責任を果たせ、といってきた…。ついでに、決して独断で動くな、あくまで加藤君を立ててそれを助けろ、という添え書きまでしてありました。…やっぱり、もつべきものはいい親だ」と述懐しておられるのは、心にしみる(『埋火』、二〇〇四)。難局に、評議員、学部長、総長代行代理などの職務に選任されたおりに、すっきりとお引き受けになり、過労で風邪から肺炎になりかけているとおっしゃりながら、安田講堂の攻防などの事態収拾に向け、大学と学生の将来を大切に、重責を平静に果たしておられた先生の姿も想いおこしている。

弟子のあいだでは先生に説教されたり叱られた経験はないのではなかろうか。にもかかわらず、怖い先生ということになっていた。それはなにもおっしゃらなくても、学問的に凛とした批判的知性の高さに接するおそろしさとあわせて、都会人のセンスで、弟子にも少し距離をおいておられる感じに由来していたのかもしれない。しかし、遠くから見守り、おりにふれて気配りをいただいているという感じはみな共有し、いわば安心して内心頼りにし続けていたように思う。

先生が終生考究され続けてやまなかった諸問題、たとえば日本の農業と農村の危機、自然環境と人間の再生産自体を危うくする日本資本主義の動態、さらには資本主義市場経済の不安定な自己破壊作用の反復、それらを克服する期待がよせられていた社会主義の現代的危機などが、歴史の重圧として人びとに幾重にも閉塞感を与えつつあるいま、先生の凛然たる批判的知性にお別れしなければならないのは心細いかぎりである。しかし、残されたわれわれは先生のおしごとをたよりにその志をそれぞれにひきつぐ試みを重ねてゆくほかにはない。先生のご安息を祈念しつつ、感謝をこめて。

(東京大学名誉教授・国士舘大学教授・東大・経博・経・昭34)