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未来ヘの投資 ―時代の転換点に何を為すべきか― 出井 伸之 No.876(平成21年5月)

未来ヘの投資 ―時代の転換点に何を為すべきか―
出井 伸之
(クオンタムリープ㈱代表取締役・前ソニー㈱会長兼グループCEO)

No.876(平成21年5月)号

素晴らしい国「日本」

二〇〇五年に発行された『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド著)は上下巻ある難しい本ですが、この中には日本が評されて褒められている箇所がかなりあります。「日本が作り上げた素晴らしい点」について、非常に細かく分析してあります。最近のことだけではなくて、遡って一五〇〇年頃からの日本を見ていますが、日本がミドルサイズの国として、世界でも最も成功した国の一つに位置付けされています。

それは何故か。一つは、日本は森林崩壊を食い止めたということです。多くの国では、文明が発達してくると、森林は禿げ山になってしまいます。日本は「緑の列島」などと言われていますが、ある時期に気付き、しっかりと木を植え替えたところがすごいということです。これは日本としては誇るべきところです。

また、この本では、江戸幕府の鎖国政策を高く評価した分析をしています。あの頃、徳川時代になってから日本は鎖国をするわけですが、それが長く続きます。その間、この本には私など思いも寄らなかったことが書かれているので驚いたのですが、例えば伝染病が日本にあまり入って来なかった。それから、宗教の流入を拒んだことによる帝国主義の侵略があの時代はなかったことが、大きな成功要因として書かれてあります。

さらに、徳川幕府はトップ・ダウンで土地の改良、森の改良を大々的に行っていますが、それにも高い評価を与えています。調査がよく行き届いていて、森林の現状把握も台帳、帳簿を作って管理していました。徳川末期に至る日本の国の治め方は、ボトム・アップ、トップ・ダウンというような群雄割拠の時代から、天皇陛下が京都にいて、将軍が江戸にいるという二つのうまいシンボルとパワーがあって、日本は奇跡の成長をしたと評価されています。「そういうふうに見られるのだな」と、改めて私は日本の昔の方々のビジョンを感じることができました。日本という国は、世界からの評価と自分たちの評価に、かなりギャップがあるのではないかと思います。

そういう観点からすると、日本は素晴らしい成功を収めたビジネスモデルを今まで構築してきたのですが、ここに来て私は大きな変換期に来ていると思います。まず『文明崩壊』で褒められているところから入ります。日本は素晴らしい国だと私自身も今でも思っていて、今の状況をポジティブにとらえ、これからさらにこの国をよくしていくという前提に立って、お話したいと思います。

タイガー・ウッズとイチロー

私はソニーで一〇年、変革を進めてきて、よく若手のベンチャーの人などにいろいろなことをお話ししました。企業の変革や国の変革の話の時には、いつもタイガー・ウッズとイチローのことを出しています。要するに、イチローに「ゴルフをやれ」と言ったら、「私は、野球のプロフェッショナルだ」と反対するでしょう。逆にタイガー・ウッズに「野球で食えよ」と言ったら、「冗談じゃない」となると思うのです。やはり企業も一流であればあるほど、自分の仕事、または強さに誇りを持っているから、そう簡単に他のものには移れない。それが普通の企業であって、簡単にフニャフニャ本業が変わるようでは、その企業は一流になっていないと思います。

しかし、技術が変わるとか、マーケットが変化するとか、いろいろなことで変化が要求されるわけです。日本の産業をずっと見ていると、農業から工業に変わっていろいろな産業が出ていますが、例えばカネボウが繊維企業から化粧品メーカーになり、東レも今は紡績というイメージではなくてケミカルの分野で活躍し、双方ともに一流の会社になっています。変革は長い時間軸を要求するわけです。そういう観点から、イチローの子供ならゴルフをやるかもしれないし、タイガー・ウッズの子供であれば野球をやるかもしれない。つまりジェネレーションの変化ですが、そのくらい変革には時間がかかるのです。

ですから、あまり変革を急ぎ過ぎることは、その会社やその国の持っている伝統そのものを壊してしまうのではないかと思います。伝統と革新は永遠に難しいビジネスモデルです。最近、小泉(元首相)批判がずいぶんありますが、負の側面ばかり捉えていると間違いますし、また改革について、そのすべてがよかったと話すのも少しおかしい。私はソニーで一九九五年から二〇〇五年まで社長、会長をしていましたが、その中で徐々に、いろいろな物を加えていったわけです。何かをやめて何かに移ることを「集中と選択」とよく言いますが、なかなか難しい言葉だとつくづく思います。

戦後の成功と変化点

日本の戦後の成功は、一つのミラクルです。戦争で焼け野原になった東京がこれほどまで繁栄した変革が、戦後六十何年、日本のミラクルと言われたわけです。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・F・ヴォーゲル著)など、学ばれるビジネスモデルがたくさん出て来たのが、我々の過ごして来た戦後だと思います。

日本は「戦後」という言葉を使いますが、多くの国は、日本が第二次世界大戦を止めてからも戦争をずっと続けていました。例えば、フランスはいつ戦争を終えたかという定義が難しいくらい常に戦争をしていました。アメリカは今でもイラク戦争をしています。そういう面で、戦後、日本は戦争をせずに、非常に安定した中でやって来れた。けれども、戦争をしなかった反面、軍事的な技術開発はまったく手がけなかったわけです。このため、軍需的な技術の民間への転用がありません。

その転換点が、一九九〇年です。米ソ冷戦が終わった後、アメリカの一極の時代を迎え、資本主義と民主主義がペアになった。この時、アメリカでは軍事予算が非常に減ったのでエンジニアが民間の企業に大量に移りました。それで、軍需的に使っていた技術を世界に開放したわけです。その代表的なものがインターネットです。これは一九九五年に商用化されています。それから車に付いているナビゲーション・システム、GPSです。これも、もともとサテライトから爆弾を落とす位置を認知するものでした。

二〇世紀は産業革命、大量生産の時代。規格品を大量に作ることで日本が独り勝ちでした。その後、ネットワーク、通信がほとんど無料になりました。また、現在は破裂して動きが止まってしまっていますが、金融産業が一九九〇年から出てきました。NASAのエンジニアの人達がやっていた非常に難しい金融工学が金融を大きく発展させ、ほとんどアメリカは独り勝ちとなったわけです。その頃、日本はちょうど「失われた一〇年」と言われる不況に入り、それと同時にアメリカのIT産業、金融産業が隆盛を極め、ここで日本は完全に置いて行かれる形になります。

私の働いていたソニーは、一九四六年に井深(大)・盛田(昭夫)がつくった企業です。その時は音と絵、民生品としてのオーディオとビデオの技術で勝負するところから始めたわけです。私が一九九五年に社長になってから、コンピュータやネットワーク、携帯電話の新しい物を加えていきました。その中でも携帯電話は日本独自の技術で戦っていた、というよりも通信の規格の覇権争いが重要だったのですが、そこで日本は規格を取り損ねてしまったと言わざるを得ません。

極の変遷と文明の衝突

アメリカの極の話に戻りますと、アメリカとソビエトの二極時代から、一九九〇年~二〇〇一年頃まではアメリカの一極時代、民主主義と資本主義が圧勝した時代になったと思います。ところが、この頃にフランスの学者が既に『資本主義対資本主義』(ミシェル・アルベール著)という本を書いています。資本主義をよく見ると、アメリカ的資本主義とヨーロッパ的資本主義とはまったく違うのではないか、といったことを書いています。また、日本はドイツと一緒に「アルペン資本主義」などと書かれています。USの一極主義の中でも資本主義は多様な発達をしています。

現在を見てみると、まずヨーロッパ諸国の連合体のEU、そしてアメリカという巨大帝国があります。それと、アジアの新興国や中東諸国、中南米諸国が徐々に存在感を高めています。一五世紀に都市国家が栄えたように、ドバイ、香港、マカオなどインフラを持っていない小さな地域、いわゆる都市国家が非常に元気になっています。これは、やはり金融と通信の発達のお蔭だと思います。ですから、いま見ると非常に多極の時代になっていて、これはアメリカ一極の時代とまったく違う構成になっています。

これを別のカテゴリーに分けます。成熟が下で、上が成長するところ、そして右が中小国で、左が巨大帝国とします。巨大帝国には中国、インド、ブラジル、ロシア。これらはみな軍事費を大きく伸ばしていて、非常に大国の覇権が強くなっています。インドや中国がますます大きくなったらどういう国になるのだろうか、という恐れを持っている国もあると思います。

この図式で言えば、日本は、ドイツ、イタリア、フランスといったあまり大きくなくて成熟している国のカテゴリーに入ります。アジアの新興諸国、イスラム諸国、中南米諸国などは中くらいの規模で現在成長過程にあるカテゴリーに入るでしょう。日本の周りを見渡すと周辺に仲間がたくさんいるように見えますが、独、伊、仏などの国々はEUに併合されていますので、大きな国の方へ行ってしまいます。すると、日本のような中くらいで成熟国というのは世界にあまり存在しないのです。どこと話したら良いだろうかと、つまり国のカテゴリー的に言えば、非常に孤立した状態になりかけていると私は思います。

もう一つ孤立しているのはアメリカです。オバマ大統領が誕生して、その支持は熱狂的です。それだけの危機感がアメリカにあるのだと思います。そのポイントは、イラクに対する民主化活動が効かなかった。それと、今のイラク戦争で、民族の文明の衝突がイスラム圏対アメリカのように非常にクリアになってしまったということでしょう。

最近亡くなりましたハンチントン氏の『文明の衝突』で文明が孤立し、ぶつかり合うという見通しが一九九〇年代に既に書かれています。これはとても厚い本で、この中の日本に関係する部分だけで『文明の衝突と二一世紀の日本』という新書になっています。これは、世界を大きく八つの文明圏に分け、そこにある中核の国がどう歩んでいくかということが、先見の明をもって書かれている本です。八つの文明のカテゴリーの中に、日本は―つの文明国として「日本文明」としっかりと認められています。その他、中国文化圏やロシアの文化圏、アメリカなどに分かれています。いまイスラエルとパレスチナの問題など、第二次世界大戦後に人工的に引かれた国境の紛争が各地で起こっています。これらについて、『文明の衝突』の中では、我々のいる日本の重要性が非常に高くなると述べられています。

戦後につくられたWTO(世界貿易機関)や国連といった世界的な機関が、最近あまり活躍できなくなっています。世界の貿易は自由化の是非を巡って先進国対新興国の間で衝突し、なかなか先に進みません。これは二〇〇三年か二〇〇四年頃に世界的に新興国全体のGDPが先進国全体のGDPを上回ったことが大きく影響しています。経済圏的にも、新興国は大変強くなりました。

世界の中の日本のポジション

産業革命以前、一七〇〇年のGDPを見ると、世界で一番強いのはインドと中国です。この両国でもう六五%。一七〇〇年には世界の富は二分されていたわけで、日本はそれでも六%くらいだったのですが、日本の人口はその頃、今よりずっと少なかったと思います。それが、二〇二〇年頃どうなるか。中国、アジア、インドなどを足したアジア圏が、アメリカ、EUと比べても大きくなります。

ですから、その先の日本を考えてみると、日本のポジションは非常に難しいところに来ています。戦後の日本は、アメリカ寄りの政策をピッタリやって成長してきました。日米安全保障条約の下に日本があって、結局アメリカから見ると、軍隊を持ってない、アメリカに良く追従してくれる国ということです。

二〇年ほど前は、日米貿易紛争花盛りだったと思います。しかし、今は日米の貿易摩擦はまったくなくなり、日米財界人会議などに出ると、中国の問題を一緒になって話したりします。二国間の問題がなくなったのは本当に良いことなのか、日本のパワーがなくなったのか、その辺の判断が難しいところです。

日本のポジションですが、日本の将来の選択肢としては、まずアメリカともっと仲良くするという選択肢があります。仮にアメリカが孤立していると考えると、おそらく日本に対する関係をもっと良くする方向へ動くでしょう。少なくともオバマ政権の初めの頃は、日本に対して仲良くやっていこうという態度が強いはずです。

ところが、中国がアメリカに対してドルで非常に大きな投資をして莫大な損失を出しています。多額のアメリカ国債を持っているし、例えば住宅のフレディーマックやファニーメイなどいろいろありますが、そういうものに対して債権も持っています。本当は中国とアメリカの間は、お金で結ばれた強い関係が背後にあるのです。その間で、日本は二つ目の選択肢として、中国寄りになる、というのがあります。そして三番目は、日本が独自路線を築いていくことです。

ハンチントン氏の分析によると、日本はアメリカに引きずられながらも、究極的には中国寄りになるだろうと書かれています。「日本は一番強い時のイギリスと組んだ。その次は、一番強いアメリカと組んだ。だいたい日本は一番強いところと組むのが好きだから、次は中国だ」と簡単に書かれているのですが、一筋縄ではいかないと、私は感じています。日本と中国は似ているかというと、似ているように見えます。漢字を中国から日本が教わったとか、いろいろな理由がありますが、似ているからといって簡単に日本が従属関係になるとか、戦略提携をするということは、私はなかなか難しいと思っています。

今後の日本は、中国の後ろにインドもあり、アジアの中での規模で占める位置付けはますます小さなものになります。その中で、アメリカとの連携を深めるのか、独自のラインを出すのか。私は明治維新以来初めて、日本が「ポジションをはっきりしなければいけない」時に来ていると考えています。アジアの、例えばフィリピンやベトナムなどの国から見れば、「日本はどの方向に行くのか。我々の味方なのか」と問われてしまうでしょう。大きく考えると、日本はアジアの中で一国だけヨーロッパにある成熟国のような国ですが、アジアの人達は「日本はアジアの中を見てない」、「日本だけ特殊だ」と見ている部分があることを忘れてはいけません。日本人もアジアの人々には「俺達の方が先に進んだ国だぞ」という意識があり、上から目線になりやすい。今後、アジアと日本がどのように競争しながら共生をしていくか、非常に難しい問題になってきます。

日本のビジョン

では日本は、どういう方向に進んでいくべきなのか。最近、例えばソニーの調子が悪いとか、トヨタが前年までものすごい利益を出していたのが急に赤字になったとか、新聞紙面がにぎやかになっています。産業構造は、農業があって工業になって、工業からサービス業へという構造があります。今、農業はその活性化が叫ばれていますが、なかなかこれまでの連続線上の産業から抜け出せていない状況です。

そういう意味で、二〇世紀モデルから二一世紀のそれに向けて、「日本は将来どんな国になりたいのか」というビジョンが問われています。ビジョンがはっきりすれば、外とコミュニケートできると思うのです。

私はソニーを出てから、アジアの中の日本、それからイノベーションについて考えています。クオンタムリープという会社をつくりましたが、クオンタムリープは量子力学の言葉で「非連続の跳躍」とか「量子的な跳躍をする」という意味です。いま大きく跳躍することが必要だと感じておりまして、特にそれは何から起こるかというと、産業構造の変換とアジアとの共生だと思うのです。

そうしたことから、私はフォーラムを福岡で開いています。福岡に行ってみると、思っている以上にアジアと近いのです。韓国との関係で言えば、今はウォン安ですから厳しい状況ですが、九州は以前から韓国の人達の観光で温泉も賑わっています。福岡にアジアから人を呼んで来て、ベンチャーと大企業を掛け合わせて、技術の移転などをする「アジア・イノベーション・イニシアティブ」というフォーラムを一昨年と昨年の二回開催しました。昨年は幸い一三の国と地域から、三〇〇人程が集まって、例えばアジアのエネルギー問題、アジアの中の資本市場といったことを話しました。今年はこれを東京で行います。若手の人達とシニアの人達を交流させなければならないし、産業資本と金融を掛け合わさなければいけない。このような形で、日本のアジアヘの協力関係を少しでも前へ進めたいと思っています。

二〇世紀型の整理と二一世紀型の準備

世界経済が不況だとか、「派遣切り」が問題だなどという議論がありますが、本質的な問題は、やはり日本の競争力が衰えていることです。ここを何とかしなければいけません。私は、いろいろな会社の方にお会いしていつも申し上げているのですが、まず緊急の課題は「今をどう生き残るか」ということです。企業が人を減らすことは、残念ながら避けて通ることはできません。二〇世紀に勝ってきたビジネスモデルは、どうしても整理の必要があります。これは、日本という国も同じです。日本は、一番高度で華やかだった時に、大変大きな官僚システムをつくってしまった。こういう大変重い日本をどうしていくかということが、二〇世紀型ビジネスの整理「…X.Y.Z.」です。しかし、経営者がこれだけやっていては意味がなくて、二一世紀型ビジネスの準備「A.B.C.…」という新しいプロジェクトを伝統の上に加えていかなければいけません。この次世代を闘う技術やビジネスモデルなどを自動車産業や電子産業といった壁を越えて、「A.B.C.…」と「…X.Y.Z.」を両方同時にやらないとだめです。

日本の政治の話を聞いていても、ほとんどが「…X.Y.Z.」の話で、「A.B.C.…」についてはどう進めるかに関して、思考が停止しているように思います。国民の中には閉塞感があります。それは日本のビジョンのなさに起因するのです。これからどうするか。そこで、我々シニアの経験、「日本はこれだけ頑張ってきたのだ」といったことを若い世代に引き継ぐのが、私達の責務ではないかと思います。

伝統の上に築く日本の魅力

今、私はいろいろなことで日本の良さを再認識しているのですが、例えば九州はとても温泉が美しい。全体を見てバリューアップする観光事業はなかなかないのです。北海道もそうです。あれだけの素晴らしい自然があるにもかかわらず、地方は「東京になりたい」という意識がまだまだ強いのではないでしょうか。新幹線の誘致や、自動車産業を誘致するという話をよく聞きます。それより、もっとその地域ならではのことができるし、やらなくてはいけないと思います。

その中で、例えば京都が最近、非常に魅力的な日本のビジネスモデルの将来を先行しているのではないかと思います。京都は結構閉じた社会ですが、行き着けのお茶屋さんなどを通じた伝統的なシステムを構築し、そこにガバナンスが効いている、というのはすごいことだと思うのです。

京都市は一五〇万人くらいの人口かと思いますが、そこに年間五千万人の日本人と外国人の観光客が訪れるといいます。「京都の人口は幾らなのでしょう」と、数えるのが非常に難しいほどです。大変な数の人が通り過ぎていて、それが京都の活力の源泉になってます。一方で、地域が独自に培ってきた伝統は、お茶にしてもお花にしてもお寺にしても、生半可なものではありません。やはり伝統に誇りがあるし、外からも内からも両面からエネルギーが生み出されているわけです。

また、京都では、伝統企業が百年目くらいに大きくなるという例があります。例えば百年以上の歴史を持つ任天堂は、元々の業態からゲーム開発に移行したことで大きな変化を遂げその後長年、私の古巣であるソニーと競争しています。他にも京セラ、ローム、村田製作所、オムロンなど、独自のビジネスモデル、テクノロジーを持った企業がたくさんあります。京都には伝統の中に革新もあるのだと思います。

私は日本が多様化の時代になって来ていると感じています。東京を見ても、例えばミシュランで星が付いているレストランが増えて話題になっていることや、東京ファッション、アニメ市場があり、渋谷109に行けば、日本人かなと思うような若い人達もいて、本当に多様化している。秋葉原にも外国人がたくさん来て、日本のカルチャーの多様化に興味をもっている人達がいる。そうなると、やはり日本は京都的なシステムの小都市社会を各地域で多様性を持って展開していくのが、面白いという気がします。なにも鎖国をしろと言っているわけではありません。やみくもなグローバル化ではなく、日本の伝統や個人の伝統を重んじた上で、少しずつ開いていくところに日本の魅力があるのだと思います。そういう伝統の質の高さや、従来の我々自身のきめ細かさ、美意識、丁寧な生活、そういうことの上に新しい産業の魅力をつくっていく。安いものを大量につくるという時代から、本当に価値のある、自分の身の丈のものをつくってブランドを意識した時代に変化していく。そうして、日本が他の国から尊敬されるような国になっていくべきではないかと思うのです。

私は、日本はそういう文化的なもので良くなると思っています。この間、EXILEという若手グループのライブを東京ドームに観に行きました。そのショーはハイテクを利用して、例えば銀河鉄道999の飛行船を飛ばしたり、会場を三六〇度使ったダンス・パフォーマンスを展開する。そこでは五万人くらいの観客が、しかも幅広い年代の人達が本当に一つになって楽しんでいるのです。まさに東京エンターテインメントです。これはアメリカのモデルとは違うと思って感心しました。これらは、まだまだビジネスの一つとみれば小さいですが、確実に生まれています。日本のエンターテインメントがアメリカと違った発展の仕方をしている。最近、日本の映画やテレビドラマも、非常に質の高いものができているように思います。日本がいたずらに海外に憧れるのではなく、日本の中でもっと質の良いものをつくる。別の側面から言えば、日本が手放してはいけないものと、インドや中国などにもっと教えてあげなくてはいけないものと、両方があるように思います。

求められる新しい資本主義の仕組み

日本は自分のことを卑下して、成長力が弱いなどと言っていますが、本当に世界の中で成長力が問題なのでしょうか。要するに、日本は地球の資源を有効に利用して生産性を高くしているのですから、その実態を各国に教えてあげて、システム的に素晴らしい方法を世界に伝えるべきだと思います。

成長やマーケット規模を基準にして世の中の善悪を判断してしまっていたことが、金融資本主義の行き過ぎた形なのかもしれません。それに世間の関心が集まっていることは、最近、私の友人の書いた『強欲資本主義 ウォール街の自爆』(神谷秀樹著)という本が売れていることからも分かります。地球の存在そのものを邪魔しないで地球の変化に日本が順応していくために、GDP以外に生活の質を表せるような指標を使ったり、外国で行ったものを日本のバリューに換算したりすることが必要になってきます。国境の中で考えている行政と、国境の中しか考えない政治家の下では、やはり国民の幸せは語れないように思います。

私は一九六八年にフランスに行った時に、フランス人の生活に驚いたのです。休みは取れるし、長い休暇に行ってしまう。でもフランス人と話してみると、そんなに幸せ感がなかったのが驚きでした。何故かというと、国としての方向性が右往左往しているから、個人がいくら休みを四週間取れても、不安感からハッピーでなくなってしまうということらしいのです。ですから今、日本人が日本は成功していないと思って、その尺度がわからないために無闇にアメリカ式の金融理論で割り切った仕事をすると、気付かないうちに非常に冷酷な競争に導かれてしまうと思います。

冷酷になりきって弱い者を切り捨てることが、日本では本当に良いのかというと、そうではないと思います。日本はアメリカの資本主義だけを見て、例えばSOX法や企業のバランス法などをアメリカ的に導入してきました。しかし、日本がすべきことは日本の伝統をベースに、相手にもわかるようなクリアな新しい資本主義の仕組みをつくることです。日本式に戻れというのではなくて、外国人が来て弁護士に聞いても内容を明確に説明できるルールをつくるべきだと思います。ハンチントン氏の『文明の衝突』のように、日本が八大文明の中の一つだとすれば、この国はどうやってみんなと仲良くしていくか、競争していくかというルールをもう一度決めることが、一番求められています。

これから政治が、行政が、企業が、そして皆さん一人ひとりがこういう事態を認識し、何か新しい価値を作り出す方向に行けば、私は過去の成功から考えても、日本を世界が羨むような国にできると思います。

日本のように、技術力を持ったこんなにピカピカした企業がある国は、他にありません。日本は一つひとつのエレメントは素晴らしいものを持っているのです。これを材料にして、どのように大きくするか。また、どうやってその日本の仕組みを海外にわかってもらうかといったことに、一つひとつ取り組む時なのです。同じような意見を持っている若い人にも仲間になってもらって進めていけば、日本の将来は決して暗くない。

何かをやりたいというパッションに年齢は関係ありません。ぜひ年配の方々も、若い人達に機会あるごとに地元の小学校でも中学校でも高等学校でも自分のお子さん達でも、遠慮なく「我々は、こうしてやって来たのだ」ということを伝えていただいて、次の世代の方に刺激を与えていただきたいと思います。

ご清聴、ありがとうございました。

(クオンタムリープ㈱代表取締役・前ソニー㈱会長兼グループCEO・早大・政経・昭35)
(本稿は平成21年1月20日午餐会における講演の要旨であります)