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食品の安全性向上を目指した技術開発 伊藤 和彦 No.855(平成17年11月)

     
食品の安全性向上を目指した技術開発
伊藤和彦
(北海道大学名誉教授)
No.855(平成17年11月)号

 私は39年間農学部において川下研究と言える農産物のポストハーベスト技術の開発に関する研究を行ってきた。かなり以前のことであるが、「研究分野は何ですか?」と聞かれ「農産物のポストハーベスト技術の開発や食品工学関係です」と答えると「農薬の研究ですか……」との反応が幾度かあった。ポストハーベストからはポストハーベスト農薬しか頭に浮かばないようであった。
  このように当時は比較的マイナーな分野で教育研究を行ってきたが、最近ようやく認知度が高まったと感じる。その理由として「消費者に安全な食料(食品)を安定して供給するシステムの確立」が社会にとって重要課題であることが認められたことが挙げられる。システムの確立には多くの専門分野が協力して対応することが不可欠であり、食料の生産・流通・加工の場において工学的な手法を駆使する場面が増加し、これに対応できる人材の育成が急務となっている。
  食料は人間の生存に不可欠なものであり、毎日の食事を美味しく、楽しく頂くことは私たちに幸せをもたらす。食卓に載る食材およびその原料は食糧・食料・食品等と呼ばれている。これらの言葉の区別を私たちはあまり意識しないが、私なりに定義してみると、食糧は主食となる食材を示し、国内においては米麦がこれに相当する。食料は主食に副食を加えた日常の食卓に載る食材全般を意味する。食品は食料に嗜好的な食材(それを摂取しなくても生命を維持できるもの)を加えたものである。本稿は食品を中心にこれの安全性向上を目指した技術開発の現状について私見を述べてみたい。

食品を取り巻く状況
  食品は次の三機能の内、少なくとも一つ以上の機能を備えている必要がある。「三機能とは栄養機能(栄養価が高い)、官能機能(美味しい)、体調調節機能(体調を良好に保つ)」である。私たちは栄養機能と官能機能の両機能を備えた食品を良い食品と判断してきた。もちろん、日常的に口にする食品であるから安全であることが大前提となる。
  消費者に食品の安全性に関する情報を伝える上で、消費期限を明示することは画期的なことであるが、一方では食品の良否を自らの感覚で判断せずに食品製造者からの情報(この場合は消費期限)のみで判断する消費者が増加している。消費期限を僅かに超えた、または消費期限内の食品であっても人間の感覚によってチェックする必要があると思う。人間の感覚は五感(味覚、視覚、臭覚、触覚、聴覚)として表せるが、食品の品質の良否についてこれら五感を総合的に同時に働かせて瞬時に判断することが可能であり、各種測定機器に比較して高い精度を持つ。しかし、五感も使わなければ精度は当然低下するであろう。
  現在、国内には多くの食品が満ちあふれ、国産品と輸入品を合わせると季節に関係なく希望する食材を入手し、豊かな食卓を飾ることができている。輸入する食品が増加すれば、食料の自給率が低下することは避けられない。最近の統計によると日本のカロリーベースによる自給率は40%まで低下しており、特に穀物自給率は24%であり、国際流通穀物の13%を輸入している。食肉自給率は53%であり、食肉貿易の21%を輸入している。今後とも日本の食料需要は海外からの輸入なしには対応できない。
  食料の安定供給の観点から考えると自給率を向上させることは重要な事項である。しかし、自給率の向上は一朝一夕にはできない。現在の食事の内容を維持しつつ自給率を上げることには国土の面積・気候上の制約等がある。
  一方、大量の食品が廃棄されている現実がある。家庭からの廃棄物の90%は生ごみであるがその中の50%は食べ残しや消費期限を僅かに超えた未開封の加工食品も含まれている。レストラン等の外食店からの食べ残しを加えると、年間に金額で11兆円になるとの報告がある。これに廃棄物処理費を加えると巨額な費用となる。

食品の安全性
  食品の安全性について数多くの情報が飛び交っている。情報の内容に共通することは「食品の安全性が大きく損なわれている」と考えられる。一例として病原性大腸菌(O157:H7)、牛海面状脳症(BSE)、鳥インフルエンザ、輸入品から検出された残留農薬(国内で認められていない農薬)その他食虫毒発生等の報道が行われている。安全性とは異質であるが、食品の産地偽装の報道も散見される。このような環境下で消費者の食品に対する不安感が強まるのも尤もなことと考えられる。最近は農薬・添加物に対する不安とともに遺伝子組み換え作物に対して強い不信感を持っている一部食費者がいることを各種アンケート調査の結果が示している。
  食品を含め安全性を述べるときに安心を付け加えた語呂の良い言葉である「○○の安全・安心」が広く使われている。確かに安全であれば安心できるので、安全と安心とは表裏一体の関係を持つように感じられる。正面切って異議を唱えるつもりはないが、私はこの表現に多少の抵抗感を感じる。安全と安心は次元が異なるものであり、これを並列して表現することは正確とは言えないのではなかろうか。安全とは数値化可能なデータに基づいて、予め用意された基準値と照らし合わせて判断されるものであり、安心は個人が自ら用意した基準と比較して脳内(感性)で判断するものである。従って安心するか否かは個人の判断に委ねられている。百人中九十九人が安心であると判断しても安心できない人が一人いることもある。
  従って安全性に対する消費者の反応には大きな幅があり、100%安全でなければ安心できない人(0:1人間またはデジタル人間と呼ぶ)が日本には多いように感じる。しかし食品の安全を含め全ての事柄に対して0:1ではなく0~1の範囲で対応(アナログ対応)するのが現実的であると考える。0:1にこだわる人はある種の思想・信仰の尺度で判断しているように感じられる。0か1かにこだわる思想は原理主義の最たるものでなかろうか。
  食品の安全性に関して原理主義的考えが蔓延することは食品の生産・流通・加工空間すなわち食品システムの健全な発展に影を落とすと危惧される。食品の安全性を向上させ、多くの人々が安心して生活するために安全性を脅かす原因を正確に把握し、これを排除する有効な手段を講ずる必要がある。しかしその手段は必ずしも100%の効果を発揮できないことを理解し、冷静に対応する必要がある。
  遺伝子組み換え作物に対する評価は確定していない。「組み換えられた遺伝子を食べると…」のような乱暴な言葉が流れている中、マスコミからの情報(その多くは消費者の不安を掻き立てている)に消費者の不安は増すばかりである。「遺伝子組み換え○○を使用していません」なる文章を堂々と掲げて自社製品の宣伝を行っている企業があるが、論旨からは遺伝子組み換え作物は有害であると断定していることになる。この企業は将来にわたって宣伝文章の内容に対して責任を負うだけの自信があるのであろうか?過日他人の畑に立ち入り遺伝子組み換え作物を刈り取った事件があった。隣国で叫ばれたスローガン「愛国無罪」を思い出した。
  私の専門は応用科学分野に属しており、アナログ人間であるので今のところ遺伝子組み換え作物を使用していないことを宣伝文句に利用している製品を敢えて購入する予定はない。
  さて食品の安全性を脅かす最大の要因は食中毒の発生である。科学技術が進歩し月に人が降り立ち、IT、ナノテクノロジーが花咲く時代になっても、食中毒の発生件数と被害者の数は決して減っていない。食物連鎖の最上部に位置している人類が最下部に位置し顕微鏡でしか存在を確認できない細菌やウイルスによって発病し、時には死亡する事実を見ると、輪廻の不思議を感じる。食中毒の病因物質別発生状況を見ると、細菌・ウイルスによるものが90%以上を占め、他は化学物質と自然毒が病因物質となる。自然毒による食中毒患者数は少ないが、発病者数に対する死者数の比率は細菌・ウイルスによるものに比較してはるかに高く、不適切な調理方法を施したフグや有毒キノコを誤食することによる死亡事故が毎年発生している。
  過去十年間の国内における食中毒の患者数は厚生労働省(厚生省)が公表している統計によると、年間二万六千人~四万六千人(年間の死者は平均8人)の範囲で変動している。ただし、この数は医療機関からの報告を基にしており、医療機関を訪れずに治癒した患者の数を勘案すると食中毒に感染した人数は統計値の十倍程度に達するのではないかと予測される。細菌・ウイルスの種類別患者数をみると比較的大きく変動しているが、常に上位に位置しているものにサルモネラ菌属、腸炎ビブリオおよびノロウイルスがある。最近はノロウイルスによる食中毒患者が増加していることが目立っている。ノロウイルスは感染性胃腸炎の原因ウイルスであり、多くは軽症に経過するが幼児や高齢者のように抵抗力の低い患者では死亡の可能性もある。

食品の殺菌
  食中毒の発生を防ぐためには病原菌の増殖を防止することが必要である。その方法として最も確実な方法は殺菌操作である。殺菌操作は加熱殺菌法と非加熱殺菌法に大別できる。加熱殺菌は病原菌の共通する弱点「高温度域で死滅する」をターゲットにした方法で長い歴史を持ち確実な殺菌方法として食品の殺菌に広く利用されている。この方法の欠点は、加熱による食品の品質低下が生じる可能性があることである。殺菌と品質保持を両立させる新しい殺菌技術の確立が待たれる。
  現在注目されている殺菌法として高粘度液体食品の殺菌に適している通電加熱殺菌法を紹介したい。
  高粘度液体食品の加熱殺菌において材料の攪拌が困難なため材料外部から加熱し熱伝導によって材料中心部まで加熱した場合、材料内部に大きな温度差が生じ、過熱による品質低下と加熱不足による殺菌不足が同時に生じる可能性が危惧される。通電加熱法は電極間においた材料に交流電場を与え材料の電気抵抗により発熱するジュール熱によって材料を短時間に均一に加熱する方法である。さらに交流に対して誘電損失による発熱がこれに加わる。
  最近の研究によると、外部から熱伝導によって加熱した場合と通電加熱法によって加熱した場合を比較すると材料温度変化を同一に調整しても通電加熱法による加熱がより大きな殺菌効果を示すことが明らかになった。さらに通電加熱において電源の周波数を高めると殺菌効果が増大する。この理由として、①通電加熱における誘電損失による発熱量が周波数の増加に伴って増加する、②微生物自体の誘電損失が材料のそれよりも大きく、微生物の温度が選択的に上昇したことなどが挙げられる。
  このように通電加熱法は周波数が百キロヘルツ以内では周波数を高めることによって微生物の誘電損失が増加し、発熱量が増加することによって微生物の温度が選択的に高まり殺菌効果が向上するものと考えられる。
  一方、加熱殺菌法を採用できない食品もある。例えば、野菜の加工品として流通しているカット野菜は加熱による品質低下が生じるために非加熱殺菌法を用いる必要がある。
  非加熱殺菌法として薬剤を用いた殺菌法がある。代表的な薬剤として次亜塩素酸ナトリウム(NaOCI)水溶液が利用されている。これは食品添加物として認められており使用に問題はないが、高濃度のNaOCI水溶液を用いて野菜を殺菌すると、塩素臭の残存による品質低下が生じる。NaOCI水溶液が殺菌力を示す化学種は塩素であり、pHが高い場合は水溶液中の塩素は次亜塩素酸イオンの形態を示し、pHが5~6の弱酸性の条件下では殺菌力の強い次亜塩素酸の形態を示す。従って次亜塩素酸ナトリウム水溶液の塩素濃度(ACC)が低くても溶液のpHが低い場合は同等の殺菌力をしめす。
  低濃度の食塩水をイオン交換膜で隔てた容器内で電気分解を行うと、陽極側に強い殺菌力を示す次亜塩素酸を含む酸性電解水が生成される。これを用いてカット野菜を殺菌すると従来の方法に比較して、ACCを1/4程度に低下させても殺菌力は同様であることが確認されている。酸性電解水を用いて初発菌数が1g当たり■CFU~■CFUを示す野菜の殺菌を行なった結果、10分間の浸漬で菌数を1/1000程度まで減少させ外観および栄養分の変化を生じさせないことを確認した。酸性電解水は既に食品添加物として認められており今後の利用拡大が期待されている。

食品生産システムにおける安全確保に向けて
  最後に最近日本学術会議から出された対外報告について紹介したい。第19期日本学術会議は「農業機械学研究連絡委員会(委員長:笹尾彰氏 小委員会委員長:木下誠一氏)報告」を公表した。表題は「機械化された食生産システムにおける安全の確保に向けて」となっている。
  内容は食料供給力の向上および品質向上を目指して、農場から食卓までの各工程で機械化されたシステムをさらに発展させるために、各工程における要素技術の開発と、それらを統合した技術的安全体系の構築ならびに技術的安全体系を確実に機能させるための技術管理体制の確立、および人材育成を図る必要があると提言している。提言項目は次のとおりである。
  ①安全性確保に向けた危害要因の監視技術の開発
  ②安全性確保に向けた危害要因の発生抑制システムの構築
  ③国際基準での安全確保に向けた安全性評価技術開発および人材の育成

(北海道大学名誉教授・北大・農博・農・昭41)