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学士会アーカイブス

ユビキタス・コンピュータ革命 坂村 健 No.839(平成15年3月)

ユビキタス・コンピュータ革命
坂村 健(東京大学大学院情報学環教授) 平成15年3月(839)号

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はじめに
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  ただいまご紹介いただきました坂村と申します。
  いま東京大学は学部や大学院の再編成を進めておりまして、私の所属する情報学環というのは、新しく作った情報関係の2つの大学院の研究科の中の1つです。環とういのはリンクのことで、学際的な研究を目指して、理科系の方が半分、文科系の方が半分所属しています。最近では、たとえば、Eコマースのように経済的な分野でもコンピュータを駆使することが頻出しています。そこで、従来にない新しい大学院の研究科が望まれています。

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ITの現状
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 ITの現状からお話しますが、いま米国のIT状況は非常に悪い。90年代のITはパソコンとインターネットがひっぱりましたが、それを広めるためにニュー・エコノミーと呼ばれるものが出てきた。これは非常にいい加減なもので、「ITやコンピュータは効率を上げる究極の装置だから、積極的に企業が導入すれば永久に企業は成長する」というような話です。「永遠なる成長」など錬金術みたいなものは決して有り得ないのですが、こういう論が一時出てきて、それをサポートするいろいろな人が出てきた。もちろん、うまくいくわけはありません。考えもなくITなら何にでも投資するなんて普通は考えられません。これが間違っていたことが不況の要因の1つにあります。内容のない企業なのにITだというだけで資金が集まったりした結果、IT投資が信用をなくした。残念なことです。まともなIT企業にとっては大変な迷惑です。
  それから、ITの導入によって効率が良くなるなら、これは当たり前のことですが、人間を削減しなければならない。日本では「ITやコンピュータを入れることによってどういう効果があるのか分からない」とおっしゃる経営者の方がいますが、それは根本的な勘違いです。ITは省力化と効率を上げる装置です。ITに投資したら、その分の人件費をカットする必要がある。配置転換をするか、または首を切るか、そのどちらかをしなければ、効果なんて出るわけありません。どちらもできなければ、コンピュータを入れた分の費用が重荷になり、効果があるか分からない装置を買わされたという思いにつながる。つまり、ITは同じ結果を少ない人間で短時間に行えるということであり、余った人間を放出するか、仕事を増やすかしなければその成果は得られない。米国はドライにそれをやったから、少なくとも最初のうちは、はっきり効果が上がった。そこを認識していないと、パソコンに向かってトランプゲームで暇をつぶす人々の群を生むことになる。

 米国IT不況のもう1つの原因が、通信業界の過剰設備投資です。米国は1990年代、自由化が非常に重要だという認識で、あらゆる業種の自由化を始めた。特にその中で、電力業界の自由化、通信業界の自由化を行いました。
  そこで、何が起こったかというと、皆が参入してきた。昨日までパン屋だった人が電話屋をやるような感じで、どんどん通信業界に入ってきた。そういう状態になった場合、自分のお金で投資して電話屋を始めて、それで破綻していくのならば構わないのですが、お金もない新規参入者に通信業界がお金を貸してしまった。これは考えられないことです。実際にはお金を出したというよりも、電話屋をやりたいと言った人に何らかの補償を通信業界がして、例えば、シスコなどの大手通信機器メーカーが、簡単に言えば、ローンで返してくれれば良いという形で、通信機器一式を売ってしまったのです。
  通信のようなインフラに相当する分野は工夫の余地が少ない分野ですから、誰がやっても良いということになれば、価格競争になる。当然、急激に値が下がり、行き着く先は倒産です。そうやって倒産したときに、貸していた通信業界が返してくれと言っても、もちろん返せない。これは日本と全く同じです。土地がある。それなら上のものに関してはゼネコンが金を貸すと言って建てさせた。でも入居者は入らない。倒産する。お金は返ってこない。そういう土地バブルと同じことが通信業界で非常に大規模に行われてしまった。

  しかし、IT産業は長期的に、自動車産業と同じように国を支える産業であることは間違いありません。日本を支えるための大産業であることも間違いありませんが、我が国のITには問題が多いと思っています。こういう話になるとよくトヨタ自動車の話が出てきますが、いま日本が不況だと言われている中で、トヨタ自動車は収益を上げています。単独で年間一兆円の黒字です。それから、ホンダも赤字になってきているわけではないし、日産自動車も黒字に転換してきている。自動車業界は非常にうまくいっているわけです。

  では、ITも同じように国を支えられるはずなのに、なぜ上手くいかないのか。自動車業界の方がよく日本のコンピュータ産業の利益が上がらないのは当然だとおっしゃるのですが、それはどういうことかというと、「自動車を設計するときに、エンジンの設計は日本でやる。車体の設計も日本でやる。設計図を買ってくることはない。それに対してパソコンはどうか。車のエンジンに相当するCPUはインテルで、車体に相当するオペレーティング・システム、基本ソフトウェアはマイクロソフトである。日本のコンピュータ業界は一体何をやっているのか。」全くおっしゃる通りなのです。中身が全部ブラック・ボックスになってしまっている。

 私は、コンピュータは重要な基幹産業だから、ブラック・ボックスでは駄目だと主張してきた。私は20年前からTRONという名前のオープンなオペレーティング・システム仕様の開発を一貫して推進してきて、パソコンもオープンにすべきと10年前に主張したわけですが、バブルで浮かれているうちに政治的な戦略で米国の要求を飲んでしまった。当時、パソコンは大きな商品になっていませんでしたので、それくらい良いだろう、と簡単に折れてしまった。そのため、日本のITガタガタになって、中国や台湾、韓国に負けるようになり、いまコンピュータのハードの部分を作っている会社で利益を出している日本の会社はありません。ここがコンピュータと自動車産業の大きな違いなのです。自動車産業は全部、自分のものにした。コンピュータ産業は、その努力を怠ったため、クローズな独占OSで殆どのパソコンが動いているわけです。

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TRONプロジェクト
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 TRONプロジェクトとは、“The Real-time Operating system Nucleus”を略したものです。“The”がつくことからも分かるように産業製品や民生製品向けに「実時間で動くコンピュータの“決定版”を作ろう」という発想に基づき、1984年にスタートしたコンピュータ技術開発プロジェクトです。ですから、主用途は組み込み制御用でした。物の中に入れることから始めたのですが、パーソナル・コンピュータが出始めた頃、すなわち1990年頃の日本がバブルの絶頂期にあったときに、オープンなパソコンOS期待論に応えて、BTRONというパソコンにも使えるものを出しました。ただ、マイクロソフトが日本でビジネスを始めようとしているときだったために、その方面のビジネスをしている人から評判が悪かった。要するに、クローズなOSで儲けようとしているときに無料で仕様公開して誰でも作れるオープンなシステムが出てくると困ってしまうわけです。猛反対を受けて、米国メーカーが対外貿易で不利益になるときに、いろいろ文句をつけるUSTR(米国通商代表部)に提訴したために、リストに上がったのです。
  そのときの日本の対応も非常に悪かった。同様のことがイギリスでも起こっていて、イギリスも独自の教育パソコンを作ろうとしたときに、USTRがリストに出している。ところが、いろいろな意味でイギリスと日本は違いました。日本はまず、アメリカから何か言われると、新聞が一面で書いてしまう。それに対してイギリスのマスコミはほとんど書きませんでした。イギリスの政府の取った対応も日本とは違っていて、「アメリカに何かを言われる筋合いはない」と言って、それでお終いになった。日本の場合は「アメリカが言ってきた、アメリカが言ってきた」とオロオロして皆で大騒ぎした上、バブルの絶頂期でもあり、パソコンはまだマーケットで大きな存在ではありませんでしたから、そういう政治的判断もあって、日本のメーカーがせっかく作ろうとしたものを止めてしまった。
  一方では、ITRON(インダストリアル・トロンと言っているもので携帯電話など組み込みと言われる分野のOSですが)、この開発には文句を言ってこなかった。簡単に言うと、アメリカでそういう小さなコンピュータ向けのOS開発をしている会社がほとんどなかったからです。アメリカの場合、影響を受ける大きな会社が自国内にあれば何か言ってきます。アメリカの国民とアメリカの会社を守るのが米国政府ですから、これは当然でしょう。

 問題があるのはむしろ日本のほうです。日本人のために、そして日本企業、日本産業のために、国はもっと国民のことを考えなければなりません。その点がアメリカ人ははっきりしています。
  たとえば、ISO(インターナショナル・スタンダード・オーガニゼーション)という国際規格がありますが、日本は全部それを守ります。ですから、JIS(日本工業規格)は日本の不利になっても国際規格を優先するような立場をとっている。
  それに対してアメリカ人は、国益に反したら国際的に決まっても無視します。たとえば、メートル法を私たちはみんな使っています。これは国際的に決まっているからみんな使っているのです。ヨーロッパでも使っているし、日本でも使っている。ところが、アメリカはインチを使っているわけです。国際規格で決まっているのになぜ使わないかと聞くと、「昔からインチだった」でお終いです。常にアメリカが有利か不利かだけで決めている。非常に明快です。

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日本独自のIT戦略
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 そこで私が言っているのは、日本は日本のモデルを考えて、日本の国に適したモデルで戦わないといけないということです。もっと日本に合ったビジョンや戦略が重要で、独自モデルが必要です。国にもユーザー個人にも戦略があるべきです。米国では自らの利益を求めるとき、それは必ずしも周囲の利益とは一致しません。日本に関しても、現代社会の生命線ともいえるITの首根っこを自分でコントロールできなくて良いのかということです。利用者1人ひとりも自分のデータという財産に対するコントロールを取り戻すため、オープンであることを求めつづけるべきなのです。
  日本独自のIT戦略を考えたとき、産業界に対する具体的提言として「得意のモデルに持ち込むこと」を第1にお勧めします。そこでは、日本人に合った「個人で戦うのではなく、チームで戦う」という発想のもとで、日本型の社内ベンチャーシステムの確立がひとつのポイントになるでしょう。そして、チームとしてユニークさや独自性を重視する評価システムが必須です。他と違っていることによるメリットや従来にない新しさを高く評価することができなければ、強力なモチベーションは生まれません。不況が続いている現在、経済的な指標だけで評価したり、安全策を採ろうと消極的になる企業が多いのですが、そのためにユニークさが重視されなければ、経営環境を好転させることは望めません。そして、チームとして独創性を発揮する際に重要なのは「俺に付いてこい」式の安心を与えるリーダーです。そのリーダーが独自性を重視し、メンバー個人個人ではとてもできないようなこだわりを持ち続ける。そういうリーダーの下にプロフェッショナルが集まり、それを評価できるトップがいる。こういう体制で日本型の独創性が発揮される。それこそ、まさに『プロジェクトX』の黄金パターンではないでしょうか。
  そこで、日本独自のビジョンや日本型モデルを考えていくときに、ユビキタス・コンピューティングが、1つの重要なきっかけになると思っています。

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インターネットと携帯電話
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 インターネットと携帯電話は非常に重要ですが、21世紀になるとパーソナル・コンピュータの年間生産数は全世界で1億3千万台くらいで、急激に減少してきています。パソコンの時代はもう終わったのです。確かに、ビル・ゲイツは大金持ちで、商売的には非常に優れた人です。2年経つと従来の製品が動かなくなってしまうことまで考えついて、何か新しいものを買わないと役に立たなくなる。確かに比類なきビジネス・モデルです。しかし、その数は減ってきている。
  それに比べて、いま世界の携帯電話の年間生産数は、4億5千万台です。そして、私は誇りにしていますが、その携帯電話の殆どには、TRONという私が作ったOSが入っています。また、世界で50億個の組み込みマイクロ・プロセッサーが使われています。これはFAXやデジタルカメラ、ビデオや自動車のエンジン制御などが作られていますが、私の作ったものが半分です。ですから、世界で最も使われている組み込みコンピュータはTRONであり、私はそれを20年間にわたって研究し世界に広めてきました。しかし、どういうわけかビル・ゲイツは大金持ちで、私は……違う。
  それはなぜかと言うと、お金を取っていないからです。オープン・アーキテクチャーなのです。ロイヤリティーや使用料を払えというモデルではないのです。これは私の信条で、インフラに相当する部分に対しては、料金を取るのは良くないという考えでやっています。ユニックスなどもそうです。これも最近のPCで伸びてきています。

  それから、日本にはインターネットに接続できる携帯電話が7千万台くらいあり、日本がナンバー・ワンです。その殆どの携帯電話にはTRONが内蔵されています。私が言いたいのは、こういうところをもっと誇っても良いと思うのです。携帯インターネットの世界を主導しているのは日本なのです。そこで、このユビキタス・コンピューティングと関係してくるわけです。

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ユピキタス・コンピューティング
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 ユビキタスとは非常に聞き慣れない言葉ですが、これは宗教用語で、神様は「あまなくしろしめす」という「ユビクイタス」という近代ラテン語が語源の英語です。強いて日本語にすると「どこでも」なのですが、それでよく勘違いする方がいて、いま私がお話しているインターネット携帯電話や、インターネット端末がいたるところに出てきて、パソコンやゲーム・マシーンを皆が持つという社会現象を捉えてユビキタスと言うのかと考える人がいますが、コンピュータ・サイエンスの分野では少し違います。パーベイシブ・コンピューティングと呼ぶこともあり、パーベイシブというのは、浸透する、しみわたるという意味です。しみわたるコンピューティングとは何かというと、要するに、日常生活のあらゆる物の中にコンピュータがあるという意味です。パソコンの中ではありません。
  具体的に申し上げますと、私の研究所でいま作っている最新のコンピュータは、切手より小さいくらいのカードです。16ビットのマイクロ・コンピュータが入っていて、中にセキュリティのための暗号回路やメモリーも入っています。それから、いま最新のメモリーはゴマ粒みたいな、1ミリくらいのものです。実は、それほど小さなコンピュータが現実に作られるようになってきたのです。こういうものをあらゆるものに組み入れて、いろいろな情報交換をする新しいコンピュータのモデルが、ユビキタス・コンピューティングというものです。

 では、これほど小さなコンピュータを一体どうするのか。これはいろいろな使い方があり、あらゆるものに影響を与えると言われています。まず1つ、たとえば物流流通に活用した場合は、いまは品物に付いたバーコードを読んでいるわけですが、それは1つ1つ読み取らなければなりません。しかし、ユビキタス・コンピューティングでは、瞬時に大量に読み取ることが可能になりますから、手品みたいですが、籠の中に入れておいた30個の食品の価格を一度に読み取る。また、これを食品に付けた場合、温度センサーを付けると、生産されてから消費者の手に入るまでの温度をメモリーしておくことが可能になり、1つ1つのものが運ばれていく間にどういう温度履歴を辿ったのかまで分かる。これはバーコードをはるかに越えた素晴らしいデバイスです。
  それから、薬は副作用を起こしますね。そこで、薬の瓶に小さなコンピュータを付けておくと、たとえば、一緒に飲んではいけないような薬を2つ同時に目の前に持ってきた場合「いま目の前にある“私たち”2つの薬を飲むのはやめた方が良い」という電話が、薬瓶からかかってきます。そういう応用も考えられるわけです。

 もう1つ、これも非常に重要ですが、小さなコンピュータを物のライフサイクル全ての管理に使う。21世紀は日本だけでなくて世界中が循環経済型に移行していかなければいけない。たとえば、私の前にあるガラスのコップは、溶かせばもう一回使えますから、リサイクルしなければなりません。そこでチップを付けておいて、再利用できるものはごみ処理場で自動的にロボット・アームが仕分けする。
  それから、小さなマイクロ・チップを、病院で間違えないために患者さんの体に埋め込むのが一番確実ですが、それが嫌だというときには、ネイル・コンピュータというものを爪に付けております。ゴミチリみたいに小さなコンピュータですが、これを指に付けておきますと、たとえば、本当は打ってはいけない点滴をしたために事故がおきてしまったという医療事故がよくありますが、点滴の瓶の方にもこのチップが付いていると、近くのモニター装置が危険だと教えたり、お医者さんの携帯電話に「危ない、事故が起こる、すぐ行って止めなさい」という電話がかかってくるように設定したり、点滴を打とうとする看護婦さんの携帯電話にかかってくるような応用が考えられます。また、インテリジェント包帯というものもあります。傷口がジュクジュクしてきたら感知するセンサーを包帯の中に入れておけば、包帯を外さなくても傷の状態がわかるわけです。ほかには、洋服に入れることも考えられます。洋服には身に付けていますので体温が分かりますから、その情報を直接エアコンに送って、部屋の温度コントロールを簡単かつ確実にする。
  それから、私の研究所でやっているもので非常に便利なのは、物につけておけば、あれはどこに行ってしまったというときに、その対象物に電話するのです。いままでの電話は、人と人との通信を助けるものでしたが、物にコンピュータが入っているのですから、物に電話すれば良い。そうすると「私は隣の部屋の上から2番目の棚にいます」と物が答えてくれる。これは単純なことですが、これほど便利なものはありません。特にお年を召してくると記憶力も怪しくなってきますから、全部忘れても、電話をかければ物が電話で答えてくる時代が来れば非常に助かります。

  さらには、食べてもそのまま出てくるような1ミリくらいのものまで研究開発されています。それができると、たとえば、牛肉に商品情報を打ち込んでおけば、箱を取り替えたくらいではすぐにばれるわけです。中国でこの話をしましたら、いま中国では上海蟹が非常に重要なものになっていて、贋物が出ているらしい。そこで、蟹にこのチップを付けられないかと言われました。どうしてそういうことを言うかというと、このチップはなかなか偽造ができない。偽札を作るよりも難しいと言われています。ですから、ヨーロッパでは真面目に、お札にこれを付けてしまおうという話も出ているくらいです。

  そうなってくると、これは一体、1個いくらなのかということになってきます。これは必ず質問があって「1個いくらですか?」と聞かれますが、一度に10億個オーダーした場合、1個1円くらいだと言われています。ですから、メモリーだけだと1個1円です。ただし、当然のことですが、10個売りなどはできません。それから、コンピュータが入っているものの方は、100円くらいまで下がるでしょう。

 90年代は確かにインターネットの時代でしたが、ユビキタスの世界はインターネットよりも身近で分かりやすく、応用もいろいろと考えつきますので、今後、一大産業になることは確実です。そういう時代が確実にやってくる以上、目をそむけているわけにはいかないのです。むしろ、面白がることができるかどうかが、分かれ目です。
  私は1984年に「どこでもコンピュータ」という概念を言い始めましたが、この一番の特長は、人間の生活空間を認識するということです。いままでのコンピュータは、バーチャルな空間だけでしたが、私たちがいま進めようとしていることは、人間の生活や社会にもっと「コンピュータ要素」を入れて、それを有効活用する。それはパソコンを生活のいたるところで使うということではなく、生活用品の中にコンピュータが組み込まれていくという生活です。そのために超小型コンピュータは必須なのです。
  ユビキタス・コンピュータというのは、人と人とのコミュニケーションだけではなくて、人と物、または物と物とのコミュニケーションをサポートするものなのです。

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アメリカのユビキタス事情
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 では、米国ではこういうものに関心を持っていないのかというと、当然非常に関心を持っていますが、米国は良くも悪くも軍事研究の一環なのです。DARPA(米国国防総省高等研究計画局)などからユビキタス・コンピュータの研究に資金を出すという形が多いのです。ですから、研究していることは似ていますが、軍事目的になると目的が日本とは違います。
  たとえば、UCB(ユニバーシティ・オブ・カリフォルニア・バークレー)でスマートダストという研究をしています。これは粒コンピュータの研究で、やはり似たようなことをやっている。また、空中に浮かせられるようなマイクロチップの研究もあると聞きます。そして、電波ではなくて太陽電池で電源を取れるようにしている。なぜ、このような研究をしているのかというと、たとえばですが、敵の上から10万個くらいばらまく。1個100円だったら、10万個ばらまいたって1千万円です。ミサイル1発何十億ですから、それで狙いが正確になるなら安いものです。それをばらまいて、アドホック通信という方法でチップとチップがその場で通信し合いながら、敵がどこにいて、温度が何度で、湿度が何%という情報を、自分の陣地にいながらにして知るようなシステムを作りたいらしい。すると、軍事利用では最大で1日くらい動いていれば良いということになる。民間利用の場合、1日で壊れてしまうようなコンピュータを作ったら怒られます。そこが私の研究所などの開発とまったく違っています。

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おわりに
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 これは青い鳥だと思いますが、ユビキタスについての全ての鍵は日本にあるのです。10月6日の『ニューヨークタイムス』を読んでおりましたら、カメラ付携帯電話のリーダーは日本のメーカーだと書かれていました。面白かったのは、『ニューヨークタイムス』もそうですし、この分野で『ホットワイアード』という本がありますが、それらに書かれているのは、いま日本の携帯電話は最高に進んでいるので、アメリカのハイテク・コンサルタントが日本に来て、特に15歳の高校生などを一日中追いかけ回して、携帯電話をどう使っているのかリサーチしているということです。
  日本は現在、世界第2位の経済大国であり、携帯電話では世界ナンバー・ワンの国ですから、そういう日本の技術にアメリカもヨーロッパも大きな興味を持っている。ですから、こういうものでは世界に非常に大きく貢献しているという自覚と誇りを持つべきです。
  また、そういうものをもっと活かすような戦略を日本は立てるべきだし、いまこそ個別でやるだけではなくて、国としての大きなビジョンに基づくIT戦略を持つ。決してそれはアメリカを真似ることではない。答えは日本の中にあるのです。日本が世界に誇れるものはたくさんあります。iモードもそうですし、デジカメもカーナビもそうです。私のTRONを使っているものは中がブラック・ボックスではありませんので、私たちの技術を使ってこういうマーケットを立ち上げてきたのです。そういうものをもっと有効に活かせるような情報戦略が必要です。そういう意味では、トヨタ車のエンジン制御もTRONですし、ビデオカメラやデジタルカメラ、ファクシミリやレーザープリンターもTRONを使っています。そもそも携帯電話にはほとんどTRONが使われています。それから、私が作ったTRON住宅というものがありますが、100坪の住宅の中に1,000個のコンピュータを活用して最高の住空間を作るという実験住宅で、これは世界に影響を与えて、問い合わせや反響がたくさんありました。何にでも手を出すわけにはいかないのですから、いまこそ日本は得意な分野でもっと世界的な貢献をするべきだと思います。

 いま、こうしたことがコンピュータ・サイエンスの世界で起こっていて、日本はかなり良いポジションにいます。まだポピュラーではありませんが、ここ数年で一挙にユビキタス・コンピューティングを応用したものがマーケットにも出てくる。組み込み機器の分野で日本は世界に大きな貢献をできると思いますし、ぜひやるべきだと考えています。

(東京大学大学院教授・慶大・工博・工・昭49)
平成14年11月11日夕食会講演