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宇宙から見た科学技術 ―国際宇宙ステーションの意義― 毛利 衛 No.837(平成14年10月)

     
宇宙から見た科学技術 ――国際宇宙ステーションの意義――
毛利 衛
(宇宙飛行士・日本科学未来館館長)
No.837(平成14年10月)号

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二度の宇宙を体験して
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  本日は、これまでの日本社会を指導してくださった方々や現在活躍されている方々の前で、私の宇宙へのさまざまな想いをお話しできることを大変嬉しく光栄に思います。
  私が初めて宇宙に行ったのは、1992年でした。それまで私は科学者としてさまざまな実験をしてきましたが、このときは特に、材料実験の延長線上に宇宙飛行士としての仕事がありました。宇宙環境を利用して新しい実験を行うというミッション(飛行)に参加し、日本側から34テーマ、アメリカ側から9テーマ、計43テーマの実験を、日米の協力作業として初めてNASA(アメリカ航空宇宙局)の宇宙飛行士3人と私の計4人で行いました。この4人という数はたまたま宇宙で実験に携わった人の数で、その他にも地上サポートの方々や実験装置を製作した方々、実験提案者の研究者や学生たちもいますから、大変大きなプロジェクトに加わらせていただいたといえます。
  その結果、宇宙に行きたいという子供のころからの夢も実現できましたので個人的には何よりですが、社会に少しでも貢献できたことを私はとても嬉しく思いました。

 1回目の宇宙飛行時は、スペースラブ(宇宙実験室)内での実験に忙しく、窓から宇宙や地球を思索しながら長時間眺めることはできませんでした。しかし、そのような短い時間のなかにも、地球を眺めた時に感じたことがたくさんあります。知識では知っていた「地球は丸い球である」ということ、地球には重力があること、日本列島が地図と同じ形をしていることを実感として納得しました。ガリレオやニュートンの大発見、伊能忠敬が苦労を重ねて作り上げた日本地図が、一瞬にして認識できたのです。と同時に、宇宙から地球を眺めることによって、私の概念自体も広がりました。自分の目の届く範囲がさらに広がり、全体が把握でき、自分の存在位置がより明確になったのです。
  しかし、あまりに地球を眺める時間が少なく、自分にとって宇宙でやり残した仕事がまだあるのだという想いを持って地球に帰還しましたので、なんとかしてもう一度、宇宙へ行くチャンスを得て、地球を眺めながら自分なりにじっくりと考えてみたいと思いました。その後、日本でもスペースシャトルのミッションが多くなり、国際宇宙ステーションに参加するための宇宙飛行士も増えてきました。私の宇宙飛行士の経験が、後輩を育てることに何か役立たないだろうかという想いもありました。

 NASAの宇宙飛行士になれるのは、以前は米国籍を持つ人だけに限られていましたが、たまたま国際宇宙ステーションの協同国際ミッションが始まり、1992年からアメリカ以外の宇宙機関に所属する宇宙飛行士にも機会が与えられるようになりました。その宇宙飛行士を「ミッションスペシャリスト」といいますが、私は運良く96年に、NASAのミッションスペシャリスト候補者のクラスに入学することができたのです。
  NASAのミッションスペシャリストは、1959年に始まったマーキュリーセブンといわれた第一期生7人の宇宙飛行士を最初に、およそ2年後ごとに宇宙飛行士を募集しています。ミッションスペシャリストはNASAの正式な宇宙飛行士なので、それになるためにはジョンソン宇宙センターで1年半にわたる期間、アメリカ人で宇宙飛行士候補者に合格した人たちと一緒に訓練を受け、その課程に合格しなければなりません。

 92年に宇宙飛行士の国籍がオープンになったとき、日本人で最初に宇宙飛行士になったのが、若田光一さんです。95年が土井隆雄さんで、マーキュリーを一番とすると若田飛行士が14期生、土井飛行士が15期生です。そして、2003年に国際宇宙ステーション組み立てミッションの宇宙飛行士として宇宙に行く野口聡一宇宙飛行士と私の二人が16期生です。同期生は外国から9名、NASAから35名、計44名というNASAで最大のクラスになりました。
  幸い、私はミッションスペシャリストとして、2000年に二度目の宇宙に行くことができました。このときはすでに宇宙飛行の経験がありましたから、具体的な想いや目的を持って飛ぶことができました。二度目の宇宙飛行では、レーダーを用いて全陸地の80%の三次元地図を作成するというミッションに参加しました。

 地球は1日に24時間で自転していますが、この間にスペースシャトルは地球を16周し、赤道を32回横切ります。また、1周する約90分間に、地球の自転のためスペースシャトルから見える地球の位置が22.5度ずつ変わっていきます。スペースシャトルの軌道高度を適当に選ぶことによって、ちょうど10日で赤道上を160等分することができます。このとき、レーダーを用いれば世界中の地図データを、わずか10日間で測定できるのです。
  それでは、そのとき(2000年)のミッションのビデオをご覧いただきたいと思います。ビデオに「STS-99」という名前が出てきますが、それは99番目のスペースシャトルのミッションという意味です。スペースシャトルの正式名称は、Space Transportation Systemといって、ミッションが決まるごとに通し番号がつけられます。このビデオはNASDA(日本の宇宙開発機構)が作成したものです。

 〔ビデオ上映(ナレーションのまま)〕

 毛利:「宇宙に出てみると、地球は私たちにとってたった一つ帰ることのできる場所だと実感しました。地球はいつまでもよいところ、「まほろば」であってほしいものです。私はもう一度宇宙に行って、私たちの「まほろば」を見てみたいと思いました。今回の私の宇宙飛行は地球を見る旅です。」

 1992年の飛行で、毛利宇宙飛行士は科学者として宇宙でさまざまな実験を行いました。その後、新たにミッションスペシャリストという資格を取りました。スペースシャトル内のすべての機器を操作し、船外活動まで行うことができるのがミッションスペシャリストです。毛利宇宙飛行士の新たな挑戦です。毛利宇宙飛行士はミッションスペシャリストとして、実験だけでなく船長やパイロットのサポートも行います。
  今回のミッション・STS-99で、毛利宇宙飛行士と一緒に飛ぶ5人の仲間たちです。ミッションの責任者、コマンダーのケビン・クレーゲル宇宙飛行士。パイロットのドミニク・ゴーリー宇宙飛行士。ドイツから参加したゲルハルト・ティーレ宇宙飛行士。2回目の飛行となるジャネット・リン・カバンディー宇宙飛行士。そして5回目の飛行となるベテラン、ジャニス・ボス宇宙飛行士です。
  スペースシャトル「エンデバー号」は2000年初めての打ち上げを控えて、念入りな点検を受け、慎重に発射台まで運ばれていきます。
  日本時間2月12日、ケネディ宇宙センターではいよいよ緊張感が高まってきました。日本時間午前2時44分、スペースシャトル「エンデバー号」は新たな任務を負って宇宙に飛び立ちました。

 毛利:「今回、宇宙から8年ぶりに地球を眺めたわけですけれども、太陽に照らされた昼間の陸地には、まだまだ森林に代表される植物が多いこと、それと利用されていない広大な海洋がたくさん存在することがわかって、本当に安心しました。地球環境の汚染問題が叫ばれていますが、まだいまからでもその回復に十分に間に合うと思います。」

 今回のミッションの主な目的は、地球の詳しい立体地形図を作ることです。宇宙に到着すると、まず、長さ60mもある巨大なマストが延ばされました。マストの先にはアンテナがついています。「エンデバー号」本体に設置されたメインアンテナとマストの先の外部アンテナ。この二つのアンテナから発射された電波が地表からはね返ってくるのを測定して、立体地形図を作ります。ちょうと人間が二つの目で見るのと同じように、立体的な画像が作成されるのです。

 打ち上げからおよそ12時間後、地球の測定がはじまりました。それではここで「エンデバー号」から見た美しい地球の映像をご覧いただきましょう。目の前に広がるのは、ヒマラヤ山脈です。
  船内には、今回のミッションのために用意された6台の特別な高速データ・レコーダーと、それを制御するための2台のラップトップ・コンピュータがあります。クルーたちは測定データが途切れないように監視し、データを記録するためのテープを交換します。

 毛利:「今回は2交替で1日を12時間ずつに分けているんですが、働いている時は忙しいんですね。まったく考える暇がなくデータをとっているんですが、寝る前と起きた後のすぐの2時間ぐらい、先にいろいろなことを済ましてその後、そうですね、たとえば水球を作って実験したり、音楽を聴いたりしています。」

 宇宙空間での生活とは、どのようなものなのでしょうか。リンゴも皮も、そしてナイフまでがフワフワと漂います。重力がないというのは、地上との大きな違いです。
  スペースシャトルはどの方向にも飛べるので、データを取る時はレーダーの向きがいちばん良くなるように飛行します。そのため後ろ向きに、しかも背中側を地球に向けて飛んでいます。アンテナの姿勢を保つことも重要です。わずか数ミリずれても、正確なデータを得ることはできません。このように高度な飛行技術に支えられて、初めて精密な立体地形図ができあがります。

 今回の「エンデバー号」は地上から233キロの高さを飛んでいます。スペースシャトルとしてはもっとも低い軌道を飛んでいるので、地球の表面がよくわかります。毛利宇宙飛行士には、もう一つ重要な任務があります。HDTVによる地球観測です。
  HDTVで撮影された画像は、肉眼で眺めるのと同じぐらい鮮明です。火山の噴火や森林火災の様子を、はっきりととらえることができるので、自然災害の原因を調べたり、その予測を立てたりすることなどに役立ちます。今回紹介している地球の映像は、すべて毛利宇宙飛行士が撮影したものです。

 一方、地上では「エンデバー号」の姿を見つけようと、多くの人たちが宇宙の1点を見つめていました。2月18日、日本上空を通過した「エンデバー号」です。マストの形がわかりますか。
  ここ茨城県つくば市の茗溪学園中学校でも、「エンデバー号」の動きから目が離せません。スペースシャトル内に取り付けられたカメラで、地球の写真を撮るというプログラム、「アースカム」に参加しているからです。日本からは5校が参加し、合計で2715枚もの写真が送られてきました。インターネットを通じて自分で選んだ場所を申し込むと、地上からの遠隔操作で撮影が行われます。撮影された写真は、インターネット上で公開されます。茗溪学園の生徒たちは、ナイル川河口の撮影を申し込みました。数時間後、彼らが選んだ場所の写真が公開されました。インターネットの普及は地上だけではなく、宇宙との距離もなくします。

 ミッションは順調に進み、測定データも次々と集まっています。忙しい合間をぬって、毛利宇宙飛行士はいろいろな実験を行いました。これは二種類の液体が宇宙空間で混ざり合うときに、どのような動きをするのかを見る実験です。また、さまざまなマスコミからのインタビューを受け、HDTVを使った観測方法の説明や、真空を利用した実験の紹介などを行いました。
  月と地球が同時に見えるのは、「宇宙空間ならでは」です。そんな場面を撮影していた毛利宇宙飛行士は、思いがけない光景に出会いました。(東京の光景)
  飛行11日目、「エンデバー号」は全ての観測を終了しました。帰還に向けてマストが収納されていきます。毛利宇宙飛行士たちは今回のミッションで、人間が住む陸地のほとんど全てを測定しました。この膨大なデータを処理するには1年から1年半もかかりますが、ミッション中に地上に送られてきたデータと他の衛星のデータとを重ね合わせて作られた立体地形図が次々と発表されています。
  11日間の任務を完了し、日本時間2月23日午前8時23分、6人のクルーを乗せたスペースシャトル「エンデバー号」が無事帰還しました。今回のミッションで得られたデータを基に作成されていく立体地形図は、航空機の安全な飛行や自然災害の予測などに大きな役割を果たすことが期待されています。

 毛利:「宇宙から地球を見ると、生命が存在できるのは地球しかない、ということがよくわかります。広大な宇宙の涯までを見通すほどの澄んだ目、真っ直ぐな強い意志、そして生命全体を考える優しさを持って、いま私たちは力を合わせて地球を守っていくことが大切なのです。」 〔ビデオ終了〕

 2回目の宇宙飛行では、NASAのミッションスペシャリストとしての任務以外にも、1回目の飛行の後、約8年間考えて準備してきた個人的な実験を遂行することができました。2回目の飛行はレーダーを使っての地球の三次元立体地図作りという、私にとっては理想的な仕事でした。しかも、十分な時間を使って地球を眺めることもできました、宇宙に行った、地球を見てきた、なぜ地球をみているのか、ということを考える余裕がありました。

 次に、宇宙で撮影してきたスライドをいくつかお見せしたいと思います。

 写真1(口絵)の丸い砂漠は、アフリカのモーリタニアにあります。風によってできた不思議な地形です。直径が40キロぐらいあって地上にいる人々にはなかなかわからなかったのですが、ジェミニの宇宙飛行士が地球周回中に発見しました。いままで自分が地上にいては気づかなかったものも、遠い宇宙から見れば「こんな自然形態だったんだ」とわかるわけです。

 写真2は、水を地下から汲み上げ、スプリンクラーを回して撒水している畑です。一つの黒いドットの直径は、1~2キロあります。こういった畑がいま、アフリカの砂漠やサウジアラビア、北アメリカなどに盛んに作られています。砂漠を畑にしようという試みは世界各地で進んでいますが、いったん水を汲み上げてしまうと水が出なくなってしまいます。そうなると、1000年も2000年もの間は、水は戻ってこないんですね。

 写真3は、サハラ砂漠です。私はさまざまな材料の表面を電子顕微鏡で見ていましたから、尖った三角形を見ると金属の表面が削られたスパッタリング跡を想像します。写真のような宇宙からの光景を見ると、いままで自分が電子顕微鏡で材料表面を見た時と同じ形が宇宙にはあるということに気がつきます。

 ミッション期間中は、シベリアは真冬でした。写真4(口絵)にはシベリア鉄道が見えています。雪によって、大きなシベリアの大地に人間によるネットワーキングができていることがわかります。夜の地球を見ると、大都市がハイウェイでつながっていて、陸地全部がネットワークになっています。

 写真5はガンジス川ですが、宇宙から見ると地球は芸術的ですね。
 

  写真6の左の写真は、1985年にスペースシャトルから撮られたものです。右は92年に、私たちが宇宙に行った時に撮った写真です。アラル海はかつて、カスピ海の隣にある世界第4位の大きな湖でしたが、92年には島がさらに大きくなっています。わずか7年のうちに、湖が砂漠化して水がなくなってきています。自分が生きている時代に、環境の変化がこれほどまでに大きな規模で起きていることを目の当たりにしました。
 

  地球を見ると、さまざまなものが見えてきます。写真7(口絵)は望遠レンズで地球を撮影したので、あまり丸く見えないかもしれません。地球に朝日か夕日かわかりませんが、光があたっています。スペースシャトルが飛ぶ高度200~500キロには大気がありません。濃い空気の層は地上30~40キロぐらいで、高度100キロメートル以上が宇宙だといわれています。
  たとえば、私たちが海に行って地平線に沈む太陽を見ると、太陽が徐々に真っ赤になって、最後はゆっくりと沈んでいきますが、宇宙で見ると2、3秒で大気をくぐり抜けてしまうので、アッという間に沈んでしまいます。スペースシャトルは地球の周りをわずか90分、時速3万キロ、1秒間に8キロ、マッハ25のスピードで回っていますから、90分に一度の割合で朝日夕日が見えるわけです。すると1日24時間で16回、朝日夕日が見えることになります。
  宇宙では太陽は真っ白に輝いているだけなのですが、太陽が地球の陰に出入りする瞬間だけ急に色が変わります。闇黒の宇宙に白く輝く太陽が黄色味がから、オレンジ色になって、やがて赤くなります。それが2秒か3秒で起きます。その一瞬を写真に撮りました。大気の層を含めて色が変わってきますから、それはそれは息を飲む美しさです。

 写真8(口絵)を注意深く見ると、七色に変わった大気層のいちばんうえにグリーンの帯が見えます。地球全体がグリーンの帯に囲まれているような夜になります。このグリーンの帯は、昼間は大気のいちばん上層にある原子が太陽によってエネルギーを受け高エネルギー状態になり、それば夜になって発光するからです。その発光の色がグリーンなのです。
  ちなみに見える星はオリオン座ですが、地球で見ている形が逆転しています。星は地上ではチカチカと瞬きますが、宇宙では瞬かずにそのまま点になって見えます。空気のおかげで星は瞬いているわけです。

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ユニバソロジの世界観
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  第一回目の宇宙旅行では、私はさまざまな宇宙実験をしましたが、特に時間をかけたのが、宇宙に細胞を持っていって位相差顕微鏡で写真を撮り、その細胞を培養して増殖具合の変化を観察することでした。細胞が宇宙という無重力空間にさらされるストレスによって、いろいろなホルモンなどを発しますので、それを貴重な薬品にできないか、といった実験でした。宇宙で顕微鏡を使ってサルの腎臓細胞を見ていたとき、細胞の形がスペースシャトルの丸い窓から見える地球の湖や砂丘に似ていることがとても印象的でした。

 顕微鏡で見る細胞は100分の1ミリ、つまり10ミクロンぐらいの大きさですが、スペースシャトルから見える砂漠のピラミッド型のような形の一辺は数キロあります。その二つの細胞が、同じぐらいの大きさに見えました。私はそれまで、電子顕微鏡でさまざまな物質の表面を観察していました。それらはさらに小さい数百ナノメートルのサイズです。宇宙にいるとき、これらの相似に妙な実感を覚えました。それぞれのサイズで自然は調和しているという感覚です。すべては連続した全体の一部であるという世界観です。
  私はこの概念を、時間的尺度も取り入れて少しふくらませて「ユニバソロジの世界観」と名づけました。英語の言葉にユニバース(普遍的な宇宙Universe)はありますが、ユニバソロジ(Universology)は厳密には英語にもない造語です。したがって、日本語にも適当な言葉が見つかりません。「すべての現象に共通な概念を含むものの見方」といえるかと思います。

 私はなぜ、地球は眺めたかったのか。地球は確かにそこにあるが、その地球って何なんだろう、という意識が私のなかにあったからです。確かに自分はあそこから来た。あの球体の表面には自分の親戚もいるし、知人もたくさんいる。いろいろな動植物もあるが、この宇宙には誰もいない。クルーの6人だけが地球から離れて、いま宇宙を回っている。いま仮に隕石が地球に飛来して異変が起きれば、自分たちだけがこの宇宙で生命維持装置をつけて生かされてることになる。そういうことを徹底的に考えてみたいと思いました。
  窓から地球をじっと長い時間眺めた時、急に「地球は確かに球体として存在する」ということがわかったのです。宇宙に地球が浮かんでいる。その他は真っ暗闇な世界が広がっています。しかもそこは上下の区別がない世界です。上下の区別は宇宙ではまったく意味がないことです。

 面白いことに、考えてみたこともないような意識がまた浮かんできました。地球というのは確かに生命を育む美しい球だと確認できたと同時に、「このようなものは宇宙のどこにでもある」という意識です。
  宇宙に地球を含む太陽系が形成されて46億年がたちます。溶岩のかたまりだった熱い地球が冷え固まった後、海ができました。そしてあるとき、海のなかに有機物が生まれ、そのなかから自分を複製できる可能性を持つ生命が、約40億年前に誕生しました。それ以来、突然変異をくり返し、とのときの自然環境に適応したものが多様化しながら、現在の豊富な地球生命体を築き上げてきました。私たちが最先端の科学でわかることは、確かに地球の生命体にはDNAという遺伝子が全てに共通して存在するということです。
  つまり人間だけが特別なのではなく、他の全ての生物にも共通であるという事実です。人間はいま、DNAの原子一つひとつを読み取ることができました。そして人間はいま、宇宙から地球全体を見ることができる時代になりました。
 

  このことは何を意味しているのでしょう。確かに地球はそこにあるけれども、同時にこの宇宙にはそういう天体は当たり前のように存在する。現在、太陽系のような星が銀河系に約2000億個あることがわかっています。同じような銀河系が大宇宙には数千億個存在しますから、数千億個かける数千億個ですから、太陽系と同じような天体が宇宙にはたくさん存在して、そのなかには地球と同じような環境がたくさんあるだろう。
  このような考えは、知識としてはわかります。しかし、私は宇宙へ行って、「地球のような天体は他にも存在する」ことを直感で感じました。このことは自分でも衝撃的だったのを覚えています。なぜなら、つねに私は科学者としての私を意識して、論理的に証明できる物事しか認めない立場にあります。しかし、このときだけは非常に非科学的な直感を受け容れた自分がとても不思議でした。

 冷静になって、生命の歴史をひもといてみました。われわれが最先端の科学を使って生命の流れを解き明かすうちに、見えてきたものがあります。20年前には見えなかったものが、いま見えてきている。これは21世紀に私たちが社会を営んでいくために重要な基本になるのではないか。その根本となるのが、おそらく生命の流れ、つまり人類はいまどういう位置にあって、これからどいいう方向にいくのだろうか。人間は地球のエネルギーをたくさん使いながら繁栄してきたが、このことはどういう意味があって、他の生命体をどのようにつながっていくのかということです。

 そしてまた、私たちだれもが、どうして宇宙に憧れ、宇宙に行きたいと思っているのか。アポロ宇宙船のアームストロング船長が月面に足跡を記した時、世界中のだれもが感動に包まれました。アメリカ一国ではなく、初めての人類としての具体的な偉業として賞賛されました。それはどうしてなのか。

 宇宙に限らず、われわれが社会生活を営むうえで、社会全体としても個人としても「喜び」というものは、何か一つの方向を指し示しているのだろうと思います。たとえば昨日、サッカーW杯の一次リーグに日本チームが勝って、日本人のだれもが喜びました。あの喜びは何なのでしょうか。
  イチローがアメリカの大リーグで活躍しています。天才的なスポーツ選手の活躍を見て、われわれはなぜ嬉しいのでしょうか。科学者が素晴らしい発見をしてノーベル賞を受賞して、なぜ嬉しいのでしょうか。芸術家がすばらしい絵を描いてわれわれに見せてくれたり、音楽家がすごい曲を作曲して聴かせてくれると、嬉しくなるのはなぜなのでしょう。
  おそらく、それらの全てのことに一つの共通の流れがあるのではないか。その「喜び」は、宇宙開発によっていろいろなことが可能になった「喜び」とよく似ているものだと思います。

 一回目の宇宙飛行の時、私はどうしてあんなに苦労してまで宇宙に行くことに駆り立てられたのか。最終的に行き当たったキーワードが「生命」でした。それから私は「生命」について勉強しました。NHKスペシャルの『生命』が94年から95年にかけて10回シリーズで放映され、私はキャスターを務めさせていただきましたが、そのときに、ハッと行き当たったときがありました。それは「始祖鳥が空を飛んだ」というときです。

 生命の歴史をたずねると、当初、海で誕生した生命が複雑多岐にわたり、海から川へそして陸地へと、生きる場所を拡大していきます。さらに陸から空へと領域を広げます。それが始祖鳥だったわけですが、それを可能にしたのは、自分の「意志」が働いたからではないかという気がしてきました。
 

  現在の生物学界では、自分の「意志」によって遺伝子に変化を与えるという論理は認められていませんが、そうでも考えないと理解できないような突然変異があらわれます。化石を見ると、変異の仕方があまりにもジャンプしているんですね。遺伝子に組み込まれている情報以外に、われわれは自分の「意志」によって自分の体を変えてきているのではないかと思えます。

 それは言い過ぎだという人もいらっしゃるかもしれません。しかし実際にいま、遺伝を組み換えて新たなクローン生物ができるようになりました。私の体のなかにはおそらく地球生命の40億年の歴史全部が情報として組み込まれているので、地球と同じような環境に持っていって培養すれば、おそらく地球と同じような生命が誕生するのではないか。クローン羊のドリーに代表されるように、すでにそういう生物はできてますから、いまの科学からすると無理がない考え方だと思います。私が宇宙に行って、地球と同じような惑星がこの宇宙にたくさんあると思えたのは、いまの科学ではむしろ当たり前と考えていいのかもしれません。

 では、地球生命の歴史につねに共通するものは何だろうか。それは生命として、いつも広がっていこう、広がっていこうとする「意志」ではないか。海にいた生物が無理を冒してでも陸地に上がり、やがて空を飛べるようになる。ある生物種は犠牲になって絶滅していますし、恐竜に代表されるように隕石が飛来し絶滅してしまった生物種があります。環境が変わっても、生き延びられた生命種だけが現存しているという事実です。可能性があっても、生き延びられた種だけしか存在できないという事実を考えたとき、可能性に挑戦し、環境を変えたり順応したりする試みをしてきた生命だけが生き延びられたという事実に行き当たったのです。考えてみれば、このような挑戦はビジネスの世界では当たり前という気がします。

 その駆動力になるのが、「喜び」だと思うのです。私たちの可能性が少しでも広がったとき「喜び」を感じるのだろうと思うのです。勝つのは不可能だと思われた試合に挑戦して勝利を得られたときの喜びは、生命が生き延びるチャンスが増えるという喜びと共通点があるのはないかと思うのです。私がなぜ、苦労してまで宇宙に行きたかったのか、という疑問が解けたように思いました。

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国際宇宙ステーションの意義
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  そのように考えると、今日のテーマである国際宇宙ステーションの意義が見えてくるような気がします。国際宇宙ステーションは現在、三人の宇宙飛行士が絶えず宇宙にいて国際協力で半年を過ごし、帰還してはまた替わりの宇宙飛行士が行きますが、人類がなぜあのような生産的でないものに挑戦していくのか。アメリカはたくさんの資金を投入していますし、日本も全体のプロジェクトの12.8%を担っています。それほどの資金を投入して、はたしてペイするのか。ビジネスで常識的に考えてペイを求めようと思っても、おそらく無理があるでしょう。もっと根源的な意義のほうが大きいのです。
  アメリカのケネディ大統領は、アポロ計画を国家目標に掲げ、それを成し遂げました。しかし、発想の根源にあったのは、ソビエト連邦に対するアメリカの軍事的優位の証明でした。アメリカ国旗を月面に差して見せ、アメリカ国家の威信を世界やソビエトに見せつけるものだったはずです。

 しかし、実際に目標を掲げて月に行き、結果はどうだったでしょうか。1969年7月21日の月面着陸は、世界中のだれもが喜び、感動しました。アームストロング船長が月面に一歩踏み出して、「人類の偉業である」と言ったとき、軍事的に敵対するソビエトでさえ喜びました。これは象徴的な出来事です。アメリカ国旗を立てに月に行ったのに、アメリカが成し得たことはアメリカという国を超えて、世界中の全ての人たちに恩恵を与えました。それが「宇宙船地球号」という概念です。

 それまで、国あるいは国境でもって、米ソ間に冷戦が続いていたり、ベトナム戦争があったりした頃でしたが、人類が月に行って初めて、地球が「宇宙船地球号」のように、ある環境をもって宇宙に浮かんでいるという事実を人々は認識できました。宇宙に浮かぶ運命共同体という概念が世界中の全ての人たちに哲学的に意識されたのです。

 国際宇宙ステーションはいま、資金をどこがいくら出すかということが簡単ではありません。とくにブッシュ大統領になってからは、国家予算から国際宇宙ステーションにお金を出しにくくなっていますし、ロシアもヨーロッパも日本も、自分でイニシアティブを取ろうとしています。しかし、こういったむずかしい条件下ながら、なんとか国際協力で成し遂げようとしています。

 ところで、国際宇宙ステーションは宵の明星としていつも見えるんですよ。日本の上空を通ったときには非常に光って見えます。ステーションでは世界中の宇宙飛行士が作業しています。おそらく、3年後には日本人が絶えず宇宙ステーションに滞在することになるでしょう。
  その意義としては、もちろん宇宙実験でさまざまな成果が期待できます。冷戦状態が終わって、ソビエトが崩壊したことは「宇宙船地球号」という概念、つまり国境に意味がないことを証明しました。と同様に、いままで宇宙に大きな物を作り上げられなかった地球人が、国を超えて協力すれば何かを作り上げられるという大きな自信が生まれてくると思うのです。おそらく30年後には、国際宇宙ステーションが評価されるのではないかと、私は思っています。

 国際宇宙ステーションの建設に日本が多くの税金を使って、何の意義があるのかとおっしゃる方があるかもしれません。日本は国際貢献として、目に見えるかたちで行っています。日本はいま、日本の置かれている状況や経済の落ち込み同様、もっと根源的なところで、私たち日本人自身が、精神的に卑屈になって落ち込んでいると思います。日本人のレベルの高さを、おそらく国際宇宙ステーションは改めて見直させてくれるのではないかと思います。

 日本人あるいは日本社会全体にとっても大きな恩恵が生まれます。その一つは「危機管理」ということです。私は特別に政治のことを知っているわけではありませんが、日本は安全保障条約で守られてると思っていますし、他の国から戦争を仕掛けられるとも思っていません。
  しかし、世界中どこへでも行けるようになったいま、日本は島国ですから、ある程度の安全は確保されているでしょうが、それも30年前ほどの安全は期待できないでしょう。
  事実、世界中どこでも時間と距離の相対性が変わってきています。このような時代に、日本人の意識は他の国の意識と違うにもかかわらず、本当に日本は安全といえるでしょうか。日本社会のなかの危機管理的な発想は、いま以上に重要になってくるのかと思います。

 国際宇宙ステーションは、アメリカの危機管理で運営されていますので、そういう意味では、ある程度アメリカの価値観が入っています。非常時に生き延びられる可能性を追求することは、生命の流れと同じです。
  しかし、それに対処できるかどうか。そうした危機管理能力を訓練する場所が国際宇宙ステーションなのではないかと思います。NASAでの宇宙飛行士の訓練は危機管理の訓練そのものです。何かあったときに、どう対処したらいいか。どうやって被害を最小にして、危機をくぐり抜け命を守っていくか。従来の日本では、たとえば、ロケットが打ち上がって国際宇宙ステーションに行くまでの間に起ることを想定し、シナリオどおりの訓練を何度もくり返していました。しかし、その通りにいくのが当たり前で、それ以外の非常時にどれだけ対応できるかが重要なのです。
  NASAで私たちが訓練したことは、不具合にいかに対処するかということです。考えられるだけの不具合を起こし、その一つひとつを時間をかけて検証し、状況がさらに悪化したらどう対処するか。この場合、考えうる不具合をどれだけ想定できるかで、地上でサポートする人の評価が決まります。
  つまり、物事がスムーズのいかない場合をどれだけオープンにして対処できるかということで評価される。従来、こういった危機管理は、おそらく日本の社会ではあまりされてこなかったと思います。一方、アメリカはさまざまな移民で構成されていますから、つねに危機管理ばかりしています。その点では、物事は非常に味気なくなります。卑近な例ですが、ジョンソン宇宙センターのあるクリアレークに、おいしいレストランはほとんどありません。潤いのある文化的な生活は、宇宙飛行士はあまり興味がないというか、むしろそこに価値観を見い出してはいないのです。

 しかしながら、そういった価値観は、将来、宇宙に人類を育み繁栄させられるかというと、私はそうは思いません。もっと別な価値観がたくさん入り込んで、宇宙を有用に利用してくことが必要だと感じます。
  そういう意味では、日本人のほうが歴史が長い分、個人の文化的なレベルが高いと思いますので、日本人の今後の活躍に負うところは大きいでしょう。日本はとてもユニークなものをたくさん持っています。アメリカ型の戦争にたいする危機管理が宇宙にまで導入されています。NASAの宇宙飛行士は160人ぐらいいますが、パイロットの宇宙飛行士はすべて軍出身者です。危機が起れば、0.何秒のオーダーで対処していかなければなりません。敵が攻めてくる前に、相手に勝つにはどうしたらいいかという、いわば人を殺すための、自分を守るための危機管理です。

 いま地球全体として必要とされる危機管理は、アメリカ型ではないのではないかと思います。地球環境が変化しつつある現在、されにレベルの高い、本当に人類が生き残れるのかという「生命」の危機管理が必要なのではないか。それを具体的な問題として提起できるのが宇宙なのです。宇宙に挑戦することによって、人類を殺す危機管理から、生き延びるための危機管理へ。生き延びるには、他の生命体と調和していかなくてはなりません。

 そういった発想の宇宙開発は、まだ世界中のどこからも出ていません。それが日本から出てくるのではないか。私は宇宙に行った時に全てが相対的で、全てがあるがままにあって連続していると認識できたのは、きっと私が日本人だからだろうという気がします。アジア人と言った方が適当かもしれません。あまり国を意識せずに、ある範囲内である文化を持つ人たちが、いまの科学技術の考え方をさらに広げることができるのではないか。西欧的な科学技術よりも優れているという意味ではなく、さらにそれを大きくできるのではないかという意味ではなく、さらにそれを大きくできるのではないかという意味で、日本は貢献できると思います。おそらく国際宇宙ステーションを使えば、少なくともアジアの国だけでは日本だけがそのチャンスを持っていると思いますので、それを活かさない手はないでしょう。

 私は2回目の宇宙飛行を終えて、子供の頃からの夢が実現しました。最初のミッションは国家プロジェクトでしたので、莫大な税金のうえに成り立っています。もちろんたくさんの技術者、研究者が関わり合ったわけですが、個人的にはとても幸運に宇宙に行かせてもらったと思っています。それに対してお返しをしたいという気持ちがすごくありました。私に何ができるのか。私は科学者として「科学」と「技術」をキーワードに仕事をしてきて、そして宇宙に行きました。私が貢献できるとしたら、科学者、技術者としてではないか。はたして科学や技術が、多くの人たちに日常的に意識してもらえているだろうか、その恩恵がわかってもらえているだろうか。

 日本の21世紀は「科学技術創造立国」を謳っています。20世紀を豊かにしてきたのは私たちの努力によるものです。その基となったのは、私たちが科学技術をうまく利用して、いろいろなものを作り出してきたからです。21世紀はさらに他国との競争が激化していくでしょうが、科学と技術の恩恵を私たちは感じることができるのか。ビジネスに役立つから、否応なしにITを使う。儲かるからITを取り入れる。今世紀はITを通じて個人に世界中から情報が入ると同時に、個人の情報をアイデアしだいで世界中に広げることのできる時代です。そのことは同時に、個人がいろいろなことを判断し、自分でいろいろなことを意識する場が必要となってきます。

 二度目の宇宙飛行から帰還して、私はこれまでの経験と情報を発信できる場がないものかと考えていました。ちょうどその時期に「日本科学未来館」の設立が構想され、ここで私の想いが展開できるのではないかと考えました。

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日本科学未来館
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  私は宇宙飛行士として最先端の科学技術を駆使した人工世界のなかだけで暮らす体験をしました。そして、地球に戻ってきて改めて地球環境のありがたさを、しみじみと自分自身で感じました。私が宇宙に行けたのは科学技術の力です。科学技術はあくまでも人間の道具であってそれ自体が目的ではありません。何が目的かというと私たちがよりよく生きていくためだと思うのです。 国の事業として、昨年(2001年)7月に「日本科学未来館」が東京・お台場にオープンしました。科学技術を身近に感じ、私たちの社会に対する役割と未来の可能性について考え、語り合うための、全ての人に開かれた場です。
私は、そこで館長として指揮を執り、自分が得た「ユニバソロジ」という共通概念を具体的に展開し、実施することに挑戦し始めました。

 それは、私が宇宙で経験した「人工世界」を作った最先端の発明をしている科学者・技術者も、また私たちと同じ環境で生きているふつうの人間であることを、自他ともに理解することから始まるのではないかと考えました。
彼らの創造物とその人自身、および考え方を、多くの人々に知ってもらって相互作用し、活発に日常社会の中で科学技術を身近な文化に感じてもらおうとする試みです。
  私たちは日本科学未来館をMeSci(ミーサイ)と呼んでいます。英語名(National Museum Emerging Science and Innovation)の略称ですが、私と科学(Me +Science)の関係を考えるという想いを込めています。
  これからは、私たち一人ひとりが科学技術と自分との関係を「考える」ことが大切になります。科学技術の発展は私たちの生活を豊かなものにもしますが、使い方を誤ると暮らしを脅かすものにもなります。科学技術はルールを守って使えば安全ですが、ルールを守らず何をやっても安全は訳ではありません。未来を創造する子供たちには、地球および宇宙をも視野に入れたまっすぐで強い意志、地球生命全体を考えた優しさをもって生活することを大切にしてほしいと願っています。
 

  私たち人類全てと地球生命全てにとって、平和で暮らしやすい時代になるかどうかは、多くの若い人達の努力にかかっています。「理科離れ」という表現があります。現在の日常生活を見ると、携帯電話、気象衛星の情報、脱臭剤に至るまで、どれも理科と離れるどころか離れられなくなっています。若い人が科学嫌いかというと、携帯メール、カーナビのGPS、インターネットやファミコンなど、すべて科学技術を使ったものに夢中になっています。若い人は「必要なものには敏感」なのです。そこで、将来に「必要」となる開発中のもの、すなわち「最先端」の科学技術を見てもらい、興味を深めてもらおうと考えました。

 日本科学未来館で重視いたのは「本物」を見せるということです。本物に触れた時の驚きと感動。この「リアリティとの共鳴」を日本科学未来館の重要なコンセプトとしました。未来館の展示の構想には第一線の研究者・技術者に関わっていただき、研究開発の紹介とともに科学者や研究者の顔が見えるようにしました。 単なる物の説明ではなく、それを作り出した人の想いや、科学者・技術者がどんな夢に向かっているのかをぜひ見ていただきたい。
  そして、自分の将来の仕事としても科学技術に関わることに魅力を感じてほしいと思います。館内には研究室もあり、科学者が最先端の研究を行っています。展示の前では、第一線の研究者から直接説明を聞く機会も設けています。日本科学未来館で見てもらうのは「物より人」なのです。研究者に対しても「自分の研究が紹介できる。一般の人にも広がる。プレスの人にも広がる。自分の研究を認めてもらう絶好のチャンスだ」と認知される日本科学未来館にしたいと思います。

 展示は参加体験型を特徴とし、その説明は単にパネルを読ませるのではなく、理工系の大学を卒業したインタープリンター(展示解説員)が実演や会話を通して皆さんの理解をお手伝いしています。総合的な学習の時間などの利用もありますが、会話による解説は生徒一人ひとりの課題の深化に応じて興味を発展させるのにも有効です。その課題から周辺とのつながりにも考えを発展させられます。展示解説にはボランティアの皆さんも加わり、語り合いを広げます。ボランティアは自分自身をより高めたいという人たちの集まりです。
  その活動は、日本科学未来館の趣旨を最も反映しており、新しい社会貢献の姿を作り出してくれるものと期待しています。さまざまな人と出会い、新たに自分を発見することができますが、一方で、多くの人々に影響を与えていきます。私はそのことが一番重要だと思います。

 日本科学未来館の展示テーマは、現在は「地球環境とフロンティア」「情報科学技術と社会」「技術革新と未来」「生命の科学と人間」の四つで、国の重点研究領域を中心に選ばれたものです。
  これらに加えて、私が館長となり自分自身が選んだシンボル展示が「ジオ・コスモス」です。私が宇宙から見た地球を皆さんと共有したいという想いを込めました。一階から六階までの吹き抜け空間に直径6.5メートルの球体ディスプレイが「今」の地球の様子を映し出しています。
  ジオ・コスモスは球形のテレビで、その表面には約100万個の発光ダイオードが貼り詰められていて、人工衛星からの雲の映像は三時間毎に米国から受信しています。「オーバルブリッジ」という空中廊下では、坂本龍一さんの音楽を聞きながらジオ・コスモスが眺められます。その曲は自然の変化に応じて奏でられていて、日の出から日没までの光の変化や風向・風速など、屋上センサーの測定データに連動しています。自然と共鳴しているような不思議な感覚を味わえる「科学と芸術の融合」も象徴しているのです。

 学校では「総合的な学習の時間」が本格的にスタートしました。現在の複雑に進化した科学技術社会のなかで、いま何を子供達に身につけてほしいかを考えることが必要です。子供は与えられたどんな環境にも適応しようとしますが、その外の世界は学習によって学ばねばなりません。そのとき大人達がどのような心構えを持って理科を教えるのかが問われています。
  特に、実験や体験をともなう授業では、先生が教える内容を自ら経験し、理解して子供に向き合っているかが重要になります。それらがないと学習意欲をそぎ、逆効果になりかねません。先生自身が興味を持ち、面白さを感じ、さらにその準備にどれだけ時間を割けるかが大切になります。
  科学技術の分野は、今ではIT、ゲノム、ナノテクノロジー、宇宙開発など、相当な専門性が必要とされる段階まで進歩しています。それら全てを学校の理科教育に求めるのは無理があります。地域社会と連携しながら、科学館や研究所などを活用できる体制にする必要があるでしょう。生徒の学習の場として、また教員の研修の場として、日本科学未来館は「学校とのネットワーク」や、「科学館とのネットワーク」を発展させ、その役割を担いたいと考えています。

 この日本科学未来館は、ここを利用する多くの方々との相互作用で成長し、内容も理想のコンセプトに近づけるように変わっていきます。目標は高いのですが、21世紀、たまたま人間だけが持っている科学技術が、全地球生命の存続へ少しでも貢献できればと思っています。
  さらに、生命のバランスを意識した世界のリーダーシップをとれる若い研究者が、身の回りから育つ環境作りも、同時にしたいと思っています。人類は悩める青年期を迎えているようにも見えます。皆さんが個人として科学技術に限らず、社会全体との関わりで人類という青年期の成長に何か貢献したいなという気持ちが沸き起これば、私たちのやりがいも増します。そして、それは同時に皆さん自身を成長させることにもなるのです。

 私たちはさまざまな新しい試みを実験しています。
  失敗することもあるでしょうが、日本社会に西欧社会のいろいろなことを織りまぜて新しいものができれば、それを日本中に広げていくシステムを作っていきたい。微力ですけれども、そのお手伝いをさせていただきたいと思っています。

日本科学未来館
〒135-0064 東京都江東区青海2丁目41番地
電話:03-3570?9151

(宇宙飛行士・日本科学未来館館長・北大・理修・理・昭45・理博〔フリンダース大〕)
(本稿は平成14年6月10日夕食会における講演の要旨に日本科学未来館の部分を加筆したものであります)

[謝辞]     常務理事  井口 洋夫
科学の分野では毛利さんに心酔しているのは、ありきたりの言葉ですが、死線を超えた人間の魅力は何ものにも替えられないと思うからです。毛利さんは日本人であって日本人でない「世界の毛利さん」ですから、どうぞ健康に留意して、ますますのご活躍をお祈りいたしております。そして、われわれにまたこういう機会を持たせてください。生の声を聴くことがいかに貴重であるかは、テレビジョンの発達した時代であればこそ感じております。
  毛利さんへの質疑も活発で、このままいくと明日の朝までかかってしまいそうです。名残は尽きませんが、われわれの年齢を考えまして、この辺りで終わりにしたいと思います。
  本日はありがとうございました。