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学士会アーカイブス

情報化社会と若者 養老 孟司 No.832(平成13年7月)

情報化社会と若者
養老孟司
(北里大学教授・ 東京大学名誉教授)
No.832(平成13年7月)

 きょうは、「情報化社会と若者」ということで、若い人の話をさせていただきます。現在、私は北里大学で教養を教えておりますが、ご存知のように教養教育など要らないという意見もありまして、大学から一般教養はなくなる傾向にあります。本来、教養というのは自然に身につくのもで、講義によって何か身につくというものではありません。そういう意味では教養を教えているという言い方はおかしいのですが、私は長年大学におりましたから、やはり若い人が面白い、若い人を見ているのが楽しいので、教壇に立っております。

 一般的に言われるように、若い人たちの雰囲気が非常に変わってきました。それがなぜかということをいろいろ考えさせられるわけですが、私が最初に若い人のことを真面目に考え出したのは、私が助手になった昭和42年頃でした。例の大学紛争で、夏休み以降1年間仕事らしい仕事はできず、当時の学生たち、昭和22年から24年生まれの団塊の世代と言われる方たちとはさんざんつき合ってきました。私の家内もその世代なので、完全に戦後の教育を受けた50代前半の世代についてはよくわかっています。
  私の世代はどういう世代かと言いますと、現在政治の主だったところにおられる森(善朗)さん、橋本龍太郎さん、河野洋平さん、亡くなった小渕(恵三)さんはほとんど私と同じ歳です。作家では、塩野七生さん、古井由吉さん。有名なところでは、美空ひばりさんが同年です。昭和12年生まれというのは、実は人口が少ない。年齢のピラミッドを見ますと、われわれの年だけがちょっと窪んでいます。終戦のときに小学校の2年生でしたから、戦前の教育は1年しか入っておりません。私の世代は一応、戦前の紀元節も天長節も一巡だけは体験し、あとは戦後の教育になったという、ほとんどアナーキーな教育を受けてきた、天皇陛下万歳、一億玉砕が、平和憲法、マッカーサー万歳にごく自然に移行し、一切頭を切り替える必要がなかったという世代なのです。おそらく今、森さんの悪口を書いている新聞記者の方々は、「自分ならあのくらい悪く言われたら辞任する」と思って書いているのだと思いますが、私の世代は辞めません。いつ一億玉砕が平和憲法万歳になるかわからないと思っていますから、いくら言われても全然こたえない。そういう時代なのだと思います。


2つの現実を選び分ける若者たち


 今、大学で講義をしますと、実にいろろなことが起こります。450人くらいの大教室ですと、後ろのほうはまずおしゃべりをしています。ペットボトルのお茶を飲む、携帯をかける、お化粧をする、ともかく講義中にいろんなことをいたします。
  初めは、「いったい何を考えているんだ?」と、まず思いました。これを、「行儀が悪い」と一言で片付けていいのか。必ずしもそうではないようだと私は考えました。1年間観察して、「彼らは、教壇をテレビだと思っている」という結論に至りました。テレビの中で何が映っていようが、テレビの前では寝そべっていてもいいし、お茶を飲んでいてもいいし、おしゃべりをしていてもいいわけです。
  では、どうして教壇がテレビだと思えるのか。NHKの調査では、日に平均6時間というデータがあるように、彼らは小さいときから非常に長時間テレビを見て育ってきた。6時間子どもにテレビを見せると何が起こるかというと、テレビの世界が現実化します。彼らは「2つの現実」を持っているということがわかってきます。1つは、いわゆる現実 ─われわれが知っている現実であり、もう1つがテレビという現実です。
  テレビという現実は、たとえばホームドラマですと、大きな窓があって、その窓から隣の家を覗いているという感じです。実際の隣の家との非常に大きな違いは、そこで起こっていることに対して、一切手が出せない。ドラマでは、崖から落ちそうになっている幼児に「危ないよ」と声をかけても、脚本のなかで落ちることになっていれば必ず落ちてしまう。つまり見ている者はドラマに関与できない。まったく無力です。逆に、自分がテレビの前でどういう態度をとっていても、テレビの中から人間が出てきて叱りつけるということもありません。
  彼らは言ってみれば現実を2つ持っているのであって、今自分が見ている状況がテレビのなかの現実であるのか、いわゆる現実であるかは、「自分で勝手に決められるのだな」ということが段々わかってまいりました。
  目の前の現実をテレビの中の現実だと、仮に見なすと、その現実にひきずり込まれない。そう気づいて、私は初めて「シラケ世代」が登場した理由がわかったような気がしました。人が一生懸命何かやっているときにシラっとしているのは、それをテレビの中の現実だと見なしている。実際の夫婦喧嘩だと、皿や茶碗が飛んできて自分に当たる可能性もあり、側にいる者はある程度身構えますが、テレビの中のことと見なせば、その心配がありませんから、同じ夫婦喧嘩でもシラっとして眺めていられる。そう考えれば「シラケ」世代の言動もやや納得できます。

 もうちょっと深刻な問題として、私が具体的に情報化と若者たちの関係を考え始める切っ掛けとなったのは、実は、東大の医学部にオウムの学生が出てきたときでした。サリン事件が起こる前でしたが、私は本当にショックを受けました。一見ごく普通の学生が、「先生、お願いがあります」と教授室にやってきた。真面目な学生ですから、おそらく練習して覚えてきたのだと思います。「富士宮で尊師が水の底に1時間いるという公開実験をいたします。つきましては先生に立会人になっていただきたい」と、一気に口上を述べた。
  サリン事件の前ですから、当時、私が「尊師」というのが何だかわからなかった。この申し出はいったい何だ? と頭の中で考えました。インドかどこかから手品師がやってきて公開で水中手品をやる、東大の教師ならそのくらいのタネは見破れるはずだからそこへ参加しろと、こういう話だと思い、学生に問いただすうち、その学生が完全に真面目であるということがわかった。その瞬間に、非常にこちらが錯乱いたしました。
  人間の脳は5分間酸素なり血液の供給を止めたら回復不能な障害を起こすということは、医学としては常識で、医学部の学生がそれを知らないはずがないのに、尊師つまり麻原彰晃が水の底に1時間いられると、この学生はまともに信じていた。この思考回路は、私には想像が及ばない頭です。
  東大の医学部では、年に1度ぐらいはそういう学生が出ますので、私は精神科の外来に「今から学生をやるからよろしく頼む」と電話するのですが、その学生に対してはそうしませんでした。なぜなら、精神科の外来に回すという意味では、彼は変ではないからです。
  その一件があって、私はいわゆる教育というものを初めて真面目に考え始めました。「いったい若い人の頭の中はどうなっているんだろう」というのが深刻な疑問になり、そう考え始めた瞬間に、これはもうとても教えてはいられないと思うようになりました。


ものを知るということ


 私は間もなく東大を辞めてしまったのですが、その後も1年間ぐらいは、いったい若者の頭に何が起こっているのだろうと考えました。そこで初めて気がついたのは、学生がものを学ぶ、あるいはものを知るということが、我々の頃とは違ってきたようだということでした。極端に言うならば、「情報を処理する」ことが、今の若い人の「学ぶ」ということになってきている。「知る」という意味がまったく違ったのだということをまず教わりました。

 私は4月に新入生が入ってくると、「君らぐらい若くたって、がんだと言われることがある。寿命があと半年とか言われ、それを本当に納得したら、桜が違って見えるだろう」とよく言うのですが、これは学生も納得します。人間誰だってそうですが、特に若い人ががんを告知され、あと3ヶ月なり半年しか命がないと言われたら、考え方がガラッと変わる。来年はもうこの桜は見られないと思うから、桜が違って見える。その桜が違って見えた段階で、去年まで自分はどうやって桜を見ていたのだろうと、その気分を思い出そうとしても、正確には思い出せない。確かなことは、がんの告知を受けて、それまでの自分とは変わったということです。

 私は、「知る」ことは「自分が変わる」ことだという暗黙の教育を受けてきたような気がします。『論語』に「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり」というのがあります。朝勉強したら、夜になって死んでもいいなんて、そんなことがあるかって私は思っていましたが、ある年齢に至ると、やっとわかってくる。本当の意味で「ものを知る」ことを繰り返していきますと、自分が次々に変わっていきます。部分的であれ、過去の自分が死んで、新しい自分が生まれるという体験を繰り返していれば、夕方になって本当に死んだとしても、今さら驚くことはない。多分そう言っているのだろうと思い当たります。
  しかし、今の若者は先ほどのオウムの学生が典型的にそうであるように、頭の中に入っている知識は完全に並列しているだけで、知識が身についていない。そういうことが起こってきているのだということが如実にわかってきたような気がするのです。
  これは、テレビの影響だけではなくて、いわゆる情報化社会の影響が大きい。IT革命とか言っていますが、インターネットというのは、文字であれ画像であれ、全部人間の脳味噌をいったん通った情報です。実は情報とは、完全に停止したものであります。


情報は停止したものであり、人はひたすら変化する


 私がこうやって話しておりますと、時間が経っていきますから、しゃべったことは生きて動いていると錯覚しがちですが、テープレコーダーに録れば、言葉は完全に停まっていて、何度でも繰り返し同じ話が聞けます。一方話している私はどうかというと、ちょっと遅れてきた人がいるから、今の話を初めからもういっぺんやれと言われても、できません。私自身は話したということによって、話す前とは変わってきているからです。

 人はひたすら変わっていくけれども、情報は停まっている。書かれた文字が停まっているように、インターネットの中に存在しているすべての表現は、実は全部停止したものです。新聞記事やテレビのニュースも、毎日変わると思うのは誤解であって、あれは取り替えられているだけです。『朝日新聞』の記事は、意図的に縮刷版から抜かれてしまった記事は別として、創刊以来全部読むことができるはずです。すべての情報はそこにとどまっている。それを取り替えているのが実情です。
  情報化社会というのは、世の中に積極的に停まったものが増えてくる世界である。ところが、人自身はひたすら変化する。私はそう考えるようになりました。
  社会的な事件としては、家電メーカーのクレーム事件というのがありました。東芝の製品のことで、お得意さんが電話でクレームをつけたら、その応対が甚だ失礼で、電話がたらい回しになった挙句に、最後に出た社員が暴言を吐いた。そんなことがなぜ新聞のニュースになって、私まで知っているのか。電話での会社とのやりとりを、そのクレーマー氏はテープレコーダーに記録し、それを文字に起こしてインターネットで流したからです。それに対するアクセスが3万件、4万件とどんどん増えて、ついに東芝が謝罪した。
  この事件が興味深いのは、1つは、おそらく電話で応対した社員には、言葉というのは停まったものであるという意識がなかった。もう1つ、東芝という会社は、テープレコーダーもパソコンも作っているのに、紺屋の白袴というか、自社の製品がどう使われるか、認識していないらしいことがわかった。そこに情報の本質があるわけです。

 情報というのは基本的に停まっているという性質があるのに対して、生きた人間はひたすら変化していく。これは人間の遺伝子、DNAについても同じことが言えます。
  DNAは、髪の毛からでも取り出すことができますが、取り出されたDNA分子そのものは、瓶に入れておけばいつまで経ってもDNAの分子です。しかし、そのDNA分子が細胞の核の中に入り、翻訳されると、遺伝子の働きが出てまいります。そういう意味では、遺伝子というのはまさに情報であり、それを利用している細胞自身は時々刻々変化している。
  私の恩師の中井準之助先生は、神経細胞の突起の先端部分の動きを映画に撮っておられました。1分に1コマ撮って、一晩中見ているという、非常に気の長い作業ですが、驚くほどの映像が撮れます。わずか1個の細胞のほんの先端だけの動きが、ものすごく複雑だということが非常によくわかり、その映画を見ていて「二度と同じ状況をとるはずがない」ということを私は直感的に感じました。細胞は時々刻々変わっていくのですが、そのなかにある遺伝子(情報)はほとんど不変である。そういう変わらないものを「情報」と言う。それに対して生き物はひたすら変化する。私は最近この2つのコントラストに非常に興味を感じます。
  人はひたすら動いてとどまることを知らず、情報は停まっている ─これは、おそらく日本の中世では常識であった。あるいは、そのコントラストを中心に人生を考えていくのが中世の人であったろうと思います。なぜなら、中世文学にまさにそのコントラストが書かれているからです。
  たとえば「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」とあります。鐘というのは剛体ですから、ゴーンと叩けば、固有振動数でブーンと鳴ります。根本的には音叉と同じで、いつも同じ音がする。日本は銅鐸文化の国ですから、同じ銅鐸を叩けば同じ音がするし、違うのを叩けば違う音がすることは古くから知っていたはずです。それならば、祇園精舎の鐘の声がなぜ諸行無常か。それは、同じ音なのに違って聞こえるからだろうと思います。そこから『平家物語』は語り出しています。
  目に映る情景としては、鴨長明が『万丈記』に同じことを書いています。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と。
  河というのは情報です。私が、「河」と言ったときと、皆さんがつられて見たときでは、同じ河がそこにある。しかし、その実態である水はもう入れ替わっている。それはまさしく情報と実態の関係を指していると私は思います。
  鴨長明の恐るべき洞察力の優れたところは、その数行後に書かれている、「世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし(またこれに同じ)」というところです。実際に、私どもの体の分子はひたすら入れ替わっており、おそらく1年たつと7割ぐらいの分子は入れ替わる。すなわち、人自身は流れる河である。鴨長明は、物質代謝などは一切知らないのに一言でそのしくみを述べている。

 中世と比べて、現代はむしろ停まったものが中心になってきた感があります。停まったものとは情報であり、だから現代社会を情報化社会と呼ぶ。たとえば、きょうのNHKニュースを録画して、100年経って見たとします。ニュースを読み上げているアナウンサーは多分もうこの世にいませんが、ビデオの機械さえあれば、100年後でも同じニュースを見ることができます。それが情報と人の関わりであり、この2つはある意味では徹底的な緊張関係にあります。
  生きて動いて変化していく人のなかでも、若い人ほど変化は急速です。急速に変化する若者が、固定した情報で満たされた、極端に言うなら、硬い石ころだらけの世界に置かれたらどうなるか。しなやかで柔らかい、しかも動きやすいものが、非常に硬いものの中を泳がされている状況なので、これは非常に大変です。いたるところで傷つきます。
  そう考えると、情報化社会のなかにおける若い人の置かれている根本的な立場がおわかりいただけるのではないでしょうか。
  おそらくこの先、こういった情報化がますます進むとすれば、若い人を丈夫にすることをわれわれは考えてあげなければいけない。
  われわれが若い頃は「若者よ体を鍛えよ」と言われ、立派な軍人になれるように体を鍛えなければいけなかった。この情報化社会のなかで、今われわれは若い人に向かって「頭を鍛えろ」と言わなければいけないのではないか。その頭の鍛え方というのは、固まってしまってはどうにもならないのです。
  実際に、現場で幾つも問題が起こっているように思われます。たとえば、中年の女性が自分の母親を病院に連れて行き、外来で若い先生に見てもらったところ、「診察のあいだ中その先生はパソコンの画面ばかり見ていて、結局、母の顔は一度も見ませんでした。」と報告しています。これは典型的に人間が情報化しております。

 情報というのは、そこで停まっている。逆に考えれば、停まっているからこそ客観的で信用がおけるとも言えるのですが、私はどうも昔から、客観的で信用がおけるというものに対して、若干「嘘臭いな」と思う習性があります。なにしろ8歳のときに世の中がガラッと変わってしまったという原体験がありますから、「世の中はガラッと変わることがあり得る」ということが、いつもどこか頭のすみに焼き付けられていて、いつ何が起ころうとべつに不思議はない、という感覚がどこかにある世代です。客観性とか疑い得ない事実というのは、半分割り引いて聞いた方がいいということが、何となくわかっている。
  検査の結果というのは過去だから、1週間前の検査の結果は今さら変えようがない、という意味で確実ですが、その確実性は、実は生きている人間にとってはあまり意味がない。検査から3日目に脳卒中で死ねばそれっきりです。火葬にすると、1週間目にわかる検査の結果など全部ゼロになってしまう。それでも律儀に検査の結果は出てまいります。

 われわれがつくってきた、中世に比べれば数段進歩した世界、そしてこれから若い人が生きていこうとする世界は、実は非常に暮らしにくい世界だという気がします。学問の世界が典型的にそうです。現在では、停まっている情報はどんどん貯めておく方法ができて、時代が経つほどにどんどん情報は貯まってしまいます。私は大学院生の頃から危惧しておりましたが、今やもうどうにもならない状況となっております。
  情報、つまり言葉で書かれたものは、実は停まっているということも、昔の人はよく知っていたように思います。「武士の一言」という言葉があるように、言葉は元々金であり、鉄であり、カチンカチンで動かないものなのです。テレビのワイドショーなどを見ていますと、言葉は垂れ流しの使い捨てという感じになっておりますが、本来、いったん言われた言葉は引っ込みません。「綸言汗の如し」と言うように、君主の言葉は汗と同じで、いったん出たら引っ込まないものだというのは、昔から当たり前でした。
  ところが今の若者は、おそらく言葉は金鉄だとも、綸言汗の如しとも思っていない。使い捨てだと思っている。しかし、そう思った瞬間から誤解が生じているわけです。
  今の若者は、他人を傷つけるということに対して、非常に深く配慮します。私が子どもたちに説教をすると、「お父さん、そんなことを言ったらあの人が傷つくでしょうが」と注意されます。彼らはわけがわからぬままに、この世の中で生き抜くうえで、人を傷つけぬよう苦慮している。本来、言葉というのはいったん出てしまえば取り返しのつかないものであるのに、若い者たちは、実は言葉とは元々そういうものだということを知らない。知らないまま、他人を傷つけることを避けたがる。
  言葉の面白いところは、絶えず変化していくものを、まったく変化しないものが扱う、という矛盾にあります。「変化しないもの」とは、論理的に考えていくと、「同じ」ということになります。


世の中に同じものは存在しない


 私は「同じ」ということが非常に気になっておりました。たとえば解剖学で、男の目玉と女の目玉は違うかどうか調べよと、大学院生2人に言いつける。1人には、「男の目玉と女の目玉は同じことを証明せよ」、もう1人には、「違うことを証明せよ」というテーマを与える。違うことを証明せよと言われたほうは、目玉の性質を順にチェックしていくうちに、必ず男と女と違うところにぶつかります。なぜなら染色体が違うのですから、違うに決まっている。気が利いた学生なら、「顕微鏡で見ても歴然と違うに決まっているじゃないですか」と、初めからこう言ってきます。
  同じことを証明せよと言われた学生は、あらゆる性質を枚挙していって、そのすべてについて男と女は同じだと証明しなければいけない。そんなことは当然不可能です。どこかで違いにぶつかって、終わります。

 私は、外部の世界にあるもので同じものはないということに気づき、不思議になったのです。人間は全部違います。リンゴが2個あれば、置いてある場所が違うのですから、同じリンゴだというわけはない。屁理屈を言っているわけではなく、吟味していきますと、「すべてのものは違う」という答えしか出てこないのです。そこを認めると、今度は妙なことが気になってきます。物の属性を全部挙げて、7、8割が一致するとしても、それは似ているということでしかない。「同じ」というのはいったいどういうことなのか。何年か考えましたが、シンポジウムを開いたり、哲学者の話を聞いたりしても、結局、よくわかりませんでした。
  たとえばリンゴという言葉が作られ、百科事典にはリンゴとはどういうものなのかが綿々と書いてあります。しかし、机の上にリンゴがあれば、誰も百科事典など思い浮かべたりせず、それはリンゴであると判断します。そのとき脳のなかでは何か「リンゴ」に相当する活動が起こっているはずです。この認識がどうも今まで抜け落ちていたのではないかという気がします。外界にあるリンゴという対象と、リンゴという言葉と、リンゴという言葉を作り出している脳内の活動、この3つがあることは、生理学的にも証明できます。われわれはリンゴというイメージを上(脳)から下ろしてくることもできるし、末梢(網膜)から入れることもできます。この両方向性によって、目の前にリンゴがなくてもリンゴについて考えることができるのです。そしてヒトは、脳内で起こっていることについてアプリオリに「同じだ」と見る癖がある。それ以外に私は「同じ」ということの根拠を考えられないのです。同一性というのは、どうも、脳という情報系が持っている根本的な性質の1つであるらしい。それがあるために、「私は私だ」という自我意識 ── 自己同一性と言われるものも成立するし、他人の言っているリンゴと私の言っているリンゴは同じリンゴであり、根本的にも同じものを指していると思えばこそ、言葉が使えるのだと思います。


情報の固定 ─ 言葉の二面性


 情報は停まっていると私は申しましたが、停まっているということは、「同じ」だということで、これはけっこう面白い問題です。
  この、内部的な記述(頭の中で起こっていること)と、外部的な記述(外で起こっていること)との境は非常に曖昧で、言葉はその両面を必ず備えているように思えます。この言葉の二面性が、人間の記述がすべて二面を持つことと根本的にはつながっているように思われます。その二面とは、古くから言われている「主観」と「客観」です。

 私はよく数学者を例に引いて申し上げるのですが、数学者を簡単に定義するなら、普通の人には抽象的なことと思える数学の世界が現実であるような人です。人が88人座っていれば、数学者は「ここに8という数がある。それが不完全に実現されている」と見る。その「1」はいちいち違うから不完全ではあるが、とにかくあるのは「8」だと。世の中にそういう現実感を持つ人がいるのは、一般の方は信じられないかもしれませんが、プラトンはそうであったろうと私は思います。彼は多分、頭の中の事物は実在と考え、具体的な個々の事物は不完全なものであると見た。
  プラトンの「イデア」も頭の中のリンゴであろうと私は思っています。それは完全無欠な「あるリンゴ」であり、それが不完全に実現されたものが個々の具体的存在としてのリンゴだとプラトンは考える。アリストテレスは逆に、個物は実在、つまり1個1個のリンゴが実在だと考えます。
  先ほど私は、若い人たちが「2つの現実」を持っている。それは、テレビの世界と、いわゆる現実の世界だと申し上げました。これも、脳から考えればべつに不思議なことではないのです。われわれは、しばしば現実というものを取り替えています。脳はそういう癖を持っているものなのです。


ひたすらスルメをつくる人たち


 情報は停まっていて、人は生きていると申し上げましたが、それを非常によく表しているのは学問です。学問とは情報の取り扱いであり、生きたものを停め、停めたものを整理する作業だからです。
  医学部では、基本的に薬理とか生理とか実験系の学問が多く、9割以上が臨床に進みます。私は若い頃に解剖を始めましたので、よく同僚などから「おまえな、スルメを見てイカがわかるか?」と言われました。生き物を扱っている彼らから、死んだ人を見ても、生きている人間なんかわからないだろうとずっと言われてきたことは、私の心の傷になっておりましたが、情報について考えるうちに、何のことはない、その言葉は私のほうが彼らに言うべきことだったと気づきました。

 戦後、ある時期から日本の科学も近代化してまいりまして、今言われているのは、「パブリッシュ・オア・ペリッシュ」、論文を書く(パブリッシュ)か、学者生命を失う(ペリッシュ)か、そのどちらかだということです。
  論文を書くというのは、詰まるところ、生きたイカをスルメにすることです。誰も論文を生き物だとは思わない。医学・生物学の論文は情報になった生き物、つまり人間や動物が論文という形で情報化したものを扱うのですから、私から言わせれば、現在の偉い先生方は全部、スルメつくりの専門家なのです。現在の学者はいい論文をたくさん書かなければ偉くなれませんから、ひたすらスルメをつくる人に変わってきております。私はスルメを裂きイカにしていただけなので、はるかに正直な仕事をしてきた。スルメと裂きイカとは次元が同じですから、べつに問題ないと、一応ここで宣伝をしておきます。
  死んだ人というのは、もはや変化いたしません。ある意味では完全に情報化している存在です。私は、長年解剖をやってきましたが、つくづく思うのは、「きのうも死んでいたがきょうも死んでいる」ということで、要するに状況が一切変化しません。
  系統解剖では3ヶ月くらいかけて1人の方を完全にばらしていきます。まず、五体完全に揃った人に私はメスを入れていきます。やがて、手が外れ、足が外れ、死体が変化していきます。そうした変化がどうして生じたかというと、私が解剖したからです。つまり、死体に関するすべての変化は私が起こしている。こういう仕事はほかにないということがだんだんわかってまいりました。
  臨床のお医者さんですと、患者さんが「咳があります」、「熱があります」と来れば、何か処置をして、薬を出す。2、3日経つと、すっかり治ったとか、人によってはどんどん悪くなって死んだとか、相手は変わってくれます。商店主なら、お客さんが入れ替わり立ち替わり店に来ます。しかし、解剖というわれわれの仕事だけは絶対に対象は変わることはない。変化があったとすれば、全部自分が変えたことです。解剖をやっていれば、目の前で起こっている変化は全部私のせいなのだということがよくわかります。
  それは基本的に全部私の脳がやっていることである。そこで、「いったい脳って何をやっているんだ?」と私は考えるようになる。
  防腐処理をしてある死体は、私がいじらない限り変化しない、つまり情報化されているものである。それを素直に言葉という情報系に記述し直し、翻訳していくのが解剖学であって、解剖学は決して生きている人間がわかるとは言っていません。では、逆に、生きているものを論文にしている方はなにか誤解しているのではないか、論文を書けば書くほど生き物に近づくというのは、ひょっとすると根本的に間違っているのではないか。論文を書くということはもっぱらスルメをつくる行為ではないかということが、若者を見ているとわかるのです。
  患者さんの顔を全然見ずにパソコンのデータばかり見ている医師では、ちょっと具合が悪い。要するにイカをどうやって上手に泳がせるかというのが臨床医学であって、泳がせる代わりにスルメにしてしまったのではどうにもならないのです。

 経済学者に実際の経済を扱わせるとどうにも話にならないと言われます。経済学者というのは、生きた経済を言わばスルメにしている人たちなので、スルメつくりの専門家にイカをうまく泳がせろと言っているようなもので、これは無理な話なのです。
  患者さんの変化は必ずしも検査の結果ではなく、検査の結果は、その時点で停まったものである。その間の違いを、昔の人はよく心得ていたような気がするのです。
  私は変わり者というか、だいたい挨拶ができないし、お金勘定がまったくだめで、「おまえみたいなのは、商売には向かないし、本ばかり読んでいるのだから、大学にでもいるしかないな」というのが親戚一同の結論で、しようがないから大学に残ったのですが、中学か高校のときに、「大学に行くのはいいけど、大学に行くと馬鹿になるよ」と親切な方が私に忠告してくれたのを今でもよく覚えております。サラリーマンの割合と昭和の10年代、20年代、30年代とは、ほぼ等しいと言われます。現在、サラリーマンが7~8割を占めるサラリーマン社会となって、大学に行く人がこれだけ増えますと、そういう忠告をする人はまずいないでしょう。昭和12年、私の生まれた頃は、サラリーマンは1割強であり、農業であれ、漁業であれ、個人商店の主であれ、自分の体を使って働いている人がほとんどでした。そういう人たちは、「大学に行くと馬鹿になるよ」と教えてくれました。
  それは多分、大学に行けば情報処理はよく覚える。すなわち、停まったもの、スルメを上手にどうアレンジするかということはちゃんと教えてくれるが、生きているイカをどう泳がせるか、生きた世間で通用することは何も教えてくれないよ、という意味だったのだと、今では思っております。
  確かにスルメでなければわからないこともたくさんあります。足に吸盤が何個あるか、泳いでいるイカではわかりにくいけれど、スルメになっていれば簡単に数えられます。しかし、スルメを調べてイカがわかるわけではありません。そこに情報化社会の根本的な問題点があると、私は思います。


生の体験 ─ 自然に触れるということ


 私が「情報化社会と若者」という題をつけましたのは、若い人がそういう情報化社会のなかで生きていくうえで、どうしたらいいのか、助言するなり、教育するなり、彼らに方向を示してあげなければいけないと思うからです。そこで非常に重要になってくるのは、私どもが持っていて今の若い人は持っていない「環境」でありますが、それは「生の体験」だと思います。
  午前中に私が出席した審議会の資料として『農政白書』の原稿が配布され、その中に、実体験のない子どもと、実体験のある子どもに聞いた道徳観の有無が、歴然ときれいに平行するというグラフが載っていました。つまり、生の体験がない子どもほど、自分のなかに社会的な道徳観がない。これは当たり前なのです。情報処理というのはまったくのニュートラルで、先ほどから言っているように、情報とは基本的に石ころだからです。

 どんな殺人事件でも、文字になってしまえば、情報化された犯罪として、まったく中立化してしまいます。中立化された情報だけに浸かっていれば、そこには善悪も感情も何もありません。あるテレビ番組で、中学生が「なぜ人を殺してはいけないのか?」と質問したというのも、私はある意味では当然だろうと思います。しかし、中立化した情報の裏には、本来いろいろなことが付随しているものなのです。
  若い人の凶悪な犯罪、極端な行動がよく報道されます。私は新聞紙上で指摘したことがありますが、実は、殺人が問題なのではなくて、身体の誤った扱いが問題なのです。神戸の酒鬼薔薇事件という有名な事件では、顔見知りの小学生を殺して、首を切って校門の前に置いた。首の切断なんて、そういうことをしていいのは解剖医だけ、とは言いませんが、「身体の扱い方が間違っているな」という感じがいたします。
  幼女殺害事件で4人の小さい女の子を殺した宮崎勤の最終弁論が終わりました。調書によれば彼は女の子の指を食べたりしている。なぜだかわかりませんが、そのために醤油を持っていったと書いてあった。ここでも、人間の身体の取り扱いが異常なっています。その異常さは、基本的に自然がわかってないことに原因がある。自然とは、つまり「人がつくらなかったもの」という意味です。

 私たちが生活するうえで、1日に人のつくらなかったものをどれだけ見るかと考えてみてください。どれだけそれに触れるか。現在の東京をご覧になればわかりますが、まずほとんど触れない人が多いだろうと思います。
  人のつくらなかったもののなかには、われわれの身体も入ります。これは、いわば勝手にできたものであって、どんな格好をしていようが、いつ死のうが、勝手に自然が決めていることで、皆さん方のせいではありません。
  私はあちこちで講演を頼まれるのですが、「来年の11月に」という依頼もあります。「まあ、行くにしても、生きていたら伺います」と言いますと、向こうは笑っております。「ああ、この人は来年の11月にまだ生きているつもりでいるんだな」と、私は思います。来年のことなど誰もわかりはしないです。しかし、世の中で生きているかぎり、それはまったく無視されている。
  私がいろいろと乱暴な計画を立てて相談するときにも、「先生、そういうことをしてどうなりますか」、「やってみなきゃわからない」、「そんな、無責任な」と言われ、私の立てた計画が通った例がありません。しかし、「そんな無責任な」と言っている人が、実は自分がいつ何の病気で亡くなるかわかっていない。私は職業柄、「無責任だ」と言っている人はどこまで自分に責任を持っているのかなと、いつも疑いを持っております。

 ここでも私は、情報化社会のなかで人間がいかに自然というものを軽く見てきたか、ということを考えさせられるわけです。それを私は寺田寅彦の言葉を借りて、「天災は忘れた頃にやってくる」と申し上げたい。
  今現在、忘れた頃にやってきた典型の1つが若者の問題であります。なぜなら、若者・子どもは「自然」だからです。人間誰しも決して設計図を引いて子どもをつくったりはいたしません。DNA遺伝子、つまり自然が勝手に設計図を引いて、その結果、生まれてきた子どもたちが、こういう環境に置かれてどうなったかという現象について、親は嘆いたり、笑ったり、喜んだりしていますが、少なくとも設計図がないことは間違いないことで、根本的には親といえどもすべてにおいて責任がとれるわけではありません。だからこそ、教育というのは、議論すれば際限がなくなってしまうものなのです。これは、ちょっと考えればはっきりわかることで、若者・子どもに問題が起こるであろうと、私は以前から申し上げていたつもりです。
  若者や子どもの問題は、典型的に様々な症状として現れています。それは必ずしも病理だけではありません。今の若者が私よりもはるかに優れている点はたくさんあります。たとえば学位論文など年輩の専門家がまとめたようなレベルのものがすいぶんあります。今の社会は、勉強したいと思って勉強する子にとっては非常に有利な条件が揃っている。今の若者と一口で言いましても、上を見ればきりがないし、下を見ればまたきりがないのです。ただ、全体の傾向として、若い人たちをもう少し実際の体験に触れさせなければいけない。そのためにはどうすればよいか、大人たちが考えていかなくてはならない問題でしょう。ボランティア体験をさせてはどうかという意見もあるようですが、そんなものは押しつけたってだめなのです。

 私の同級生がぼやいていました。地方に住む子どもが初孫を連れてお盆に帰ってきて、喜んだのはいいのですが、鎌倉ではお盆に蝉が鳴く。朝、庭で蝉が鳴き出したら、孫が突然泣き出した。「うちの孫は蝉の声を聞いて泣きやがる」とパニックを起こした友人は、以来、徹底的に孫を教育して、今一緒に虫を捕っております。世の中、東京に限らず、地方に住んでいても自然に触れるのはなかなか難しい状況になっていることがわかりますが、できるだけお孫さんでもだれでも、自然に触れる体験をさせたい。
  私が理事長をしている保育園では、夏と冬と年に2回、虫を捕りに行きます。2月にも30人ほど園児を連れて行きました。大人たちは、「こんなに寒いのに虫なんかいるのですか?」と言いますが、暖かくなったら急に何もないところから虫がわいてくるわけではありません。幼虫にせよ、卵にせよ、冬だって虫はちゃんといます。園児たちは目線が低いし、大人と違って一切偏見がありませんから、平気でミミズ、ムカデを自分でどんどん探し出します。虫捕りには冬のほうが夏よりも安全で、スズメバチを掘り出しても、寒いと体が充分に動きませんから刺しません。ムカデをつまんでも大丈夫です。子どもが虫を嫌うとすれば、それは親のせいで、子どもの頃からそういう自然に触れる体験をさせていかないと、結局、まともに育たないのではないかという気がします。
  テレビゲームの悪影響について、私もよく意見を聞かれますが、テレビゲームの出現によって、初めてテレビに外から介入できるようになった。それまで、テレビというのは一方的に流れっぱなしで、こちらは介入できないものでした。ところがゲーム機をつないだ瞬間に、ボタンさえ押せばテレビの中の世界が動くのですから、これをテレビに何時間も浸かっていた子どもが喜ばないはずがない。これはある意味では進歩なのです。

 日常生活を考えてください。昔は、飯を炊くのはお釜でした。母が開業医で母子家庭だったものですから、風呂焚き、飯炊きは私の役目でした。子どもは労働力です。薪をくべて、「始めチョロチョロ」って火加減をちゃんとやったものです。ところが今は、ご飯を炊くのも、ボタンを押せばお終いですし、今の風呂はボタンさえ押せばお湯が入り、湧き上がったら知らせてくれる。テレビのチャンネルは、リモコンのボタン操作でどんどん変わる。要するに、われわれがつくっている世界は「ボタン世界」なのです。そのなかでいちばん極端なのは、アメリカ大統領が持っていると言われる、核ミサイルを最終的に発射するボタンでしょう。今や、風呂焚き、飯炊きから核ミサイルまで、全部ボタンなのです。家内が車を買い換えて、新しい車が来たのですが、ボタンだらけでどれを押していいのかわからない。窓を開けようとすると、天井が開いたりする。
  そういう世界をつくったのは大人です。子どもはテレビゲームのボタンを苦もなく操り、それで世界が変わっていろいろなことが起こる。あれは、大人社会に適応するために非常に重要な前段階とも見えます。だからテレビゲームの普及はべつにたいして問題ではありません。ただ、バランスのとれた人間として生きていこうとするならば、「生の体験」を同じように与えてやらなければいけない。それが私の持論です。

 私の世代は両方を体験してきました。子どもの頃は田んぼや畑で遊び、身近に牛や馬がいるような日常性のなかで育ち、長じては車にも乗れればパソコンも使える。
  今の子どもは、いわばわれわれの世代の「ゴール地点」からスタートしているわけで、彼らはわれわれが「スタート地点」としたところへと、逆に向かっていかなくてはならないのではないか。まずパソコンや電気機器のある日常から入って、自然体験が後になる格好です。牛馬がいる環境、森の中を歩いていたらヘビを踏んづけるかもわからないような、そういう自然環境へと、今度は放してやらないといけない。そういう自然体験をしていくことで、やっと人間として釣り合いがとれると思うのですが、学校ではそういうことを教えません。初めから情報の世界に入れ込まれてしまっている若者たちに、どうやって反対側のもつ ──つまり自然を身につけてやるか、これが、これからの教育の課題であるという気が私はしております。
  勝手なことを申し上げましたが、これで私の話は終わらせていただきます。ご清聴どうもありがとうございました。

(北里大学教授・東京大学名誉教授・東大・医博・医・昭37)

      ※本稿は平成13年3月21日午餐会における講演の要旨であります。