文字サイズ
背景色変更

学士会アーカイブス

脇村先生と原撫松[ぶしょう] 高階 秀爾 No.816(平成9年7月)

脇村先生と原撫松[ぶしょう]
高階 秀爾
(国立西洋美術館館長・東京大学名誉教授)

それは、安藤良雄先生が東大の綜合図書館長をしておられた時のことだから、今からもう二十年近く前のことになるだろうか。美術史研究室にいた私のところに、突然脇村義太郎先生から電話がかかって来たことがある。先生はいつも、余計な前置きなどなしに、直截に話の核心にはいって行かれる方であったが、この時も、私が電話口に出るとすぐ、「東大の図書館にシェークスピアの肖像を描いた油絵があるのを知っていますか」と言われた。私はまったく知らなかったので、思わず「そんな肖像画があるんですか」と問い返すと、実は数日前に見たばかりだというお話であった。

その時うかがったお話によると、事情はこうである。安藤先生が経済学部の名誉教授の先生方を招いて図書館をお見せするという催しを開かれた。その時、館長室の机のわきに一枚の油絵が置かれていたので聞いてみると、シェークスピアの肖像だが、誰が描いたものか、どうして東大にはいったのかはまったくわからない、ただ画面に「ブショウ」というサインがあるのが読めるという話であった。そこでこれは、原撫松がロンドンに留学中に何かの絵を模写したものに違いないと思うが、何分にも長い間放置されていたのでかなり傷んでいる。折角の作品だからしかるべき場所に展示したらよいと思うが、その前にきちんと修復しなければならないだろう。ついては、修復をどこに依頼したらよいだろうか、というのが脇村先生のお電話の主旨であった。

この話をお聞きして、私は改めて先生の美術に対する造詣の深さに驚かされた。原撫松は、近代日本の画家たちのなかで、決して一般に広く知られた名前ではない。作品もそれほど数多く残ってはいない。「ブショウ」というサインから直ちに、ロンドンで画技を学んだ岡山生まれのこの画家のことを思い浮かべるのは、よほど広く美術の世界に通じていなければ出来ることではない。

もちろん私は、先生が優れた美術愛好家であり、また収集家でもあることは知っていた。かつて雑誌『世界』に連載されて、その後追加部分を加えて一本に纏められた岩波新書の『趣味の価値』からは、私は多くのことを学んだ。この本は、美術――ばかりでなく、ワインやダイヤモンドなど――の制作流通について、経済学者の視点から分析したユニークな内容で、近年盛んになって来た社会史的な美術史、ないしは趣味の歴史の先駆的なお仕事である。普通の美術史や歴史の本と違って、ワインの生産量や絵の値段など、さまざまの数字が頻繁に出て来るところが、この本に実証的な裏付けを与えているが、おそらくその数字ひとつひとつの背後に、徹底した資料の渉猟があったに違いないと、私は深い印象を受けたことを憶えている。

シェークスピアの肖像についても、先生はいつも通り徹底して調査されたようである。エリザベス朝のこの偉大な劇詩人については、有名な『第一フォリオ版』収載の銅版肖像をはじめ、数多くの肖像画が残っているが、先生は、同僚の英文学の先生方に問い合わせたり、ロンドンのフォイル書店に手紙を書いて関係文献を取り寄せられたり、八方手を尽くして、そのもととなった原画が、ロンドンの国立肖像美術館に所蔵されている十七世紀初頭の通称「チャンドス・ポートレート」と呼ばれている作品であることを突きとめられた。原撫松は、明治三十七年から三年半にわたってロンドンに滞在して画技習得に専念しているから、この模写もその時期のものであるに違いない。

そればかりではない。明治期の日本の画家によるこの珍しい肖像画が東大に所蔵されるようになった経緯についても、原撫松の作品ならパトロンであった森村銀行の森村市左衛門の意向があったのではないかと推理を働かせて、とうとう額縁屋の八咫屋から、「あれは森村さんに頼まれて、私が東大に持って行って寄贈した」という証言を引き出してしまわれた。つまり、さもなければ埃をかぶったまま忘れられてしまったかもしれない作品が、先生によって歴史の闇のなかから甦ったのである。

先生から御相談を受けた私は、歌田真介氏(現東京芸術大学教授)が所長をしていた創形美術学校修復研究所を御紹介したのだが、幸い見事に修復も成り、一九九一年から九二年にかけて、ロンドンのバービカン・アート・ギャラリーと東京の世田谷美術館で開催された『JAPANと英吉利西・日英交流一八五〇―一九三〇年展』に出品された。作品の方から言えば、ほとんど一世紀近くを経て、再びロンドンに戻ったのである。そしてさらに、つい先頃岡山県立美術館で開かれた『原撫松展』にも展観された。脇村先生があれほど愛着を示された作品は、今や完全に復権したと言ってよい。もし先生がこの岡山の展覧会を御覧になったとしたら、どれほど喜ばれたことであろうかと、残念でならない。

(国立西洋美術館館長・東京大学名誉教授・東大・教養・昭28)