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日本経済の課題と展望 香西 泰 No.815(平成9年4月)

日本経済の課題と展望
香西 泰
(日本経済研究センター理事長)

No.815(平成9年4月)号

日本経済は一体どうなるのか、という国民の不安を最も端的に表しているのが、年初来の円と株価の下落です。為替レートは今日の午前中も少し下がって、一一七円台半ば、株の方は終わり値がどう落ち着くかは分からないものの、午前中には四〇〇円台の値下がりで、一七、六〇〇円レベルで推移しているようであります。一ドル八〇円だったり、株価が二二、〇〇〇円だったのは最近のことでしたので、大きな変化です。そして資本市場、金融市場が大きく荒れていることが、経済界に一層不安をかきたてる、という悪循環を招いているようであります。

そこで本日は、日本経済を三つのパートに分けて考えてみたいと思います。まず、景気の先行きはどうなるか、その景気を支配する日本産業の実態はどうなっているのか、次に景気に大きな影響を及ぼす財政政策について、第三に、最近の資本市場の荒れ方等を見ても非常に重要な問題である金融情勢について、与えられた時間のなかで取り急ぎ一通りお話申し上げたいと思います。

景気の動向

ご承知のように、日本経済は六〇年代、七〇年代ぐらいまでは非常に高い成長率で世界的にも大きく注目され、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代が長く続きました。ところが最近、あるアメリカ人から、日本は今や「ジャパン・ウォズ・ナンバーワン」と皮肉られ、過去形で呼ばれるようになってしまいました。確かに日本経済は、八〇年代後半のバブル期にピークを迎えたものの、そのバブルが破裂した後の九〇年代は、非常に低い成長率が続きました。

特に、一九九二年から九四年までの三年間に亙り、日本の経済成長率は、物価上昇を除き実質で一%未満で、そのうちの二年間は〇・五%にも達しないという、俗称、ゼロ成長三年と呼ばれた時代でした。これは、戦前の大不況の時を別にすれば、第二次世界大戦後の日本としては最も長期に亙る低成長率の期間でした。月別では別の計算になりますが、年度別で、これだけの低成長が三年間も続くということは、他の欧米先進国にも例がなく、せいぜい一%以下が二年程度続いたに止まっています。日本経済の極めて異常な低成長は、世界的に見ても異例なことで、OECDの文書の中でも、「世界先進国の中で例外的に低い成長」と記されるほどの異常事態であったと言えます。

しかし、この低成長率も九五年度には二・四%に回復し、九六年度も、政府予測のニ・五%まで伸びるかどうかは終わってみないと確かなことは言えませんが、二%を超えたことは、まず間違いないだろうと思います。この二%台という数字は、OECDの平均に近いところまで一応回復したことにはなるものの、これは緩やかな回復と言えます。たとえば、ピークから連続して落ち込んでいた鉱工業生産は上がって来たにしても、まだピーク時までには戻っておりません。そういう意味では、景気が回復したという実感がいまひとつで、平成不況は、落ち込みが長く、回復が緩やかであるということが、従来に比べて際立った特徴と言えます。それでも、ここ二年間は回復軌道に乗って成長率もOECDの水準に近い二%台を維持するところまで来たのですから、まあ、一安心ということであろうかと思います。

しかし、平成九年は、新年早々から株価が大幅に下落して、経済界はもとより、いろいろなところから不安の声が上がって来ており、来年度は恐らく成長率がもう一度下がるだろうというのが大方の見通しです。成長率のスピードがやや落ちるだけで前に進むものなのか、それとも失速して、もう一度景気が後退して不況になるのかどうか。そこが多くの方の関心を呼ぶところです。

九七年度において、なぜ成長率が下がるのかについては、後ほど申し上げます財政の動きと非常に大きく関係して参ります。と申しますのは、来年度、つまりこの四月から、三%の消費税率が五%になって増税となり、所得税の特別減税も期限が切れることによって二兆円ぐらいの税収増が見込まれます。さらに公共投資のマイナスが予測されることも、成長率低下の要因となっているのです。公共投資は、不況の間は一〇%近くもの勢いで毎年伸ばし、そのために財政支出増を繰り返して来たわけですが、さすがにここへ来て、減って来ています。過去二年間、景気も少しは回復して来たことでもあり、財政赤字がとにかく大きく、公共投資の使い方にも批判が多いことから、政府は公共投資を抑え気味にしており、九七年度の四月以降は公共投資もおそらくマイナスの数字になるだろうと考えられます。

毎年公共投資を増やして来たと言っても、専ら補正予算を組んで増やしたことで、当初予算だけならそれほど伸びてはおりません。補正予算を組まなければ自ずとマイナスになるのであって、いまの政府のスタンスを前提とすれば、公共投資も来年度からはマイナスになる要因が重なっているのです。そうしますと、消費税アップで国民の負担は大きくなり、それに加えて政府が公共投資削減策を取るとなれば、この財政の動きが基本的に景気の足を引っ張ることになるのは、まず確実なことです。

従って、こうしたマイナス要因が絡んで景気はすっかり失速し、やはり後退してしまうのかどうかが問題です。九五、九六年の二年間を、ともあれゼロ成長を抜け出して回復軌道に乗せた最大の原動力は何かと言えば、企業が前向きに設備を増やすようになって来た結果、設備投資が回復して来たことです。この勢いが財政の緊縮によって絶たれてしまうのか、それとも、何とか持ちこたえて先へ延ばしていけるのか、いわば財政の緊縮と産業設備投資の回復の綱引きで、どちらがどの程度と見るかが、九七年度の景気判断の分かれ目になると思います。さらに、金融市場、資本市場、為替市場がどのような荒れ方をするかによって、その影響も違って来ます。金融の波瀾要因がもう一つ加わって来るだろうと予測されます。つまり、九七年度の経済情勢を展望するには、この三巴の綱引きの中で、日本経済がどう動くかを読むことだろうと思います。

景気の見方も、強気の人は民間の設備投資の伸びを高く評価するでしょうし、弱気の人は、財政の緊縮や金融の波瀾が経済をディスターブする方を強く見るというように、そこの見方で分かれて来ますが、これは単に来年度の景気だけの問題ではありません。やや中期的に考えても、日本経済は、この三つの力の拮抗が鍵を握っていると言えます。来年度は特に増税が行われたり、これまで非常に増えて来た公共投資を急に落とすといった財政金融のショックが集中して大きい年となりますが、大きな赤字を抱えた財政が景気の足を引っ張るという状態は、その後も続くと思います。また、民間の設備投資が今後どの程度の力強さで伸びていくかも、今年だけの問題ではなく、日本産業の活力、世界における日本産業の位置をどう見通すかということとも関連します。金融の波瀾要因も、今後の日本の金融システムの方向と大きく関係して来ますので、産業、財政、金融の三巴の綱引きは、中期的に見てもやはり大きな問題であると思います。

ところで、日本産業の設備投資がともかく回復に向かったのはなぜでしょうか。バブルの間に盛んに設備投貸が行われ、過剰な設備を抱えている企業は非常に多く、統計を見ても稼働率はそれほど高くはありません。そういう状況であれば、設備投資が回復すると言っても、ごく一時的なもので、基本的には過剰設備の圧力が続き、設備投資にあまり大きな期待は出来ないという意見が有力でありました。しかし、九五、九六年の過去二年間の設備投資は、六%あるいは七%近くの勢いで伸び、大方の予想を越える強い伸びを示しました。経済全体が低調な時期に、過去の景気回復に比べれば緩やかながらも、とにかく設備投資が伸びて来るというのは、極めて特徴的なことです。

では、過剰設備にもかかわらず、なぜさらに設備投資をするのかということになります。しかし、よく考えてみますと、設備投資は投資をしなければならない企業が投資するのであって、過剰設備の企業は投資を適正な水準に減らすだけに止まります。つまり、産業構造が変化し、企業の経営方針が変わっていく過程で、ある企業や産業にとっては過剰設備であっても、別の企業や産業では設備投資の必要性があるという状況が起きる。あるいは、技術が変われば、いくら設備があっても古いものでは使えないので、新しく設備投資をせざるを得ない。従って、バブルに躍って過剰な設備投資をしたからと言って、もうこれ以上の設備投資をしないということにはならない。勿論投資を控える企業もあるでしょうが、この機会に別の投資を考える企業や過剰設備はとりあえず棚上げにして、新しい技術、新しい市場をねらった設備投資をしなければならない企業も出て来ているということです。過去の設備投資の重荷だけを考える後ろ向きの姿勢ではなく、前向きにどれだけ設備投資に取り組むかが、重大なポイントであると思います。この設備投資が六%ないし七%近くまで伸びて来たということは、やはり、いくつかの前向きの背景もあったのだろうと思います。

日米の企業力比較

ここで少し話を遡って、先ほどのゼロ成長三年の平成不況で日本経済は本当にメタメタになったのかということを考えてみたいと思います。経済成長が落ち込んで「ジャパン・ウォズ・ナンバーワン」と揶揄されるに至ったことは、大変残念ではありますが、これを短絡的にマイナスだったとばかりは決めつけられない問題もあると思います。

まず第一に、失業率はこの不況の中で、史上最高の三・五%を記録しました。しかし、これを世界の水準と比較すれば、日本の失業率は異例の低さと言えます。これは統計の取り方や社会構造の違いといったことを考慮しなければ、一概に比較は出来ないにしても、失業率は一〇%が現在のヨーロッパの水準であり、アメリカも、八〇年代の初めには一〇%を経験していますので、それに比べれば三%台の失業は非常に低い水準であって、日本の企業は終身雇用制を守ったと言えます。

第二に、あの三年間の不況下の企業倒産状況を見ても、特にメジャーな産業、製造業の企業倒産は殆どなく、過去の不況期に比べても極めて少ないということです。尤もこれから増える可能性は大いにありますが、特にアメリカの事例と比べると驚くべき少なさです。アメリカは七〇年代のインフレが終わった後しばらく悪かったものの、その後八〇年代を通じてはかなり成長率は高く、七〇年代から八〇年代の継ぎ目のところで非常に成長率が下がったとは言え、それはごく一時的なものでした。しかし、アメリカではむしろ成長率がそれほど落ちなかった八〇年代においても、企業合併や買収などが盛んになり、多くの企業が形を変えています。たとえば、航空会社のパンナムです。私が最初にアメリカ留学した昭和四十年当時、パンナムは世界一の航空会社で、世界中に航路をもっていた。どこで落ちてもすぐ助けが来るようになっているから心配ないというパンフレットを読んだのを、つい昨日のことのように覚えておりますが、そのパンナムの飛行機は、現在日本上空を飛んでいません。エレクトロニクスの伝統的な名門企業フェアチャイルドは、半導体の開発等に非常に大きく貢献しましたが、経営に行き詰まり、富士通が買収を申し出ました。しかし、ハイテク産業を日本の企業に委ねるのを懸念したアメリカ国防省がこれを拒否し、その後のフェアチャイルドがどうなったのか、あまり話題にも上りませんが、実態は雲散霧消したと思います。

私が学生時代に、独占資本の典型として習ったカーネギー財閥の大鉄鋼会社・USスチールも長く世界に君臨しましたが、一時は鉄鋼会社でなくなるのではないかというぐらいの経営危機に見舞われました。最近かなり合理化が進んで、世界のベストテンには入っていると思いますが、かつてのUSスチールの地位から見ると大変な変貌ぶりです。あるいは、世界の鉄鋼メーカーの二〇位には入るベツレヘムスチール社が、いかに厳しい経営危機に直面したかについては、有名なルポルタージュが日本でも翻訳されています。一九八二年のある晴れた日に突如として会社がたちゆかなくなり、企業城下町の存亡の危機を巡って大騒ぎが起こるという迫真のレポートを読んで、私なども、平成不況の日本でもいくつかの企業に何かが起こるという危機感を持ったほど、アメリカの産業界は激しい変化に見舞われていました。自動車にしても、クライスラー社は何度も倒産寸前まで追い詰められ、フォードもある時期、同様の危機に直面していました。

アメリカの企業が破産、倒産、あるいは経営危機に何度も見舞われたのに対して、日本では不況の間にもコストダウンに努め、売上が減少しても利益が増える減収増益という驚くべき経営が出来た。だからこそ、企業は終身雇用を維持し、大量の失業者を出すことなく、じっと我慢して三年間の不況に耐え得た。そういう底力を日本産業はこの不況期に示しました。従来、日本企業には、順調に成長している間は自転車と同じで軽快に走って倒れないものの、成長が止まるとバッタリ倒れる自転車操業のイメージがありました。しかし、最近の日本企業の状況は、以前とはまったく違って、売上が伸びない中でもコストを下げて利益を回復させ、いかに不況に強いかということさえ示したわけで、それが設備投資の大きな背景になっていると思います。

利益の回復があったことに加え、規制緩和の効果も設備投資を盛り上げている要因です。たとえば、流通業界ではスーパーやディスカウントショップが大型店舗規制の緩和で国道沿いに店舗拡大を展開し、設備投資を盛んに行っています。尤も大型店が軒並み開店する一方で、町の商店街は農村の休耕田と同じで、高齢化により店じまいに追い込まれ、商店街全体の気勢が上がらなくなっていくという一面も生じています。

第三の要因は、やはり技術革新で、情報通信の分野で典型的に表れています。たとえば、ハンディフォンや携帯電話といった情報通信産業の設備投資規模は自動車や鉄鋼をはるかに上回って、現在は四兆円規模に達し、しかも一割二割の設備投資の増加が当たり前であると言われるほどに情報通信産業が著しく伸びて来ています。そういう意味で考えますと、この設備投資の増加は必ずしも根拠のない、浮草のようなものではなくて、一方では過剰設備や、いろいろ問題を抱えながらも、産業構造の変化の中で新しい市場も出来て、利益も確保していく。規制も緩和されて、技術革新を導入していこうという前向きの要素もかなり含んでいることは事実と言えます。

こうした点をもう少しアメリカと比較して考えてみたいと思います。先ほど、日本の企業は辛抱強く失業者も出さず、コストを下げたり、いろいろと合理化を進めながら企業は利益を上げるために頑張って来たと申しました。確かに大きな企業の倒産は殆ど無く、マツダがフォードの支配下に入ったと言っても、これも技術力を買われてのことであって、アメリカの企業整理と比べればずいぶん違ったものだと思います。これは一面では日本企業の強さを表し、一面では問題を表してもいるわけです。アメリカでは企業の営業譲渡や買収、合併、倒産が頻繁に行われ、レイオフや首切りも激しい反面、一方ではベンチャー等の新しい産業の台頭も起こっています。

一九七〇年代以降アメリカは、殆ど実質賃金は上がらなくなっています。家計の実質所得を増やしているのは、専ら共稼ぎの増加によるものです。特に日本と競争の激しかった鉄鋼、自動車業界の実質賃金は、ここ二〇年間で二割程度下がっています。そのようにアメリカは、一方で困窮した産業もあるものの、潰すところは潰したから、新しい産業が起きたとも言えます。日本のように、従来の体制で出来るだけ身を低く構え、じっと我慢したことが、実は不況を長引かせ、その後の回復を緩やかなものにしているという面もあるのです。

それがアメリカ型と日本型の大きな違いだと思います。どちらがいいかという判定はなかなか難しいにしても、アメリ力が潰すものを潰した代わりに新しい産業をどんどん起こしていったその迫力に、現在は残念ながら日本の産業が水をあけられているという感じは否めません。それでは、日本的なやり方ではどうしても無理なのかどうか。不況からの回復に少し時間を要したものの、日本的なやり方でこれから再び戦列に復帰し、アメリカとの競争戦場に帰っていけるのかどうか。これが日本の産業の抱えている一番大きな問題であるわけです。

また、少々横道にそれますが、もう一つ申し上げておきたいことは、一九九〇年代からの平成不況と回復期との間に起こった大きな変化として、日本の国際収支の黒字が大幅に減ったということです。一〇年ほど前の中曽根内閣時代の前川報告で、日本は黒字を減らさない限り国際社会で生き残れないとして、黒字減らしの宣言を行いました。この宣言が一〇年目にしてどうやら本物になって来た感があります。これまで日本の貿易黒字が減ったというのは、国内の景気が非常に良くて、過熱気味であるとか、バブルの時以外は経験がありませんでした。

九一年から九三年頃、アメリカから再三に亙って円高を要求された時期には、政府も民間でも、円高は日本の黒字をさらに増やす結果を招くものと思っていました。つまり、円高は輸出に不利だから貿易が落ち込んで不況になる。そうすれば輸入が減ってますます黒字が増えるという議論でした。確かにその頃は正しい議論でしたが、九三年から日本の黒字は減っていきます。九三年という年は成長率が一%以下の不況の真っ最中で、そんな状況にあったにもかかわらず輸入が猛烈に増えて、実質で伸びが二桁に達するという、信じられないことが起こりました。従来の常識では、日本は原材料を輸入している国だから、不況になると国内の生産が落ち込むので原材料の輸入も減少すると考えられていました。しかし、九〇年代に入って様子が違って来ます。

現在、輸入の約六割は製品輸入で、残り四割が石油や食料等の輸入という割合になっています。製品輸入とは、国内でも海外でもつくれる物を輸入するわけですから、不況となれば安い輸入品でコストを引下げ、利益の回復を図ろうとします。これまで原材料輸入を中心に考えてきた常識とはまったく逆の動きが起きて、九三年以降、輸入が拡大して貿易サービス収支の黒字は過去のピーク時の三分の一か、五分の一ぐらいまで下がり、大きく減少して来ました。そうしたことが、減収増益の秘密を解く一つの鍵だと思います。

確かに産業界は国際化による安い輸入品でコストを下げ、売上が増えなくても利益を上げることによって国際競争力を強めました。しかし、その一方で従来の国内産業にとっては市場の喪失を招くというマイナスの面をも生み出しました。これまで景気回復への先兵を務めてきたのは決まって中小企業であったのが、今回の景気回復に当たっては、その中小企業に活力が戻らずに立ち遅れ、むしろ、大企業から景気回復が始まったのは、減収増益の戦略が取れたかどうかというところに、その違いが出たと言えます。

このことを日本経済全体として考えれば、従来のように、円高になると不況になり、不況になると黒字が増え、黒字はさらに円高を招いて止まらなくなるという心配はなくなって来ました。為替レートが変われば、それなりに黒字赤字の縮小は効くという安定要因としての変化も起きたわけで、これはやはり、一つの力であると思います。日本企業は、いままで不況時でも耐え抜き、雇用面でも頑張って、殆どの企業がとにかく生き残って来たという粘り強さが競争力を支えた反面、それには新しい産業への展開を遅れさせてしまうというマイナス面が伴いました。これが今後どう影響して来るのか、その対応が一番の課題であると思います。

設備投資の動きは日米を比較しても非常にパターンが似ています。アメリカは九一年から設備投資が少しずつ上がり出しました。もともとは消費中心の国で、消費で景気を支える国柄だったのが、最近は、かつての日本のように設備投資中心の経済成長へと変貌しています。その設備投資の中身は、電気・通信・情報・機械・コンピュータが非常に大きなウエートを占めています。日本はアメリカの状況と三、四年ずらすとパターンがほぼ合っていますので、もし、日本もアメリカ流にいくとすれば、日本は過去の不況のとき頑張った分だけ不況が長引き、それだけ出遅れていますが、アメリカ型で民需回復のパターンにならないとも言い切れません。そのためには、失業率の数字にこだわることなく、潰れる企業に代わって新しい産業をどんどん育成するというアメリカ流を取り入れることも必要なのではないか。いいところ取りはそれほど簡単ではないにせよ、多少はそういうリスクを背負う覚悟がなければ、新しい産業は起きて来ません。それを日本流にどのように取り込んでいけるのか、これも今後の日本経済の一つの課題であると思います。

財政再建への道筋

日本の財政は現在、非常に大きな赤字を抱えています。かつてはアメリカは、世界の一、二位を争う赤字大国で、GDP(国民総生産)に対する比率でも巨大な赤字に喘いでいましたが、赤字減らしに一応成功して、いまや比率的に言えば、おそらく赤字の最も少ない国と言えるまでになりました。

どの先進国にとっても、財政赤字の削減と景気の維持をどう両立させるかが大きな課題です。ヨーロッパでは、例のマーストリヒト条約による通貨統合の前提として、財政赤字を減らすことが条件とされ、そのための努力が各々の国で懸命に行われています。当初、日本人の常識では、それほど無理して財政緊縮に取り組みはしないだろうとの観測が一般的でした。しかし、フランスのシラク政権下ではストライキが打たれ、デモも起こるという大変な不人気ながら、営々として築いてきた福祉国家の原則を大幅に修正してでも、財政赤字削減を貫く体制を取り続けており、その点ではドイツも同様です。福祉費を削ってでも統合する価値があるものなのか、今後も議論は続くにせよ、政府筋の決意は非常に固く、少なくとも独仏通貨統合の可能性はあるだろうとの見方が有力です。

赤字大国のアメリカが、景気を維持しながら、財政赤字の削減に成功してきた背景には、いろいろな要因がありました。

一つは、ヨーロッパが社会福祉費を削ろうとして国民大衆から相当の反発を受けたのに対して、アメリカは軍事費を削減したことです。もちろん基地の閉鎖で地域経済が破綻するとか、航空会社への発注が減って困るとかの反対はあったものの、冷戦終焉が理由とあっては抵抗も長くは続かなかったようです。その一方で、アメリカは金融財政政策の組み合わせを実に見事に実現させました。一九九一年頃から景気は底入れしたと言われながら、実は最初は非常にもたつき、まさに現在の日本と同じように景気回復は緩やかな状態でした。その間の大統領選挙で、湾岸戦争に勝利した現職のブッシュ大統領が落選したのは、当時の景気情勢の不透明感もその理由の一つに挙げられると思います。景気の足取りに堅調さが戻らないアメリカでは、金融を大幅に緩和し、物価上昇とトントンの実質金利ゼロというところまで下げました。当時、アメリカの金融システムは貯蓄貸付組合の大きな不良債権を抱え、ニューヨークの大銀行も経営危機に瀕するほどの巨額な不良債権に悩まされ、いまの日本と大差がない状況でしたが、当局は金融を大幅に緩和し、貯蓄組合、中小金融機関に対して財政資金を一〇兆円以上も投入しました。この低金利政策が追い風となり、大銀行の不良債権処理も一気に進みます。

財政赤字を減らすということは、政府の借金が減ることですから、金利も自然に下がる可能性があります。財政の緊縮政策を厳しく推進し、他方で景気が弱いときに金利を下げて財政再建を支え、景気回復の足取りがしっかりして来たら、躊躇なく金利を上げるという巧みな金融財政政策の組み合わせによって、アメリカは財政赤字削減と景気の足並みとの間のバランスを取って来ました。

アメリカの低金利は、ドル安につながります。アメリカは日本に対しても景気の弱い間は、円高基調を盛んに要求してドル安政策を進めました。ところが、景気の回復が進むと、一転して強気にドル高基調を唱え始めています。それが物価を安定させ、景気過熱を防ぐからです。情況に応じた巧みな政策転換と言えます。アメリカは景気の弱いときに財政再建を進めつつ金融を緩和し、ドル安政策で功を奏しましたが、日本にそれが出来るかとなると、これはなかなか難しいだろうと思います。日本の金利は、公定歩合、少なくとも政策金利に関しては〇・五%という異例の低金利です。一九三〇年代の大恐慌時でもアメリカでの公定歩合は一%でした。みんな、どうせ続かないだろうと思っていますから、これ以上下げてもあまり効果がないとも言えます。

最近の状況は、為替レートが下がると日本は駄目だ、円を持っていては危ないと外国人が株を大量に売るために株が下がり、円も下がるというダブル安を招くので、為替の下がり過ぎは資本市場にはむしろマイナスの効果が働くという懸念も強くなって来ています。もともと為替はマーケットで決まるもので、これを政策でどこまで動かせるかとなると、為替も金利も打つべき手は全て尽くした状態の日本にとっては、財政再建を推進しようにも、金融や為替の面でアメリカのような好条件に恵まれていないのが実情です。

アメリカの財政再建に倣って、軍事費に匹敵するものは何かとなれば、多くの人は公共投資の削減を第一に挙げるのではないかと思います。確かに国民総生産に対する公共投資の割合が、他の先進国の二倍から三倍を占めているので、もう少し削ってもいいという議論も頷けます。特定の産業だけが痛手を被るアメリカの軍事費と違って、公共投資の削減には、地方全体からの相当大きな反発が出るのは必定でしょう。これは政治的な問題も絡んでおり、どうも日本の場合は、経済政策を使う余地がアメリカよりも少ないと言えます。

それにしてもアメリカが景気を維持し、経済成長を維持しながら、財政再建に成功した一番大きな理由は、アメリカ産業の自立的な活力にあったことは紛れもない事実です。つまり、産業界自体の活力が経済成長を促し、それが税収の増加にも繋がって財政の赤字を減らすという構図ですから、財政を締めた程度ではびくともしないどころか、積極的に設備投資を展開する産業の力が逆に財政に好影響を与えていったということが、おそらく一番大事なポイントであると思います。

日本の財政問題としては、来年度は消費税、所得税、公共投資減の三点セット全部に取り組むのではなく、せいぜい二つぐらいに止め、一つは残したほうが景気のためにいいという議論もありますが、日本でも経済成長と財政再建の課題を両立させるためには、実は産業の自立的回復力が最も望まれることで、そういう条件が整えば、明るい展望が開けるということです。

日本産業も数字の上では、アメリカに数年遅れながらも体制を立て直し、新しい技術を取り入れて確かに少しずつ前向きになりつつあります。この先もアメリカと同じような道筋を通って伸びていくことが出来るのかどうか。それだけの自立的回復力が産業にあるのかどうかが、財政再建を成功させるか否かの非常に重要な分かれ目になるところです。もちろん、そのためには、規制緩和によって企業の活力を十分引き出すような政策を取らなければならないと同時に、企業家自身、あるいは産業界自らが、自力で活路を開いていく気概を持たない限り、活力は出てこない、そういう意味で、日本の産業界の実力がここでも問われていると言えます。

金融機関の課題

最後に、波瀾要因としての資本市場について若干申し上げます。現在株が下がったり、為替が下がったりしているのは、政府が真剣に取り組んでいないからだというので、市場からの警告であるとして政府批判の大合唱が起きています。私もこの指摘は当然なことと思いますし、構造改革のために政府にはやるべきことをしっかりやっていただきたいという気持ちではまったく人後に落ちません。しかし、それと同時に、民間の金融界も本気でリストラに取り組まない限り、問題の解決は難しいという思いも強く抱いています。

そもそも、日本の株価は高いのか低いのか。ニ一、〇〇〇円が水準で、一七、〇〇〇円を異常と考えるのか、本当の実力はどうなのかということを改めて考えてみる必要があると思います。バブルのときは地価も株価も異常に高かった。バブル時代の日本人は、日本経済を右肩上がりのものと見誤り、株も土地も上がるのが当然と信じる土地神話が広がったことは事実だと思います。

しかし土地神話は別にバブルで始まったわけではなく、高度成長期からずっと日本人はそう思い込んで来ました。日本は国土が狭く、そこで盛んな経済活動によって資本が蓄積され、人口も増えれば、土地に対する人口や資本の割合はどんどん増え、土地は稀少資源だから地価は上がるに違いないという発想がありました。

果たして、本当にそうでしょうか。これから一〇年もたたずして、日本の人口は減り始めます。一五歳~六五歳人口はすでに絶対数が減りつつあります。確かに資本の蓄積が行われ、設備投資もこれから増えていくでしょう。しかし、いま申したことは日本だけのことを考えた議論でした。たとえば、東京であれだけ地価が暴騰したのは、東京が世界の第三金融セクターとしての役割を担うことで、外国から多くの会社が参入し、オフィスビルが不足するという予測でウォーターフロント開発等、数多く手掛けられたからです。ところが、東京には外国企業は入って来ませんでした。それは日本人の英語力不足、有価証券取引税等に代表される税制の歪み、不透明な行政指導という名の得体の知れない介入があるといった理由付けがいろいろなされましたが、いま一つの原因は地価高騰でオフィスビルがあまりにも高く、当時は香港に比べても高かったので、同じ英語の下手な国民を相手にするのなら、もっと安い場所を探そうと逃げ出したということもあったのです。

つまり、地価にも競争原理が働くということを思い知らされたと言えます。土地は輸入出来ないと思いがちですが、たとえばウルグアイ・ラウンドで、米を輸入することになれば、休耕田を増やさざるを得ない。従って、米を輸入することは土地を輸入することと同じ意味をもつことになります。日本の企業が海外進出すれば、太平洋沿岸ベルト地帯の工業立地では空き地が増えることになります。資本が移動する時代では、土地の需給も国内だけのものと考えて、日本は土地が少ない国だと言ってばかりはいられないのです。

株についても、たとえば株価の基本である株価収益率は、結局、成長率と長期金利で決まるわけで、長期金利は物価の上昇を別とすれば、世界的に均一化していく傾向にあると思います。資本が移動するとなれば、基本的には実質金利は同じになっていく。成長率も日本が遅れていて、追いついていく間は例外的に高かったものの、今後の競争ではそれほど差はつかない。成長率も金利も、物価上昇率を調整すれば、先進国は一様に標準化されるように資本が流れていきます。こう考えると、日本の株価だけが、どんどん他の国よりも上がっていくということはあり得ないわけです。あるいは、現在の金利のもとでは配当、利回りはかなり良くなっているにしても、現在の金利は、やはり異常な低金利ですから、この金利のもとで、それとおつかつの配当、利回りで、一体、日本の株式にどれだけ魅力があるかという問題が、依然として残っていると思います。

もし、資本市場、資産価格にまだまだ調整余地があるかもしれないと考えた場合、重要なことは、金融機関のリストラだということになります。あれだけの不良債権を抱えた金融セクターが、このままうまく生き延びていくのは相当難しいと思います。私どもの日本経済研究センターもたくさんの金融機関に会員になっていただき、ご支援を受けていますので、それが整理されると一番困るわけですが、これだけの調整が行われる以上、金融リストラは避けて通れなくなって来たと私は思います。

政府は残り四年間は預金を保証すると言っています。ということは、四年以後は銀行が潰れても預金がどうなるか保証出来ないということになります。もし銀行を整理するならこの四年のうちにしないと間に合わないということになります。そういうことも反映して最近の株が安値となって表れているとも言えます。これは明らかに政府に対する警告であり、同時に日本における投資家や、特に問題のある金融セクターに対する警告でもありますから、私はここで金融リストラに本気で立ち向かう必要があると痛感しています。

落第生が出るというのは非常に困ったことです。しかしその一方では、立派な卒業生も生まれます。悪いところと良いところがはっきりするならば、それはそれでいいのではないか。業績の悪い企業が過剰設備を抱えているからといって、業績の良い企業が設備投資をしないわけではないという産業構造と同様に、金融界も良いところと悪いところがはっきりしてくれば、また前向きに動く可能性も出てくるのではないかと思います。

日本はいま申した財政、金融の問題と、ようやく伸びかかってきた産業界の実質需要の動きとが三巴で引っ張り合っています。それではどちらが勝つかとなれば、景気の問題としては、増税するのですからおそらく減速はするものの、失速にまでは至らずに済むのではないか。産業界にようやく灯った光明を何とか繋いで、この機会に財政や体質改善を出来るだけ進めていくことが、日本経済の課題だと考えています。

大変粗雑な話で恐縮ですが、お約束の時間になりましたので、私からのプレゼンテーションはこれで終わらせていただきます。

(日本経済研究センター理事長・東大・経・昭33)
(本稿は平成9年1月20日午餐会における講演の要旨であります)