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「少子化」再考 川本 敏 No.815(平成9年4月)

「少子化」再考
川本 敏(総合研究開発機構総務部長) No.815(平成9年4月)号

 平成4年11月に「少子社会の到来、その影響と対応」と題する平成4年度国民生活白書が、経済企画庁より公表された。私は当時、国民生活調査課長として同白書のとりまとめにあたっていた。「少子化」をキーワードに経済社会の直面する問題を提起しようと思った。その後、少子化という言葉は市民権を得てごくあたり前の一般名詞として新聞や雑誌に使用されている。
  少産化、晩産化など、出生率の低下に関連した言葉はあっても、出生率の低下やそれに伴う家庭や社会における子供数及びその割合の低下傾向を極端に表すキーワードがなかったわけである。少子化は結婚、出生、家族、教育、住宅環境など国民生活上の諸側面と密接に結びついており、長期的には、国全体の繁栄にも影響しよう。
  平成4年度国民生活白書(以下では「少子化白書」と略称しよう)公表当時に比べてみても少子化傾向は一層、先鋭化しているといってよいであろう。少子化の現状、社会的意味などについて、少子化白書当時と比べてながら若干の考察をしてみたい。


進む少子化


 昭和50年代から傾向的に低下してきた出生率は平成3年には1.53となり、人口の維持が可能な出生率2.08を大幅に下回っていた。出生率(女性が一生のうちに生む子供の数=合計特殊出生率)は毎年の変動が大きいものであるが、その後も、傾向的に低下を続けていくのが大きな議論の分かれ目であった。厚生省人口問題研究所の将来人口推定(平成4年9月)では、中位推定として平成6年を底(1.49)として上昇し、2025年には1・80、2090年には2.08に戻るとみていた。もしそうであれば少子化のインパクトはそれほど大きくなく、ことあらためて問題提起するほどのこともなくなる。
  しかし、生活の便利さの向上、女性の職業意識の変化などを背景に非婚化、晩婚化が進行しており、また、結婚した後でも育児や教育のコスト、住宅事情等から出生率の上昇は当面見込みにくいと思われた。
  その後、さらに出生率は低下し、平成8年は1.42と史上最低のレベルまで低下している。この状態が続けば21世紀末には我が国の人口は半減以下の6千万人を下回ることになる。
  社会における子供の割合を年少人口比率(全人口に対する15歳未満人口の割合)でみても急速に低下しており、平成3年には17.7%であったが平成7年には15.9%まで低下している。高齢化の進行の中で平成9年には史上はじめて、年少人口が老年人口(65歳以上人口)を下回ることが見込まれる。すでに東京都では平成7年には史上はじめて年少人口が老年人口を下回っている。少子化が進行するなかで、まさしく「少子社会」が到来している。


少子化のとらえ方


 少子化についての見方は大きくみて3つに分かれよう。すなわち、①少子化を困ることとみるか、②やむを得ないとみるのか、③望ましいとみるかである。このことで対応は大きく異なってくる。

 ①は、子供の減少、そして総人口の減少が日本の経済社会の活力低下や高齢化等への対応を困難にするとみるものである。②は、個々人の生き方が多様化するなか、ことに女性の自立的な生き方が拡がっているなか、非婚化、晩婚化等は避けることのできない社会現象であり、自然の流れにまかさざるを得ず、その結果、少子化が進んでもやむを得ないと考える立場である。③は、地球環境などグローバルな視点からみると地球の許容限度には限りがあり、各国とも人口の抑制に努める必要があり、人口が低下傾向にある先進工業国も例外ではないと考える。また、日本の人口の減少が困るのであれば、外国人等の居住の増大などグローバルな観点からの対応を考える立場である。

 このほかにも様々な考え方があろう。少子化白書はこの3つの見方とも異なっている。価値判断を敢えてしなくても、それ以前にすべきことがあるからである。すなわち、人々の意向を最大限尊重する立場であり、②に関連は深いが、少子化を等閑視するのではなく、人々の意向を実現するために政策的対応を必要とする立場である。
  すなわち、経済企画庁では国民生活選好度調査を毎年おこなっており、平成4年には少子化に関連する事項について調査を実施した。調査結果から親が理想と考えている子供数(約2.5人)と現実の子供数(2.0人)にはギャップがあり、子供を持ちたいけれども希望どうりには持てないという現実が明らかになった。そして、その背景として、不充分な子育て環境などの経済社会的要因が見出される。また、結婚は極めて個人的なことであるが、多くの男女が結婚を希望しており、希望しつつも先延ばしになっている理由には、就業環境等の社会的要因もあることが分かった。
  したがって、国民の意向が最大限、現実化されるため、また、その障害をとり除くためにも少子化問題を提起し国民的な関心を得ることが重要と考えた。そうしたなかで、子供を健やかに生み育てるためのより良い環境づくりが促進されれば、その結果として出生率がやがて増大していく、あるいは減少をその程度において抑制することができると考えた。

 なお、③の見方に基づくとした場合、地球環境と共生する人口規模、すなわち「地球の定員」を考えることとなろうが、生活水準の上昇は定員の低下要因となり、技術の進歩は定員の増大要因となろうが、説得力のある推計は困難である。ただし、生態学者等の推定である種の上限を考えることができる。陸地上のすべての耕作可能地で、効率の良い作物(=イネ)をつくり食糧にすることを仮定しても3百億人が限度であり、現在のアメリカと同程度の生活水準を実現すると仮定すると現在の人口は地球の定員を突破しているという。中国では1980年に入って本格的な「一人っ子政策」がとられているが、地球の定員という考え方よりも人口増大に伴う経済社会的困窮の緩和を目的としている。なお、中国の一人っ子政策は2人以上の子供を持つことを禁止しているものではないが、家族計画に参加せずに二人以上の子供を持った夫婦には託児所・保育園等や住宅への優先的入居等の便益が与えられないのみならず、既に受けた便益の返済など重いペナルティーが課されている。

 我が国においても人口の定員を考えることは困難である。江戸時代は約3千万人で安定していたが、その後の技術進歩や経済発展で人口の容量は増大してきたことは間違いない。しかし、現在の東京圏への人口集中や全国的な自然環境への負担の増大などを考慮して、キャパシティを超えているという見方もある。少子化白書が公表された後、多くの識者が白書について論評して下さったが、ある著名な作家の方が我が国の人口はやや過剰であり、1億人程度が長期的に望ましいのではないかと述べていた。こうした見方に立つと、少子化は望ましい状況への社会的な調整過程となろう。ただ、こうした見方に立つとしても、人口の変動は外国からの移動を除いてみれば、ねずみ算式に進みがちであり、1億人で定常化する保証は何もないのである。


少子化の要因


 少子化の背景と要因について、多くのことが解明されてきた。
  ちょうど少子化白書を公表した1992年のノーベル経済学賞はシカゴ大学のベッカー教授が受賞されたが、ベッカー教授の受賞は結婚、出生、家族、教育等の人間行動を経済学的分析手法に基づいて解明した先駆的業績に対するものであった。
  ベッカー教授によれば、男女が結婚するのは、同一の家計の形成による交流を通じて、独身状況より高い効用が実現できるからである。その効用には夫婦のそれぞれの比較優位を持つ活動へ特化できることによる効用、愛情や性的満足といった効用、子供を持つといった効用があり、これらの複合が「結婚の利益」であり、結婚の利益の総量及び男女の配分が結婚へのインセンティブを左右することとなる。
  出生については、子供を耐久消費財に準じて考え、夫婦はその所得と子供の育児教育費用を考慮しながら、子供を持つ喜び(効用)との比較において決定することとなる。女性の高学歴化と高賃金化が進行するなか、子育てに要する時間の機会費用(その時間に他のことを行っていた場合に与えられる利益)が増大しており、「子育ての利益」が一般的に減少しているとみられる。
  こうした経済的分析は有力な分析道具であるが、これだけで多くを解明できるわけではない。背景となる社会的要因が重なり合っている。

 出生率の低下を人口学的には、①非婚化・晩婚化、②有配偶女子の出生率の低下に分解している。非婚化・晩婚化の要因には、そもそも同一年齢で男性の方が5%ほど多いという男女の人口アンバランスがある。また都市化、サービス化のなかで、単身者の生活の便利さや多様な楽しみが増大していること、女性の高学歴化や就職率の高まり、男女の機会均等化も作用している。
  有配偶女子の出生率の低下には、老後の子供依存の低下、仕事と家事・育児の両立の困難性、教育費の増大、狭い住宅等が影響している。
  さらに欧米諸国と比較して顕著なことは、子育ての意味として「子供を育てるのが楽しい」と思っている母親が、日本では圧倒的に少ないのである(欧米諸国約7割に対して日本では約2割)。その反面、「次の社会をになう世代をつくる」という意識が強かった。そうした意識下では個人主義が進むにつれて楽しくない子育てを敬遠するのは当然のこととなる。

 なぜ子育てを楽しいと思う女性の比率が低いのだろうか。少子化白書発表後の新聞・雑誌での識者の論評の多くは、育児における女性の負担が重過ぎる点にあった。育児施設の整備の遅れや教育費等の費用の増大の他に男性の協力不足(男性中心社会)を指摘する方々が多かった。その後、男性中心的な日本社会も変容していると思われるが、男性の家事分担は欧米に比較して依然として大幅に低いことには変わりはない。事実、男性の家事・育児・介護活動時間の多い国の方が一般的に出生率は高い傾向にある。


少子化の影響と対応


 少子化は多方面に影響してきた。
  少子化白書でも、家庭や地域への影響(家庭の介護機能の変容、子供同士の関係の希薄化等)、教育への影響(個性の重視、教育施設の余剰化等)、産業・就業への影響(子供関連財の量的減少等、若年労働者の減少等)、経済社会力への影響(若中年層への社会的負担の増大、安定志向の強まり等)を指摘した。
  少子化のなかで親子の結びつきは密になっているが、子供の自立性は低下している面がある。大学教育においては高校卒業生の減少等に対応して、社会人教育が重視されている。また、近年、単身者世帯も急速に増大している。
  さらに、総人口では高齢化のなか当面、増大を続けるが、2006年頃をピークに減少に向かう見込みである。我が国の人口は、1880年には3,660万人にすぎなかったが、50年後の1930年には6,450万人となり(年率1.1%増)、さらに50年後の1980年には1億1,700万人(年率1.2%増)、その15年後の1995年には1億2,560万人となっている(年率0.5%増)。戦後の50年を見ても7,220万人(1945年)から95年には1.74倍(年率1.1%増)となっている。

 このように我が国は経済社会の発展とあい前後して人口が増加してきており、また、人口の右肩上がりの増大が経済社会の発展システムに組み込まれていたわけであり、その変質はボディブローのように影響を与えてこよう。現在みられる景気回復の遅れも少子化の影響を一部受けているとみることもできよう。
  少子化社会の到来は、一方で、超高齢化社会の到来でもある。高齢化は加齢に伴い、いやがうえにも我が身の問題となる。少子化は子供を生み育てることが基本的に個人の選択に委ねられており、高齢化ほど個人にとって切実でない面もあるが、長期的には確実に国民一人一人に影響を与える。
  少子化に対応していくためには、安心して楽しく子供を生み育てることのできる環境づくりが重要である。国際的にみると、イタリア、ドイツでは、日本以上に出生率の低下が進んでいるが、スウェーデンでは育児支援制度の整備もあって1980年代後半以降90年代初めまで出生率の上昇をみている。我が国においても関係者の努力によって、そうした環境づくりが進められている。
  そうした努力にもかかわらず少子化の流れは当面続くであろう。少子化の行方と影響を見定めて、年金、介護、医療、さらには教育、雇用など少子高齢化に対応した経済社会システムの構築が急がれている。

 私が現在勤務している総合研究開発機構(産業界、学界、労働界等によって1974年に設立発起された政策志向型の総合研究機関)においても、テーマの一つとして少子化の影響等に関する研究を行っている。少子化を巡る問題の重要性を考えると、各方面でさらに積極的な取り組みが期待される。

(総合研究開発機構総務部長・東大・工・昭45)