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学士会アーカイブス

ドイツよ、お前もか? 岩波 雄二郎 No.794(平成4年1月)

ドイツよ、お前もか?
岩波雄二郎(岩波書店会長) 平成4年1月(No.794号)


  10数年ぶりにドイツに行った。それ以前にも何度か行ったことがあるが、ドイツに対するイメージは概ね良好なものであった。
  曰く、時間が正確である、秩序正しい、組織立っている、清潔である等々。ドイツ語で言うと‘alles ist in Ordnung’すべて整然としているとでも言うのだろうか。私はこの言葉が好きだ。
  これは何にも私だけのイメージではなく、例えば東京で外国人等に家を貸している家主さん達は、好んでドイツ人に貸すそうである。これは、ドイツ人ならばほんの3月、半年しか借りなくても、たちどころに家中をぴかぴかに磨いて、出て行くときも後をきれいにして出て行くからだそうである。

 私の義弟にフランス人がいる。彼に案内してもらってパリのポンピドゥーセンターの美術館へ行ったときのことである。
  日本やドイツならば各部屋にナンバーがついているか矢印がついているかして、その通りに歩けば見落しなく見ることが出来るようになっているのが普通だが、そのいずれもがない。どうして矢印なりナンバーなりをつけないのだと義弟に聞いたところ、フランス人は指図されるのが嫌いなのだという。その時はそんなものかと思ったのだが、すこし先に行くと1つの絵が暗いので、よく見ると2つある照明の電球の1つが切れている。何故すぐに直さないと義弟に聞くと、フランス人はそんなことは気にしないのだという。義弟はアルザス生れで、半分ドイツ人みたいなので、ではドイツ人ならどうなのだと聞いてみたところ、ドイツ人なら、ドイツの展覧会で1つでも電球が切れているなどということはあり得ないことだと思うでしょうとの答えであった。

 私のドイツについて抱いていたイメージは概ね上記のようなものであった。
  ところがこの度数年ぶりでドイツに行ってみて、様々なケースで私の描いていたドイツのイメージとは大分違っているので驚いた次第であった。
  まず成田からフランクフルトの空港へ降り立って、タクシー乗場に並んだ。ドイツのことだから並んだ順に先頭から秩序正しく乗るものと思いきや、案に相違して我先の早い者勝ちである。空港で外国人が多いからという説明も出来るかと思うが、成田だって外国人は多いけれどもうすこし整然としていると思う。

  次にホテルに着いて、飛行機の中で一応現地時間に合わせた時計をより正確にしようとエレベーターホールの時計を見たら15分程狂っている。ドイツで時計が狂っている筈はないと思ったが、念のため同行の者に聞いたところ、このホールの時計の方が狂っているのであった。フランクフルター・ホーフという当地第一級のホテルである。そしてこの時計は約1週間の滞在中、ついに修生されなかった。同じホテルの私の部屋の金庫も暗証番号が壊れていて、ついに滞在中使用出来なかった。

  翌朝ガイド兼運転手兼通訳のゲスマン嬢が、これは正にドイツ的に9時恰度に、1分も早くなく、(ドイツでは、早すぎるのも不正確なのだ)1分も遅くなく迎えに来てくれた。車はホテル前の駐車場にあるのでそこへ行ったが、コインを入れて駐車券を買う機械の2つのうち1つが壊れていてもう1つも工合が悪いらしく3、4人並んでいるので、ゲスマン嬢は受付の人に金を渡して券を買っていた。この2つの機械のうち1つは1週間ついに直らなかった。

  地下鉄も時々利用したが、機械にコインを入れて切符を買う無人に近い駅で、2つある機械のうち1つが壊れたままで、もう1つの方も2マルク入れるとお釣が出るが、5マルクでは切符が買えない時があった。この駅では帰る間際になって機械は幸いに直っていた。

  地下鉄と言えば、フランクフルトのレーマーの4番線の駅は非常に深いところにある。そこまでたどり着いたのはよいのだけれど、3段になっている駅のエスカレーターが一切動いていない。ドイツでは人のいない時には作動せず人が足をのせると動き出すエスカレーターがよくあるので、皆で様々に工夫してみたけれど一向に動かない。仕方がないので3段に分かれているエスカレーターを全部歩いて登ったが、恐らく150段以上あったであろう。そのくたびれた事と言ったらなかった。

  エスカレーターといえば、デュッセルドルフの百貨店の4階から3階に降りるエスカレーターがこれまた故障であった。客に物を売る百貨店のエスカレーターが動かないなどということは、かつてのドイツでは考えられなかったのではなかろうか。

  更にフランクフルトの一級ホテル、マリオットのエレベーターがしばしば故障して一度は消防車まで出動する騒ぎであった由。中には26階から1階まで歩いて降りて来た人もあったとか。

 昔子供の頃ドイツの汽車が如何に正確かということはよく聞かされていて、日本もそのようにならなくてはいかんと言われていた。
『ふたりのロッテ』を書いたエーリッヒ・ケストナーに『ベルリン最後の日』という作品がある。この中で彼はドイツ人の組織の才能のもつ特有の欠点を口を極めて非難している。例えば汽車の時間表が混乱したら、もはやそれに頼っていてはならない、にもかかわらずドイツ人はそれに頼っている。そして事故を起こして非難されれば、彼等は時間表を指して叫ぶ、「あいつを絞首刑にしろ!」
  ケストナーにこのように非難される程時間表に忠実であったドイツの汽車がこの度は平気で5分~15分遅れるのだ。しかもわずか1~2時間の距離で!

  私は見なかったのだが、フランクフルトの駅前の失業者たちの群は気味が悪いという。そして白昼人前で腕に麻薬を注射しているのを見た人もいる。

  最後にかの安全確実、正確無比で知られるルフトハンザ航空の機内でのこと、本を読もうと思って読書燈をつけたが、あまり明るくならない。その時は我慢していたが、そのうちに明るくなった。しばらくして席を立つので私の席の前のライトのスイッチを消したところ、隣の人の席が暗くなった。つまり私の席と隣の人の席のスイッチの配線が入れ違っているのだ。直ちにスチュワーデスを呼んで文句を言ったのだが、ああそうですかと言うだけで詫びようとも直そうともしない。

 たかが読書燈の配線などと言っていられない。飛行機というのは一種精密機械である。こういう機械の中で重要部分の配線が間違っていたら一体どういうことになるのか、想像するだに恐ろしいことである。
  私共の若い時分は、アメリカ、ヨーロッパと言えば仰ぎ見るべき欧米文明先進国であった。ところが近年必ずしもそうとばかり言えない実状がだんだんわかってきた。イタリーしかり、フランスしかり、英国病のイギリスしかりである。しかし戦後奇跡の復興をとげたドイツだけは違うと私などは思いこんでいた。ところが久し振りに行ってみると、かつてのドイツでは考えられないようなことが随所にみられた。かくて表題にもあるように「ドイツよ、お前もか?」という感慨を抱くに到った次第である。

(岩波書店会長・東大・文・昭19)