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米国の金融経済動向について 南原 晃 No.775(昭和62年4月)

     
米国の金融経済動向について
南原 晃
(日本銀行調査統計局長)
No.775(昭和62年4月号) 

 ご紹介いただきました南原でございます。私はアメリカに行っておりまして、十月二十六日、日本に帰って参りました。帰って参りましたら、さっそく学士会から十二月夕食会で話をしてほしいという電話がありまして、お受けしたわけでございます。

 今日は、医学部とか、理学部のご出身の方々もおられ、日本銀行と言われてもその仕組があるいはおわかりにならない方もいるかもしれないので、ちょっと申し上げておきたいと思います。皆さんが日常使われているお札、これには日本銀行券と印刷されているわけですが、この日本銀行券というのは、簡単に言えば、金に裏づけられて発行して信用を保っていたわけでございまして、このお札を発行しているのが日本銀行であることはどなたもご存知のことと思います。もちろんいまは金に裏づけられておりません。皆さんが幾らお札を持ってきても金をお渡しするわけにはいかないのでございます。そのかわり私ども日本銀行で働いております人間がいわば担保になっておりまして、皆さんの持っておられるお札の価値を守るというか減価をしないようにする、またあまり上がり過ぎるとデフレになりますけれども、デフレにもインフレにもならないように、私ども一所懸命にやっていると、こういうことでございます。

  私は、いま調査統計局長になっていますけれども、それまでは文字どおり現場の金貸し業、皆さんに直接お貸しするのではなくて銀行に貸すわけですが、お金を貸したり、あるいは返してもらったりしながら、生産性の伸びというか、物をつくる伸びとお金の伸びが大体パラレルに動けばインフレにもデフレにもならないのでございまして、その現場の仕事ばかりやっておりました。ニューヨークの事務所にもおりましたが、これも同じような仕事でございます。

 さていまは非常に円が強くなりいろいろ問題がおきておりますけれども、去年(六十年)は弱過ぎたわけです。あまり弱いとインフレになる危険もございますし、アメリカも困る。特に去年の十月いわゆるG5以来、アメリカもドルがあまり高過ぎるのはまずいというのでドルを少し弱くしよう、またこちらの方は円を強くすることには問題ないということで、たしか去年は一ドル二百六十円ぐらいでスタートし、同年九月は二百四十円ぐらいだったと思います。これを何とか強くしようと。どういうことをするのかといいますと、日本銀行の使うお金というのは大蔵省の外為会計のお金でございます。大蔵省の委託人としての日本銀行がそのドルを市場に売って円を買えばドルが弱くなって円が強くなるわけですけれども、ご存知のように、ニューヨークと東京はいま十四時間時差がございますので、米国の中央銀行であります連邦準備銀行に頼みまして、市場で売ったり買ったりしてもらう、その他いろいろ仕事はあるわけです。

  日本銀行のニューヨーク事務所ができましたのは一九〇五年で正金銀行と殆ど同じでございまして、非常に古うございます。日本の銀行としては最も古い部類に属するわけですが、これは、日露戦争で外債を出して大量に借金をいたしまして、この債券の事後処理というか、そういうようなことでできたわけです。戦後はまたいち早く事務所を出しましたが、これは、日本の銀行はお金がありませんし外貨もなかったので、アメリカの銀行に借金をする、そういう日本の銀行のバックアップのために行っておったようなものでございます。いまは時代が変わりまして、ニューヨークでやっておりました仕事は、逆に日本銀行も直接貸したりもしておりますが、日本の銀行がラテン・アメリカとか、フィリピンとか、そういうところにやや貸し過ぎた面もございまして、いまそれのいろいろな後始末、返済を猶予したり、金利をどうしようとか、そういう仕事をやるのに対して、オブザーバーとして会議にも出ております。これを一歩誤りますと一九二九年のような金融恐慌になるわけで、いまいろいろそういった話も出ております。しかし国際協調というか、特に日本とアメリカとの関係においては、中央銀行も大変近しい関係にあってやっているから大丈夫だと、こういうことになるわけでございますが、そういう仕事とか、あれやこれや言い出すととてもきりがございません。

  今度私が突如調査統計局長に任命されまして、まずポール・ボルカーというこちらで言えば日本銀行の総裁で、向こうの中央銀行の一番トップであり連銀の議長でもありますが、そこへ後任者を連れて挨拶に参りました。この人は非常に誇り高い人でありまして、私がニューヨークに参りました時、前任者とボルカーのところへ挨拶に行ったときには、「ああ来たか」というようなことで、目を見ないで握手されたというような記憶があるわけですが、今度はかなりお客さんが詰まっているにもかかわらず二十分ぐらいろいろ話しました。また、その夜私どもワシントンでさよならレセプションをやりましたが、ふだんボルカーはそういうパーティーにはまず出ないということで有名なのですが、そういう方が何と三十分近くおりました。それはいまの調査統計局長というタイトルがしからしめたところでありまして、私も責任の重大さにいまややびっくりしております。中央銀行におきましては、調査統計局長というのは、先程申し上げました銀行券なりお金の量を適正に保つといいますか、こういうためのいろいろな景気判断とか、総合判断をやらなければいけない、そういう情勢判断をやる部局でございます。

  そのパーティーがあったのは十月十六日でございますが、さっき申し上げましたプラザ合意のとき以降、ドル高が是正されたのはいいんですが、ちょっと行き過ぎてしまった。もちろん、政治家の皆さんとか、あるいは学者の皆さんは、ドルはもっと安くならなくちゃいけないと言う人はいるんですが、いやしくも中央銀行の通貨の価値を守る人にとってみれば、やはりドルが弱くなり過ぎるというのは非常に怖い。いままでのところは、石油価格がものすごく下がりましたので、インフレというような事態にはなっていませんが、石油価格も下げどまってきており、やはり非常に心配であります。また一方でいまの物価などが比較的安定している状況から見れば、実は金利が高いわけでございます。なぜ高いかというのは、言うまでもなく、一九七〇年代アメリカに世界的なインフレがあった。この大本は、一言で言いますと、いわゆるニクソン・ショックと言われておりますけれども、戦後IMFの通貨体制というのは、固定相場制ということでやってきて非常にうまく機能してきた。しかし学者には変動相場制の方がいいと言う人が多い。変動相場制というのは、市場で全部決めてもらう。もし輸入がふえ過ぎそれで貿易収支が赤字になれば、その通貨が弱くなるから輸入品が高くなり、輸出品が安くなる、こういう経路を通じて自動的にともかく調整されるから、結局貿易収支が自然にまたバランスしてくるのであって、外貨準備なんかも要らないし、極端に言えば中央銀行も要らないということになるのでしょうけれども、いずれにしましても変動相場制論者によりますとそういうことであります。しかし固定相場制の何がいいかというと、やはり赤字国にディシプリンというか、ペナルティーがかるようなシステムになっておりまして、固定相場制を維持していて国際収支が赤字になりますと外貨がなくなってしまうわけですから、どうしてもやはり国内で引き締めをやったり、少し緊縮財政をやったりと、こういうことであります。幸運なことに、日本も生産性がまだ十分でなく、国際競争力のないときには固定相場制でございましたので、いわゆる国際収支の壁と言われておりましたけれども、だんだん国内が過熱して外貨がなくなって参りますと、やはり引き締めをするということでうまく回っていたわけでございます。

  一九六〇年代は、アメリカにとっては、ご存知のように、ベトナム戦争もございましたし、リンドン・ジョンソンの“偉大なる社会”ということで、いわばフランクリン・ローズヴェルトの社会化と申しましょうか、社会福祉――これはもちろん方向として悪かったわけではありませんが、社会化の行き過ぎと言われるところまでやったということでございまして、一九六〇年代後半からインフレになりました。アメリカはもちろん固定相場制堅持というのは、一オンス――三十五ドルという金価格にドルをリンクさせておりまして、よその国がドルを持ってくれば本当に金を渡していたと、こういう状況であった。しかしインフレになってまいりますと、どんどんよそにドルがたまり金にかえてくれというのが多くなった。そのときは固定相場制で、赤字国にディシプリンが働くようになるはずですから、本当ならここで金融引き締めをやるなり、緊縮財政をやるなりすれば固定相場制は維持されたんですが、残念ながらやはりディシプリンの働かない、むしろ赤字国がイージー・ゴーイングで行ける変動相場制の方を採用してしまったと、こういうことになりまして、このツケでどうにもならなくなって、ボルカーが一九七九年に通貨安定の総元締めとして登場したと、こういうことでございます。そのボルカーは一九七九年から一気に高金利に持っていくという荒療治をやったわけですね。簡単に言いますと、その高金利をやってようやくインフレというものがおさまってきてレーガンも登場してきたと、こういうことになるわけです。

  しかしながらそのツケはまだ残っているわけでありまして、ボルカーとしても徐々に――高金利というものを一気に下げますと、またこれは連銀に対する信頼を失いますので、徐々にいま金利を下げてきているんですが、あまり下げ過ぎますとドルが弱くなるというようなことで、そのためには、日本の方も金利を下げてくれれば向こうも下げやすいと、こういうことでございます。しかし、われわれとしては、国内金利があまりにも下がりましたので、株価が吹いたり土地の価格が上がったりというマイナスの方も出てきて、簡単にはアメリカにつき合い切れないということでおりましたところ、ボルカーもこれはしようがないというんで、七月、八月と連続して単独利下げをしたわけです。なぜ下げたかといいますと、やはり景気の方もいまひとつということで下げたわけですが、公定歩合というのは下げればいいというものではございません。公定歩合を〇・五%下げました後、長期金利というのがあるわけですが、三十年ものの国債を取ってみますと、いま七・三%くらいですが、当時はやはり七・五か七・三ぐらいに下がった。市場がなぜ下がったかというと、連銀がここで単独で下げた以上は、アメリカの景気はよほど悪いんだろう、これではしょうがないというので、多少先行きを気づかって市場金利が一気に下がりかけた。そのうちに連銀は決して景気をそんなにリセッションに見ているのではないということがわかった途端に反発いたしまして、あれよあれよという間に八%近くまで上がってしまった。これは言ってみれば、ボルカーに対する信任というものが崩れたことを意味するわけであります。やはり政治的に下げさせられて、これは後インフレになって心配だぞというようなことで、市場が反発したわけであります。公定歩合操作というものは、ただ下げればいいというものではございません。やはり総合判断で市場が金利を下げるような環境に持っていくようにできる自信があって初めて下げるべきでありまして、これはジョンソン副議長も、私が挨拶に行きましたときに、いままでもう少し簡単に中央銀行の金利政策というものを考えていたけれども、やはりこれは非常にむずかしい、慎重にやらなくてはならないものだということがわかったと言っておりました。

  いずれにいたしましても、その後やはり向こうの中央銀行は慎重な政策に戻っております。その間市場金利が反発したについては、確かに日本銀行の方も下げていないわけで、それも一つの要因ですから、ボルカーとしてみれば、もちろん私ども日本銀行の信認を失わずに下げられる環境があるなら下げてくれと、こういう気持ちを代表されたのではないかと、こういうことでございます。

 ご存知のように、IMFの総会が九月から十月にかけてあったわけでございますが、日本の新聞などでは今回の総会はいろいろ期待したけれども何もなかったではないかと、こういうふうに言われますが、私に言わせれば、大変実りある重要な会だったと思います。これは何も総会が重要なのではなくて、G5、G7ということでございますが、最後には日米――宮沢・ベーカー共同声明ということになって結実するわけでございます。私どもとして一番困るのは、いま申し上げました日米共同声明というものが、円相場安定というかたちで出て参りまして、これと取引してやはり公定歩合を下げたのではないか。だから日本銀行は政治に弱いと、こういうことをいう人もまだあるかと思うので、敢えて申し上げておきますけれども、それは先程申し上げましたように、私どもの一番やりたくなかったのは、八月に連銀がやったように、下げたのはいいけれど、金利が上がって信用を失墜して後金融政策がやりにくくなったと、こういうことは一番やりたくなかったわけでございます。その後、当然予想されたことではありますが、やはり急激な円高のデフレ・インパクトというものがございまして、それがその後雇用面その他にもじわじわと出てくる。一方マネー・サプライと申しますか、株価が吹いたり、あるいは土地とか、いろいろ言われます。しかしこの辺もやや落ち着きを見せてきたと、こういうようなことで、十月の末に公定歩合引き下げを決断いたしました。その間、四月から考えれば、ずいぶん長いこと澄田総裁もがんばってきたと、自画自賛で申しわけないんですがよくやったと思っております。さて、非常に前置きが長くなりましたが、これからアメリカの経済についてと、それから日米関係について申し上げます。

  アメリカの経済について達観してみますと、今年の成長率は大体二・五%ぐらいの伸びで行くと。去年も二・五%ちょっと上回りました。この二・五%ぐらいのアメリカの成長率に対して、アメリカの中にもおりますが特に日本には、アメリカは景気が悪い、もっと成長してもらわなくては困ると、こういう意見を言う人が多い。私はこれは間違っているということをまず申し上げたい。というのは、いま二・五%で、アメリカの経済が減速しているとか、景気があんまりさえないとかいう人は、一九八三年、八四年のアメリカのちょっと考えられないような高い成長率に惑わされているわけでありまして、八四年の成長率がたしか六・四%という高い成長率になっております。なるほど六%の成長率と比べれば二・五%というのは減速というのも無理はないのですけれども、なぜ八三年、八四年と高い成長をしたかというと、一九八二年――昭和五十七年、この年はアメリカが実質でマイナス二・五%というマイナス成長をしている。これがあれば、後また反動が来るに決まっているわけでありますし、それからもちろんご存知のレーガンによる――減税政策とかいろいろ景気刺激政策というものが行われたわけであります。あれだけ失業率も上がってきたのがいまそういう失業の問題というものがなくなってきたのも、やはりそういうレーガンのいろいろな景気刺激策のおかげでありますが、いずれにしましても、そういうことで異常に高く出たと、こう言うだけであります。一九八〇年代に入りましてならしてみれば二・五%という成長でございまして、これはまあ正常軌道ではないかということをまず認識していただきたいと思います。

  ところが日本の場合は、このアメリカの六%以上の高度成長に合わせて――アメリカはいろんな部品とか日本からの輸入に依存する体質になっておりますので、日本側から言えばこのときにものすごく輸出が伸びたわけです。この六%を前提に、二・五%になるから大変だということで騒ぐというのはやめてもらいたい。やはりアメリカという国は二・五%ぐらいの成長で走るということを前提にみんな考えていないとおかしいんではないかと、こういうふうに思います。

  いま八〇年代の平均で申し上げましたけれども、これは日本のことを考えてもおわかりだろうと思います。アメリカへ行かれた方はおわかりでしょうけれども、私日本へ帰って参りまして、率直に言って、やはり貧しいですね。フローではなるほど非常に豊かですが、ストックということで見ますと、貧しいということは残念ながら認めざるを得ない。住宅は言うに及びませんが、インフラ、ビル、その他みんなそうでございますね。たとえば新宿副都心、これができたときはすごいなあと思っておりましたけれども、今度、私がニューヨークにいる間だけでも、マンハッタンの狭いところにあの新宿副都心を全部合わせたものが少なくとも三つぐらいは二年間でできたと、こういうことでございます。それから地方都市、皆さん、名前を知らないようなところへ行っても、新宿副都心程度のものはあるという感じでございます。GNPの概念というものは何かといいますと、要するに、年間で新しく出る生産量と言ってもいいし、所得量といってもいいし、付加価値と言ってもいいし、いろいろですが、そういう年間のフローで、毎年新しいものをつくって、それを去年つくったものと比較して実質で、価格も調整して何%伸びたと、こういう概念でございますから、これだけ大きい経済を二・五%台で回すというのは大変なもので、もしアメリカが回せるなら、日本みたいな小さい経済は当然八%とかそのくらい成長しておかしくないと、常識的には言えるんではないかと思います。

 ところが、日本の場合もなかなか成長できない。たとえば財政資金をつけても、昔ならばいわゆる経済学用語で言えば波及効果というものが非常にあったわけでありますが、今回財政資金を使って関西新空港をつくろうと言っても漁業補償にかなり金が回ってしまう。実際に漁業をしていたかというとしていないですね。しかし、権利はある。今度の東京湾横断道路というのをつくろうというのも、これも相当なお金がやはり漁業補償に回る、こういうことでございます。何をやっても、そういう社会的なボトル・ネックと言いましょうか、隘路というものがいろいろ出てきている。こういうことではやはり日本の潜在成長率も残念ながらあまり高くない、こういうふうに思うわけであります。いずれにいたしましてもアメリカの成長率の二・五%というのは、正常軌道だと、これは私帰ってきて一つ申し上げておかなくてはいけないと、こういうふうに思います。

  それではその割にはアメリカ自体、たとえば今度の中間選挙でも景気が悪いというのが争点になったではないかと言われる。これはまた事実でありまして、確かにいま景気が正常軌道だといっても、地域的に見ればバラツキがある。日本だって同じでここのところはやはり見なくてはいけない。いまのアメリカの景気というものは一言で言いますと両岸景気と言われておりまして、東海岸と西海岸、これは非常に景気がいいわけです。私ニューヨークにおりましたけれども、大工さんや何か頼んでも人手不足という感じがございます。それからボーイングをつくっているシアトルなんかもものすごく景気がいい。これはなぜかといいますと、やはり経済学的に言いますと石油価格が下がった恩恵ですね。石油価格が下がれば、これは言うまでもなく、その分実質所得がふえるわけですから。こういう意味で、アメリカも全体としては石油の輸入国でございますので、石油価格が下がったということは実質所得がふえたと、こういうことでございますし、それに合わせて金利も下げてきた。アメリカは税制で今度多少手直しをされますが、借金を優遇するようなシステムになっておりますので、消費信用残高というのはものすごいものがございます。毎年金利、利払いというのは毎月の家計簿の中に入っているとすれば、当然のことながら、その金利がかなり下がってきたということになれば、その分浮くわけでございますから、これも消費を刺激するということ、また住宅借り入れもやりやすいというようなこともございまして、そういうのが基本的に言えば景気を支えている。それから航空機、もう飛行機はバスより安くなりました。したがって旅客機の需要というのは前年比二割近い伸びをいま示しているということで景気が良い。

  しかし一転いたしまして、たとえばダラスへ参りますと、朝夕のラッシュアワーが全くなくなっている。あるいはカンサスシティーの郊外へ参りますと、自殺者もいると、こういう状況でございます。いま申し上げたテキサスの方は、言うまでもなくオイルの値段が下がったことに伴い景気が悪くなった。これはもう当たり前の話です。一九七〇年代は、ご記憶かと思いますけれども、アメリカはフロストベルトからサンベルトへという人口移動が行われたわけでございます。これは何かというと寒い北部から暖かい南部へ行ったと、こういうこともありますが、何といってもやはり南部は石油が出ます。いままで二ドルくらいだったのが十ドルになり、あれよあれよといううちに三十ドルで売れるので、われもわれもと石油を掘ったわけですね。こういうことで、南部は大変な景気であった。いまその裏目が出てきたと、こういうことで、率直に言って景気が悪い。農業の方でございますが、これは多少持ち直すとは思いますが、いろんな要因はたくさんあります。けれども、先程申し上げたニクソンのいわゆるドル安政策というものが一つあった。それともう一つは、ローマ・クラブあたりがこれから食糧がなくなるというふうなことを言っていると、それじゃあアメリカが世界の食糧庫というか、それで売ろうとみんな借金して小麦やトウモロコシをふやしたわけです。だから、大農、小農というのはいまも大丈夫ですけれども、中農という人達が借金で生産をふやしてどんどん売りそれで非常に景気がよかった。その裏目がいま出ている。裏目のきっかけはもちろんカーターのソ連に対する禁輸、それからまたいろいろ支持価格というか、政府の管理価格の問題もある。それから何と言っても世界銀行がアルゼンチンとか、そういうところの指導をいたしまして生産性を上げたと、こういう面もございまして、世界に誇る農業というものが、やや競争力が足りなくなってきた。完全にだめになったわけではございません、大豆とかトウモロコシはまだ大丈夫で、依然としてアメリカの農業が強いことには変わりない。けれども、借金をしてやっておりましたから、高金利で苦しいという状況で、景気に二面性があるとこういうことがありましたので、上院の中間選挙で民主党が数を伸ばしたというのは、景気を争点にして成功したと言えるのではないかと思って、当然だと思います。

  いま申し上げましたように、アメリカに二面性があるというのは、大ざっぱに言えば、半分の州は景気がよくて、半分の州が景気が悪い。しかし全体としては人口の多いところがいいものですから、二・五%の成長をしていると、こういうことでございます。まあいずれにいたしましても、上院のところではなかなか戦いにくかった。これは予想どおりということになると思います。しかし日本のなかには流れは変わったという人がたまにいるものですから、敢えてここで一言言っておきますけれども、私は決して、レーガンが出てきての、保守化とは言いませんが、社会化の行き過ぎに対する揺り戻しの流れというものは変わったとは思いません。と申しますのは知事選挙、あるいは人口が物を言う下院議員の選挙では、むしろ予想以上に共和党が強かったと、こういう面もございますし、それから先程申し上げましたように、上院の選挙でも、景気はイッシューにしたけれども、たとえばSDIとか、要するにレーガンの哲学というものはイッシューにしていないのでございます。

  私がちょうど二年前に行きましたときにはご存知のように、モンデールが惨敗したわけですけれども、あのときは増税か増税しないかということで、イッシューが完全に対立いたしまして増税を主張したモンデールが敗れたわけですね。増税というのは、言うまでもなく、大きな政府を意味するわけでありますから、先程の社会化の行き過ぎというものを継続しようということでございますが、これは完全にやられたわけでありますから、今回もそういうイッシューはない。それからソ連に対する強硬姿勢、こういうのも一つの流れでございますが、これは争点にならなかった。こういうことは申し上げておくわけで、必ずしも流れが変わったとは言えない。民主党も、大統領選挙で今後だれが立つか、どっちが勝つかということは分りませんけれども、いずれにしても立つ人は、かなりこの社会化の行き過ぎ、ソ連に対し緩め過ぎということに対する揺り戻しはそのまま行くのではないかというのが私の感じでございます。

 さて六十二年の景気でございますが、これにつきましては、ずばり言えばこれまた全体結果的には今年と同じくらい二・五%前後というところは変わらないのではないか。と申しますのは、実は一九八二年の十一月から景気が拡大し、それからマイナス成長は全くなく、四半期別にずっとプラスで来ておりまして、景気拡大としてはこのまま、来年も行きますと、戦後最長になるぐらいの景気拡大が続いているわけです。通常、景気拡大五年目ともなれば、当然のことながらいわゆるボトル・ネックというものが発生するわけですね。これは何かというと、やはり設備の稼働率が上がってしまうと、どうしても物が上がってしまう。それからやはり金融政策も、金利を上げなくてはいけない。失業率も減ってきて、賃金が上がってしまう、こういうことですが、いま申し上げた三点は全部逆でありまして、金利はどちらかというと下がる方向、それから設備稼働率もともかく八〇%は割っていると、そういうことでございますし、賃金はかつてないほど安定している。これについては、レーガンの大きな功績といってもいいかもしれません。例の航空管制官のストライキに対して敢然と向かったというのが流れを変えたんだそうでありますが、少なくともいまいわゆる組合の組織率は低い。また組織している組合もいわば眠っている状態にあると言われております。そういう意味におきまして、来年も景気が落ち込むということを言う人はいません。

  しかしながら、このポイントは、なぜ景気拡大五年目なのにそういうボトル・ネックが発生していないかというと、いわゆる経済学用語で言えば国内最終需要、内需ですね、外需というのは輸出だとかそういうことですが、要するにアメリカの内需だけでの成長率を見てみますと、六十一年は四%、六十年は五%というようなこれはかなり潜在成長率を上回る伸びをしているわけであります。ところが全体として二・五%で終わってしまったというのは、言うまでもなく、インポート・ぺネトレーションと言われておりますが、輸出よりも輸入の量がうんとふえてしまった。要するにアメリカの消費者はいろんな物を買う。それを供給するのは、アメリカでつくらなくて、よそでつくられた物が入ってきた。したがって、いま申し上げたような設備投資のボトル・ネックが発生しない。つまり、裏を返しますと、もしこのインポート・ペネトレーションがなければもう少し成長率は上がり、自分達はもっと豊かになったろうという気持ちを起こさせることは事実でありまして、政治的にはこれがいわゆる貿易摩擦の問題になる。ですから、中間選挙でももちろん貿易摩擦が問題になったという背景になるわけであります。しかしながら、幸い貿易のおかげでリセッションには来年はならないと、こういう状況でございます。

  そこで六十二年でございますが、私どもの見方では内需は四%から二%ぐらいには落ちるだろうと、こういうことです。なぜ落ちるかというと、いまかなり住宅投資のペースも速いですし、それから消費もかなり伸びて、借り入れづけになって消費をやっています。先程申し上げたように金利が下がり来年も下がる方向だとは言いましたけれども、今年みたいに四回も公定歩合を下げるというような状況は考えられません。そういう意味で、消費も落ちるというだけでなく、実は税制改革が海の向こうでも今年度から始まって、すでに設備投資の控除を廃止するとかいうのは六十一年一月にさかのぼって始まっておりますし、六十二年一月からは、売上税でこれはいままで税金を連邦に納めるとき控除されていたのが、今度は控除されなくなります。それから住宅借り入れは二軒目まではいいんですけれど、三軒目まで借りるときは金利が控除されなくなる。あるいは消費者信用、これを借りるのも金利は全部控除されていたんですが、今度それがなくなるとか、そういうのが出て参ります。

  一方レーガンはレベニュー・ニュートラルと言いまして、それはいまの増税と減税とチャラにして全く収支に影響ないようにするというのがレーガンの考え方です。この減税部分というのは何かというと、法人税は、いま正確には忘れましたけれども、前は四〇%ぐらいあったのを三四%に下げるとか、個人所得税は前は七〇%に近かったのがすでに五〇%に下がっておりますが、それを二八%と一五%に下げると、これは思い切った減税ですね。しかし一挙にやると影響が強いというので、六十二年の四月から徐々にやるけれども、来年の分はまだ二段階にしないで三〇何%も残して徐々にやろうということです。したがって八七会計年度はまだ減税の方は出てこないで、むしろ増税効果がでてくる、こういうようなことでございまして、かたがたいまの消費はそういうのを見越していま駆け込みをやっているものがございますので、この反動がある。それから設備投資につきましても、税制の恩典がなくなりますので、どうも景気がよくない。それからグラム・ラドマン法をご存知だと思いますが、アメリカもようやく財政収支の赤字だけは何とかせねばならないということで、財政を縮小する方向でいま議会もやっております。この八七会計年度は向こうは十月から九月ですから、八七会計年度と言っているんですが、その会計年度におきましては、さすがに税制改革の増税効果が出るものですから、今度は減るだろうと。これは景気に対してマイナス要因ですから、内需は冷やすと、こういうことでございます。しかしながら全体としては、最近、スプリンケルという経済諮問委員長が発表した見通しによれば、三・二%と、こういうことになっております。そのスプリンケルも内需は私どもの見方と同じように二%くらいだと思っております。したがって、あとは外需で稼ごうということですね。これはやはり、ドル高も是正されたし、そろそろ輸出が伸びていくだろうと、こういうことでございます。

  ではアメリカの貿易収支が本当にドラマティックに改善されるのだろうか、こういうことになりますと、そうはできないのではないかと思います。というのは、確かに輸出はかなり伸び始めております。たとえば紙製品、化学製品、薬品、オフィス・コンピュータ、比較的どこでも同じようなものをつくり、質があまり問題にならないようなものにつきましては、これは当然のことながらドル高が是正されれば伸びますし、いま実際に伸びております。それはいいんですが、ただ肝心な輸入の方はアメリカは一九五〇年代から海外に直接投資をしているわけですね。ちょうどいま日本がこれからやろうとしている直接投資と非常に似ているんですが、あれはECができるというので、これは大変だ、その前に市場確保のために出ていけというので、ヨーロッパにたくさん出ました。こういう直接投資ならあんまり悪影響はないんですが、一九六五年以降に出た直接投資というのは、コストの安いところで生産して何でも向こうに任せてしまうと、こういうようなものが出てきました。これは非常に危険でありまして、技術の蓄積というものはアメリカの国内に残らない、こういう面もあります。その証拠に、たとえばVTRなどという本来はアメリカが商品化していいものが、商品化できないで、結局日本が――最近はアジア諸国もフォローしておりますが、一手販売になってしまう、こういう状況です。そうなると向こうもだんだんやる気がなくなりますので、一九八三年、八四年非常に減税でもってアメリカは設備投資が伸びた。しかしこの部品というか、機械というか、繊維機械ですら、日本から輸入するとこういうことで、私もびっくりいたしました。昔アメリカにいるときは、大きいテレビというのはアメリカのテレビでしたけれど、今はブランドだけRCAとか何とかであって、実際は海外で生産されると、こういう状況になって、輸入がふえやすい体質になったとこういうことでございます。この輸入に関しては、やはりアメリカの内需の減る限りにおいて、まあ多少為替も影響いたしますが、むしろ需要の関係でいろいろ決まってくるのではないか。そうであるとすれば、まだ内需が二%ぐらい伸びているうちはそうドラマティックには輸入は減らないのではないかと、こういうことになります。

 それではもっと内需を落としたらいいではないかということになりますけれど、そこは世界に冠たるアメリカでありまして、アメリカの内需がそんなに減れば、日本だって輸出が減るのはいいんですけれども、一挙に減るというのはこれは大変なことで、世界がおかしくなってしまうのでこれはできない。そういうふうに考えますと、六十二年のアメリカの経済見通しの内需が二%、外需で一%弱かそのくらいのモデレートな成長というのが、いま考えられるベスト・シナリオではないか。というのは、貿易収支も、内需が減る限りにおいて貿易収支が改善しますから、ドルも安定いたします。そういう意味では、よろしいのではないかと思います。

  ではベスト・シナリオでこれでアメリカの経済は大丈夫とは言い切れない。なぜかというと、当面は大丈夫だと思うけれど私に言わせると、いまの税制改革というものは、初年度は景気にマイナスというか、財政収支の赤字をなくす方向に働き、内需も多少落とす方向に働くというのが、いわば意図せざる非常にいい結果になっているわけでありまして、これがアメリカの問題点というものを一年先に延ばしただけではないか。したがって、一年先に裏目が出て、そこで本当のアメリカの経済が大丈夫かどうかの正念場が来るのではないかと、こういうふうに言わざるを得ないわけであります。

  なぜかといいますと、いま申し上げましたように、アメリカにとってまだ解決していないいわゆる双子の赤字、財政の赤字並びに貿易収支の赤字、あるいはドル安と、こういうことになるわけですが、私はこれはアメリカにとっての前門のトラが財政の赤字であり、後門のオオカミがドル安であると、こういうふうに言いかえているわけであります。この二つはアメリカだけではなく、今後の世界経済から見て、どうしても取り除いた方がよいが、依然として残っているわけであります。財政の赤字というものが六十二年は減る方向に行くわけですから、これは金利を下げる要因になるわけですが、これがまた六十二年、先程個人減税やら減税効果が後で出てくると言いましたから、財政がまた赤字になれば金利が上がる要因になり、これは非常に危険である、それが一つ。それから財政の赤字がふえれば、これは内需を刺激する要因になるわけですから、これはまた当面は貿易収支の輸入をまたふやす要因になる。構造的にはいずれ変えればいいのですが、そういう意味におきまして、これはドル安を生む要因になる。

  八八年の予算審議をする来年の夏というのはレーガンにとっては本当に正念場ではないか。レーガンは、本当によくやっていますし大したものだと思います。そういう意味では、本当にがんばってほしいと、こう思わざるを得ない。

 そこで最後に、ではアメリカはモデレートにしか貿易収支は改善しないんではないか、日米の貿易摩擦の問題はどうなるか。最後にその問題を申しあげますと、これは公式には言えませんが、やはりどう考えても、アメリカの日本から輸入の所得弾性値、つまり輸入がふえやすい体質というのはほかのところよりも非常に強く、例えばIBMのパーソナル・コンピュータは日本のIBMが輸出している。それからまた、輸出といっても、日本はドル高のもとでも農産物は買うときはいっぱい買って、これ以上ふやせと言っても、もう腹いっぱいやっている面もあるわけですから、私は日米の貿易収支に関しては当面はなかなか改善しにくいと思います。これは残念ながら認めざるを得ない面がある。そういうものを前提に私どもやはりいろいろ考えなくてはいけないんではないか。だからこそ、前川レポートとか構造調整等あるけれども、こういうものは時間がかかる、即効性などないわけです。学者的に言えば、為替だけで調整しようと思えば、それは机の上ではできると思います。

  私帰ってきまして感じたことは、本当に日本の物価は一般的に高いということですね。購買力平価でいったら、どう考えても私の実感としては三百円ぐらいです。ゴルフの用具に至っては五百円か六百円ぐらいですね。けれどそれはさて置きまして、私はやはり自動車なり何なり本当に競争すれば、質が物を言ったり、アフター・ケアーとか、市場調査とか、いろんなものがありますから、本当にこれをバランスさせようと思ったら、これは一挙に百円にしなくてはならないでしょう。それは学者の言うとおりで、そうすればバランスの方向へようやく動くでしょう。しかし、そのとき何が起きるかということです。それは日本にとってはもう大変なデフレになる。これはもうデフレ・インパクトは間違いない。それからアメリカにとってはまた大変なインフレになるわけですね。これは現実のものとしてはとり得ないわけです。したがって、やはり当面はいまみたいな状況を前提にしていくと、やはり貿易収支は依然としていまみたいな黒字が続き、向こうは赤字だと、どうしたらいいかと、こういうことであります。

 実はニューヨークにジャパン・ソサエティーというのがございまして、これは日露戦争が終わった後にできた日本協会といいますが、珍しく日露戦争の勝利を祝って、日本の将軍を招いてつくったアメリカ人による協会ですけれども、この協会はいまバンスという方が会長で、マッケクロンという方が理事長でおられるんですが、このマッケクロンがたしか私の出てくる前の十月の初めだったかと思いますが、ニューヨーク・タイムスに寄稿いたしましてこういうことを書いている。要旨を言いますと、アメリカの貿易収支が赤字だと、どうもこれについては日本が悪いと言う人が多いが、これは全く間違っている。責任はひとえにアメリカ側にあると。まあいろいろなことを言っているんですが、これは非常に胸がすきますですね。実は彼の一番言いたいのは後にあるんですが、アメリカの貿易赤字の原因は一言で言うと、やはりアメリカの企業の競争力が劣っているからだ。かつてのアメリカはほかよりも競争力があった。競争力があったからこそアメリカはずっと黒字を続けていた。しかしかつて貿易収支の黒字を続けていたアメリカといまの日本とは決定的に違う。どこが違うか。かつてのアメリカには、今ナンバー・ワンの国として、軍事援助もし、各国を自分のカサの下に置くとでもいいますか、それからマーシャル・プランもやり、アルトルーイズムと言うのですが、まあ利他主義というのですが、言葉をかえれば、要するに国際的責任とも言うべきものがあった。いまの日本にあるか、なかなかむずかしいだろうと。むずかしくてそれができないなら、貿易収支の黒字を減らしなさいと、こういうことなのです。何だ、ということかもしれませんけれども、彼の意図は、真実は中間にある。変動相場制がいいと言う人もいるし、固定相場制がいいと言う人もいるし、けれども真実は一つでございまして、真実は私は中間にあると思うのですけれども、いずれにいたしましても、やはりこの場合に本当は構造的にやらなくてはいけないのは、まさにいま一九六五年以来のアメリカの動きをIBMとか――で言いましたけれども、要するに今度これを逆に日本がやればいいわけですね。これは、私どもというか、政府関係者が言わなくても、民間の方はやはり、先程のECにアメリカが一九五〇年代に行ったように、市場確保のために、みんな出ているわけですね。部品メーカーもみんな出ると、こういうわけで、市場確保のためのやはり直接投資というものは出るわけでございます。私いつも言っているんですけれども、やはり民主主義というのはどうしても拡大均衡が要るし、成長が要るんですよ。ゼロ成長というのは無理なんですね。ゼロ成長をやるんだったら、やはり徳川家康みたいにしないとだめなんです。それから日本の場合、プラス成長しようと思うと、国内はもう市場を限られてきているので、やはりインターナショナルに拡大均衡をやっていかざるを得ない、そういうことじゃないかと思うのです。いま一番大きい国はアメリカですから、そこに出ざるを得ない、とういうことなのだろうと思うのです。アメリカはいろいろ勝手なことを言うからしゃくにさわりますね、けれども、そう言って、いやだったらやはり成長をやめるしかない、こういうことなのではないかと思うのです。もちろんその間に伊藤博文のように、何といっても富国強兵で植民地をつくっておこうと言ったんだけれどもちょっと時代が遅れていた。一歩よその植民地に遅れた上に、油も、エネルギーも何もない国がやるというわけにはいかなかったと、こういうことだと思うんですが、戦後の選択というものは、申すまでもなく、いまの貿易立国というか、拡大均衡の考え方でやっていこうと、それがいま壁にぶつかって先程も言ったように、いつまでも黒字は続けられないわけですから、やはりそこに民間の方は、自分から市場確保のためにいま出ておられる。この直接投資というのは、これは日本の黒字縮小に役立つと思います。しかし、これは時間がかかる。時間がかかるどころか、当面は部品を輸出したり、いろいろ持っていきますから、むしろ日本の黒字をふやすようにいくかもわからない。黒字が続く以上は、やはりさっきのマッケクロンの言う、何かアルトルーイズム的なことをやらないとおさまらない、こういう結論になるのではないかと思うわけであります。

  これは何かといいますと、もう民間というよりは政府の役割ですけれども、いままでは、アメリカがやるならやるとか、ドイツがやるならやるとか、絶えずパッシブだったわけですね。受身というのは、やっぱりポジティブでなくちゃいけないということになって、そういう意味でもこの前の宮沢さんはなかなかりっぱだったと思います。日本は金持ちで外貨があって何で使わないのだと言うけれども、幾ら外貨があってもやはり外貨というのは大蔵省が買うわけですが、買うためには、市場から外貨を買って円のお金を払わなければいけない。その円のお金というのはただで出てくるわけではない。それは債券を発行して借金してやっているわけですから、本当に外貨を向こうへ渡してしまってマーシャル・プランみたいなことをやろうとするならば、予算を組んで、ただのお金をしようと思えばやはり予算のアロケーシヨンになるわけで、日本の国内のいろんなものの分配を変えて、やらなくてはならないということはひとつご理解いただきたい。宮沢さんは大変頭がいいものですから、この前のIMFの総会のときには、これは貸付という形でIMFに三十億ドル持っている外貨を貸し付けると、これならほかへ投資するかわりにやるわけですから、こういうことをやられましたけれども、これも一つのいい道だろうと思います。

  それから、いまメキシコとかフィリピンとか困っておりますけれども、私のアジア開銀に行った経験からすると、本当は貧富の差のあるところに幾らお金を渡しても、結局資本逃避で戻ってきてしまうので、あまりよくはないと思うのです。私の小学校のころを思いだしますけれども、当時日本は非常に貧富の差がありましたから、私が一九七二年マニラに行ったときに私の小学校時代の日本を見る思いがしました。実際貧富の差があり、私どものいるところでも、長屋があると思うと、片方には一万坪くらいの邸がありました。そういうお金持ちは一年に一遍ぐらい牡丹苑なんかに呼んでくれまして、あるいはお酒やお菓子をただでくれて、それでみんな満足していたわけですから、ある程度そういう意味での、完全な援助にはならないかもしれないけれども、やはり援助はやった方がいいと、こういう面もあると思います。 それから、私はいつも言っているんですが、本当は貧富の差のない国、しかもいま外貨がだんだんなくなってきて、なかなか商売上は厳しいけれども、たとえば中国、こういうような国は何かマーシャル・プラン的なものを世銀とかアジア開銀とか使ってできないのかなと、つくづく思うわけで、いずれにしてもポジティブにやってもらいたいと、こういうふうに思うわけであります。しかしながら強調したいのは、直接投資をやるに当たって、私の非常に親しい友人でも、非常にインターナショナルな人なんですけれども、一たび交渉事でアメリカ人と当たりますと、向こうは本当にアロガントで、勝手なことを言うし、しゃくにさわることが随分多い。けれど、これはしょうがないんだろうと思うんですね。しょうがないというのは、私どもは刀をもっていない。やはりサムライではないのです。残念ながら、江戸時代で言えば商人というか、それでいいのだろうと思うのですけれども、天谷さんが商人国家と言われましたが、その天谷さんでも最近はアメリカの国債を買っていると取りつぶしに遭って痛い目に遭うよ、やめた方がいいよというふうに言われるので、これは困ると私は思っているのですが、それはやはり向こうを怒らしたら取りつぶしに遭うでしょう。日本はスペースが小さいですし、刀を持っていない、エネルギーもない、食糧もない、一番自給自足ができた時代というのは江戸時代と戦争中でございます。私は学童疎開しておりまして栄養失調になりましたけれども、それはもう一番ひもじい時代でございまして、いま農産物の何を一つつくるんでも肥料が要るし、機械を動かすのに油が要るわけでこれらはみな輸入です。でありますから私はいま日米関係というものは基本的には一番いい形を行っているんではないか。そういう意味では、冒頭に申しあげましたように本当にかつてないほどいろいろな協調というか、連絡がある。そういう中で私はつくづく思うのですが、政治的あるいは文化的にはもちろんそれぞれの国が主権国家でありますが、少なくともエコノミック・コースというか、そういう面では、やはり私ども将来の生きる道、拡大均衡をするという、ある意味では日米の国境をなくしていくと、こういうのがやはり一番いい、それしか道はないのではないか、こういうように思うわけでありまして、その中では、さっき言いましたように、アロガントになってはいけないし、パッシブになってもいけないと、こういうことであります。

  私はいつもアメリカ人に言っているんですが、海の向こうのニューヨークから見ていますと、日本は本当に小さく見えます。一つは地図が悪い。英国を中心におくと日本は極東です。アメリカ人は何でアメリカを真ん中に置かないんだ。ニア・ウェストは日本じゃないかと、こう言っているんですけれども、いま言いたいことは、たとえばドイツを考えますといろいろあるけれどもやはりECというバック・アップがある。ところが日本を見ていると、決してアジアというバック・アップはありません、もう孤立無援です。いまそういう意味で一番親しいのは、本当に経済的にも、いろいろな意味でもって一緒になっているのは、やはりアメリカではないかと思います。そういう意味で、今世界がECとかいろいろある中でこれから拡大均衡していく意味においては、もちろんいろいろなところと仲よくしなくてはいけないのだけれども、アメリカと日本は“ワン・オーシャン、ノー・ボーダー”と、こういうことになるのではないかと思います。このことは、私どもが誇りを失うとか、そういうことを決していっているわけではございませんが、やはり私どもが今後拡大均衡してやっていく上においては、“ナット・アロガント、ナット・パッシブ”と、こういうことでやっていければと思うわけでありまして、なぜこんなことを強調するかといいますと、海の向こうで見ている限りは、どうも最近風潮がまたしても、ややアロガントな感じが見られないでもなかったものですから、敢えて申し上げた次第です。ご清聴ありがとうございました。

(日本銀行調査統計局長・東大・法・昭33)
(本稿は昭和61年12月10日夕食会における講演要旨であります)