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戦後40年 ―何が変り何が変らなかったか― 加藤 周一 No.770(昭和61年1月)

     
戦後40年 ―何が変り何が変らなかったか―
加藤周一(文芸評論家) No.770号(昭和61年1月号)

 私はいま有沢先生からご紹介頂いた加藤周一でございます。戦後40年で日本の社会の中で何が変って何が変らなかったかということをお話するのですが、これは見ようによっては変った面もあるし変らない面もあるということですね。大変変ったという点を強調する人もあるし、根本的には変っていないじゃないかという意見もあります。日本側にも、また日本の外でも、そういう意見があると思うんですが、それは強調点の違いですね。また変った面については、いい変り方なのか悪い変り方なのかという問題があり、変らなかった面についてもそうだろうと思います。私はここで政治演説、選挙演説をするわけじゃありませんから、万事うまくいっているとか、万事まずくいっているとかいう必要はない訳で、いい点があり、悪い点があるという話になると思います。
  そこで、今日、私は大体四つの面を区別してお話したいと思います。第一には、制度上の問題、ことに法体系、法律的な面ですね。第二には、経済的な活動の面。第三には、政治面、第四には価値の問題といいますか、倫理的な意味も含めて、人間の行動を律するところの価値体系。大体こういう話にしたいと思うんです。

制度上の問題

 第一の面、これは戦後40年にほとんど変りはない訳ですが、戦前と戦後とには非常に大きな違いがある。憲法が明治憲法から現行憲法に変り、同時に、憲法だけじゃなくて、民法の大きな違いがありますから、制度上日本は1945年に根本的に変った。そうして戦後40年間、小さな違いはありますけれども、根本的には変っていないということになると思うんです。
  戦後の変り方の背景には、法体系、ことに憲法の違い方、もちろん国全体としての理想というか、価値の転換があったと思うんです。
  戦前の日本は、明治以来敗戦降伏までは軍国日本の建設に向って国全体が動いていた。戦後はそれが平和主義に変りました。現行憲法の背景にある思想は、有名な第九条が示しているように、一種の平和主義、軍国日本からの決別ということになるでしょう。
  軍国日本について一言申し上げると、私の考えでは、明治以後日清戦争の頃までは、どちらかといえば防御的だったと思いますね。先進ヨーロッパ帝国主義に対して、日本の独立を守るために軍国日本を建設しなければならないという富国強兵、これはやや防御的反応だと思うんです。そうして、日清戦争から日露戦争にかけての時期が移行期になっていて、日露戦争以後ははっきりとした膨張主義的、攻撃的軍国主義、軍国日本になりますね。ですから、軍国といっても、時期の問題で、初期はどちらかといえば防御的、日露戦争以後は確実に膨張主義的、まあこういうことだと思います。どっちにしても軍国日本ということが1945年まであって、その国の方針が平和主義的に転換した。これは大きなことで、そのことが憲法に反映しているというふうに言えると思います。
  それから民法では、大事な点は平等主義的になっていますね。これも二段階と言えると思います。徳川時代と比べて、明治維新は平等主義の方へ一歩進んでいる。もちろん身分制の廃止、ことに武士身分の廃止があって、45年以後には男女平等などを含めての平等主義がもっと前進した。これは制度上の違いですね。しかし制度上の違いは、ご承知のようにほとんど占領下で極度に強い外圧のもとで起こった変化でありますから、制度の変化と実際の行動とは必ずしも一致しているとは限らない。ある場合には事実上の変化が先に起こって古い法律が後から変るという場合があるし、逆に法律が先に変って社会生活の実際がそれに伴って後からだんだんに変化することを期待するという場合があると思います。45年の変化は後者です。ですから、いつの場合でもある程度の食い違いはあるけれども、第一の形と第二の形とでは食い違いの出来方がちょっと違うと思いますね。これが制度上の変化です。

経済上の変化

 経済上の変化は1950年代に、戦争による経済力の低下から、戦前の水準を回復した。これが第一期の回復です。日本では、もちろん指標のとり方で違いがありますが、GNPを取れば、およそ50年代半ばくらいに戦前の水準を回復しました。1960年代には例の60年安保があって、池田内閣で所得倍増論が出て、高度成長期に入ります。60年代に大変早い、国際比較的にも高い経済成長率で、日本の社会がだんだん変っていきます。そうして「オイルショック」と言われている石油問題以後70年代に入って成長の速度が鈍ってきて、やや低成長の形で今日に至っている。その低成長の時期に、科学技術の大きな変化がエレクトロニクスを中心として起こってきます。それから情報産業ということにも関連してまいりますが、科学技術的な、人によっては第二革命といわれるほどの大きな変化が起こってきて、その面での日本の進展が主として70年代から80年初めにかけて低成長期と前後しながら出てきたと思うんですね。それがまあ経済的な変化で、その結果起こったことが、表面的に見れば、東京の建物、例えば私が子供の頃、学士会館が最新式の建物で、この神田界わいで断然大きかった訳ですが、現在では、最新式という感じじゃなくて、むしろ古風というか、古典的というか、そういうふうに感じが変ってきて、だれが見てもすぐわかる。しかし大きく見れば、さっき申し上げたように1960年頃までは平和主義、つまり戦争はいやだというやや消極的―積極的に言えば平和の理想に国民的な意見の一致があって、それが憲法にも反映していた。そういう国民的目標としての平和主義が、60年代には、GNPの急激な増大という目標に向ったと思います。60年代には、GNPの成長率が世界一高くなり、経済の規模が大きくなって、米国に次ぐ資本主義国になっていく。つまり明治以後の軍国日本から平和主義になって、平和主義がまた少しずれてGNPの成長率が世界一高くなり、経済の規模が大きくなって、米国に次ぐ資本主義国になっていく。つまり明治以後の軍国日本から平和主義になって、平和主義がまた少しずれてGNP信仰になってくるということです。
  そのときに実際の社会の中で起こった非常に大きな変化があると思う。その第一は消費社会です。消費社会というのは物をどんどん使うわけで、皆さんの子供、あるいは孫の世代ということになるともう全く物に対する態度が違うわけですね。私たちだと大事に物を使うということがしみ込んでいるけれども、今の若い人たち、二十代の人なんかになると、もう使い捨て、物は無限にあるという感じが非常に強いですね。これは先進工業国のどこにも出て来た現象ですけれども、日本にも大変強く出てきました。この消費社会というのが一つの結果だと思うんですね。消費社会は、百貨店に行きますとどれでも自由に選んで買えるというので、自由の考え方とちょっと結びついている。しかし、物を買うときは、大体広告で洗脳というか、あらかじめ教育されていますから、そういう意味では非常に強力な、一流の広告力によって操作された消費であるということになると思う。その意味では、個人は自由じゃない。例えば自動車でも、若い人はどれかを買う。しかし、買わなければならないとどうして思い込んだかというと、これは広告の結果である。実は、少なくとも東京に住んでいる限り、あんまり役に立つ機械じゃありません。要らない商品を買うように説得され、その中でどういう型のものを買うかと、これは自由だということですね。大きく見れば、操作された消費、しかし小さく見れば、個人はそれを主観的には自由と感じる。そういう状況が消費社会的状況だと思うんです。これが高度成長の第一の結果ですね。
  もう一つの結果は、先程申し上げた平等主義だと思うんです。たしかに法律が先行したかもしれないけれども、平等主義が実際に行われるようになったことの背景は、二つあるでしょう。一つは、日本の歴史、近代史です。もう一つはいまお話している経済成長そのものですね。日本の歴史というのは、明治維新のとき徳川時代の身分制から身分を廃止して平等になりましたね。その意味では非常に大きな前進です。しかし、大地主はそのままですし、財閥はあるし、とにかく経済的な平等への動きというのは1945年まで極度に限られていた。ところが戦後には経済成長を背景にして平等がもっと先に進んだ。単に占領下における制度的改革がつくりだしたものじゃなくて、日本の近代史の中に徐々に進んでくるところの平等主義への傾向というものがあったわけですね。そこに憲法、民法がかぶさってもっと先へ進んだということです。
  それからもう一つの条件というのは、いま申し上げた高度経済成長で、その結果経済的平等が実現する現実的地盤が出来たということだと思うんです。これは日本史上これほど徹底したことはないわけで、大体80%以上の人が自分自身を中産階級だというふうに感じているということは、繰り返される世論調査が示しております。それから、総理府統計で80%以上の家庭の一番収入が低いところと一番高いところを比較しますと、大体七倍ぐらいですね。これはほかの国、例えば西ドイツと比較してさえもそうですが、ましてアメリカと比較すると、もう圧倒的に日本の方が最高収入と最低収入の幅が狭い。しかも日本では金持ちがほかの国と比べて、お金の力を公然と示さない傾向がある。これは文化的伝統だと思いますけれども、日本の金持ちは貧乏人と同じ地域に住んでいて、金持ちだけの住む地域というものがない。アメリカの場合には、そういう地域が、はっきりあります。例えばニューヨーク郊外の上流・中産階級の住宅地には、小さな家は一軒もないです。しかも日本の金持ちの家は大きさがまるで桁違いに小さいですからあんまり目立たない程度になっているんで、それほど金の力を示さない。
  それから現代では多くの人がゴルフをやるでしょう。しかし、大体金持ちもその程度のことをするんじゃないですか。もしほかの国、アメリカでもそうですが、ほかの中近東の国とか、ギリシャとか、イタリアとか、金持ちというのは普通の中産階級の人が到底不可能なようなことをするわけですね。例えば地中海を自家用のヨットで遊ぶというようなこと。日本の金持ちはヨットを使いません。要するに日本では、貧乏な人と金持ちとの差が経済的にも、実質的にも少ないし、態度もそれを強調-しない風である。従って、貧富の差というものが社会的問題を引き起こす率は非常に少ない。現に少なくなっていると思います。

教育

 それからもう一つは、教育の面です。大体就学率が非常に高い。米国に次いで世界で第二位です。非常に大勢の人が高等教育を受けるようになり、大学の就学率に関する限りは、男女差もあんまり大きくない。そういう訳ですから、教育の面でも大変平等傾向が強く出ている。そうして文化の面でも、教育を反映して、それほど大きな違いはないと思うんですね。「エリート」というか、選ばれた人たちの文化と、一般大衆の文化との差が非常に少ない。みんながおんなじ野球を見たり、大体同じような新聞を読んでいる。例えば新聞を例にとりますと、三大紙―「朝日」、「毎日」、「読売」を合わせますと二千万部ぐらい出ている。これは驚くべき大衆新聞です。大衆新聞として見たら、その質は、世界最高だと思います。含んでいる情報も非常に多い、これはもう桁違いに程度が高い。だから日本の大衆の文化的程度は、新聞にも反映しているように、国際比較として高いといってよいでしょう。しかし、上の方も「朝日新聞」程度ですから、高くはない。どっちかというと低い方でしょう。もしこれがアメリカ人であって、「エリート」に属していれば、「ニュー・ヨーク・タイムズ」という新聞を読んでいる。パリならば、「ル・モンド」を読んでいます。さっき申し上げた「読売」、「朝日」の発行部数はどんなに大きく見積もっても700万か800万、「ニュー・ヨーク・タイムズ」の発行部数はどんなに大きく見積もっても70万か、80万です。つまり十分の一になるかならないかで、はるかに少数の人だけです。しかし、十分の一になるかならないかで、はるかに少数の人だけです。しかし、十分の一の発行部数である「ニュー・ヨーク・タイムズ」と「朝日」ではくらべものにならない程「ニュー・ヨーク・タイムズ」の方がその含んでいるニューズの量が多い。その知的水準も、高いでしょう。「ル・モンド」についても同じようなことが言える。だから、大きな都会、東京とニュー・ヨークとを比較すると、ニュー・ヨークの知的な人たちの集まりは、よく情報を持っているし、知的水準も高い。東京よりもちょっと高いんじゃないかと思うんです。しかし、一般の大衆は比べものにならない程東京の方が高い。ですから、差はニュー・ヨークの方がはるかに大きくて、東京の方が狭いということになります。その意味で平等主義は徹底してきた。これは非常に大事なことで、大きな変化だと思います。
  政治面について見ますと、三つの変化が起こっている。一つは戦前、政党政治があったときは、政友会と民政党が交代していましたけれども、戦後は大体一党政治ですね。二つの政党が大体議会民主主義の国ではどこでも交代します。大きな議会民主主義の国で政権が交代しないのは日本だけです。だから一党支配であるということは日本の独特なことですね。その結果、当然な話ですが、保守党永久政権、つまり絶えず権力を持っている保守党と、官僚と、財界と、そういう間に所謂癒着というか、関係が非常に密接になってきている訳ですね。そのことは反対党の政権が成立することを困難にするし、反対党が政権を取ることがないから、三者の関係がもっと密接になるという関係だと思います。これが戦前の日本と比べても変化であるし、外国と比べた場合は日本の特徴です。
  それから第二の点は、戦前の日本は外交面でも、どういう面でも、独立国ですね。ところが、戦後は占領が済んだ後でもやはりアメリカ合衆国に従属している度合いが非常に強い。文化的、学問的にもそうですけれども、経済的にも依存度が大きいし、ことに軍事面では全く依存していますね。それをごまかしたい人は、きれいな言葉で日本の「国際化」と言う。日本の「国際化」ということをもっとはっきり言えば、「米国との従属関係」でしょう。例えば日本政府の予算の編成の仕方について、圧力を加える、干渉するということ、そういう例は、戦前の日本にはなかった。今のヨーロッパ対アメリカの関係にもないです。日本の場合には、とにかく米国側での発言があると日本中が大騒ぎになるでしょう。このように大変強い対米従属関係、これが戦後日本の変り方の一つですね。これは別のことにもあらわれています。戦前の日本は、一つのヨーロッパ語ではなくて、たくさんのヨーロッパ語を教育とか日常生活に取り入れているヨーロッパ以外での唯一の国だった。海軍が英語を主に、陸軍がドイツ語を主にしていたとか、医学部がドイツ語を使って、法学部が英法と独法と両方使ったとか、要するに帝国大学の水準ではいろんな外国語、ことに英・独・仏語を使ったと思うんですね。そういう国は世界で唯一日本だけです。日本の独立の象徴は、一つの国の言葉だけで高等教育をやらないということだったと思う。それが戦後例えば対米関係ということ、占領の続きがあって英語が圧倒的に強くなった。そういうことが戦前との大きな違いです。それから、もちろん外国の軍事基地が日本の領土にあるということは戦前はなかった。それが第二の点です。
  第三の点、これはさっき申し上げた憲法は変らない。そうして、それはかなりの程度に戦後の日本の国民が一致した意見を表現していた。それが平和主義ですね。ところが、戦後だんだんに変ってきて、そうして軍備の増大ということが起こってきた。それはさっき申し上げたアメリカとの関係もありますけれども、アメリカの圧力だけじゃないでしょう。アメリカ側から見ると、日本政府はアメリカの圧力を口実に使っているという。しかしどっちにしてもとにかく軍備増大傾向が強い。ことに現在の内閣になってからは非常に強くなったと思いますが、これは二つのことを意味すると思います。一つは、軍事予算がある段階を超えると、アイゼンハワーの言った軍産体制ができますね。そうするとその体制が政府に対する強い圧力になるから、その方向を転換することは困難になります。軍備を縮小すれば、失業者も生じる。いまその軍産体制ができるかできないかという境に差しかかっているんじゃないかと思います。そうして、これが一度できたらそれをコントロールすることはできない、自動的に大きくなっていく傾向がある。それが一つの結果です。それからもう一つは、国際緊張を増大するという面があると思います。

価値の変化

 さて、これまでが制度上の変化、経済的変化、政治的な変化と三つの面からお話した訳ですが、価値の点から言いますと、一番大きく変った面は、一つは男女関係、ことに性道徳に関してが一番大きな違いなんじゃないでしょうか。これには三つの世代があると思うんです。第一の世代というのは、われわれぐらいまでで、男女関係に関して大体戦前の価値をそのまま現代まで続いて持っているという世代ですね。中間の世代は、敗戦のときに伝統的な道徳が崩れ、昔の価値観の権威が失われたと思った世代です。しかし、伝統的な価値観を失ったけれども、実際の行動面では、あんまり昔の人と変らない。要するに議論をすれば確信があってやっていることじゃないけれども、行動の面から見れば大体前の人たちと同じような形です。ところが、一番若い世代になると、伝統的価値観が崩れたばかりでなく、行動がそれに伴うようになってくる。実際に違う態度をとるということになると思うんです。ですから男女関係で、例えば婚前の性交渉とか、そういう問題になると、一番上の世代は、それは悪いことだと今でも思っているし、実際に自分もやらない。中間の世代になると、それは悪いかいいか疑問だと思っている。しかし実際は前の人と同じように行動する。一番若い人になると、それはいいか悪いか、まあいいかも知れないと思っているし、現実にもその線で行動する。ですから、一番上の世代と一番下の世代では、非常に大きな違いが行動上もできるというのが、男女関係の問題だろうと思います。この面で日本は、ほかの先進工業国と比べると、遅れているという印象を受けます。一番徹底しているのは、アメリカ合衆国です。その次が日本です。ですから、アメリカから日本に来ると、男女の差別がめだちます。

変っていない面

 いままでお話しましたのはどちらかと言えば変った面ですが、変らない面は、どういうものでしょうか。その第一は、みんなで仲良くしようという一種の集団主義。旅行でも団体旅行が好きですね。それから、みんな一緒になってかたまってやるということ。またみんな同じような着物を着て、同じような遊び方をして、同じような働き方をするということ、大勢順応主義です。会社であっても、家庭であっても、何にしても集団への組み込まれ方が非常に高い。組み込まれたというのは、普通社会学者が使う言葉、英語ではintegrationですね。この個人の集団へのインテグレーションの度合いはさまざまですけれども、総じて高く、組み込まれ方は、半分は、強制(一種の心理的圧力があっての強制)、また半分は、自ら進んでそうするのでしょう。そこは非常に微妙だと思いますが、とにかく事実の問題として組み込まれている。これは企業の能率を上げるために、有利に作用する面があるんです。ですから、悪い面だけじゃないので、ことに60年代の高度成長を可能にした社会的条件の一つは、集団主義で、日本の会社員が会社によくインテグレートされているということでしょう。それは少なくとも組織にとっての積極的な面だと思います。
  集団主義が個人にとってどうかというと、二面あると思います。一つは安全感です。会社がどこまでも面倒をみてくれる、あるいはその前に家族が強い場合は、家族がいろいろ面倒をみるということですね。要するに、集団に強くインテグレートされるかわりに、困ったときは助けてくれるということがある訳です。大きく言って、それは安全感だろうと思います。個人にとってはありがたい、容易に首にならないということがあります。
  しかし個人にとっては圧力の面もある訳です。自由は当然限られる。簡単に言えば、一日八時間働いて、働いた後は自由時間ですから、西ヨーロッパだったらだれでも好きなことをして遊ぶことができる。しかし日本ではそうでない。さっき言ったように、圧力があって、半分強制的で、しかし本人もそうしたいという感じで、会社の人と一緒に飲みに行くか、マージャンかなんかするでしょう。そうしないとうまくないということがあるから、強制なわけですね。しかし、遊ぶんだから、そういやだと思って行くわけでもない、結構うれしく行くという面もあるんで、両方絡んでいるんだろうと思います。
  とにかく事実の問題として、個人の自由はないわけです。みんなと一緒に行かなければそれだけの犠牲を覚悟しないといけないということになります。例えば週末、会社でゴルフに行くということになると、少なくとも出世したい人は、行った方が身のためでしょう。西ヨーロッパだったらそういうことは全くない。週末に家でピアノを弾こうが、逆立ちをしようが、そんなことは個人の自由です。そういう意味で日本では個人の自由の範囲は戦前からも変っていないし、戦後もあまり大きくは変っていないと思うんです。ただし、会社について言えば、内部の関係は昔よりもはるかに民主的というか平等主義になっていると思いますね。ですから、その意味では、中の構造は変っているけれども、集団に対する個人の執着、あるいは集団側が個人に加える圧力、そうして現実の問題として、個人が団体に組み込まれている度合いが高いということ自体は、戦後40年間にも大きな変化はない、そのことは直ちに、個人の自由の制限ということになるわけですね。
  それから人権の問題も、また少数者の権利というものもかなり制限されている。十九世紀の前半、フランスの社会学者トックヴィールが、アメリカ合衆国に行って書いた有名な本があるんですが、その中でアメリカの民主主義の欠点としてtyranny of majority―多数派の圧制ということを言っている。ほぼ同じ19世紀の前半、英国でジョン・スチュアート・ミルが、『自由論』という非常に有名な本を書いていますが、彼がその中で言っていることも同じです。一番怖いことは、独裁的な王様が出て個人の自由を圧迫することだと、つまり、トックヴィールとジョン・スチュアート・ミルとは同じ意見なんです。そうして、彼らのいう危険な傾向が戦後の日本に出ていると思うんですね。平等主義的で多数決である。しかし、少数派の意見を尊重する空気は日本の社会では強くない。少なくとも英国と比べた場合には明らかに少ない。私はおととし半年英国に住んでいたんですけれど、やはり一番強く感じたのはその点なんです。平等という点では日本の方が進んでいても、少数派に対する社会の態度が違う。政治面で言いますと、例えば議会で反対党がいないところで強行採決するでしょう。その責任はもちろん両方にあると思うんですけれども、英国だったら強行採決というのはそんなにやらない。一度多数派になったら、日本ではやたらに強行採決を繰り返すということが問題ですね。いま言った少数意見の尊重―個人の自由ということと関連しますけれども、これが戦後日本では、まるで未成熟です。そのまま徹底すれば、政党法になる。政党法はできたわけじゃないし、これは上程されたわけじゃありませんけれども、準備はされ、そして試案と言うものは出たわけです。この政党法の背景にある思想は、少人数の政党は、ない方がいいという思想ですから、ものすごい。英国人だったら、反対に、少人数の政党はあった方がいいというふうに考える。議会だけじゃなくて、みんなが集まっている時でもそうです。
  それから個人のプライバシー、さっき申し上げたような高度通信技術が発達すると、政府が国民の一人一人を管理することが技術的に容易になる。そういうことは非常に危ないから、個人についてのデーターがあるところに集中しないように、法律的規制を加えるということがあるわけです。個人のプライバシー擁護のための法律というのを、大抵どこの国でも立法化しているんですが、日本ではいまのところない。ですから、高度な情報技術が一方にあって、しかも他方には個人のプライバシーを擁護するため法律的手段がまじめに議論されてないという面があると思うんです。
  それから公共機関の労働者にスト権がない。そうして、大体日本社会全体として、みんなそれで仕方がない、当り前だと思っておりますけれども。しかし、ジュネーヴのILO―国際労働機関、そこでは、ストが労働基本権でしょう。その労働基本権を奪うということは非常に大きな問題なんですね。実際に大抵の自由主義国では、国鉄どころではなくて、警察官だろうが、消防夫だろうが、スト権をもっています。私は去年、イタリアに住んでいたんですけれど、のべつ幕なしにストをやっている。もちろん警察官のストもあれば、消防夫のストもあるし、国立の教員のストもあるし、あらゆるものがある訳です。英国はもっと少ないけれども、しかしときどきやる訳ですね。
  そういう訳ですから、公共機関の労働者にスト権がないというのは大問題です。日本のようにそのことが大きな社会問題にならずにわりに平安にいっているということは、公共機関の労働者という特殊な少数者の権利について社会があんまり敏感じゃない。そういうことにもあらわれているのが、少数意見の尊重と平等主義とが並んで出てきていない、という日本の現状です。少数者の差別という点で、日本がほかの国と劇的に違うのは、さっきも触れましたが、男女差別でしょう。私はたびたび長い間アメリカで暮らしていましたから、教えた学生や友達が東京へ来ると、訪ねて来ます。初めて来た連中に日本の印象を聞くと、だれでも、一番強い印象は、こんなに女性の差別が猛烈な国はないということです。もちろん彼らは、少なくとも男女差別との戦いにおいて一番進んだところから一番遅れたところに来たんですから当然でしょうが、よくこれで20世紀の後半に間にあっているといわんばかりです。
  それからもう一つ、われわれ老人です。会社に勤めて集団の中に入っていれば、それは安全ですね。そのかわり定年退職でそこから出ると、問題が生じる。日本で一番自殺率が高いのは、高年者と青年です。青年の方は最近は下がっているけれども、フランスの社会学者でエミール・デュルケイムという人の本に『自殺論』というのがあるんですが、簡単に言えば、自殺の原因で一番大きいのは、孤独、孤立感だという考え方なんですね。逆に言うと、孤立を破れば自殺率は下がるわけです。どうして破るかというと、孤立の反対は一種の集団ですね。現代は家族が分解しているし、フランス社会ではキリスト教の力が19世紀の終りから20世紀の初めにかけて弱くなっている。そうするとやはり職場での仕事を通じての集団意識が強ければ自殺率が下がるだろうというわけです。日本の場合は、まさに仕事を通じての集団の関係が強いわけですから、デュルケイムの指摘したような問題が生じない。ただし、定年退職すると会社の外に出るから、デュルケイム的な問題がまた出てくるわけだと思います。それがかなり強い。たぶん皆さんも私と同じ意見だろうと思うけれども、東京にいると、楽しみにしても、仕事にしても、いろんな場所がすべて若者向けというか、子供向けにできているでしょう。例えば、テレビの番組でも子供向けじゃないですか。どこの放送局でも、視聴率が高いのは何かということを考える。大多数が子供ならば、子供でいく。ある年齢以上の人たちが少なければ、それを切ってしまう。私の言っている少数意見の尊重、これは大変遅れていると思いますね。NHKだけじゃない、民放ならもっとひどい。アメリカはほとんど民放ですけれど、これほど強くない。それからNHKに該当するのは英国の有名なBBCですが、BBCの番組は、そんなに子供向きではありません。子供向きもあるし、老人向きもある。あるところは非常に高度に知的な、あるときは日本と同じ小学校程度の頭がある人ならわかるようにするという、それが組み合わさっている。さっき申し上げたように、日本の大衆の水準は高いけれども、その水準の番組だけでは「エリート」には足りないでしょう。幾ら大衆が高くたって、大衆と同じだったら意味がない、おもしろいことも、冗談の性質も、違うでしょう。ところが日本では一番多い線で切って、そこにすべてを集中する。それが第二の点です。少数意見の尊重ということはあまり日本の伝統にもなかったし、いま極めてわずかである。そういう点が、よくも悪しくも日本の変っていない点ですね。
  最後に申し上げたいのは、これはちょっと哲学的なことですが、大体現在主義というか、昔のことは考えない。ことにいやなことはすぐに忘れる。不愉快な過去は水に流すということがあります。同時に、明日のことはあんまり心配しない。「明日は明日の風が吹く」。要するに、過去も未来もあんまり気にしないで、現在を楽しくしよう、いまここで暮そうというのが、日本の哲学の基本的な条件じゃないでしょうか。時間と空間についての日本人の態度は、少なくとも万葉集の頃からの非常に強い傾向は、「いま・ここ」の強調だと思います。そのいい面は、例えば大地震が起こるだろうとか、嵐が来るだろうとか、そういうものは来てもどうにかなるだろうと思う、一種の楽天主義です。たとえどうにかならなかったとしても仕方ないじゃないか、ということで、あきらめと絡んだ一種の楽天主義がある。そういう楽天主義が一つの面だと思いますね。
  もう一つの面は、「いま・ここ」に関心が集中していますと、長い目で見た包括的な計画に基づいて環境を―それは国際的環境でも、国内的環境でも、社会的環境でも、物理的環境でも、全体の体制を検討して環境を自分たちに有利に変えていこうということはむずかしくなる。そのいい例は二つあって、その一つは国内で、大きなユートピアの思想がないことでしょう。いま満足できればいいというのだから、一種の保守主義が当然の結果として生じる。もう一つの例は、外交政策です。これは戦後ことに見事であって、日本をめぐる国際情勢が、ことにアメリカですけれども、変れば、それに敏感に反応して、一番うまい方法を講じる。早い反応をするという点では、非常にすぐれていると思うんです。しかし、自分の立場から国際環境を有利に変えていこうという努力というか、計画は、少なくとも外交政策に関する限りはほとんどないというのが、第二次大戦後の日本の特徴だと思います。したがって、「ニクソン・ショック」とか、「オイル・ショック」とかそういう「ショック」がやたらに続く。先のことは考えていなかったからです。しかし、一度「ショック」がおこれば、直ちに新しい情勢に反応する。例えば「オイル・ショック」の場合には、非常に見事に対処しました。
  もう一つの例は、中国問題です。日本と中国との歴史的結びつきは深く、あらゆる意味で、日中関係が日本にとって大事なことは、あきらかです。しかし、1971年キッシンジャ--ニクソンの米中接近の前に、日本でどういう日中接近への準備工作があったかというと、ほとんどゼロじゃないですか。しかしニクソン政府の中国への接近が1971年の春、およそ半年後、1972年初めにはもう日本は北京を承認している。非常に速い反応です。皆さんご存じかも知れませんが、ちょっと前に非常にはやった日本の映画に「座頭市」という、めくらの渡世人の話があります。主人公は仕込み杖を持っていて、剣術の達人です。めくらだから敵対する人間が迫ってくるということはわからない。しかし、体のそばに敵が来るとその仕込み杖から刀を抜いて、驚くべき速さで5、6人から10人ぐらいの身の周りのやつをみんな切り倒しちゃう。しかし、目が見えないんですから、彼らが逃げれば追っかけない。状況の変化が耳のそば、つまり彼の仕込み杖の届く範囲内に起こった場合に、素早く反応する。しかしそれがおこらぬように、あらかじめ環境へ働きかけることはできない。つまり「ショック」の連続です。絶えざる「ショック」それに対する驚くべき迅速な、巧妙な反応「座頭市」こそは、日本外交のモデルでしょう。医者の言葉でいえば、座頭市症候群です。
  もう一つ、「いま・ここ」ということは、現在の気分、現在の感覚が大事だということで、そういうことが日本の文化現象の中にだんだん強く現われている。その一つは言語ですね。若い人の言語、語彙も、アクセントも変ってきている。語彙は変っただけでなく、少なくなってきて、大体感じで、擬声語または叫び声が多用される。あれは知的じゃなくて、感覚的ですね。知的な言語は、間接的、抽象的で、感覚的な言語は、具体的です。外来語、アメリカ崩れの片仮名語が氾濫しているのも、そのせいでしょう。知的には、意味がはっきりしない。散文の語彙としての機能を果たさないものです。
  「男のロマン」などというときの、「ロマン」の意味は、はっきりしない。言っている本人も定義できないだろうと思いますね。しかし何となくその言葉は気分を伝えるわけで、気分、あるいは言葉の感覚的な気分喚起力の方が、知的内容、定義の細密さということよりも大事だ、そっちを取るという態度がそこに表われていると思います。
  例えばUCLAと書いてあるTシャツがよくありますが、それを着て歩いている人たちは、どういう意味だか知らないでしょう。意味が大事なんじゃなくて、四つのアルファベットが表す感覚的、気分的なものが大事だと、こういうことだと思うんです。言語に対する態度に、そういう一種の感覚主義が、よく現われていると思います。
  それともう一つ、万国に冠絶する日本の社会現象は、劇画、漫画ですね。漫画というのがこれだけ出ている国、通勤電車とか地下鉄の中で物を見ている人、読んでいる人の半分が日刊新聞で半分が漫画であるという国は世界中にない。私は、ニュー・ヨークと北部の鉄道に、少なくとも毎週二、三回、二年続けて乗っていたけれども、一遍も漫画に出合うことはありませんでした。
  漫画とは何かと考えてみると、それこそは「いま・ここ」の表現だと思いますね。絵というもの、映画でも同じですけれども、「雨が降っている」という絵はかけるけれども、「降っていた」という絵はかけない。地面が濡れていることは現在の現象なんで、きのう雨が降っていたという絵はかけない。また「明日雨が降るだろう」という絵もかけません。漫画とか劇画の世界は、絶えず現在のわけですね。徹底的現在主義です。言っていることも、大体ギャッとかキャッとかいうことで、過去に関する命題も、未来に対する命題もない。それから劇画では、走っている足だけ描いてあり、ザクザクというような音がでている。「いま・ここ」主義を徹底していけば、「ここ」というところが、走っている足に集中していくのでしょう。過去と関係がなく、未来と関係のない、切り離された現在の「いま・ここ」の感覚的現実が、強く表現されています。
  新しい劇とか、映画とか、ある種の文学とか、そういうものには、なかなかすぐれた面がある。けれども、そのすぐれた面は、全部劇画と同じで、感覚的に洗練されていたり、強かったり、独創的だということです。色の配合とか、音の組み合わせとか、そういうことがよろしい。けれども、知的に前衛というか、新しい文学、新しい芝居は、ほとんど全くない。「いま・ここ」主義は、芸術的表現も支配しています。そういうことは、大きく見れば集団主義と、それから少数意見の尊重というか、個人の自由というか、そういうものと、それから「いま・ここ」主義、現在主義で、知的表現に比べて感覚的な芸術的表現が強い、そういうことは戦後強くなっているかも知れないけれども、戦後はじめて出てきたことではありません。それは日本文化の、根本的に変っていない面だと思います。
  さっき申し上げたように、一つ一つにいい面と悪い面とがあり、大きな変化もあるけれども、全く変らない基本的な条件というものがあると思うので、そういうことが戦後40年に何が変って何が変らなかったかということの要約だと思います。
  ご清聴ありがとうございました。

 (文芸評論家・東大・医博・昭18)

(本稿は昭和60年5月20日午餐会における講演要旨であります)