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財政再建について 貝塚 啓明 No.764(昭和59年7月)

     
財政再建について
貝塚啓明(東京大学教授) No.764号(昭和59年7月号)

 ただいま、大変ご懇篤なご紹介にあずかりまして恐縮いたしております。貝塚でございます。

 財政再建といいますと、毎日のように新聞などに出ておりまして、そういう意味では皆さんよくご存知であると思います。したがいまして、いろんな議論があることもご存知でありましょうし、ここではどういう問題があるかと日頃私が考えておりますことを率直にお話させて頂くのが、恐らく皆さまのご関心に対してお答えすることになるのではないかと思います。経済学というのは、ある意味では複雑でありまして、マルクス経済学と近代経済学と考え方は相当違っております。私自身は、ご紹介にあずかりましたように、近代経済学の分野では、やや理論の方からこういう問題に近づいている人間でありますので、多少外側から長い目で見た財政再建の話をいたしたいと思います。

 財政再建ということは、皆さまもよくご存知のように、財政の赤字というのが大変大きくなり問題であるということから話が出発いたしております。財政の赤字というのは、現在先進諸国のどこの国でもみられまして、最近日本でよく公債依存度という言葉が使われておりますが、公債依存度といいますのは、政府全体の支出の中で何%公債、あるいは国債で調達しているかという数字でありますが、日本では、一九八三年は三〇%を超しております。他の国はこの数字よりも低いのですが、一九七五年から、七七年ぐらい、あるいは八二年とか八三年、その時期の前後では、どこの国も公債依存度が上がっている。これはどういうことかといいますと、思い出して頂ければ、第一次石油危機とか第二次石油危機というのがありまして、第一次石油危機というのは一九七三年から七五年ぐらい迄ですね。この間に原油は、ご存知のように、実勢価格で恐らく五、六倍に上がりました。日本経済はエネルギー源として大変石油に頼っておりますが、その値段がとにかく五、六倍にも上がった。この現象はどこの国でも起きたわけです。その結果どこの国も不況になりまして、所得の伸びとか、企業の利潤といいますか、その伸びも落ちる、あるいは利潤が減る、あるいは会社自身の損失が生ずる会社もふえるということになりますから、税金の課税対象がある意味では減るわけであります。この前の第一次石油危機の時には税収入は非常に減りました。そうすると結果として財政の赤字はふえるということになります。第二次石油危機の時も同じようになりました。ですから、最近の赤字は、こういうふうにながめてみますと、日本自身に本当に責任があると言えるかどうか。例えば日本銀行の政策、大蔵省の政策がまずいからその結果として財政が赤字になったというふうには言えないと思います。平たく言えば、アラブという国はヨーロッパの国などとは大分考え方が違うわけでして、アラブの王様が考えたこと、あるいはいろいろ政治的な要因があって無理に石油の価格をつり上げたわけですけれども、その結果としてこういうことが起きております。ですから、最近の財政赤字、あるいは世界の経済が高度成長期とは違っていま非常に不況といいますか、あまり伸びないという状況が続いている基本的な原因は、やはり二回にわたる急激な石油ショックとそれのあおりを喰って財政自身も赤字になったということであります。特に第二次石油危機というのはあまり予想されておりませんでした。

 皆さんご記憶だと思いますが、前の鈴木内閣の時代に、鈴木総理は財政再建を昭和五十九年の初めまでに達成するということを政治的に公約され、初めは少しうまくいって、財政の赤字が少しずつ減りました。ところが、経済というものは、非常に恐しいものでありまして、先程言いましたように、第二次石油危機というのは、余り予想されていなくて原油価格が三倍以上上がったわけです。その結果、日本経済も世界経済も大体不況になり、税収入がふえないで、予想されたよりも赤字はふえました。これは政治で何とかやろうとしても出来ないことでありまして、その結果、財政再建を公約された鈴木前総理は退陣され、現在の財政赤字というのは相当にふえているということになります。

 そこで次に、財政再建ということについて、いろんな議論がありますが、その点について私の所感を述べさせて頂きたいと思います。現在財政をめぐる問題の中で、基本的には二つの考え方があるというふうに思っております。第一の考え方は、臨時行政調査会とか、あるいは日本の財界、新聞の社説においてもいつも書いてあり、現在ではかなり多くの人々のコンセンサスを得ている行政改革という考え方が一つあります。もう一つは、狭い意味での財政再建という場合の考え方であります。そういう二つの立場があるわけです。

 行政改革というのはどういうことなのか、これはいろんな解釈がありますけれども、これは何を目標にしているかと言いますと、やはり政府の規模の問題であると私は見ております。あるいは財政の数字で申しますと、要するに歳出、あるいは政府支出、実際に一般会計で立てられている予算ですね。そういう歳出の規模、しかも経済全体と比較してどの程度になっているかという相対的な政府の規模の問題ですね。行政改革を主張される人々、私も基本的には長期的には賛成でありますけれども、とにかく歳出の大きさが問題であって、それがだんだん相対的に大きくなってくることは困りますということが行政改革の立場であります。ですから、行政改革というのは、何よりもまず財政支出を切れといいますか、あるいは抑えろということになります。

 もう一つの狭い意味での財政再建というのはどういう立場かといいますと、これは主として財政当局、平たく言えば大蔵省が主張している。大蔵省というところは、なかなかあからさまには物事を言わないわけですが、ただ基本的な考え方、狭い意味の財政再建というのは、やはり財政の赤字が大きいことに問題があるということです。例えば現在公債依存度が三〇%を超して、その赤字が大きいということが問題だというのが大体大蔵省の立場であります。実を言うと、両者の考え方というのは基本的には私は対立していると思います。ちょっと記憶をさかのぼって頂ければ、大平内閣の時代には、財政赤字が非常に大きいから、歳出を抑えることだけではとても無理であるから、一般消費税を導入して埋め合わせをしようという路線でした。ところが、ご存知のように、総選挙で自民党が実質的に敗北したわけですね。実を言うと、財政当局の基本的な考え方は、大平内閣時代の考え方にはっきり出ております。

 しかし、政治の世界というのは、一度そういうことがありますと、今度は当然反対の考え方が出てくるわけでありまして、ご存知のように、行政改革の考え方というのは、先程ふれましたように、必ずしも増税が必要であるとは言えない、まず歳出を抑えるべきであるという立場であります。したがって、両方の考え方は対立しておりますが、現実の政治の世界ではご存知のように両方が妥協しているということであります。それは臨時行政調査会の文書なんかを読んでいただきますと、増税なき財政再建というのが一応臨調の表看板でありますが、その増税なきということは一体どういうことか、私もあまり正確にはわからないのですが、三つか四つの解釈がありまして、要するに幅がかなりあるわけですね。大蔵省のほうもある種の幅がありまして、そこで妥協が成立しているということだろうと思いますが、とにかく考え方としては二つはやはり基本的には違っておりまして、これからも絶えず行政改革、あるいは財政再建をめぐって二つの考え方がいつも入りまじるということになるだろうと思います。

 ではその二つの考え方はどういうふうに見たらいいのかと、せんじ詰めて言えば、現在の日本経済あるいは将来の日本経済にとって行政改革が重要なのか、それとも大急ぎで赤字を減らすのが重要なのかというところが一番肝心の点ということになります。この点は皆さん意見がそれぞれ違いまして、学者の中でもかなり意見が分かれるわけですし、恐らく普通、経済記事を読んでおられる皆さん方もいろんな見方があるだろうというふうにお考えだろうと思いますが、私見を述べさせて頂きますと、臨調の路線というのは財政支出の規模が問題であって、必ずしもそれが公債で賄われているか税金で賄われているかは問わないという考え方であります。財政規模が拡大した時にどういうまずいことが起きるのかということなんですね。例えば財政支出がふえたら何が起きるか――そうすると恐らく地方財政のところで問題がありまして、例えば保育所と幼稚園という問題があります。保育所というのは市町村がやっていると、幼稚園というのはご存知のように民間ですね。私企業がやっている。そのときに保育所の保育料というのは非常に安いわけですね。ですから地方財政で財政支出が拡大して保育所のほうにお金が回ると何が起きるかというと、幼稚園に入園する子供が減る。幼稚園のほうは料金が高いわけですからそういうことが起きる。ですから、政府が何か仕事をすると、その分だけ民間が直ちに減るということが起きる。競合が起きるといいますか、民間部門のほうが仕事が減るということが起きます。

 要するに、政府の規模が大きくなった時にはそういう話があっちこっちにふえてきて困る。その困るというのはなぜ困るかというと、平たく言えば、親方日の丸のところのやり方と民間のやり方とは違うじゃないかと、民間の方が効率が高いじゃないかというふうに考えますと、そこで政府が大きくなるということにはいろんな問題が起きてくるということがわかります。それから、政府が大きくなってくると、公債が発行されるということでありますけれども、普通、税金の負担も上がってきます。

 最近の日本の税金のことをお考えになって頂ければすぐわかりますが、昭和五十年ぐらいから所得税の減税というのは殆どやっていない。そうしますと、住民税を含めて税金というのは負担が上がっております。普通われわれ経済学者が考えている税金の負担というのは、次のようなことを指すことが多いんです。例えば五百万円の所得の人が居ると、その人が最終的に四百九十九万円から五百万円に一万円だけ余分に稼いだ時にどれだけ税金がかかるかといいますと、平均的な税の負担よりは累進税率ですから、恐らく最後の一万円を稼いだ場合には地方税を含めますと三〇%近くになります。ですから、確かに税負担としては平均的には軽いんですけれども、限界的には随分重いんですね。それが減税がありませんと毎年のようにどんどん高くなります。そういうことが起きれば、これは企業の立場についても全く同じであります。ですから、税負担が重くなってくるというのは人々が生活していく場合、あるいは企業の経済活動をやっていく場合に、税の負担が重くなれば、その重いということ自身がやはり経済活動(勤労意欲や投資意欲)を鈍らせるといいますか、財政学の用語で言いますと、中立性を害する。ですから租税の負担が上がっていくということになりますと、日本はまだあまりそういう状況には来ていないと言われておりますけれども、諸外国、例えばスエーデンのようなケースですと、スエーデン人の普通の家庭が稼いだ所得のうち限界的に言えばもう五〇%程度以上は税金がかかっております。五〇%の税金というのは大変なことでありまして、日本ではまだそういう状況は出ておりませんけれども、人々の勤労意欲が落ちるでしょうし、例えば高額所得者の人は外国へ行ってしまう。最近の事情はあまり細かくは知りませんけれども、イギリスの場合であればお医者さんはアメリカとか、そういうほうへ流れるわけですね。ですから有能な人材はどんどん外へ流れ出すというようなことが起こり得ます。

 そういうわけで、税金の負担が非常に重くなるとこれはやはり非常にマイナスが大きい。したがって、長期的には日本もイギリス、スエーデンとかヨーロッパ諸国のように政府が大きくなってくると、何らかの意味で負担が必ず上がっていく、そうするとそのしわ寄せは最終的にはみんな稼いでいる人に来るわけですね。企業も当然その中に入れてもよろしいんですが、やはり税負担が重くなると最後には、経済全体を抑えるといいますか、活力をなくすそういう方向に働く。イギリス病というふうなことが言われているのはそういうことのあらわれであります。ですから、財政の規模が議論されるときに、そういうことが一番問題になります。まあ臨調の考え方というのは、いますぐそれを非常にドラスティックにやりなさいということを言っておられるんじゃなくて、日本はやがて必ずや政府はだんだん大きくなっていく、したがっていまから大きくなることを少しずつ抑えないと将来大変なことになりそうだからと。平たく言いますと日本経済というのはいままで長い間非常にうまくやっているわけですね。今後も世界経済の中で十分な競争力を保っていくためには、やはり政府があまり大きくなっちゃ困りますよと。しかし、現在大きくなりつつあることは間違いない。高齢化社会ということがありますし、社会保障とかその他で必ずふえることは間違いありません。ですから、将来相当大きくなることはいまから予想がつくわけですね。予想がつくとすれば、ヨーロッパ社会がたどった道をたどるのは賢くない。もうちょっと別なやり方がないか、いまから少しずつ歳出を抑えていって、できる限り何とかうまいやり方でそれが回避できないかというのが臨調の考え方の一番基本則だと思います。それを主張されるときは、十年先とかあるいは十五年先は大変になるかもしれないからという議論をいたします。ですからいやそれは大丈夫だ、十年先とか十五年先であればいまからあんまり言う必要はないんじゃないかと言われれば、そこで話はおしまいになります。

 ご存知のように、政治の世界というのは大変でありまして、予算のときには、財政支出をふやせふやせという圧力が絶えずかかっておりますから、本当はいますぐの問題ではないんですけれども、やはり将来大変なとになると言ったときに、いまからやるとすれば、いま必要だということを言わない限り、なかなか物事は進行しないと考えておられて、そういうようなことになったと思いますが、それは基本的には長い目で見れば正しいというふうに思います。行政改革の話というのはそういうことであります。

 それからもう一つ、赤字の話がございますが、確かに日本の財政は大変赤字が大きいということであります。赤字が大きいと一体何が困るか。皆さんがわかりやすくお考えになれば、家計簿をつけていて赤字になると現在は銀行から借金を少しできますし、場合によってはサラ金というのがありますが、しかし赤字というのはある限度があるということは家計の場合にはもうはっきりしております。そういうふうに考えますと、財政の場合にも赤字になっている、それが非常に大きいということは非常に困ることだというふうに皆さんお考えになると思いますが、経済全体から考えてみてなぜ困ることが起きるのか、ということを申し上げておきたいと思います。

 それはどういうことかといいますと、一つは、赤字が非常に大きくなるとインフレのおそれがあると言われます。日本の場合もずいぶん前から、財政赤字というのが大変大きい。これはやがてインフレになると、第二次世界大戦のときは大体そういうことでしたし、戦後のインフレーションというのはそういうことの結果であったと言われます。そこのところをよく考えてみますとインフレが起きるか起きないかというのは、やはり中央銀行が最終的には責任を持っているはずであります。ですから、非常に平たく言いますと、日本銀行総裁がちゃんとがんばっていればインフレにはならないということですね。ですから、インフレになるかならないかというのは、実を言うと最終的には経済の理屈というよりは、やはり政治の問題という気がします。日本銀行というのは、皆さんがお考えになっておられるときには、これは政府かそれとも政府でないかはっきりしない存在なんですね。広くとれば日本銀行も政府の一部です。要するに、一つの国の金融政策の責任は日本銀行が負っているといたしますと、やはりこれは一種の政府であります。政策当局というか、そういうものになります。したがって日本銀行あるいは日本銀行総裁というものは、やはり最終的には政治の圧力をある程度受ける危険性はいつもあります。アメリカの場合でも同じようなことが言えまして、現在アメリカの連銀の総裁はボルカーという人ですが、この人は大変しっかりしていて、アメリカの中央銀行というのは財政赤字になっておりましても断固としてインフレを起こさないようにがんばっております。それだけの信望もあるんですね。日本の場合もそういう問題がありまして、これはどちらかというと政治の問題でありますが、われわれ経済学者は当然そうでありますけれども、やはり中央銀行の中立性というのは非常に重要である。おそらく政府からの圧力というのは、そのときどきかかっており過去に多少いろんな経緯はございましたけれども、日銀総裁ががんばればインフレは起きません。

 財政の赤字が大変大きいと、インフレにならないとしても、次にもう一つの問題があります。それはどういうことかといいますと、財政が赤字になるというのは国がお金を借りることであります。国が借金をして事業をしていくということになります。ところが、ご存知のように、借金をしたい人は世の中にたくさんおりまして、住宅ローンでもまた民間の企業でもやはりお金を借りて事業をやりたいというわけですね。そうしますと、金融市場でお金の借り手というのはたくさんいるわけです。その中に国あるいは政府というのがありまして、政府というのは借り手としては一番強いわけですね。というのは政府が発行する国債というのは、だれも政府が貸し倒れになるとは思っておりませんし、一番信用力があるわけです。一番信用力のある人がお金を借りたいと言うと、それはやはり貸し借りの市場の中で非常に強い人ですね。ですから、政府がどんどん借りますと、民間のほうがだんだん締め出されるということになります。民間が締め出されるとこれはやはりぐあい悪いわけでして、なぜかというと、民間の企業にお金がいかないということは、企業の設備投資とか、そういうものが減ってくるわけです。そうすると、長い目で見ると、やはり日本経済の成長を維持するためには民間企業がどんどん新しい投資をやっていき、そのために日本の産業に十分な資金がいつも回っていく必要がある。そこに政府が大きく入り込みますと民間が締め出される。締め出されるとやはり長期的にはぐあいが悪いと、そういう問題があります。日銀総裁ががんばっているとしても、なおかつ、もし本当に政府の借金がすごく多いということになりますと、いま言ったようなことが起きるということになります。この点は、現在のアメリカがそういう状況に、はっきりなっていると言われております。

 アメリカはいま日本で言えば総選挙の最中みたいなもので大統領選挙が始まっておりますけれども、レーガン大統領は何をやったかといいますと、二年ほど前に大幅な所得税減税をやりました。そうするとアメリカの国債の発行がものすごくふえました。その結果アメリカで何が起きているかといいますと、お金を貸す側、日本ですと最終的には皆さんがなさっている貯蓄が銀行とかそういうところを通じて貸す側に回るわけでありますけれども、アメリカは貯蓄率が低いので貸すお金の量がもともとあまり多くない。アメリカの政府がどんどんお金を借りますと、結局アメリカの家計が貯蓄した部分のほとんどが政府の国債に吸収されてしまう。その結果、政府がどんどん借りるために、金利といいますか、利子率がどんどん上がる。アメリカの高金利といって、アメリカは金利が非常に高い。いまでも日本よりかなり高いですけれども、二、三年前までは本当にすごい金利でして、二〇%ぐらいになっておりました。いまでもある程度金利が下がったとはいえ、その傾向が続いております。普通これを国債の締め出しといいまして、国債が民間の資金を締め出してしまう、そういう締め出し効果がアメリカではもう現実に働いていて、アメリカ経済のいまや最大の問題になっていると言われております。ですから、アメリカみたいな場合にはいまの現状では増税すべきだというのがアメリカの経済学者の大部分の主張はそうであります。ただアメリカも政治が大変でして、レーガン大統領は大統領の選挙が終るまでは増税はやらないと思いますが、選挙に勝てば増税をやるでしょう。おそらくそういうふうになると思います。ですから、財政の赤字はアメリカ経済にとっては大きな問題になっております。

 日本経済は先ほど来申しておりますように赤字自身は大きいんですが、しかし日本は幸いにして貯蓄が非常に高い。日本の貯蓄率というのは世界で一番高いと言われております。要するに、お金を借りる人の中で政府は一番大きなところですが、最終的にはお金を貸している人、普通は健全な家計というのは大体お金を貸していると思います。銀行へ預金したり国債を買ったりしているわけですね。それが最終的には貸している人で、そこが非常に大きいわけです。ですから政府が相当大きく借りていても、日本は現状においてアメリカのようになっていないと、そういうふうに考えられます。日本はアメリカと違って、財政の赤字は本当にいまの状況で、もうぎりぎりどうしようもないと――どうしようもないというのは、経済全体から考えてインフレを引き起こしているかというと、まだインフレは起きておりませんし、最近は全く物価は安定しておりますから、まあそういうことです。それからもう一つ可能性としてはいま申しましたように、お金の借り手として政府がお金をどんどん借りてくると困るということが起きるわけですが、まだはっきりは起きていないわけですね。そう考えますと、赤字自身は非常に大きいんですが、それがいま経済でものすごい悪影響を及ぼしているということにはなっていない。日本の財政の赤字については、タイムリミットはもう来ているということではありませんで、徐々に近づいておりますけれども、いまぜひとも増税しなければいかん、しかも大幅な増税をやらなければならないという状況にはまだないと思います。以上は大体現在はそうだということを申し上げているわけですが、ただし、もう少し先を考えるとなかなか大変だということを申し上げて話の結びにいたしたいと思います。

 私が申し上げるのは、財政赤字というのは非常に金額的には大きいのですが、日本経済に対して歴然と悪い状況はもたらしていない。たとえばインフレとか、あるいは国がお金を借りるために金利がどんどん上がっているという状況には、いまはないということを申し上げておきます。しかし、もうちょっと先を考えると、果たしてうまくいくのかというところあたりが日本の財政の問題であります。ですから結論のほうだけ先に申しておきますと、一体日本の財政というのはいまどうすればいいのかと。日本の財政赤字はどんどんふえておりますから、やはり財政の赤字がふえてくることは好ましくありませんから、私自身、どういうふうにやったらいいかということについては、やはり小幅の増税です。具体的に言いますと、所得税の大減税をやって、そのかわりに付加価値税、あるいは消費税を導入する。全体としてはやはり増税ですから、最終的には差し引き増税していくのが望ましいと思います。かりにいま大増税だけをやって、例えばどういうことが起きるか、まあ、こういうことは政治的にちょっと考えにくいですが、かりに五兆円ぐらいの増税がもしいま実行され、それがもし成功すれば何が起きるかということを皆さん考えていただければいいのです。もしかりに五兆円ぐらいの余分の税収入が入ったらどうするかというと、大蔵省の予算の査定は途端に甘くなって、政治家はみんなどんどん歳出をふやしてくれと、またお役人の側もこれだけふえたんだから大丈夫だと思うわけですね。官僚機構というのは大体そういうものだと私は思います。もし大幅な増税がいますぐ実現すれば、やはり普通の言葉で言えば財政の規律は緩むと思います。ですから、先ほど言いましたように、いま財政の赤字がぎりぎりまで来ていないとすると、日本経済は直ちに本当に大幅な増税が不可避だとはいえない状況です。

 ですから、タイムリミットがきていて断崖絶壁のところまで来ていないとすれば、いまの時点にたって言えば、将来はある程度税負担の増加はどうしても必要である。そのためには現在の財政の支出の中で、高度成長期にある程度放漫に使った部分がありますから、そういう歳出でむだなものはできる限り抑えていって、相当がんばって、まあ政府もかなりの合理化をやったというときに初めてかなりの増税ができる。そういう形で増税をするのが一番望ましいと思います。

 まあ結論だけ最初に申しますと、いま言ったようなことになると思います。ただタイムリミットというのは徐々に近づいてくるということは申し上げておく必要がありまして、例えば、いわゆるサラ金悲劇の話と同じようなことだと考えていただいていいんですが、要するに現在のサラ金というのは、ご存知のように、平均の金利は年利で大体四〇%から五〇%で、これはものすごい金利ですね。国債の金利は決してそんなものではありませんけれども、最近の日本の国債利子というのはならしてみて年利で五・一八%ぐらいです。ですから国債を出したときに金利をこれだけ払わなくちゃいかんということです。金利がかなり高いですし、国債をうんと出していれば、いわゆる借金のための利子費用がかかるわけで、それがだんだん予算の中でふえていくと、最後は普通の会社の経営で言えば完全な倒産ということになるわけです。国は中央銀行が背後にありますので、そういうことにはなりませんけれども、民間企業で言えば、どんどん利払いがふえていく傾向が日本でも諸外国でも残念ながら最近はある。それはどういうことかというと、途中の説明は省略いたしますけれども、国の借金がどんどん雪だるま式にふえていくことが発生するのはどういう場合かというと、利払いのほうが租税収入の伸び率よりもむしろ高いとき、その場合にはだんだん利払いがふえていく。そうするとどうしても国債をますますふやしていく。ですから自転車操業というサラ金悲劇のようなことになってしまう。本当にお手上げになるという状況が発生するのはかなり時間がかかるんですけれども、国債の利子率のほうが租税収入の伸び率よりも高いときにそういうことが起きる。予算項目の中で国債費というのが利払いの費用ですが、それのウェートが日本でも最近はどんどん上がっております。ですから国債費がふえていくというのは、ある意味では政府が有用な仕事をやっていることでは決してなくて、借金の後始末のためにお金がいるというだけの話でありますから政府は公共投資をやったりいろいろ有益な仕事をやらなくちゃいかんのですけれども、それがだんだんできなくなるわけですね。できなくなるからというんで、また国債を出していく。先ほど来申し上げましたように、いまアメリカ経済にそういう状況が起きているんですが、日本経済にもほおっておくと起きる可能性が強い。

 例えばいまのような状況が五年ぐらい続くと、これは相当深刻な事態が起きると思います。タイムリミットは徐々に近づいてくる。ですから、いまのところはやはり歳出というものを一所懸命に抑えていくということが必要であります。しかしなかなか簡単ではありません。おそらく毎年の予算で言えば五千億とか、せいぜい一兆円ぐらいのところを、何とか政治家の抵抗を排除して一所懸命ゴシゴシやっているわけですね。しかしそれでは赤字の幅はなかなか解消できませんから、先ほど来申しておりますように、赤字の幅を徐々に解消するためには、別の税金を考えなければいけない。日本の現在の所得税はだんだん限界に近づきつつある。昔と違いまして、税の負担が小さいときにはあまり大して問題にならなかったようなことがいろいろ問題になってきます。先ほど言いましたように、最後の一万円を稼ぐために三〇%の税率がかかるというのであれば、人間が経済計算をやる以上、必ず節税を考える。まさにいまの世の中はそうでありまして、最近は新聞なんかでもご存知のように、所得税というものをいかに節約したらいいのかという話がよく出てまいります。それから金利でも、少しでも高い金利、しかも税引きの金利で計算されて資産を持っておられるわけですね。

 また、所得税で穴がたくさんあります。これはどの国の所得税でもそうでして、公平だと言われておりますアメリカの所得税でも、なおかついろんな問題がたくさんあります。所得税というのはそろそろ限界に来ているんですね。そうであれば、むしろ所得税はある程度大幅に減税をして、別の税金を考える。そして少しずつ財政収支を改善していく。財政がある程度赤字である間は、政府あるいは大蔵省はやはり財政支出のほうでは節約を心がける。要するに政府部門全体、それから特に地方財政あたりは大変問題が大きいと思っております。現在皆さんが地方に行かれた場合に、地方の市庁舎とか、県庁、公民館、美術館が、すごくりっぱなものができておりますね。しかも地方と大都市との間のいわゆる所得の格差というのは小さくなりましたが、なおかつ、大都市のサラリーマンから取られた税金が地方に相当回っております。確かに以前は所得の格差を縮めるために大都市の住民がいろんなことを負担して、結果的には地方にいろんなお金を回すことは意味があったと思います。しかし、いまや昔と違いまして、東京の繁華街よりももっときれいな町が地方にはたくさんあります。ですからそこのところも考えなければいけない。いつも大都市のほうから地方にお金を結果的に回しているというのは少しずつ変えなくてはいけない。地方の財政に問題があるということもたしかであります。武蔵野市の話とか、地方の個々の市町村でもかなり裕福なところもあると思いますが、その辺いろいろな問題がありますけれども、とにかく財政の赤字がある程度あり、そうするとみんなとにかく切り詰めましょうということになって、やはり支出のほうはそれなりに抑制されていって、私が申し上げましたように、少しずつ増税に振りかえていくことが必要だと思います。

 経済学者というのは大体予測をやればあまりうまくいかないということが多いんですけれども、特に為替レートなんかの予測というのは大変むずかしいので、何も言わないほうが賢いのでありますが、財政のことにしても、私がいままで申し上げたとこからもう非常に大胆に予測をいたしますと、タイムリミット、これは非常にむずかしいんですが、おそらく五年とかそれぐらいの余裕はまだあると思います。まあこれはもう少し長いかもしれない。ですから先ほど言いましたように、その間に少しずつ税負担を上げていくこと、が望ましい。そうすれば破局的な事態というのは私は起きないように思います。私の申し上げている点は、大蔵省の考え方と臨調の考え方の中で言えば、とりあえずは臨調の考え方でいい。しかしあるところまで来ればやはり増税はしていく必要があるということです。

 それからさらにつけ加えて言えば、日本は高齢化社会に後十年とか十五年の間に非常に急速に近づきますので、そのときには社会保障とかそういうことが必ず不可欠でありますから、政府のやる仕事は必ずふえると思います。したがって、日本の政府というものはその十五年とか二十年の間は必ずや私は拡大すると思います。しかし、最初にちょっと申し上げましたように、ヨーロッパとかそういうところと同じような道を歩んで、完全にどんどん政府が大きくなっていって、まあ、お役人の数は正確に覚えておりませんが、イギリスとかスエーデンぐらいになりますと、労働人口のうちの三〇%ぐらいはお役人でありますが、日本はたしか一〇%切っております。やはり日本経済の健全なところはそういうところにあるわけでして、もちろん政府は大きくなりますが、大きくなり方を抑えていけば、この十年とか十五年、ある意味では非常に大変な時期でありますが、財政規模が拡大して負担も必然的にふえるということは、やむを得ないですから、そのふえ方をできる限りおさえていくということであります。そうするのがいま一番最善の策であって、現在は臨時行政調査会と財政当局の間には意見がかなり食い違っているようでもありますけれども、最後には日本経済の将来を考えるといまのやり方自身がそんなに変なものでもないというふうに思います。

 まあそういう意味で、私自身の最終的な結論は、現在財政危機が本当に大変になっているということではないけれども、ほおっておくと将来財政危機になる。したがって先のことも考え、政府の規模というのは大きくなることは間違いないけれども、なるべく抑えて、そして少しずつ財政赤字を縮小し、他方中央銀行総裁もがんばるということが重要であり、日本経済をインフレにもっていかないようにすることが重要であります。もっともこのように話としてはそうむずかしくないようですが、現実の問題としては大変だということを付け加えておく必要があります。

 今年もいまいろいろ議論になっておりますが、医療制度で言えば、医療保険の本人負担を上げる。いままではこういうことまで手をつけなかったわけですけれども、従来の制度のある意味で基本をなしているところを少しずつ変えていかないと、本当に実効性のある節約ができなくなってきているということです。高度成長期はみな水ぶくれしたわけで、それをあるていどまで抑えるというのはそうむずかしくないのですが、これから先は実際は大変であります。しかし、これを現実にやらないと展望は開けないということではないかと思います。

 これで私の話は終らせていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

 (東京大学教授・東大・経博・昭31)

(本稿は昭和59年3月9日夕食会における講演要旨であります)