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産業社会の「日本的」利点とその転機 富永 健一 No.758(昭和58年1月)

産業社会の「日本的」利点とその転機
富永 健一
(東京大学教授)

No.758(昭和58年1月)号

ご紹介をいただきました富永でございます。本日の題名は「日本的利点とその転機」というふうに二つの言葉を「と」で結んであるのですが、私が強調したいことは利点のほうではなくて、「その転機」の方にあるわけでございます。ただその転機というものを考える前提として、従来日本の産業化ないし経済発展に関して日本が享受し得てきた利点というものが確かにあったということが前提としてあるわけです。そういう議論をこれから展開したいと思います。

転機ということに力点があると申しましたけれども、転機という言葉はたとえば高度経済成長が転機を迎えたとかいうような文脈で、従来からすでにたびたび使われてまいりました。そういう意味ではこれは別に珍しい問題提起でも、新しいものでもないわけでございますが、私がこれから提起したいと思う「転機」というのは、これまでも繰り返し言われてまいりました、たとえば公害問題とか、石油ショックとかいうような――それらも勿論非常に大きな出来事であり、それぞれに産業社会としての日本にとっての転機であったわけですけれども――そういう外因性といいますか、社会システムにとっての外部から来た出来事という意味での転機というよりも、日本社会自体の内部から起こっている一つの変化、そういうものに注目したいわけであります。それではどういう意味での転機かと申しますと、簡単に言えば、日本が西洋先進諸国よりも遅れて産業化に出発した――しばしば後発産業国と言われておりますけれども――がゆえにいままで享受してきた利点、そういうものがいまやかなり急速に消滅し始めているのではないか、そういう問題提起でございます。この後発産業国であったがゆえの利点、それが転機を迎えているということを、以下三つほどに分けて、具体的にお話申し上げたいと思います。

        一

まず第一の意味での転機、これは一番とらえやすく、どなたもすでによくご存じのことだと思いますが、人口構成の高齢化ということでございます。私が日本社会に転機が到来しているということを考え始めたのも、この高齢化という問題がきっかけでございました。一九八〇年現在、わが国の六十五歳以上の人口が全体に占める比率は九・〇四%でございます。この九%という数字、これが西洋先進諸国における歴史の中でいつごろの時点であったかということを調べてみますと、フランスは世界の中で最も早く人口の高齢化が進んだ国で、九%に達したのはほぼ一九二〇年のことでありました。それからスエーデンで同じく九%を超しましたのはほぼ一九三〇年の少し前のことでございます。それ以外の国は第二次大戦後になりますが、それでも日本よりはずっと早く、西ドイツで六十五歳以上の人口が九%を超しましたのは一九五〇年の少し前のことで、一九五〇年の比率が九・二七%、イギリスは同じ年に一〇・八三%でありまして、一九五〇年より少し早い時期に九%を超したということになります。先進諸国の中ではアメリカが一番遅く、一九六〇年に九・二三%でございましたので、ほぼ一九六〇年の少し前ぐらいに現在の日本の水準に達したということであります。現在人口問題研究所が推計しております人口予測によりますと、六十五歳以上人口の現在九%という数字、これが一九九〇年には一一・〇一%、二〇〇〇年には一四・二六%、二〇一〇年には一六・七二%、二〇二〇年には一八・八一%と、かなり急速に比率が高まってまいりますが、それでも二〇〇〇年ごろまでは、現在のスエーデンやフランス、あるいはイギリスよりもまだ人口構成が若いのですね。そしてこの間、向こうのほうもやはり少しずつ年とってまいりますから、日本のほうが急速に高齢化しておりますけれども、実はまだ三十年ぐらいは余裕がある。余裕があるというのはおかしな言い方ですけれども、世界で一番老齢化の度合の高い国に比べて、まだそれよりも低いという見積りになっております。他方、経済の水準では、日本の一人当たりGNPがイギリスに追いつきましたのは一九七三年で、勿論現在まだ西ドイツとか、スエーデンとか、アメリカとか、日本よりも水準の高い国がいくつもありますけれど、しかし、ほぼ西洋諸国とそれほど違わないところまで、日本の経済水準が来たと考えますと、この経済の水準のほうではほぼ追いついたが、人口の高齢化のほうでは、まだそこまで行かないという、この遅れですね。経済の水準と人口構成の老齢化とのあいだのこのラグが、私のいう後発産業国であるがゆえの利点なのです。つまり、手っ取り早くイギリスに比べて申しますと、一九七〇年前後に経済水準が同じになって、しかも平均人口構成のほうではなお三十年ぐらいは日本のほうが低いという、このラグ、これが日本的利点というものの一つの一番わかりやすい構成要素であると私は思います。ただ、この日本的という表現を私は括弧に入れて(「 」)使いたいのです。この日本的という表現は、たとえば「日本的経営」というような文脈で従来から好んで使われてきました。近年はさらに、「日本型福祉社会」というような表現が使われておりまして、実際そういう言葉が、社会保障の専門家によって提案がなされ、また大平首相当時の自民党の政策の中にも組み込まれていたのですが、その場合の日本的という考え方に、私は少し疑問があるものですから、それをちょっと批判的にコメントしたいという気持ちがありまして、括弧をつけて「日本的」利点とその転機という標題をつけてみたわけです。しかしながら実は今申しました人口の年齢構成の有利さというのは、日本的利点という言葉で表現するのに必ずしも適当ではないのです。というのは、それは日本だけが享受することのできた利点であるとは言えないわけでございまして、つまり一般に後発産業国というものは、そういう利点を享受し得るものなのですね。ですから、たとえば今後韓国や台湾が、ちょうど、これまでの日本が占めたと同じような位置を世界の中で占める可能性が高いわけで、そうなればそれらの国がやはりそういう利点を享受することになると思います。

さて日本が従来享受してきたこの点での利点というのはいうまでもなく、日本の高度経済成長を説明する重要な要因になってきたと思います。すなわち、働き盛りの労働力の比率が高いわけですから、それは直ちに日本経済の活力の源泉になってきたと思います。それから、今日問題になっております社会保障という観点から申しましても、老齢者を支える働き手の負担が、それだけ軽くて済んできたわけでありますから、おそらく戦後の日本の軍備の負担の軽さと相まって、他の西洋先進諸国に比べて日本経済の発展に有利に作用したと思います。その日本がこれまで享受してきた利点がこれから次第に減ってくるということが、ここでの問題であります。

日本の社会保障水準が、先進国の国際的比較の中で低いということが、これまでたびたび強調されてまいりました。日本の社会保障関係総費用のGNPに占める割合は、一九七五年まで一〇%未満であり、一九八〇年でも、なお一二%にとどまっております。これはスエーデンや西ドイツが、すでに三〇%台に達しているのと比べては勿論のこと、大部分の西ヨーロッパ諸国は二〇%台でありますから、その負担に比べて非常に低いわけで、そのゆえに日本は、しばしば国際的な場で非難されてまいりました。それはちょうど日本が、低賃金で、安く物をつくってダンピングして輸出しているということを、かつて言われたのと似た意味で、日本は非常に経済的に高水準に達しているのに、国内でやるべきことをやっていなくて、成長のほうにばかり力を注いでいるというようなことであります。しかし、人口構成の高齢化の度合が、先進諸国よりも低かったということを考慮に入れるならば、これはむしろ当然なことであったわけです。ハロルド・ウィレンスキーというアメリカの社会学者がおりますが、この人が『福祉国家と平等性』(Welfare State and Equality)という著書の中で、つぎのような分析をしております。主要な世界六十カ国について国連データを使いまして、社会保障水準の対GNP比率を規定している要因は何であるか、ということをパスモデル(path model)という手法――これは逐次的(recursive)回帰分析の方法なのですが――を使って分析した結果によりますと、一国の豊かさ、つまり、一人当たりGNP であらわされた豊かさの水準と、社会保障支出がGNPの中に占める比率とは高い相関関係にあることは事実であるけれども、しかし因果関係として考えますと、一人当たりGNP水準が高いということが、社会保障の水準が高いということの原因であるということは言えない。そうではなくて、この両者の中間に人口構成の高齢化の度合という要因が入ってまいりまして、この変数が豊かさの水準と、社会保障の水準とをつなぐ媒介の役目をしております。ということは、つまり豊かになっていくにつれて、まず、人口構成の高齢化が起こる、そしてその高齢化が社会保障水準を高める。因果関係は、こういうふうになっているというのですね。そういたしますと、日本のように後発産業国であったがゆえに、西洋諸国に比べて豊かさの度合はほぼ同水準と言っていいぐらい高くなったのに対して、なお高齢化の度合は、それらの諸国に比べると同じようには高くなっていないという国の場合には、中間に入っております人口高齢化の度合という変数があまり高くないわけですから、社会保障水準の大きさを直接規定する変数としてのこの媒介変数がまだそれほど高くなっていなければ、社会保障水準の低いのは因果的に考えてこれはあたりまえと言うことになるわけです。

一人当たりGNPの水準が高くなることが人口高齢化をひきおこすというのは、これは因果関係的に見て十分うなずけることです。つまり、豊かになることによって食生活が改善される、あるいは医療が普及する、公衆衛生の状態も改善が進む、ということによりまして人間の寿命が延びる。他方、生活向上欲求というようなものが非常に高まりますので、子供を産むことを制限することが普及するというわけで、寿命が延長すると同時に、一方では出産率が下がる。この両方の作用で、人口高齢化が高まるということですが、人口高齢化が高まることと、社会保障水準が高まることとの間の因果関係はそれではどう説明されるか。社会学のほうで、機能主義理論という名前で呼ばれている考え方と、コンフリクト理論という名前で呼ばれている考え方と、この二つが社会保障水準の上昇を説明するのに異なった見解を示しているのです。コンフリクト論者のほうは、たとえば、イギリスのT・H・マーシャルが展開した「社会権」の理論というのが一つの例であります。それによれば、民主化の度合が高まると人々の権利意識が増大する。ところで権利の一番最初の段階は、法の下にすべての人が平等であるという要求、これがT・H・マーシャルのいう、シビル・ライト――市民権です。それからもう少し進むと、今度は政治的機会の平等を求めるようになる。たとえば、選挙権がすべての国民に与えられるというようなことですね。これをポリティカル・ライト――政治権と呼ぶ。さらにもう一段進むと、今度は単に政治的機会の平等だけでは我慢できなくて、生活の実質的な平等化を求めるようになる。これがソーシャル・ライト――社会権というわけです。そしてたとえば、労働組合とか、あるいは様々な圧力団体が政府に対して権利要求の運動を開始するがゆえに、いわば支配階級が譲歩して、その譲歩の産物が福祉国家であると、そういう説明ですね。これが社会学のほうでコンフリクト・セオリーによる説明というふうに言われているものです。労働党政権下でのイギリスの社会保障の理論的な支柱になりました学者、たとえば、いまのマーシャルもそうですし、社会政策の専門家ティトマスもそうですが、それらの人々は大体この陣営に属します。この説明では、要するに社会保障はコンフリクトにもとづく力関係の産物だということですから、GNPや人口構成の高齢化による因果的説明は視野に入っていないといわなければなりません。

これに対して、もう一つ機能主義学派というのがあります。私はどちらかというとそちらのほうに近い考え方をしているわけですが、これが社会保障の問題に適用された時にこの問題をどう説明するかと申しますと、人口構成が高齢化してくるということは、社会全体として高齢者をどういうふうに処遇するかという問題を、当該社会が課題として抱えこんだことになる。そしてこれは、決して国民の一部の人々の問題ではなくて、高齢ということは誰にも確実にやってくることでありますから、国民全体の問題である。そういうことになれば、その人々が老後にどういうふうにして生活を立てるかという問題は、その社会システム全体としての、いわば機能的に課せられた課題である。ですから、第一の説明が権力関係、そして支配階級の譲歩という説明方式をとるのに対して、第二の説明方式は、社会システムが機能的に要請された課題であるからそれの解決を実現することのできる政策を導入せざるを得ない、そういう説明方式をとる。一つの社会制度というものは、それが機能的に必要とされることによって形成される。したがって、必要は発明の母と申しますけれども、ある一つの制度が他の一つの制度に変動していくということは、その社会システムの置かれている状態が変化して、そのことがシステムの機能的要件をつくり出し、それを解決する方向に制度が変動することを余儀なくさせると、そういう説明の方式をとるわけです。私は、日本における国際的な水準から見た社会保障水準の従来の低さというのは、後者の考え方――機能主義的な考え方に立つときに最も適切に説明され得ると思います。つまりそれは高齢化の度合がまだ先進諸国より低いから、社会保障水準が低くても機能的に済んできた。コンフリクト理論的にいうと、日本の社会保障水準が低いのは日本の政治がけしからん、つまり、日本の支配階級がそういう譲歩の仕方が足りないから、あるいは労働者階級の力が足りないから、日本ではまだ社会保障水準が低いと、そういう説明方式になるわけだと思いますが、ウィレンスキーの上述の分析は、私はかなりよく機能主義的な説明方式が、この問題については適合するということをデータで示したものである、と言うことができるのではないかと考えます。しかし、そのことは逆に言えば、今後日本がこれまで享受してきた利点が消滅していけば、日本もまた欧米諸国と同じ社会保障水準を機能的に要求されることになるわけで、機能主義的な説明から言えば、それを逃れる方法はない。勿論何かそれ以外にオルタナティブな適切な制度的工夫が発明されれば(機能主義理論ではこれを「機能的等価項目」といいます)別ですが、もしそういうものが適切になされない限り、やはり西欧諸国で――アメリカはちょっとまた特殊なのですけれども――ヨーロッパ諸国がこれまでやってきた道をやはりたどらなくちゃいけないということを、示唆することになるのではないかと思うのです。

なおウィレンスキーの分析の中で興味があるのはアメリカの場合ですけれども、アメリカは、日本ほど低くはないけれども、日本と並んで社会保障水準が西ヨーロッパ諸国よりも低い国です。ウィレンスキーは、それを説明するのにいろんな政治的な状況、あるいはイデオロギー的な状況のことを持ち出しまして、アメリカ人は、西ヨーロッパ諸国のように揺籠から墓場まで、というような社会保障水準が完備することを求めることを好まない、それよりも伝統的にアメリカ人が共通に持ってきたイデオロギーというのは、自助の精神ということであって、アメリカ人は、西ヨーロッパ諸国のような制度は好まないという議論を展開しています(Wilensky & Lebeaux,Industrial Society and Social Welfare)。それからもう一つ、西ヨーロッパ諸国で社会保障水準が高まったのは、イギリスの労働党、あるいは西ドイツの社民党などが非常に適切な例ですけれども、大体、社会主義政党、民主社会主義的な政党が政権を取ったときに、それを強力に推進したからである。ところが、アメリカには社会主義的な政党がありませんので、そのことも多分関係しているのだろうというようなことも述べております。しかし、アメリカが社会保障水準がそれほど高くなくて済んできた重要な理由は、西ヨーロッパ諸国よりも、アメリカの人口構成の高齢化の度合がまだ低いということが、私はやはり一番大きいのではないかと思うのです。これは先ほど申しました、機能主義的な説明に適合するわけです。どちらかというと、イデオロギー的な理由や、政党政治の状況などをあげるのは、コンフリクト・セオリー的な説明だと思います。私は、勿論その説明が間違っていると言うつもりはありません。すべての社会事象は政治的なパワーというものを抜きにしては考えられませんので、それが勿論関係しているということを否定するのではありません。しかし、その政治的なパワーの高まりということも含めて、やはりその国のそのときの状況が、機能的に要求している必要性の度合というものと関連があるのではないかと思うわけであります。以上が第一の人口構成の高齢化という観点から見た転機でございます。

        二

第二に私が申し上げたいのは、親族団体の機能的縮小と解体という問題です。産業化というものが、親族団体すなわちキンシップ・グループの機能を次第に縮小させる。このことによって、伝統的な家父長制家族とか、日本の家制度や同族団組織とか、そういうものが次第に解体していくという問題に言及いたしますのは、社会学の産業化理論の定石でございます。この命題は、もっと広く申しますと、産業化が社会システムの機能分化を生み出すという命題の中に包摂されるというか、それの特殊ケースをなすものでありまして、これは十九世紀末の社会学説以来今日まで繰り返し言われてきたことであります。皆様ご存じの身分から契約へとか、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトヘとか、あるいは基礎社会から派生社会へとかいう表現は、いずれもそういう趨勢を述べたものでございます。未開社会におきましては、親族団体というものは殆ど唯一の社会構造の構成要素であります。したがって、未開社会を研究している人類学者が社会構造というときには、それは殆ど親族団体の構成要素のことだけをさすわけです。つまり親族組織――キンシップ・オーガニゼーションというものと、社会構造というものとは未開社会においては事実上同義であるわけです。ところが、近代社会におきまして社会構造の分析というときには、親族の分析だけしておったのでは勿論だめでありまして、政府とか、官庁とか、企業とか、学校とか、文化団体とか、要するに政治組織、経済組織、あるいは教育文化組織、そういういろんなものを包含しなければなりません。それはなぜかといえば、つまりそれだけ社会構造の機能分化が進んでいるからであるということになるわけです。その中にあって親族組織というのは勿論存続しつづけておりますけれども、しかし、それが占める場所は産業化以前の諸社会に比してはるかに小さく、影の薄いものになっているわけです。かつて親族組織が果していた機能は、政治機能は政府や自治体に、教育機能は学校に、生産機能は企業に移るというふうになりまして、今日の家族が果しております機能は、消費家計としての機能、夫と妻の間の性関係を通じての生殖的機能、それから育児と子供の社会化機能(それも学校がありますから全部ではありませんし、さらに幼稚園もこのごろは非常に進学率が高くなっておりますから、子供が家庭の中だけで社会化されるというのは、たかだか生まれてから三年ぐらいの間であるということになります)、それからもう一つ、職業生活における精神的・肉体的な緊張とか、疲労とかいうものを回復する場所としての機能(これは緊張処理機能といわれます)などに限られています。いま一応四つあげましたけれども、これはもちろんサラリーマンや労働者の家族のように、経営と家計が完全に分離している家族の場合です。今日でも自営業家族というのがありまして、それが占める比率は、日本の場合には欧米諸国よりもかなり高いわけですけれども、比率としては急速に減りつつありまして、したがって、経営と家計との分離というのは一貫して進んでいると、そういうことになるわけであります。

今日さらに次の段階が進みつつあるように私は思います。それは女性の就業比率が高まる傾向で、これは先進諸国に共通の傾向でございます。そういうふうになってきますと、僅かに残った家族の機能の中から、さらに育児機能は保育所に出すとか、洗濯や食事さえも外注に委ねるようになるとかいうふうになってまいりまして、家族の機能というものがより一層縮小してくることになるわけです。

さて、家族を含む親族組織のことを考えてみますと、一世代ないし二世代さかのぼりますと、日本人の大部分は農家に帰着いたしますが、それらの農村家族は、家計と経営が未分離で、大体直系家族(三世代家族)、あるいは複合家族(傍系親族を含むもの)でありました。家計と経営が未分離でしたから、そうであることによって労働力が確保され、機能的に適合的であったのです。それに対して現在は、全世帯のほぼ四分の三――七五%は核家族、つまり夫婦と未婚の子供だけからなる家族であります。核家族というのは、いわばかつての直系家族や複合家族が次第に分解した後の残存物であるというふうに見ることができます。戦後の日本におきまして、核家族の比重は案外高くなっていないというふうに指摘する人がありますけれども、それは戦後、特に一九五五年以後、単独世帯の比率がかなり急速に高まってきたことによるのです。この単独世帯の増加ということ自体、親族組織の解体化傾向の非常に顕著なあらわれの一つです。すなわち、老後に子供が独立したあとの夫婦の死別、それから離婚にともなう家族の解体、さらに地理的移動にともなう家族成員のやむをえざる分離(夫の単身赴任や子供の都市就学など)などが、単独世帯の原因です。この単独世帯が、一九五五年から一九七五年までの二十年間に、三・四%から一三・五%にふえ、そして核家族の比率は、一九五五年六〇・六%から一九七五年六三・九%にふえている。これだと核家族は僅か三%ちょっとしか増えていないようにみえます。しかし、単身者世帯を除いて計算しますと、核家族比率は一九五五年の六三・一%から一九七五年七四%まで、この二十年間に一〇%以上伸びているわけでして、これはやはり構造変動として非常に大きいというふうに言わなければならないと思います。

それに加えて、核家族を包んでいる親族団体というのが急速に解体化に向っている。戦後、農村人口が非常に急速に減りました。この減少というのは、人口の地理的移動、つまり親族が地理的に離れ離れになるということが以前に比べてはるかに増えたわけです。農業というものは土地の上に根をおろした活動形態ですから、農村共同体というものが持続している間は、親族団体というものは世代の交代が進行していってもばらばらにならずに保たれてきたわけですけれども、都市化が進んでくるにしたがいまして急速に地理的移動が進むわけです。それだけではなくて階層間移動というようなものも進むわけです。そうすると親族が相互に地理的に別れ別れになる。それから職業も非常に多様化し、階層的地位が多様化するというふうになりまして、かつて親族が長い間保持して来た相互扶助機能というようなものが、事実上殆ど成り立たなくなってしまうわけであります。親族が会うのは冠婚葬祭のときぐらいということで、実質的に親族組織が何らかの機能を分担しているということが言えなくなってくるわけです。これに加えて先程申しました女性の有業化という度合が進んで参りますと、職業生活に要求される地理的移動というものが、核家族の中にまで容赦なく入り込んでくることを避けがたいわけです。すなわち、夫と妻のどちらか一方が転勤しなければならなくなることによって、核家族がいっしょに住むことができなくなるわけですね。もし多数の女性が独立の職業生活を持つことを欲し、そして家庭生活よりもそれを優先させて考えるということになりますとそういうことがより頻繁に起こらざるを得なくなってくると私は思うのです。特に女性が男性と対等に仕事をやっていくということを固執すればするほど、転勤を拒否することは出来にくくなってきます。つまり、かつて親族を離れ離れにしたと同じ要因が、今度は核家族の中にまで入ってくるという現象が生ずると思います。勿論女性の有業化が一〇〇%進むだろうとは思いませんけれども、ある程度そういうことになることは避けがたい。

それから欧米諸国では文字通りの核家族の分解、つまり離婚率が高まって、それが非常に大きな社会問題になっているわけです。日本ではそういう諸国と比べますと離婚率の水準ははるかに低いわけですけれども、それでも一九六〇年代の後半ぐらいから離婚率は徐々に上がってきております。戦前は離婚率はもっと高かった。しかし当時は直系家族の比率がもっと高かったし家制度があったわけですから、離婚が直ちに家族の離散になるということはなくて済んでいたケースが多かったのですけれども、核家族が支配的になって参りますと、離婚ということは直ちに家族メンバーの完全な離散という結果をもたらさざるを得ないわけで、つまり先程の単身者世帯というのが増えてくるわけです。それから、先程から申しております高齢化社会問題との関連で申しますと、核家族世帯の一番弱い点は、夫婦の一方が死別した段階で家族機能に非常に大きな支障を生ずるということでありまして、実は先程申しました単身者世帯のかなり急速な増加、特に一九六〇年代以降非常に増加が急激ですけれども、その増加は、つまりそういう死別した一方の配偶者が子供と同居しないために生じている単身者世帯なのであります。日本はそれでも核家族化の比率が主要諸国よりもなお低いわけです。これはやはり先程の後発産業社会であるということによって説明される度合が高いと私は思っているのですが、かなり多くの論者はそういうふうにおっしゃいません。すなわち、家制度というものは西洋にない伝統的な日本独特の美風である。そうであるが故に日本では子供夫婦と同居している高齢者の比率が非常に高く、そしてその状態は今後とも持続すると、そういうふうに言われます。そして先程ちょっと触れましたいわゆる日本的福祉国家という構想は、そのことに出発点をおきまして、日本では伝統的な家族制度の美風があるから、子供夫婦が親の面倒をみるという度合が西洋諸国よりもずっと高い。したがって親族内の自助というものによって高齢者問題を解決する能力が日本の社会は高い。だから日本では社会保障水準を西洋並みにしなくてもやっていけると、こういうのがいわゆる日本型福祉国家といわれている提案であります。

しかし、私が疑問に思いますことは、先程言いましたように、核家族化が一貫した速度で進んでおり、他方単身者世帯というものが増えている。この傾向は今後も続くであろうというふうに考えますと、親族団体の機能縮小と解体という産業化の普遍的インパクトを日本だけが免れるというふうに論ずることの出来る根拠は、私は少ないのではないかと思うのです。

二、三年前に亡くなられました有賀喜左衛門さんという方の『日本家族制度と小作制度』という本があります。有賀さんはこの本の中でつぎのような主張をなさったわけです。すなわち、同族団と呼ばれる家と家との連合体、これは親族組織の一つの形態でありますけれども、それは日本に固有のものである。それは徳川時代はおろか、日本の古代国家の時期からずっと一貫して継続している。だから産業化が進んでもそういうものは解体しないで持続する。そうして日本の企業における、たとえば従業員の企業に対する高い忠誠心とか、あるいは終身雇用制とか、官庁におけるいわゆる学閥とか、政党における派閥とか、そういうものはみな同族団の変形である。親族組織というものはそういうように形を変えて日本社会の隅々にまで浸透しており、これは日本の国民性である。そういう国民性にまでなったものが簡単に解消するはずはない。したがって日本における親族組織というものは解体しないと、そういうふうに主張されました。あるいは最近私の大学の同僚であり友人である村上泰亮、公文俊平、佐藤誠三郎三氏が『文明としての家社会』という大きな本を書かれまして、日本が「イエ社会」であるという特性は鎌倉時代から今日まで一貫していると主張されました。有賀さんとの違いは、有賀さんが古代社会までさかのぼったのに対し、武家社会がその家社会の上限になっていることですが、両者は共通に、明治維新や戦後改革や、そういうさまざまな社会変革にもかかわらずそれは日本社会に固有の特性でありつづけていると、そういうふうに主張しておられます。もしそうであるなら、私の言う産業社会の転機ということ、それから日本がイギリス病みたいになるというような心配は全然なくて、日本はこれまで享受してきた利点を今後とも維持し得る、めでたしめでたしということになると思うのです。またそういう論調の方が日本でははるかに優勢でありまして、私のようなことを言う人はあまりおりません。しかし私は、やはり産業社会、産業化の普遍的な傾向としての親族組織の機能縮小と解体ということが、日本でだけ例外であり得るということを疑問に思います。

多くの家社会論者は日本と西洋とを比較するのに、日本が後発産業国であるという基本的な事実を――おそらくその時だけ――見落して、そして産業化の発展段階の違う日本と西ヨーロッパの諸社会を横に並べて比較しているのだと思うのです。日本は西洋諸国よりも――西洋諸国も国によって早い遅いはありましたけれども――大ざっぱに言って百年近く産業化の出発点が遅かったわけですから、いまはほぼ追いついたとはいっても、やはり農業社会との時間的距離というものがそれだけ近いわけです。産業化とこれにともなう社会変動というのは一挙に起こるものではありませんので先程の人口高齢化の場合と同じく、日本は経済的水準において西洋諸国に追いついたけれども、親族団体の機能縮小と解体に関して、勿論その過程は一貫して進んできたのではありますけれども、まだその度合が西洋諸国よりも低い。しかしそれは日本的特性というよりも、後発産業国としての特性である。家制度の若干の特性、たとえば養子制度などは日本の特性ですけれども、家制度そのものはもっと普遍的な社会制度でありまして、西洋諸国においても産業化する前の段階におきましては農業社会であり、そこでは親族組織の機能が大きく、そして家族は直系家族であったわけです。親族組織の機能縮小と解体というのは西洋諸国でつくられた学説です。日本の家制度に西洋の親族組織と多少違った特性がいくつかあるにせよ、基本的に直系家族、場合によっては、複合家族が支配的な段階から核家族が支配的な段階へ移行するということ、それからその家族を親族組織がいわば包んできたそういう状態からしだいに親族が地理的移動や階層的移動のために解体して家族が孤立化する傾向、これは西洋諸国でも日本でも一貫して進んできた共通の普遍的変動傾向です。日本で三世代家族の形態が戦後の民法改正にもかかわらず残存している度合が西洋諸国よりも高いことは事実ですが、それはまだ農業社会からの時間的な距離が短いためであります。しかし、それでも戦後四十年近くを経て、先程申しましたように、現在では随分核家族化が進んでいるわけですから、これを今後何十年というような比較的長期の時間的視野で見る限り、やはり日本の家制度、あるいはもっと一般的に言って親族組織というものは、今後現在よりもずっと解体が進んでいくというふうに考えざるを得ないわけです。

ドイツでは、第二次大戦後の西ドイツの社会学を主導してかつての思弁的・歴史哲学的な社会学を実証研究中心の社会学に切りかえた中心人物ヘルムート・シェルスキーという人が、『現代ドイツ家族の変動』(Wandlungen der deutschen Familie in der Gegenwart)というたいへん大きな主著を書きましたが、この本の主題が、第二次大戦後の西ドイツにおける伝統的な家族形態の崩壊過程を実証的に分析することでありました。西ドイツの家族の形態というのは、戦前の日本と同様に親族の組織が発達しておりまして、これがいわゆる家父長制家族という形をとっていた。ところが、戦中および戦後の混乱、戦争への動員による家族の解体、とくに戦後東西ドイツが分離いたしまして、東ドイツから大量の難民が西ドイツに流入してきたというようなことから、伝統的に形成されてきた農村共同体や、親族のシステムというものがすっかりこわれてしまった。そこへ日本と同じように都市化の波が加わりまして、伝統的な親族組織の形態というものが急速に機能を停止するようになってまいりまして、家族の孤立化および解体という現象が起こってきたと、そういう経過をシェルスキーは分析したのです。私は、日本において家制度、家族制度というものが崩壊していく過程を論証する研究よりも、日本はイエ社会でありつづけるという趣旨の議論が優位していることに疑問を感じます。確かに日本にはイエがまだ存続している面があるわけで、それは農業社会からの日本の時間的距離がまだ浅いから不思議はないのですけれども、しかし、シェルスキーがドイツでやったような解体化過程に焦点を当てた分析というものが、もっと必要なのではないかと私は思うのです。そうだとしますと、まさにこれから産業社会の転機が起ころうとしているときに、すなわち人口構成の高齢化からいっても、それから核家族及び単身者家族の増大といういわば親族組織の解体からいっても、まさに問題がこれから始まろうとしているときに、「日本的」福祉社会というようなものを考えることが、果して現実適合的でありうるのかどうか私はたいへん疑問に思います。勿論急激な人口の高齢化が社会保障制度の財政を今後急速に圧迫していくということを考えますと、そういうものに頼りたくなる理由は大変よくわかるのですけれども、社会学者としてはやはり社会構造の変動の方向というものをちゃんと見詰めて、それを基礎に議論を組み立てる必要があるということをいわなければなりません。

        三

最後に、三番目の産業社会の転機といたしまして、価値観の変化という問題を取り上げたいと思います。価値観というものは大変とらえにくいものですし、また人間の意識というものは――人口構成の変化や親族集団の解体もそうですが――必ずしも何かある時点で一挙に集中的に起こるという性質のものではありません。人間の価値観の形成というのは、青春期に行なわれてそのあとは一生を通じて徐々に変化をするにとどまるもので、一度形成されたものはそう急速には変わりません。しかし戦後の日本のように変動のはげしい社会では、価値観というものはかなり顕著にコーホートによる――コーホートというのは同時出生集団をさす人口学上の用語です――いわば縞模様をえがいているのが特徴です。世論調査などで意見の違いの変化を説明するのに、年齢という説明変数が非常に説明力をもつということは、世論調査データを分析した者はみんな経験するんですけれども、この事実は日本における価値観が世代によって違うことを示しています。したがって、個々人の価値観はそう大きくは変わらないとしても、世代交代によって社会全体としての価値観が変わっていくということが起こりつつあると思うのです。この、一挙にとは言えないが世代とともに徐々に変わっていく価値変化というのはなぜ起こるか、私は三つほどの要因をあげたいと思います。

一つは、先ほど申しました農業社会から次第に遠ざかっていくこと、すなわち職業的・地域的・生活様式的都市化ということが大きいと思います。私達が戦後十年ごとに行ってまいりました社会階層についての全国調査の結果によりますと、昭和三十年現在では、二十歳から六十九歳までの調査対象になった世代のお父さんにさかのぼりますと、五三・三%が農民でありました。昭和五十年の調査、これはすべての人々がそれから二十歳としをとった後であるわけですけれども、同じく二十歳から六十九歳までの世代のお父さんの戦業は、四三%が農民でありました。したがって、この二十年間に農民の父を持つ人が、ほぼ一〇%減ったということになるわけです。昭和三十年代から四十年代にかけての高度経済成長で、非常に急速に――ほぼ四〇%から一三%にまで――日本の農業人口が減りました。このことを考えますと、今後農民を父に持たない、つまり農業生活というものと、もはや縁のない世代が急速に増えていくと思います。これは多分日本人のパーソナリティーに大きな変化を与えるのじゃないか、すでに与えつつあるのではないかと思います。つまり農民的なパーソナリティーが失われていくということです。農民的パーソナリティーとはこういうものだといってその諸特性を列挙することは、一般的にはなかなかむずかしいと思いますけれども、たとえば、自然順応的――農民というものは、自然的な条件に抗することはできませんから辛抱強く待つという、そういうパーソナリティーを必要とします――であっていわば受動的、静態的でありました。それに対して農業を知らない世代というのは、よく言えば積極的、能動的、悪く言えば着実さがない、そういう特性を持っていくのじゃないかと思います。それから、鈴木元首相のキャッチフレーズもそうでしたけれども、日本人は和の精神を尊ぶ、これは不変の日本的特性だと言う人が多いのですけれどもこれも農民的パーソナリティーの産物であるように思われ、必ずしも世界の中で日本人にのみ特有のことであるというわけではないと考えられます。西洋諸国も農業社会の段階では、やはり基本的に同じことが言えたのではないかと私は思うのですが、それはともかくとして、灌漑用水などの特に米作の特性として和の精神がとりわけ重要だということは確かだと思います。それが日本人のパーソナリティーの基本的な特徴であったということは否定できないと思いますが、そういうものがもっと個人主義的なものに変わっていくであろうと思われるのです。近代産業社会というのは非常に激しい競争社会でありますから、そうである以上、やっぱり個人主義的になっていくという傾向は避けられないのじゃないか。それから日本人の勤勉精神というのは、多分に農業によって培われたと思います。ほんらい農業というのは一種の禁欲を必要とします。すなわち耕してから実るまでに時間がかかるわけで、それを人間が早めるということはできないわけです。ところが、今日ビニール栽培の普及などによって、季節はすっかり変わってしまいましたし、自然がもっていた作物のサイクルがなくなりつつあります。そういうこともやっぱり労働に対する人間の考え方というものを変えていくのではなかろうか。まあ日本人の勤勉精神が一挙に失われるとまでは思いませんけれども、朝早くから夜遅くまで土曜、日曜も働くという農民はもういなくなりつつあるわけでして、やはり余暇を享受しながら限定的な勤勉という方向に非常に急速に変わるのではないかと思います。日本に来たある外国人が話していたんですけれども、日本では企業の人達が与えられた休暇をほとんど消化しないと聞いてきた。つまり日本人というのは働きバチで、権利としてとれる休暇もとらずに働いていると聞いてきたけれども、飛行機で隣り合わせた会社の人に聞いたら、若い人はちゃんととっているというといっていた。聞いてきたこととずいぶん違うじゃないかと感じたということを言っておりましたけれども、私は日本人の価値観は世代によって非常に顕著に違うのだと言ったら、彼は納得しておりましたが、そういう変化というのはやはり避けられない。

つぎに二番目の要因は、高学歴化ということ、これが大きな効果を持つと思います。高学歴化というのは、いわば知識水準の平準化を意味するわけで、いってみれば非常に大量の中間知識層というものが生み出されるわけです。さきほどのシェルスキーも西ドイツについて、「平準化した中間層社会」(nivellierte Mittelstandsgesellsdiaft)という特色づけをしています。この中間化された知識層は私は合理的側面と非合理的側面と両方を持つのじゃないかと思うのです。合理的な側面というのは、高い教育を受けておりますから、自分自身の判断をちゃんと持っており、自己主張を持ち、個人意識を明確に持っている。そういう人々が増えるということで、個人主義化、あるいは功利主義化と言ってもいいかと思いますが、そういう面が強まる。もう一つは非合理的な側面でありまして、これは都市化に伴う集団的拘束の希薄化が進むと私は思うのです。先ほどの親族集団の機能縮小と解体というのもそういうことに関連いたしますが、日本は親族組織とかそういうものが発達していた結果、非常に相互的なコントロールが密に行われていた社会であったことを特徴としていましたけれども、そういう特性がだんだん失われて、統制力の弱体化が起こるのではないか、したがって、また集団に対する忠誠心というようなものも弱まっていくのではないかということが考えられます。

三番目は、何といっても豊かさがもたらす効果です。マックスウエーバーがご承知の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本のおしまいのところで有名な言葉を書いておりまして、西洋の資本主義の精神の基盤であった禁欲的プロテスタンティズムというのは、まさに資本主義そのものの成功によって今日解体しつつあるというのです。そして彼は、もはや今日あるものは精神なき専門人だけであるというようなことを書いておりますが、近年アメリカのダニエルベルという社会学者が、そのことを資本主義の文化的矛盾という非常に巧みな言葉で表現しました。すなわち、資本主義の母体となった文化的な基盤を資本主義の成功自体が壊していくということですね。シュンペーターもかつて『資本主義・社会主義・民主主義』の中で似たようなことを書いたと私は記憶しておりますが、そういう点でも、日本人の精神的勤勉さが生み出した高度成長、それが今度は逆に豊かさの成功のゆえに日本人の精神的勤勉さというものを失わせる方向に作用するのではないかという心配があるわけであります。

第三番目の意識のところはきわめて不十分なことしかいえず申しわけございませんでしたが、私は三つの面、つまり人ロ構成の高齢化、親族団体の機能的縮小と解体、それから価値観の変化という三つの面から、これまで日本が享受してきた後発産業国としての利点を現在失いつつあるのではないか、それは今日かなり急速に進行しつつあるのではないかということを申したわけであります。

ではどうすればいいか、これについて処方箋を提示する用意はいまの私にはありません。私は取りあえず現状分析をしたわけで、インダストリアリズムの普遍的な論理というものが、やはり日本にも当てはまるのではないかというごく平凡なことを申したにすぎません。勿論、たとえば個々の企業において、すぐれた経営管理の方式によって企業に対する忠誠心をつなぎとめるとか、あるいは勤勉の精神を昂揚するとか、そういうことは可能であると思いますし、またそういう努力は必要であると思います。そういう形で日本社会が現在まで享受してきた利点をなるべく失われないように保持するということの意義を私はすこしも否定するものではありません。しかし、長期的に観察をし、それに理論的な解釈を加えて物事を法則的に考える社会学的な思考の立場から申しますと、そういう利点がやはり長期的に失われていくということをどうしようもないのではないか、というネガティブな結論になりますが、それが私の申し上げたかったことでございます。大変長くご清聴ありがとうございました。

(東京大学教授・東大・社会博・昭30)

(本稿は昭和57年11月10日夕食会における講演要旨であります)