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哲学の新しい学問領域について 今道 友信 No.748(昭和55年7月)

     
哲学の新しい学問領域について
今道 友信
(東京大学教授)
No.748(昭和55年7月)号

   (1) 国際哲学会での仕事
 1970年から6年間、私は国際哲学会の研究開発ディレクターといふ仕事をした。主な仕事内容は(1)国際共同研究にふさはしい課題を開発すること、(2)国際会議の新しい統一テーマを探索すること、(3)国際会議、雑誌論文、著書等を通覧して、国際的なレヴェルで将来大器となるやうな若い学者を見つけ出し、選びぬいて、国際会議などに招待するなどして、その才能を育成開発すること、(4)新しい研究領域を開発すること、などである。私の前にこの仕事をしてゐた人は、ポウル・リクール氏であり、そのもう1つ前は、ルイヂ・パレイゾン氏であつた。そして、それら2氏の時も、また、私が担当した時も、常に変はらず、この仕事を最も大切なものとして、支援を惜しまず、忠告を続けた学者は、長く国際哲学会の会長を続けたレイモンド・クリバンスキイ氏であり、また、側面から力をかしてゐたのは、エルネスト・グラッシ氏、故人となつたエティエンヌ・スーリオー氏であつた。現在その仕事を誰がしてゐるかは言はないことになつてゐる。余計なへつらひやねたみなどをさけるためである。私が最も力を尽くしたのは、(3)の若い優秀な哲学者の発見と援助であり、これは私は国際的に意味のある仕事であつたとともに、世代際的にも意味が大きかつたと思ふ。今、しかし、ここに誌したいのは、その(4)の哲学の新しい研究開発に関することである。それは2つあつて、ひとつは既存の部門の推進であり、ひとつは新しい部門の開発である。私は、日本の中村元教授やアメリカのムーア教授、イランの井筒俊彦教授(現在日本在住)、イスラエルのカプラン教授などが、それぞれの拠点で仕事を積み上げてゐる哲学の比較研究(比較哲学)をひとつの国際研究課題にしてはどうかと考へて、主としてオクスフォード及びマッギルの前記クリバンスキイ教授、シカゴのマッキーオン教授、パリのド・ガンディヤック教授の支持をえて、1972年の夏から、この課題を国際哲学会議の常設テーマのひとつにすることにした。そして、その翌年、私の所属する研究室(東京大学文学部美学芸術学研究室)が哲学及び美学の比較研究国際センターに指定せられ、毎年国際的な協力のもとに注目すべき論文の掲載せられてゐる欧文年報を発行し、必ず2年に1度、小規模ではあるが国際研究集会を開いてゐる。その第1回目は1975年の国際美学集会であり、第2回目は1977年の国際哲学教育集会、第3回目は1979年の国際比較哲学集会であり、第1回及び第3回は東京で開き、第2回は場所をパリに借りて行つた。いづれも参加者を20名前後に絞つて連日討論を中心として進めて行つたため、殊に第3回の比較哲学の国際集会は、主な参加者たちから、従来のどの国際会議よりも内容豊富であり、密度が高かつたと言はれたが、私も多分さうであらうと心ひそかに思つてゐた。私は、哲学の比較研究には自らの学的業績は乏しい者であるが、比較研究を国際共同研究の場に開いてゆき、従来の、ともすれば方法論的に学問の名に価ひしないやうな発言の横行に対して、方法論の確立をめぐつて論戦が出て来るやうにしたことは、よいことであつた、と思ふ。右の第3回の集会に我が国でこの方面の開拓者であり、権威でもある中村元、大江精三の両長老教授が御多忙や御病気をおして出席されたことは、まさしく錦上花を添へたものであつた。またこの方面の国内の元締めをしてゐる早大の峰島旭雄教授が多忙なスケジュールの合間に出席されたことも力強いことであつた。そして、とにかく哲学の比較研究は、ヴァルナでもデュッセルドルフでも、国際哲学会の重要な一分科会を形成した。

   (2) eco-ethica
 ところで、私が、ここで特に述べようといふのは、右のやうな既存の部門の推進ではなく、全く新しい部門の創設と言ふか、開拓である。私は1972年のヴァルナでの国際哲学会では委員会を代表して冒頭講演を行ふ名誉を得たが、その席上、年来の論敵であるエイヤー教授の反論に対し、形而上学的思索が決して退行的なものではなく、例へば、eco-ethica(生圏道徳学)、またmelatechnica(技而上学)などを生む所以を説き、これら新しい学問領域が哲学にとつて必要であることを話した。この2つの新しい学問領域の提唱は、同時に、新しい学科(disciplina)の提唱ともとられ、1973年アムステルダムで開かれた20人会議は、「eco-ethicaと芸術」を主題のひとつとして5日間にわたつて討論が続き、eco-ethicaについて国際研究プロヂェクトが組まれ、差しあたり私がディレクターとなつて10年の研究計画が立てられた。それはどのやうな学問なのか、について簡単に説明を試みたい。

 従来の倫理学(ethica)は、人間相互の関係としての行為の事実やそこに於ける規範的価値としての徳目の基礎づけや系譜を明らかにすることを主題としてゐる。それはそれで大事な学問であるが、現代の状況に立つて問題を立てるとき、3つの大きな欠点がある。そのひとつは、(a)従来の倫理学は人を自然の中に於いて考へてゐて、技術聯関が人間の環境となつてゐることを無視してゐる。次ぎに、(b)新しい徳目の事実上の誕生、古い徳目の事実上の衰退についての反省が不足してゐる。ここに人間の価値環境が変はつて来てゐることへの無視がある。そして第3に(c)人間相互の関係としてのみ行為が考へられてゐるが、事物に対する人間の行為といふものも考へられる。ここに於いても、人間の環境には文化があるといふことを、従来の倫理学は無視してゐる。これらは、3つとも、人間の生活圏の変化増大に伴ふ生態論(ecologia)的省察を倫理学(ethica)と結びつけることによつて矯正せられ、更に新たな思索地平を拓きうることを予想せしめるものではないか。そこで、人間の生圏に注目した倫理学としてeco-ethica(生圏道徳学)といふものを樹立してみよう、といふことになる。そこで、右の3つの環境に即して、eco-ethicaがいかなるものであるかを、具体的に説明してゆきたい。

   (3) 環境としての技術聯関に於ける行為
 自然の中に生きてゐる人間は、自然の猛威に対して自己を守る手段を求めたり、自然の所産を更に増大せしめようとする技術を求めて、苦心する。従つて、自然環境に於ける人間の行為の一切の最も普遍的形式としての実践的思考は、次ぎのやうな定式の三段論法で表記される。
大前提[、、、]=自然を超越したい(具体的には米の増産が望ましい、とか、山を隔てた隣村に山を越えずに行きたい、など)
小前提[、、、]=この手段を選べば、右の超越が可能であらう(具体的には、米の増産の為には、従来の何倍も働いて山地を水田にする、或いは、土地を肥やすために薬を入れる、或いは、稲の品種を改良する等の手段を考へる。また、山の例では、隧道を掘る、或いは山を巡つて疏水を開く、或いは山を崩す、などの手段を考へる。そして、いづれにせよ、自然を超越するといふ目的に最も適合した有効な手段を選択し終つた時、そこから、

結論[、、]としての行為が始まる。行為とは、自然環境に於いては、それゆゑ、自明的に立てられた目的としての大前提が可能になるやうに小前提で選択された手段を練成してゆくことにほかならない。この場合、注意しておきたいことは、自然環境に於けるこのやうな行為の構造は、要するに人間がよく生きてゆくために、いろいろな願望をもつが、それが行為の自明的な目的となる。そして、その目的は所与の自然的条件を少しでも超越しようと言ふことであるから、自然の自然的超越(程度を向上さすこと)でもよいし、また、自然の超自然的超越(神との一致の如き宗教的希求)をも含みうる。そして、多くの場合、この願望は、個人の望みなのである。従つて、右の三段論法は、次ぎのやうに書き直すこともできる。
大前提[、、、]=私はAを目的として望む。
小前提[、、、]=p、q、r、s、t、uはAを可能ならしめる手段であらう。その中でpが最も効果的でかつ最も善い。
結論[、、]=ゆゑにpなる行為をする。

 これは周知のやうに、アリストテレースの『ニコマコス倫理学』の中にある古典的な実践三段論法の形式である。これは、これで、現代人の個人的決断の地平に於いて、極めて日常的に認められるものである。人間は今日でも自然に於いて生きてゐる面をもつてゐる以上、そのやうに自然環境の中で成立した行為構造が、人間の基本的なものとしてあることに変はりはない。しかし、このやうにして、手段行使としての行為が効果を増加するやうに努力の対象となるにつれ、技術は進歩を示して止まず、遂に今日の技術優位の世界をもたらした。技術聯関としての環境は、今日我々の生態を往昔のものとは全く異なつたものにしてゐる。我々は我々の共有財として強大な手段としての力を保有してゐる。例へば電力、例へば大資本、例へば原子力。そして、そのやうな強大な力としての手段は、我々の社会が行為をおこすときの自明的な前提なのである。そこで、現在の人間の行為構造を論理化すると次ぎのやうになる。
大前提[、、、]=我々には強力な力(手段)Pがある。
小前提[、、、]=このPにより、目的a、b、c、d、eが可能である。aが最も利益が大きい。
結論[、、]=ゆゑにPによりaを実現する。

 この場合、行為の選択は、自明的に認められてゐる事実としての此岸的な力によつて分析的に導出せしめられる幾つかの目的に関してである。それは、而も個人の責任を何処かに消去せしめるやうな委員会の倫理を要求するかの如く、常に、命題の主語が我々となつてゐる。これは、而も、この世的な力が可能にする物理的結果を導出する定式であつて、かくて、行為は徹頭徹尾複数の人格からなる人間集団の世俗的物理的性格からまぬかれえない。

 この定式を一般化すれば、
大前提=自然からえた技術(手段)がある
小前提=この技術の射程内の目的の選定
結論=世俗化の大事

 技術聯関に於ける行為は、このやうにして、構造的に人をして世俗化に傾斜せしめる。従つて、嘗て自然を超越せんとして技術が成立したやうに、よく生きるために、技術といふ環境に埋没せず、これを超越せんとする何ものかを、人間の生のために、生圏を顧慮した倫理学(eco-ethica)によつて掲げなくては、具体的な人間的生の向上はなく、技術環境の中に自己を適応させるもの(環境に適応するのみのものは動植物である)としての技術動物が成立してしまふ。それはニイチェの言ふ末人の類であらう。従つて、ここに於いて、人生を自然の原始状態から高め保つ技術を失はずに、しかも技術の中に埋没しない生き方を可能にし、人間を世俗化の方位のみに定着せしめないための倫理的超越を可能ならしめる方途を考へなくてはならない。それは、eco-ethicaの大きな課題である。

   (4) 人と徳の変貌
 技術聯関がもたらした文化現象として逸すべからざることは、技術的抽象といふ怖るべき現象である。それは、結果の空間的効果を抽象し、経過の時間的労苦を捨象することである。技術は時間的距離の極端な圧縮として、瞬時に顔望の事物を招来せしめる点に於いては、まさしくアラディンのラムプである。しかし、時間は意識の場として、人間実存の本拠であるから、その虚無化は、人間をして非人間化せしめる。人間は、ものを生産し創出する過程といふ時間の象面に於いて、個性的な思案を企てつつ、自らの顔を彫る存在であつた。今や、人間は多くの面に於いて、この自己の風貌を彫琢する時間を喪失した。かくて、人々は一様の浅薄な容貌に接近する。風雪に耐える必要のなかった人々には風雪に耐えた風格はない。それは外貌のことではない。まさしく、時間が刻印することを援けるあの内面の深みは、技術聯関の上を辷る如くに往還する才子の集団の中では、すでに無用の長物なのである。深みを喪ふ時、人は他人の苦悩を抱擁し、他人の立場を抱くゆとりを喪ふ。それゆゑ、見せかけの対話の中に、稔りのない言葉のやりとりが続き、一致点を求めて記号の一義性を採択する。かうして、経過の労苦の中に培かはれた忍耐も同情も相談も消え去り、そこには結果を算定する記号による序列と連帯を強調する昂奮が要求される。技術聯関の中に生きるとき、すべての人はそのやうになることを強制されてしまふ。従つて、ここに旧来の道徳の衰退を以て人々を難ずる意味は乏しいと言はなくてはならない。例へば同情。自然のみが環境であつたとき、傷ついた人や病む人の患部に、同情にみちてやさしく手を当てることは、たしかに必要のことであつた。何故ならば、烈風が傷を吹き荒らすのを、やさしい手が手当てとなつたにちがひない。同情の不足した荒々しい手当ては、却つて傷を痛めたでもあらう。それゆゑ、やさしい同情は医すための手当てとして医者には絶対に必要であつた。しかし、今、この技術聯関の中では、同情のため涙で目をうるませ、注射の目盛りを見誤つてしまふやさしい医者よりは、患者の1人1人を何万円かの収入源と見て冷静に目盛りを見て誤たずに注射をうつ残酷な性絡の医者の方が遥かに役立つ。技術聯関の中では、内面的な徳としての同情よりも、機械を正確に操作する外面的な技倆の方が、他人にとって重要な徳になる。確かに、雨の夜など、この技術的な世界に於いては、親切で敬老の念に溢れはするが自動車の運転の出来ないために、自らは濡れそぼちつつ傘さしかけて駅のプラットフォームまで送つてくれる人の内面的な同情よりも、「小遣ひにタクシー代とまでは行かなくても300円位はくれるかい」などと言ひながら、面倒臭さうに自動車で駅の近くまで運び、降ろすや否や後をも見ずに駆け去つてしまふ人の外面的な技術の方が我々のためになることもあらう。ひとつの技術的操作を習得すること、正確性や精密性、非情性などといふ機械の属性に同化したやうなことこそが、技術聯関の中での人間の徳として要求されてゐる現実を見つめなくてはならない。

 このやうに見て来ると、自然の中のみに動いてゐた人間と技術聯関が環境の重要部分を形成してゐる人間との間には、確かに生態に大きな差があり、その差に基いて環境に於いて「よく生きる(to eu zen)」生き方としての他人への配慮としての徳の構造や形相も異なつてゐる。それゆゑ、eco-ethicaが立てられなくてはならない。そして、そこでは、原理的に、機械と道徳の問題を、道具と道徳の関係としてではなく、環境と道徳との関係として反省しなくてはならない。同時にまた、そこでは、自然や原始を過去としてとらへるのではなく、層としてとらへる構造的な人間観が要求せられる。それは、また、技術聯関の中で等質化せられ、局地性の特色を喪つた世界空間に於いて、技術装置の特殊性として現出する新しいタイプの局所性とそこに於ける人間の自己変貌の問題を提出する。所の神として人々を呪縛した地霊は、装ひを変へて、場の機能として人々を方位づける。そこには、公私の完全な断絶があり、公的機関としての場に於いては、私的な一切が排拒せられる。それがために、父の社会に貢献する営みの現実態は子の目からは遮断せられ、世代間の共棲教育は幼年にして断たれてしまふ。このやうにして、本質的には、憩ひの場、養ひの場としてのみに限定せられる家庭には、厳密な意味での教育は去る。そこでは教師としての親権は崩壊する。道徳の基礎として人々がもたなければならなかつた内的権威の最初の原理的象徴としての親権が揺らぐとき、果たして道徳教育は可能なのであらうか。しかし、それは試みられなければならない。道徳の基礎づけをいかに企てるか、それもまた、eco-ethicaの大きな課題なのである。

   (5) 事物と人間
 少くとも学問の形態を成してゐる倫理学には、洋の東西、時の古今を問はず、ひとつの共通な特色がある。それは、エートスの学、人々の間に於ける生活の学として、人間関係の学としての性格である。それゆゑ、そこには対人徳として、仁義礼などの如き孔子の五常や正義、節制、勇気、などの如きアリストテレースの枢要徳が基本的課題となるのである。キリスト教の道徳神学に於いて、人は人以外の道徳的対象をもつ。それは神である。そこで、ここには対神徳が考へられ、信仰、希望、愛が最も重要な徳として立てられた。

 どのやうな倫理学に於いても、人間がこの地上の支配者であり、王者であるといふ考へ方には共通したものがあり、それゆゑ、環境としての自然、すなはち、人間以外の地上的存在者としての他者を崇める、といふことは、全くありえないことであつた。かけがひのない存在者として個的存在(indi-viduum)の名に価ひするものも、たゞ人だけであつた。それゆゑ、人間は人間以外の他者は、これを手段として自由に使用することが許され、もし、そこに規制や限定があるとすれば、そこに他の人間の権利が関はる場合であつた。従つて、道徳学は、まさしくその名の通り、倫理学(人間の仲間としての人々の間柄の筋道の学)であつた。そして、神の実在を信じない限りは、そこに対神徳を立てる必然性はなく、そのゆゑに、対人徳を中心とする対人関係の学として、倫理学は一応の自己完結を示してゐたと言つてよいのである。

 ところが、人間の環境は一変した。歴史の進行の過程で、人間は多くの文化的所産を築き上げてゆき、そこに精神の高度の精華を結晶せしめる。その結果、我々の環境としての自然の中に幾つかの文化的所産が置かれてゐた時代とは異なつて、貴重な作品群が人間精神の半ば永遠化した記念碑となり、我々に対話を迫る存在として我々を囲繞し、まさしく我々をめぐる環境を形成するに至つてゐる。すなはち、我々の環境は自然のみではなく、技術聯関のみではなく、文化環境があつて、而もこの最後のものを具体的に形成するものとしては、学問的著作や芸術的作品の如き事物がある。そして、多くの学問的著作の如く、印刷せられ、その意味では同一物が多数ある事物でさへ、その数に限定のあることも原因して、大切に保管される場合が多いが、殊にその原典的原稿となれば、代替不可能の宝物として、番号づけられ、国の宝として極めて慎重に大切に管理せられる。何故ならば、そこに偉大な真理探求者の類稀な思索の軌跡があり、行間の書きこみなどに至つては、写真等によつてはうかゞひ知れぬ微妙な筆づかひの起伏があつて、その人自らの年経た後に加筆したものかその人の弟子のものなのか、判定は尚今後の課題になるやうな問題であり、而も、それが何れに決するかが、また、偉大な思索の機微にふれるといふ場合もあるからである。このやうに見て来ると、この手稿は、すでにして、他と代替不可能な個的存在者であり、人類の文化の歴史の貴重な事物として、恐らく、その書庫の近くの駅周辺を彷徨する善良な一介の下級サラリーマンよりは、人類にとつてより大切なものとなりはしないか。これは事物が人間よりも貴重な存在ではないか、といふ問ひである。もとより、自然環境のみの時代に於いても、王冠や祭具が、また武器が、その部族の構成員よりも大切にされた事実はある。しかし、それは、その部族や民族の史的事情による主観的価値附与であり、今日、誰もそれを客観的に正しいとは言はない。ところが、現代の文化環境に於いては、まさしく、この一片の手稿が、二三流の学者その人の生命よりも大切に思はれ、そのやうに扱はれてゐる、といふところに大きな問題がある。

 私は、会議のため、年に2、3度は渡航しなくてはならない。心臓を病む私には、医者が、1人旅は無理ではないか、と忠告してくれたこともある。パスポートまで置き忘れることが何度もあるタレース型の私には、本来、護衛が必要なのである。いや、たしかに、大学内を自由に歩くことが難しかつた時期があつた。いつ愚かな徒輩が躍り出て、私を取り囲み、無礼な言動で無法な要求を押しつけるかわからないからである。それゆゑ、まじめな学者の安全のためには、本来、ボディー・ガードが必要な社会なのである。しかるに、我々には1人のボディー・ガードもゐない。それなのに、ミロのヴィーナス様が御渡来遊ばした時の騒ぎはどうであつたか。この永遠的な傑作の彫刻品のためには、私はその委細を審かにしはしないが、1人、2人の随員で事が足りたとは思はれない。ひとつの傑作は、事物ではあるが、1人の人間よりも、誰か多くの人々に生きるよろこびを与へたり、人類の偉大さを告げ知らせたりして、人間を全体として大切にすることを思はしめるのであらう。その効果のゆゑに、また人類の自己証示の証[]として、[]ではなしに作品[・・]が、人よりも遙かに大切にされるのである。いや、そればかりではない。私の研究室には、パンダになりたい、と叫んだ貧しい研究者がゐる。それは、もとより、大人の冗談である。しかし、動物学的研究材料や社会的レジャーの見物の対象が、さういふ学問的価値や社会的効用のゆゑに、駈け出しの青年研究者よりはよりよい居住条件が与へられてゐるところに、場合によつては、人よりも事物や畜獣を大切にする、といふ社会的方位が設定されてゐる。もとより、獅子を飼ひ、犬を飼つて、それを貧しい人々よりも大切にする、といふ風習は歴史とともに古いであらう。しかし、それは個人の許された範囲の贅沢なのである。問題は、社会が文化の名に於いて、事物権の方が人権よりも高くされてゐる、といふ現実があり、而も、これを軽々に否定すれば、文化環境は破壊されて、廃趾が立ち現はれるであらう、といふことである。

 それゆゑ、アムステルダム論争の時の私の問題をここに提出しておかう。1人の極悪人で癌を病む死に面した患者がゐる。その室にレオナルド・ダ・ヴィンチの絵(本物)がある。そこに火災が生じた。君はその悪人か絵か、どちらか1つをしか救ひ出せない。君はどうするのか。これをめぐつて、根拠を深く索めるeco-ethica的思索が色々となされた。テルトウリアンはかすに1年を以てせよ、即答は不可能である、と言ひつつも、老人を救はねばならないと言ひ、芸術の尊厳のために、マンゲは絵を救はねばならぬ、と言ひ、ハンガーラントは、自分が老人で悪者だから老人の方を救つてやりたくなる、と答へた。神は事物を滅しても、人を救はうとするであらう。しかし、その救ひとは、この世の命のことなのであらうか。人々はこの問ひをめぐつて、いかに新しいeco-ethicaの学問が緊急に展開されなくてはならないかを痛感したのである。

 事物に対して道徳が必要である。それは、生ける自然をも死物の如く利用しつくさうとした科学主義や営利主義が、今面してゐる環境破壊の現状をどのやうにするか、といふことに対して、科学の立場や行政指導の立場のみからではなく、人間の道徳として、人間の自己反省の深みからも考へてみなくてはならない仕事として、要求されてゐる。

 私は、このeco-ethicaの研究テーマで、21世紀学術文化財団から研究奨励金を拝受する光栄をえた。有難いことである。しかし、国際研究プロジェクトには、まだまだ多くの援助が必要である。私どもの研究室は、哲学美学比較研究国際センターとして多くの国際的に緊急な研究プロジェクトを開発し、研究しつつあるが、そのひとつに、「自然学の後に」といふ意味の形而上学(metaphysica)とはまた異なつて、「工学の後に」といふ意味の技而上学(metatechnica)があり、これは1976年のウィーン会議でかなりの反響を呼んだ。いづれもその内部で、芸術を大切な契機としてゐる。芸術はその享受に於いても、創造に於いても、新しい環境の中で圧縮されてゐる時間経過を、絶対に必要とするからである。それならば、芸術の人間復位への機能とは、どのやうにして、倫理や技術と関はるのであらうか。美学(calonologia)も大きな問ひに直面してゐる。私は学士会会員の方々が、かういふ地道な、しかし、大切な基礎的研究に温かい目を注いで下さり、有形無形の援助をたまはることを請ひ願ふ者である。

(東京大学教授・東大・文博・昭23)