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いわゆる「サラ金問題」について 甲斐道 太郎 No.744(昭和54年6月)

いわゆる「サラ金問題」について
甲斐道太郎(大阪市立大学名誉教授) No.744(昭和54年6月)号

 いわゆる「サラ金被害」の恐るべき実態が続々と明るみに出され、その対策の必要が叫ばれるようになってからすでに久しい。
 各政党や日本弁護士連合会その他の団体が発表した規制立法案はかなりの数に達しているが、肝腎の担当官庁の腰が重くて立法作業は進まず、最近ようやく議員立法の形による規制法制定の動きが出て来たが、なお与野党間で意見の調整を必要とする点が残されているのみならず、後でもみるように、伝えられるその内容には納得できない点が含まれていて、日弁連や私達の組織している全国サラ金問題協議会など、幾つかの団体が反対の意見を表明している。

 学士会の会員の中には、サラ金の被害を受けられるような方はおられないと思われるが、この問題の実態や必要な規制策についての一般の認識は必ずしも十分だとはいえない状態であるので、会員の方々にも御理解を頂きたいと考えて、あえてこの主題をとりあげることにした次第である。


 「サラリーマン金融」という言葉はすでに戦前に用いられていた由であるが、近頃問題になっているそれは、ほぼ次のようなものである。

 すなわち、銀行・信用金庫などのいわゆる「正規」の金融機関ではない金融業者による、小口(一口10万円以内が多い)、短期(返済期限は一年以内が普通)、無担保(ただし、保証人はつけられるのが普通)の融資である。
 その利用者は、会社員、工員、公務員、学生、零細企業の経営者、運転手、主婦、OL、ホステス、保険外交員、看護婦等々、きわめて幅が広いが、一口にいって「庶民」の範疇に属する人達である

 ところで、「サラ金被害」というと、それはおかしいのではないかと反発する人が少なくない。つまり、いわゆるサラ金被害者なるものは、主としてギャンブルやレジャーの資金として、高い利息を承知の上で、しかも自分には十分な返済能力のないことを知りながら借金したのだから、その返済に苦しめられてもそれは自分の不心得によるまさに自業自得というべきものであって、被害などというのはおこがましい、という考え方である。
 これは確かにもっともなところがあり、大阪のある弁護士の扱った例では、ギャンブル狂いが原因の者が全体の約3割、浪費癖のある者や性格破綻者というべき者など無計画・安易な生活態度にもとづく者が約2割を占めている由である。このような者は自業自得だとつっぱなされても仕方がない、といえそうである。
 しかし、私達が、そのようにつっぱなしてしまうことができず、サラ金規制立法その他サラ金被害絶滅のために必要な措置を求める運動を進めているのは、次のようなことを考えるからである。

 第一に、サラ金被害者の中には、病気・失業その他の不慮の事故のために、生活に窮し、あるいは不時の出費に迫られて、やむをえずサラ金を利用した人も決して少なくない(前記の弁護士の取扱い例では約3割)。こういった人達は、まさにせっぱつまった状態でサラ金業者に駆けこむために、業者に足許をみられ、金利その他とくに悪い条件で借りることになりがちである。このような被害者は救済に値するといってよいのではないだろうか。

 第二に、サラ金の被害は借主本人だけでなく、家族・親類縁者・友人などにもおよぶものである。悪質なサラ金業者は、返済を督促するため、昼夜を問わず借主の自宅へ押しかけて強談判しあるいは電話攻めにして、家族の生活を破壊し、職場にまで押しかけ・電話することによってその職業さえも失わせてしまう。しかもそれが、本人だけでなく、本来法律上はなんらの責任を負わない家族や兄弟その他の親族や、時には友人にも向けられるのである。その結果、離婚、一家離散、一家心中などの家庭悲劇が後をたたないことは、新聞、テレビなどで日常報道されている通りである。
 大阪にある「サラ金被害者の会」に相談に来た母親に連れられた五歳の男の子が「お母ちゃん、もう死のう」といったという実話は、サラ金業者の取り立て行為の悪どさが、罪のない家族に与える深刻な影響を如実に物語っている。サラ金被害は、このように借主本人以外の者をも地獄につき落とすのである。

 第三に、より根本的な問題として、サラ金というのは一種の仕組まれたワナのようなものであって、サラ金被害者はこのワナにまんまとはまりこんだ獲物のようなものだ、ということである。
 「サラ金三悪」といって、サラ金が大きな被害をもたらす三つの要因が指摘されている。
 高金利・無差別融資・悪どい取り立て行為の三つである。
 すなわち、日歩30銭(年利率109・5%)―─ この数字の意味は後に述べる─―という高い利息のつく金を、相手方の返済能力などにはお構いなしにやたらと貸しつけ、一旦返済がおくれるやありとあらゆる手段を用いて(たとえば、女性に売春を強要してまでも)取り立てようとするのがサラ金の手口である。しかも、負債の金額は、証書の書き換え(滞納している元利金 ―─ ときには将来の利息まで ─―を天引きして新たな貸し付けをする)や廻し(自己への返済資金を他の業者から借りさせる)、あるいは複利(年に数回も利息を元本に組み入れる)などによってみるみるうちにふくれ上がってゆく仕組みになっている。
 したがって、一旦この中に足を踏み入れると底無し沼にはまりこんだようにずるずると沈みこむことになってしまう。このようなサラ金の実態は決して表には出ない。サラ金業者は、いかに手軽に欲しい金が手に入るかということだけを宣伝する。借りるに当って利息その他の貸付条件を聞かされても、最終的にいくら払わねばならないかは仲々わかり難い(たとえば、「お利息は5万円につき一日ハイライト1個分」といった場合、一年では4万5千円もの利息になる)。その上、利息や手数料名義の金が天引されることも多く、そうなると本当に欲しい金額よりも余程多額の金を借りたことにしないと必要な額は手に入らないことになる。
 いってみれば、サラ金というのは重大な欠陥を隠して売られる商品のようなものである。強い副作用をもつ薬をそれと聞かされずに服用して副作用に苦しむ人が「被害者」とよばれるのに似た意味で、サラ金被害者は被害者なのである。
 また、サラ金が横領・強盗などの悪質な犯罪の動機の中で大きなパーセントを占めていることも、連日の新聞、テレビの報道でよく知られているところであろう。要するに、昨今のわが国で横行しているサラ金なるものが、もはや放置することを許さない被害や社会的害悪を生み出していることは、否定できない事実である。


 さて、このような「サラ金問題」の解決のための法的な方策としては、すでに発生した被害者を救済するためのそれと、今後新たな被害を生じないようにするためのそれとが考えられる。

 前者の方は、被害者からサラ金業者を相手として民事訴訟を起こしたり自己破産の申立をしたりなど、かなり専門的な法技術の形をとるのでここで立ち入ることは避けたいが、ただ一つ是非とも指摘しておかねばならないことがある。
 それは、利息制限法の問題である。
 現行の利息制限法の一条一項は、金銭の賃借に当って約定される利息の利率の最高限を、元本の額によって率は異なるが、元本10万円未満の場合で年2割とし、これを超える部分は無効としている。
 すなわち、たとえば5万円の賃借で年5割の利息を支払う契約をしても、2割を超える3割分は無効であって、貸主がその支払いを請求しても、裁判所はこれを認めないことになっている。ところが、同条二項ではこの制限を越える利息でも借主が一旦任意に支払ったときは、もはや返還を請求できない、と規定している。貸主からすれば、とってしまえば勝ちだということになる。
 この規定は利息制限法を骨抜きにするものだと悪評が高かった。しかるに最高裁判所は、色々な課程を経た後、昭和43年11月13日、すでに支払われた制限超過利息の返還請求を認める判決を出すに至った。司法権が立法を否認するような形になることについて批判がないではないが、この判決は多くの学説の支持をえて確定したものになっている。

 この最高裁判決は、サラ金被害者がサラ金業者の取り立てを拒んだり、負債整理の交渉をしたり、更に進んで払い過ぎの利息の返還を請求したりして、サラ金地獄から救い出される上で、最後の頼みの綱になっているといっても過言ではない。

 さて後者の方、すなわち新しいサラ金被害の発生を抑止するための方策としては、厳しい規制立法を設けるほかはない。
 その内容としては、一定の資格要件をともなう営業許可制の採用、金利の最高限度の引き下げ、とり立て行為その他業務の規制等々が必要とされているが、ここでは紙数の関係で、金利の制限についてだけ述べておきたい。

 前述したように、現行利息制限法では利率の最高限度が年2割とされている。それにもかかわらず、現実のサラ金においては半数以上の業者が年7割3分(日歩20銭)以上の利息をとっており、年10割を超える業者も少なくないといわれている。
 どうしてそうなるのか、というと、利率の制限に関係のあるもう一つの法律すなわち、「出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律」(略称「出資法」)がここにかかわってくる。
 出資法の五条では、金銭の貸付を行う者が年109.5%(日歩30銭)をこえる利息の契約をし、または受領したときは、3年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられることになっている。この法律があるために、年109.5%以下であれば許される、という考え方が出て来るのである。
 現に、貸金業者は同法七条によって営業開始を大蔵大臣に届け出るべきことになっており、その際利率も届け出事項とされているが、大蔵省の通達では、前述の昭和43年最高裁判決「にもかかわらず」、109.5%以下の利率であれば届出を受理すべきこととされているのである。

 利息制限法の年2割をこえ、出資法の年109.5%以下の利率の部分は、刑事法的に処罰はされないけれども、民事法的には無効だということになるので、この部分を通常グレイゾーンとよんでいるが、この存在がサラ金の高利を事実上ささえる法的根拠となっているのである。

 したがって、サラ金の高金利をなくすためには、出資法の金利最高限度率を引き下げなければならないことについては、各政党団体等の試案、学者の主張などすべて一致している。
 問題は、どれ位まで下げるべきかであるが、この点はサラ金を存続させるべきだと考えるか否かにかかわって来る。
 サラ金そのものを百害あって一利なきものと考えるならば、サラ金の経営が成り立つか否かを考慮することなく、利息制限法の限度まで引き下げるべきだと主張されようし、サラ金を庶民の生活に必要な存在だと考えるならば、その経営の成り立つ限度まで下げることで満足せねばなるまい。

 近時この問題について発言している学者や諸団体の大勢は後者に傾いている。すなわち、日常生活を営む上でにわかに一定の金銭の必要を生じた場合、銀行その他の金融機関に手軽な融資を期待することはできず、公的資金による緊急融資の制度も(その必要は多くの人が認めているにもかかわらず)早急に実現されることを期待しえない以上、サラ金そのものを健全化せしめて存続させるほかはない、というのである。

 そのような立場に立つある経済学者は、比較的小規模のサラ金業者をモデルとして、その資金コスト、経費、適正利益などを考慮して、年率36%が適正な利率だと試算している。日弁連その他この率を支持する試案も出されている。これを正当とするならば、最近の立法案で採用されている年73%あるいは54%というのは法外な高利であるといわねばなるまい。サラ金業者の団体である日本消費者金融協会(略称JCFA)の案でも、最終的には年48%という数字を出している。

 いずれにしても、出資法の最高限利率を利息制限法のそれよりも高い水準にとどめる場合には、前述のグレイゾーンの問題が残る。

 この点については、36%程度まで下げる案の場合には、サラ金に限って利息制限法の制限利率も36%まで高めてグレイゾーンを解消すべきだという考え方と、借主の最後の頼みの綱である利息制限法の利率は動かすべきではないとする考え方が対立している。 これには、サラ金の業務規制の方法(たとえば、利率を店内に明示することを罰則をもって強制するなど)や、サラ金業者と他の貸金業者との区別の仕方などとからむ難しい問題があるが、紙数もつきたのでここでは立ち入れない。

 しかし、出資法の最高利率を年73%とか54%とかの高率にとどめながら、利息制限法(前述の昭和43年最高裁判決によって事実上修正された内容を含む)についても例外を認めてグレイゾーンをなくそうとするのは、業者に法外の高金利を保証することになり賛成できない。
 本稿が誌面に出る頃には立法的解決がある程度実現しているかも知れないが、最初に書いたように会員諸賢には縁が薄いであろうこの問題についても、現代日本における一つの社会問題として御理解を賜りたいと考えて筆を執ったことを了として頂きたい。
(大阪市立大学教授・京大・法博・昭23)