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学士会アーカイブス

新学士を会員に迎えて 有澤 広巳 No.735(昭和52年4月)

新学士を会員に迎えて
有澤広巳(東京大学名誉教授) No.735(昭和52年4月)号

みなさんご卒業おめでとうございます。また同時に学士会にご入会いただきまして有難うございます。

 大学卒業ということは、小学校入学以来十数年にわたる学校教育の全課程をここに終了したという意味で、大変おめでたいということであろうと思います。たしか英語ではcommencementというようでありますが、これは業を終え学位を得るという意味であると共に、また始まりという意味もあるようで、つまり学業は終えたけれども新たな人生の始まりでもあると、こういう意味だろうと私は解釈しております。
大学を卒業されても、人生の三分の一か四分の一を過しただけで、まだまだ長い人生が残っているわけです。始まりといえばみなさんは今後の長い人生をこれから社会人として暮していくその始まりだろうということでありましょう。

 今日の大学生は、大学生活のうちにすでに社会人としての意識を十分にお持ちになっているようですから、今更社会人になるのだと申し上げても、なんとつまらないお喋りとしかお感じにならないかもしれません。

 しかし、社会人になるということは、社会の特定の組織の中にこれからお入りになるということでしょう。今までみなさんがおられた大学の組織は、いってみれば単純で、homogeneousでありました。ところがこれから入られる組織は複雑で、heterogeneousで、恐らく人間関係におきましても、組織の機構におきましても、大学とはまるで違った組織であろうと思います。社会学者がorganization manという風な言葉を使うのも、今日大学の門を出て社会に入っていく、卒業生の近代社会人としての一つの宿命を語ろうとするものであろうと思います。

 私は大学を卒業してorganization manになった人々には、なにかアカデミックな憩いの場が必要になるだろう、と申し上げたい。そういう場は大学卒業生のクラブだと私は考えます。もう大分前のことですが、私はハーバード大学の一人の卒業生に連れられて、ボストンの同大学卒業生クラブにいったことがあります。館内は静かで簡素で清潔でした。私はそのクラブに入った途端、一瞬身の引締まるように感じました。その卒業生はその時アメリカのかなり大きな会社の役員をしておったのでありますが、館内でお茶を飲みながら私に申しました。「自分は週に一回位は必らずここに来てお茶を飲んだり、友人と話し合ったりする。そうすることで自分の一週間のよごれが洗われるような気持になる」とこう申しました。そういわれて振りかえってみますと、私自身も学士会の一会員として、いかに度々学士会を利用してきたことか、学士会が私の生活の中でいかになくてはならぬものであるかを思い知りました。

 みなさんが今日学士会にご入会くださったことは、そういう自分達のクラブをお持ちになりたい、そしてお持ちになったということであろうと思います。

 学士会はご承知のことと思いますが、大変古い歴史を持っております。明治十年この錦町の地に東京大学の校舎があったわけですが、その卒業生たちが学士会をつくったわけでございます。昭和三年・十二年(増築)にはこのゆかりの深い場所に当時の会員達の寄付金によって現在の学士会館が建設されたのであります。爾来、幾変遷を経て大きな発展をして参り、現在九万一千名の会員を持っております。

 私どもはこの学士会をしてなるべくアカデミックな雰囲気を保持し、そしてそれにふさわしい活動とサービスを会員に提供するようにつとめているのであります。

 私の経験では、ハーバード大学の卒業生クラブにはまだ及ばないところがあるように思いますが、それでも会員の会館利用状況は、最近ますます盛んであります。会員数の増加や会員による会館の利用状況からいって、大学卒業生のクラブに対する認識とその必要性が大きく高まってきていると思われます。この傾向は私どもの信念と合致するもので、本会の経営に当るものとして大きな喜びとするところであります。

 なお、ご入会頂いたみなさんと共に、みなさんのクラブとして、アカデミックな憩いの場として、ますます発展させていきたいと存ずる次第であります。

 終りにみなさんのご健康とご健闘を念願いたします。

(日本学士院会員・東京大学名誉教授・東大・経博・大11)