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学士会アーカイブス

ある情熱 小島 信夫 No.719(昭和48年4月)

     
ある情熱  
小島信夫(作家) No.719(昭和48年4月)号

 昭和十六年だったかに、岡田嘉子が杉本良一と樺太国境を超えてソヴィエットに入った。この時のことは新聞を賑わしたので、私なども何となくおぼえているが、先だって帰国した彼女が語ったところでは、モスクワ芸術座の演出家スタニラフスキーの指導を直接受けたいというのが、最大の目的であり願いでもあったということであった。

 私は専門が違うのでスタニラフスキー理論のこともいくらか話にきいているだけでどういうものであるか、よく知らなかった。私が知っていたのは、チエホフの芝居は、もともと俳優でもあったスタニラフスキーが演出をした「かもめ」によって初めて成功を見るに至ったということである。またモスクワ芸術座はスタニラフスキー理論を金科玉条として学び教えてきた。今では、その弊害だけが大写しになっていて、老骨化したという評判もきいていなかったわけではない。

  こんど私は二度めの自分の戯曲の舞台化に立ちあった関係から、その芝居の公演も終って大分たってからのことだが、スタニラフスキーの「俳優修業」などを古本屋で求めてきてざっと目を通した。スタニラフスキーには直接彼がチエホフ劇を演出したさいのノートもあって、チエホフの劇の場合の一つ一つの場面で、この男はベンチにこういう向きで腰かけていなければならぬはずだとか、どうしたって、服装はこうでなければならぬというふうに自からハッキリと補い、それからチエホフ本人は戯曲に記していない物音や生物の声などをどうしても取り入れなくてはならぬ、というふうにハッキリと決めている。

  御承知のようにチエホフ自身も学生時代役者の真似ごとをしたこともあるが、彼は役者に色々とてっとり早い人物理解についての説明を問われると、ここにこのようなセリフをしゃべり、このような動きをする人物がいるというだけで、いずれにせよほんの僅かのことをチラッと口にしただけで、第一そういう役者からの質問を嫌ったようである。チエホフの微妙で新しいネライというものをスタニラフスキーはよく理解して、ハッキリとリアルに補い演出して行ったらしい。

  「俳優修業」は一人の俳優が次第に修行して行く形をとった大部の本であるが、これは驚くほど具体的で、理論的で、そして訓練ふうである。ただ身体でおぼえるといったものではない。岡田嘉子はスタニラフスキーの本や訓練の様子などをどの程度に知っていたか、よく分らないが、本場のソ連でこの先生について教えを受けようと願ったその燃えるような心は私には分るような気がする。それほどすばらしい本である。岡田嘉子はなかなかモスクワに辿りつけず、遂にスタニラフスキーには会えなかったようである。

  私にはよく分らないが、話によると、新しい考え方の演出方法が流行しているそうで、もうスタニラフスキー理論は古いともいう。だが、それは一部の強調であって、スタニラフスキー理論そのものがなくなってしまったということとも違うのであろう。最近はかえってまたスタニラフスキーに戻る動きもあるとかである。

  私は演出のことや、俳優の修業の具体的なことについては全く知らないので、さっきもいった通り、自分の芝居が終ってから、「俳優修業」など読んで驚いた次第なのだが、私の芝居の稽古中に若い男女の役者が役になり切れず、役者の自分をもてあましているので、古参格の役者の人が次のような指導をした。

 先ずジーパンをはいた二人の役者に稽古場でごろっとうつむきにさせる。指導者は二人に、君たちはただの石ころか木ぎれのつもりになってたおれていなさい。そうして無心になっているうちに、自分の内部から何か焔が燃えたってくるように、あるいは、枝葉が生えてくるような気持になったら、それに合わせて身体を起しなさい。だいたいこんなことだったと思う。私はそっと覗いていたに過ぎないのだからくわしいことは分らない。

  見ていると三、四十分たって、彼らの身体はモゾ、モゾと動きはじめ、何か立ちあがりそうな気配を見せながら、遂にまた倒れこんでしまう。止め、という声がかかり、二人の実演者たちは我に返ったようにあたりを見廻すが、モウロウとした顔付きをしている。そうして、
「セリフをすっかり忘れてしまったけれども、どうしようかしら」

とつぶやいた。
「いや、決して忘れたわけではないから安心なさい」
と指導者はいった。

 勿論彼らはセリフを忘れはしなかったし、その直後ずいぶん思い切った演技をし、相当に自分をふり切ったように見えた。これは何とか法で、その指導者がフランスかどこか外国で学習してきたのだそうである。

 スタニラフスキーは、俳優修業の最初の方で、修業者たちに仮面をかぶせて、その仮面にふさわしいことをしゃべったり、行動させたりしている。若い俳優の卵たちは急に生き生きと、自分以外の者に変身し、思い切った楽しげな芝居をするようになる。たぶんこれはどこの俳優養成所や学校ででも実習していることであろうと思うが、私はこの初歩の初歩のことが非常に興味ぶかい。この卵たちは次には、仮面をつけずに鳥になったり獣になったり、悪人になったり、悪魔になったりしてみる。こうしてスタニラフスキーは順次、易しいことから難かしいことへ、裸形の舞台で裸形のままいかに芝居をやるか、いかに相手あっての自分かということを教えて行く。私は若き岡田嘉子の情熱を傾けたスタニラフスキー理論、芝居の理論、人間の理論というもののことを思い感動している。

  岡田嘉子は滝口新太郎という年下の俳優と結婚し、先年、彼に先立たれた。女優が若い夫をもつという傾向は、かなり一般的のようである。彼女らの貧らんともいえる逞しい情熱と較べて面白いと思う。最近NHKの番組「国境のない伝記」で知ったことだが、オーストリヤの名女優イダ・ローランは、一まわり以上年下の、当時十八歳だったリヒハルト青年と恋仲になり、日本人である彼の母、光子の反対を押し切って結婚した。そしてリヒハルトはやがて国際的に大活躍し、二人はその生活を全うしたらしいのである。有能な女性、男まさりの女性が若い夫をもつということは勿論考えられることだが、どうもそれともどこか違うようである。

(作家・東大・文・昭16)