文字サイズ
背景色変更

学士会アーカイブス

世界の婦人労働 赤松 良子  No.717(昭和47年10月)

世界の婦人労働
赤松 良子
(労働省婦人労働課長)

No.717(昭和47年10月)

世界における婦人労働者の状況

世界の婦人労慟という大きなテーマでございますが、普断考えていることをお話申し上げたいと思います。特に世界とつけましたのは、婦人労働の問題が、少なくとも工業化した西欧諸国においては共通点の多い問題だと思われるからです。どういう点が共通であるかと申しますと、基本的には古い形の男女分業論すなわち、男性は外に出て働いて、その収入によって、家庭にいる女性、つまり配偶者と子供とを扶養していく。それに対して女性の方は家庭の仕事をし、子供を産んで育てていく。こういう形の分業というのが、近代社会における基本的理念だと思われてきたのです。女性が家庭で家事の仕事をし子供を育てるという姿を私共は主婦婚と便宜上よんでおりますが、婦人が外に出て人に雇われて働く姿は、どうも主婦婚とは矛眉するわけです。ところが最近はその基本的な姿がかなり修正をせまられるということが起ってきております。私共の住んでいる社会は一定数の労働力を必要としていますが、それがだんだん多く必要になってくるという大きな動きがあります。特に日本は戦後経済発展の過程で新らしい追加労働力がどんどん必要になってきた国ですが、これは日本だけでなくて諸外国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツというような国においても、共通した傾向が多かれ少なかれみられます。そこで新らしい労働力の給源を女性の働きに求めるということも共通してみられます。

これを数字で見ますと、戦争直後わが国の婦人労働者数は大体三百万くらいでした。それが昭和四十六年の統計では一千百十六万、つまり三百万台から一千万台の大台を突破してしまったという風にふえたのです。諸外国をみましても、婦人労働者がふえている国が多いのです。全体の労働力の中でどれくらいの割合で婦人の労働力が位置づけられているのか、ということを比較してみますと、日本の一千百十六万という婦人労働者は、日本の全雇傭者の丁度三分の一に当っております。アメリカでは約二千七百万の婦人労働者がおりますが、これはアメリカの全雇傭者の三六・四%です。イギリスでは八百二十万で三六・一%、西ドイツでは七百三十万で三三・四%、フランスでは四百五十万で三一・四%となっております。こういう風にそれらの国々の婦人労働者の数は殆んどが全労働者中三分の一の比重を占めているのですが、これが社会主義の国になりますと、三分の一どころではなくて、丁度二分の一を婦人が占めているという状態です。そこでこの三分の一という数は、それなしではとてもその国の産業が成り立っていかないだけの比重でございます。しかし、一千万の婦人労働者がいても全部が若く未婚であれば、つまり家庭をもっていない女性だけで占められているならば、先程申し上げました主婦婚の原理との矛盾というものはおこってこないかもしれません。日本の戦前の婦人労働というものを眺めました場合、その婦人労働者の殆んどが若い結婚前の女性だったのでして、その頃の婦人労働問題といえば女工哀史の問題などが代表的に考えられたわけです。年の若いまだ一人前でない女の子を農村からだますように連れてきて、工場でひどい労働条件の中で働かせる。そういう意味での婦人労働問題はたしかにありました。これは当時として非常に深刻な問題であったと思いますが、主婦婚との矛盾というような問題提起というものはありませんでした。ところが今日では働く婦人の中の過半数が家庭をもち、夫をもっている婦人で占められるようになってきたのです。アメリカではすべての婦人労働者の中の僅か二二%が未婚の婦人です。それ以外は全部既婚者というわけですが、その中離死別者を除いた有配偶の婦人の割合は六四%であります。イギリスでは未婚の婦人が二八%、有配偶の婦人が六三%、フランスでは未婚の婦人が三三%で有配偶者が五三%、こういう割合です。我国ではどうかと申しますと、未婚者が四八%、有配偶者が四一%でこれに離死別を加えた既婚者は未婚者よりも多くなっているわけでございます。我国では十年前、つまり昭和三十五年の国勢調査では、未婚者が六三%で過半数を占めていまして、有配偶の婦人は僅か二〇%に過ぎなかったのでございます。婦人労働の問題の中で、家庭生活と職業生活をどういう風に両立させるかというような問題は、有配偶者が僅か二割しかいなかった時にはそれ程深刻な問題ではなかったのではないかと思います。ところが十年間の間に既婚と未婚の割合は全く逆転しまして、未婚者が少なく既婚者の方が多いという状態が現出したわけです。これはこの間に日本の経済がいかに規模を拡大し、あらたな追加労働力を必要としたか。その追加労働力として最大の給源が女性、なかんずく家庭を持っている婦人に求められたかということからこういう現象が出てきたのではないかと思います。若い女性は既に殆んどが働いていて、新たな追加労働力の給源を、若い女性に求めようとしても求められない。さらに日本ではこの間教育水準が急激に上がりました。昔なら十五で学校を出て働きに出るという人が殆んどでしたが今では十五歳で労働市場にあらわれるという人は例外で、殆んどが上の学校へゆく。そうすると若年労働者の数は絶対数としても減ってゆくわけでして、労働力の構成としては、未婚の年若い人というのは次第に少数になって、多数の人は結婚して働いている、とこういうことになってまいります。このように、主婦が労働市場に進出するという状態が世界各国に共通しておこったわけです。

婦人の職場進出とその要因

その原因、背景にはいろいろなことが考えられます。第一には、それだけの追加労働力が必要になったという経済的事情があるわけですが、逆に婦人の側をみますと、そういうことを可能にする条件というものがあったことも、またたしかです。その一つに出生率の低下ということが挙げられます。なぜ出生率が低下したかといいますと、これはやはり生れた子供が殆んど死ななくなったことにあると思います。昔の婦人の生涯にとって子供を産むということは非常に大変なことでしたが、しかも産んだ子供が必ずしも育つとはかぎらなかった。六人も七人も子供を産んでも、育つ子供が二人か三人ということは例外でなかったのです。ところが医学の進歩や生活環境がよくなったということで、生れた子供がそんなに死ななくなった。そこで沢山の子供を産むということは、その子供を全部育てるということになり、生計を圧迫することになります。そういうことと結びつきまして、一方ではバースコントロールの技術が発達いたしました。そしてその知識、技術が広範に普及して、子供を沢山産まないという習慣が生まれたわけです。そこで以前の多産多死型から今日の少産少死型となり、少数の子を産み、産まれた子供は全部育てるというパターンに変わりました。これを統計的にみますと、日本では戦後すぐの昭和二十二年には人口千に対して三十四・三人の出生率でしたのが、昭和四十五年には十八・六と半分近くに減少しております。この間、例えばひのえうまの年の昭和四十一年には十三・七人です。このように人工的に出生率を低下させることが可能になる程バースコントロールは普及したわけです。因みに外国と比較しますと、昭和四十五年にアメリカは十七・四、イギリスは十六・九、フランスでは十六・八、西ドイツはちょっと高くて十九・七、出生率が低いので有名なスエーデンでは十四・三です。また社会主義国ソ連でもそんなに変わりませんで十七・三という数字が出ております。こういう風に出生率が低いのが世界的傾向です。勿論インドとかパキスタンとかそういう国では比較にならないほど出生率が高いのですが。

そこで子供は一夫婦の平均が二人、多くても三人ということになって参りました。子供が減るということ、少ししか産まなくなるということは、女性の生涯にとってこれは非常に大きな変化です。それだけ家事や育児についやす負担が軽くなったといえると思います。ところがこれに逆比例して、寿命が非常にのびました。婦人の寿命は男性よりも大体四、五年長いのが通常の例のようです。最近の日本での寿命の延長は目をみはるばかりで、戦前四十五歳とか五十歳であったのがいまや七十歳を突破しております。子供の数が以前より減り、一方寿命の方は長くなったということは、昔ならば沢山の子供を産んでまだ下の子は充分に育ってないという時期に、もはや女性の生涯は終ってしまったわけですが、それが今はたった二人程度の子供を育ててその子供が可成り大きくなってもまだ三十代で、あと四十年という人生が残っているということになります。もう一つ女性の生活を変えたものに家事の合理化、家事労働の軽減というものがあります。具体的に一つの例としてお風呂をわかすということを考えてもわかると思いますが、普通は水をお風呂に汲むにしても遠くから水を何回も運んでくる。それを薪でわかすという作業があったわけです。しかも家族が多いからそれをみんな入れて自分が最後にお風呂に入る時はもうくたくたにつかれて、またお湯も殆んどなくなるような状態でした。ところが今は水は水道をひねれば出る。燃料はマッチでガスに火をつけるだけ。そして何分かたてばお風呂は自動的にわいています。最近は栓をひねればお湯が出るという状態になりました。こうなりますと、小さな子供でも自分でお風呂の用意をして入ることが出来るわけです。その他いろいろの家庭生活で女性をわずらわしていた労働が、こういう風に簡便に短かい時間で出来るようになったと、こういう事情があります。

もう一つ、婦人の教育水準の向上があります。戦前は小学校を卒業して中等学校へ進むという所でかなりの人数が減った。まして高等教育を受ける女性はごく例外的でした。今では中学校から高校へ進む女性が東京などで九六%、全国平均でみても八六%という高率に達しているのです。教育水準が高くなれば自分の受けた教育を有効に生かしたいという気持がおこってくるのは自然でして、家庭の中で一定の家事労働だけで自分の人生を埋もらせたくない。もっと広い世界で有効に能力を発揮したいという女性がふえてきたとしても不思議はないわけです。

主婦労働と主婦婚の矛盾

こういう風にいろんな事情の変化が重なりあいまして、今日のような婦人の職場進出が激増してきたわけです。それでは婦人の生活が合理化され、余暇が出来、そのあまった時間やエネルギーを職業生活の方にふりむけ、そこで果して矛盾がないかと申しますと、これはそう簡単にはいかない。それだけになってもやはり家庭生活或いは子供を育てるということについては、まだまだ女性が職場に進出するための桎梏が残っているわけです。その矛盾の間にはさまれていろいろ四苦八苦をしているというのが今日の婦人労働者の多くの人達の姿なのです。しかもその矛盾に、各国それぞれのやり方で対処していますが、それが必ずしもうまくいっているとはいえないのです。これが今日の婦人労働問題のかなり大きな部分を占めていると思うわけであります。

そこで主婦が働くということに対する各国の対策をざっとみてみますと、イギリスのシルビア・アンソニー(Sylvia Anthony)という人が一九三二年に書いた本で、「Women’s Place―Industry and Home」という本があります。その中で彼女が指摘しているのですが、家事と職業との間をどういう風に捉えるかというのがソ連型とアメリカ型とイギリス型とそれぞれ違っている。ソ連型というのは家事を最少限度にとどめておいて婦人を職業の方へ向わせる。アメリカ型というのは家事の合理化、或いは子供が減ったというようなことで生ずるレジャーを社会参加に結びつける。レジャーがあれば社会参加をすればいいじゃないか、という考え方。イギリス型というのは彼女自身の相当悪口をこめていっているわけですが、時計の針をもとに戻そうとするものだ。それだけの変化がおこっているにもかかわらず、それに目を閉じて、婦人は家庭に居るという伝統的な在り方をあくまで守ろうとする、これがイギリス型である、といっているのです。

主婦婚の維持と主婦労働力の確保というこの二つ、いわば相反する要請をどういう風に調整をとるかということが、それぞれ国の政策としても問題になるし、また個人個人の生き方としても問題になってくると思うわけです。かなりの国に共通してみられるのは、家族政策というものは非常に大事だということで、労働力の需要だけでもって婦人を労働市場にひっぱり出すということについては、かなりためらいを感じるということでございます。

そこで思想としては家庭天職論をいつまでもふりかざすというやり方がある。それの修正として出てきたのが、主婦労働力も必要だから育児に手のかかる間は家にいて、子供から手が離れるようになったらまたあらためて職場に復帰するのが良いという考え方です。つまり結婚前には仕事につく、そして子供が生れたら幼いうちは育児に専念し、そして子供から手が離れるようになったら再び職場に復帰する。このツーサイクルの婦人労働という考え方があるわけです。これがアメリカやイギリス等ではかなり支配的な考え方といわれております。これは一見合理的な解決のように見えますがやはり問題があります。こういう就業のあり方では、婦人が非常に割の悪い職業に押し込められるということが不可欠にもたらされる恐れがあるのです。何故なら、職業というものはある長さを続けてやることが、基本的に大事なことなので、特に技術が必要な職業、或いは世の中の変化に対してすぐに敏感に反応するような仕事では、三年とか五年とかの期間を中断してまた職業につくということは、口でいう程容易なことではありません。職業を中断してもう一度仕事につくということになるとごく割の悪い職業にしかつけない。しかも途中で間があくということでは、中断された両方がどちらも中途半端な仕事にしかつけないというようなことも往々にしておこりがちです。特に日本の場合は生涯雇傭制度、これを基にした年功序列の賃金形態が大企業では支配的ですから、イギリスやアメリカ等より問題ははるかに深刻です。例えば仕事について、五年たって或る程度のところまでいったとき、結婚して子供が産れて退職し、子供が大きくなったから仕事につきたいという時に、まっている仕事というのは、多くは無技能のパートタイマーの仕事しか残ってないというような状態が大方です。

その点アメリカ等の場合は賃金が年功序列できめられているわけではないし、また一生涯同じ企業につとめるということが支配的でもない国ですから、日本ほど深刻ではないのかもしれません。しかし、それでもなお職業生活が家庭生活によって中断されるということがもたらす割の悪さは、やはり大きなものがあるように見受けられます。

そこで主婦婚の維持ということをどうしても貫こうとすれば、条件の悪い具体的にいえば賃金が低く、そこに責任がともなわず、生き甲斐が感じられないというような仕事にしかつけない婦人が圧倒的になり、多くの婦人労働者を苦しめるということがおきます。その為に最近多くの反発がおこって参りました。アメリカのウーマンス・リバレイション・モウブメントもその一つと考えられますが、こういうことがおこってくる契機はそういう割の悪い状態からなんとかして抜け出したいと思う婦人がふえておるわけです。

そこでこういう状態に対応する各国の政策ですが、具体的には、婦人の育児の負担をどういう風にして軽減するか、また子供をあずかる保育所をどのくらいつくるか、というような政策になってくるのではないかと思います。しかし、やはり主婦婚の維持ということを家族政策の基本としている国々では、そういう点はきわめて微々たるものしかみられないのが現状のようです。イギリスは労働力不足で、一方では婦人労働者を欲しがり乍ら、伝統的な家族政策を依然として保っており、また西ドイツでは母性保護法という独立の法律を作って妊娠期間中の女性については、きわめて手厚い保護をしていますが、それはあくまでも妊娠中の母体の保護が重点であって、基本的に家族政策を変更することではない、ということが出来ると思います。

ところで日本では新しく勤労婦人福祉法という法律が先般の国会で成立いたしました。これは恐らく世界的にみてもあまり前例のない法律なのではないかと思いますが、これは婦人労働者の新しい状態というものに着目して、これに対応できる政策を総合的にやっていかなければならないという、国の基本的な姿勢をあきらかにした法律であると私共は自負しているわけです。日本の場合はこういう法律が作られましたが、まだまだの感で、婦人労働者のおかれている状態の解決には国としてしなければならぬ施策は非常に多くあるという風に考えております。したがって私が今おります婦人労働課の仕事も、まだ当分は生き甲斐をもって働けるのではないかとこういう風に考えている次第であります。

ご静聴ありがとうございました。

(労働省婦人労働課長・東大・法・昭28)
(本稿は昭和47年7月10日夕食会における講演の速記録であります)