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日本経済のこれから 宮沢 喜一 No.703(昭和44年4月)

     
日本経済のこれから  
宮沢喜一(衆議院議員・前経済企画庁長) No.703(昭和44年4月)号

 

──本稿は昭和44年2月10日夕食会における講演の速記録であります──

 南原先生からは直々教えを受け、父親とも親しく願っておったわけでございますが、先達て直々にお電話を頂き、甚だ恐縮をいたしましたが、今日こうしてお目にかかれますことは、誠に光栄でございます。

ここで「日本経済のこれから」というようなことを申し上げることになっておりますが、経済のことそれだけでは、この晩餐会のお話としてはどうもあまり含みのないことでもありますし、考えてみますと、経済という話は経済からすぐ外に出てゆく話ですから、おしまいの方は、そんなことになるかもしれませんので、どうぞお気楽にお聞きいただきたいと思っております。

 私は昭和41年暮より昨年暮まで2年間経済企画庁の長官をしておりました。2年間ではありましたが、日本経済をみる見方、お互いが日本経済に対して持っている自信といったようなものが、この2年間で非常に違ってきたように思います。

有り体に申しますと、日本の経済は昭和30年代には非常に大きな成長をしました。しかし、もう40年代にもなると、ここまで成長したものには、おのずから限度があって、あまり大きな成長はしない。ちょうど、昭和40年というのは、非常に不況の年でありましたが、これは最初の現れである、といったような考え方が、当時を支配しておったようなわけです。ところが、その後、実際に経済が42、43年と動いてきまして、今や30年代と40年代は別だ、という考え方はどうも間違いであったらしい。どこまでゆくかわからないが、40年代の経済も相変わらず非常に大きな潜在力を持っておることを殆どの人が信ずるようになった。このことは学問をしておられる方も、実際に実業をやっておられる方も、官界、役所の人達もそうであろうと思いますが、日本経済の持っておる何と申しますか、自分に対する自信と申しますか、かなり違ってきたように考えております。

 しかし、今でも問題がないわけではございません。たとえば、昨今ご承知のように、第2次の資本自由化がこの5日に決まりました。第1次の自由化はちょうど2年前であったかと思いますが、その当時資本の自由化というのは何だろう、これは第2の黒船じゃないかということが、本気に議論されておった。ぼつぼつ自由化を第1次、第2次とやって、今その第2次の時点ですが、やってみたらまあ大したことじゃないじゃないかという印象が、今では一般的ではないでしょうか。もっともこれには少し日本式のやり方をしておりますわけで、OECDあたりが考えております自由化とはやり方は少し違うものです。つまり、100%資本が入っていらっしゃいというのではなくて、自由に入っていらっしゃい、しかし原則は、5分5分ですというようなことをやって、そしてやってみて良いようなら100%というような2段階です。50%というのは本来の自由化ではないと言えば言えるでしょうけれども、しかしそれですら大変だと言われておったわけです。今日では、そのことをあまり心配する人はない。ただまあ、ご覧のように自動車はどうなるか、電子計算機はどうなるか、いろんな問題が今日でもありますが、一般にはその問題についての危惧はもうかなり薄らいでおる。

 それから今日ある問題としては、例えば残存輸入制限の解消という問題があります。わが国がガットに入りましたのは1936年で、当時私はたまたまやはり経済企画庁長官をしており、その交渉をした方ですが、そのガットというクラブに入る時、先進国として果たさなければならない条件は、物の自由化、つまり輸入制限をしないということがガットの一つの原則であります。本来ならあの時に日本は、全部の輸入を自由化すべきであったのですが、しかし急にそういうことをするわけには参らない。各国ともやはりそれぞれお家の事情も多少ずつありますので、わが国も相当のものを自由化せずにガットに入ったわけであります。実はその時の約束は、国内の体制が段々整い、或いは日本の国際収支が好転すれば、どんどん自由化の巾を拡げてゆくという約束がありましたが、実は今日まで5年間殆ど頬被りをして参りました。ですから120といったような大きな数が自由化をされずに残っておるわけであります。

 わが国が経済的に苦しい間はそれも通りましたが、日本は経済的には段々ジャイアンツの域に入ってくると、120も自由化をしないということはどうも許されないではないか。これは当時のことを考えますと、当然、起こるべくして起こってきたと、私などは思っております。

 一般に、日本はこの貿易自由化について、直接ご関係の方は必ずしもそうではないということをご存知ですが、日本人の多くの方は貿易というのは、なんとなく自由化されたのではないか。デパートに行っても外国の万年筆が買える、洋服生地だっていくらでもあると思っておられる方がかなり多うございますけれども、実際はそうではありませんで、幾つかのものが今日まだ自由化されないでおる。その中で、今後問題であろうと思われるのは農産物系統のもので、一番端的な例は酪農製品、肉といったようなものであります。これは消費者の立場から言えば、明らかに自由化した方が得で、輸出国との通商関係もうまくいくわけですけれども、日本の農家の自立経営ということから見ますと、酪農というのを何年か前から農林省が勧めておって、そしてそれがまだ強い地盤を持たないうちにそれらの製品が入るということになれば、たださえ条件の悪い酪農はやってはいけない。それから澱粉類も。南方にいらした方はご承知でありますが、自由化をすれば極めて安く入るということは明らかであっても、これも農業に対して打撃になるという考え方──ここらの所は逆に考えることも可能と思います。つまり、むしろ競争することによって、大いに農業の転換を図るということも可能でありましょうが、少なくとも今日までのところは、そういう考え方が支配的である。或いは、果物にしましても競合関係がある。もうこういう議論はとめどがないのであって、バナナを自由化すると日本のりんごが売れなくなるという議論が、しばしばあるわけであります。

 果物については、4年余りになりますが、思い切って自由化致しました例はレモンであります。その時に、わが国では、みかんの産地に幾らかレモンの生産があるということが反対の理由になったわけです。私共は、まあ思い切ってこれを自由化してしまって、結果は100円くらいのレモンが大体一つ30円くらいになったわけです。そして、日本ではそんなに生産者がいなかったので、実はあまり打撃を受けた人はいない。打撃を受けたのは、30円のレモンを100円で売っておった輸入権を握ってそれだけの利益を収めておった10何人、それもそのうち何人かはダミーだといわれておりますから、実際は数人かもしれませんが、そういう人たちであったわけであります。

 それから茶ですが、ティーとかコーヒーとかの自由化がなかなか進まない。これは南北問題と申しまして、南の国のあるものは、コーヒーとかティーとかの輸出に非常におぶさっておりますから、日本がそれを自由化しないことには、ジュネーブあたりで相当文句があるわけです。

 農林省としては自分の所の物資はなかなか自由化に踏み切れない。只今、米の問題がようやく展開しようとしておる。そうなると農家には総合農家には総合農政をやりなさいと言わなければならない。しかし農産物は自由化しますぞ、ということではなかなか説明が出来ないということは、私は無理もないところだと思います。それにしても、アメリカ側に言わせると、農林省が自由化に出したものが、一つはチューインガムであり、一つはペットフードで、犬や猫の餌ではいかにもひどくはないか。第一チューインガムは農産物か、というような面白い話があったりしておるのです。アメリカではグレープフルーツでも買ってくれ、というような議論になるわけでございます。

 一昨年あたりケネディ・ラウンドという話がありまして、私は何度かジュネーブに参りましたが、まあそういった時の話は、実際にこういう品物のやりとりの話が多いわけです。

 その他に自由化の出来ないものと言えば、只今の段階では自動車のエンジンとか、大きな電子計算機とか、まだ日本においては幼稚産業の域にあるものとか、或いは大量需要が起こらない為に、生産構造がまだ充分でないといったようなもの、こういうものがかなり自由化されずに残っているわけです。いずれにしても、これは早晩片付けねばならない問題でありますが、中でも時間がかかるのは、やはり農業に関係あるものだろうと思います。これは、今の日本経済の一つの問題であるに違いありません。

 それからもう一つの問題と言えば、国際通貨不安というものは、丁度、一昨年暮のポンド切り下げ、あれから昨年いっぱい随分、いろんなことがありました。問題は、今日といえども別に、基本的に解決されたわけではない。例えば、イギリスはあのような状態になっておりますから、スターリングというものが信用を回復すると特に考える理由はない。しかも、スターリングエリアという大変なものを背負っていますから、誰かがそれを肩代わりするかというと、それは出来ないわけで、疑い出せばいつでも疑われる通貨であります。それからフランスは昨年5月に、13%賃上げという騒ぎがありました。わが国では、13%くらいの賃上げは毎年平気でやっておりまして、それも去年の13%の上に今年は13%ですから、複利になっていくわけで、5、6年で給料が倍になる計算になりますが、フランスは昨年たった一遍の13%であれだけの騒ぎが出て、しかもその結果、今フランス経済にどういう影響が出てくるかはまだこれからであり、いろいろ考えますと、国際通貨不安というものは別になくなったわけではない。ただ昨年金をめぐって、皆がいろんな知恵を出した結果、金の二重価格というものを考えて小康を得ておる、といったようなことでありますから、ここにも問題がないわけではない。只今資本自由化と残存輸入制限と、それから国際通貨不安ということを申しましたが、これらは今我々がもっておる問題であります。しかし我々の自分の経済に対する自信は2年前に比べて、やっぱり格段に強いように思うわけです。

 そこで、政府でもやはり2年前とはかなり考え方が違ってきておりまして、丁度今の長期経済計画、経済社会発展計画と申しますが、これは2年前に出発いたしましたが、それに先んずる2年近くの間、各界の知能を動員してこの計画を作り、そうして今から2年前にスタートしたわけです。ところがまたしてもこの計画は甚だしく日本経済の成長力を過少評価しました。今度こそ、そうすまいという意識は、作業に従事されたすべての人々の間に、相当あったわけです。

 大学の近代経済学の先生なども沢山おられますし、財界も官界も、また新しい手法を使って、随分昔よりは進んだことをやっておられますが、しかし、結果としては、非常に大きな過少評価をしておるわけです。ほんの一つの例を申し上げますと、例えば、日本経済の成長要因は、今でも民間企業設備投資ですが、この計画では大体もう40年代になればそうそう伸びないだろう。年率10%ずつ伸びれば外国に比べても非常に高いということでこの計画は書かれておりますが、実は初年度の昭和42年度に33%伸び、そして昭和43年度はあと2ヶ月ほどですが、さらにその上に20数%伸びたということが、殆ど明らかでありますから、年間10数%で5年いこうと思った天井は2年間で完全に破れたわけであります。実額で申しますと、確かこの計画では昭和46年度の民間企業設備投資が、46年価格で8兆9千億と計算されておったと思いますが、実は今の段階で9兆を超しておりますから、ここだけでもこの計画は実は使い物にならない。従って、やりかえなければならない、ということであります。

 私にとって正直言って一番興味のあることは、過去に何遍も間違いを繰り返しながら、また間違いを繰り返したのはなぜであろうか、ということです。説明としては、明らかに日本経済が国際規模で物を考えるようになり、そのための投資が必要なのである。労働力が逼迫してくることが明らかであれば、合理化投資も必要です。これは済んだ今になって言えることで、その位のことがどうして計画を作るときにわからなかったと言われれば、一言もないことであります。やはり、この計画を作った人たちも、あの当時の不況といったようなものから自由であり得なかったこと、それから転換期論といったようなものに拘泥した人もあったであろうと思いますが、いずれにしても昭和40年代の日本経済の力というものを、完全に見誤っていたことになるわけです。

 で、この政府の長期計画が間違っておったが、しかし、実際がそれより多く、良くいったんだから結構ではないか、というだけでは実は話が通じませんで、やっぱりそれはそれなりに弊害があるわけです。

 つまり、今の日本経済が持っております一つの大きな欠点は、民間の設備投資が大きくなるのに、社会資本と言いますか、公共投資と申しますか、そういうものの遅れであります。そのアンバランスを回復しなければならないという命題を、我々は持っておるわけです。そこで、もし長期計画で全体の成長を低くみますと、例えば政府の道路5ヵ年計画、住宅5ヵ年計画、港湾計画といったようなものは、その全体の資源、或いは原資の見方が小さすぎれば実は甚だ過少な配分を受けて計画が進むということになるわけです。例えば、道路を6兆として5カ年計画を立てた時に、実際は国民総生産からいえば、8兆の割り当てが可能であったということになれば、それだけ公共投資の遅れがひどくなる。民間投資が大きくなれば、さらにアンバランスは大きくなる。その他に、昨今は殊に政府の公共投資につきましては、大体年に7%から9%の減価がある。ディプレーシエーションがあるとお考え頂いて、ほぼ間違いがない。つまり、昨年の千億と今年の千億では、ほぼ、7%乃至9%値打ちが減っておる。工事量はそれだけ減ると推定されております。

それからまた、政府が長期計画の潜在力を過少評価しておりますと、なんといっても民間企業が各々計画を立てられる時には、政府の言うことが当たるなんて決して思っておられなくても序論くらいには、政府のなんとか計画によれば、というところからお書きになるのであって、よって立つものが間違っておっては、実害を及ぼすことになります。

 今度僅か2年でもって5カ年計画がやり直しになりますが、どうぞ今度は間違いないように、過少評価をしないようにと思います。しかし過去2年間でそれだけの変化が生まれてきたということは、事実なのであります。

 そこで、この辺までは経済のお話をしていかざるを得なかったわけですが、そういう日本経済が、これからどういう風に向かってゆくだろうかということを、わからないなりにいろんな人が色々に申しているのをご紹介しながら考えてまいりたいと思います。一番よく言われますのは、ハーマン・カーン。この人は、昨年も日本に参り、私も会いましたが、その人が西暦2000年になると、日本人一人当たり国民所得は、アメリカ人の国民所得と殆ど並ぶであろうという、例の有名な予測であります。これは、ハーマン・カーンがこの計算を致しました時に、日本のこれから2000年までの経済成長の年率を7%位と見ているわけです。そうしますと、確かに一人当たり9,000ドル位に近いGNPになるわけです。アメリカの成長は年3%と見ておりますから、そうするとアメリカの場合が1万ドル位のGNPになる。ですから大体並ぶと言っているわけです。ここ2、3年の日本経済の成長で申しますと、それは実質12%でございますから、7%というものはあまり難しい話ではなさそうに思われます。また、戦前日本がどの位の経済成長をしておったかははっきりわかりませんが、年に4%乃至4.5%であったと推定されておりますから、それと戦後今日までの10%とつき合わせて平均してみても、7%程度のものは出てくるわけです。ですが、2000年の目標が大事なのではなく、そっちの方へ向かってゆく大体の見当がつけば良いわけで、6%とか7%とかいうものは確かでありましょう。そうすると、一人当たりのGNPが7,000ドルとか8,000ドルになる。

 人口については非常にいろんな説があり、1億2000万人とか1億3000万人とか、その辺になるのではないかと思われます。

 そこで、最近そういうことになっていくに従って、段々日本の社会が所謂ポスト・インダストリアル・ソサイティというものに入っていくという考え方があります。ポスト・インダストリアル・ソサイティというのは、脱工業化社会以後の社会、という風にも言われておりますが、これはいずれにしても、ダニエル・ベルやハーマン・カーンの考え方であります。脱とか以後と言いますと、工業がなくなってしまう社会かという誤解を与えるがそうではなく、やはり、経済の発展段階として捉えた考え方だと思います。つまり農業から工業へ、そして工業からそれ以後の次の段階へ、投資なり雇用なりのウエイトが、かなり1次産業から2次産業へ、或いは3次産業へと、ウエイトの移り方として捉えるのが無難ではないかという風に考えるわけです。

 例えば、我々一人当たりの所得が6,000ドルになったとします。今日のところは大体1,100ドル辺りですがその位になったとした時に、所謂、衣・食・住にどれだけ使えるかと言えば、これは実際は知れているわけでしょう。所得が多くなっても何倍も食べられるわけではないし、1度に3枚もシャツが着られるわけではない。住宅もある程度すれば片付きます。飲む、食う、着るための費用はいくらでもありませんから、所得に余裕があれば、それはおそらく旅行をするとか、特定の趣味を持ってそのために先生に習うとか、或いは新しく成人教育を受けるとか、また何か遊芸をやるとか釣りに行くとか画を描くとか、女性でしたら、宝石を買うということなど、とにかくいくつかの例を申し上げましたが、それらの消費の対象というのは殆どどれをみても工業製品ではありません。

 つまり、今我々が雑貨とか教養娯楽費とかいう風に分類している消費が、ウエイトとしてはどんどん大きくなることではないかという風に考えます。今まで、私どもがそういう風に分類しておりますものは、全体の消費の中で3割あまりだと思いますが、それが5割位になった時には、やっぱり情報化社会に本格的に入るときだと考えられます。そうなると、そういう消費があると、そういう供給があり、そのための投資がなければならないということであります。また、そのための雇用がその面になければならないということになるわけであります。そうしますと、所謂、産業構造のウエイトが、1次産業から2次産業に、更に3次産業に変わってゆく、そういう社会になるのではないか、というのがポスト・インダストリアル・ソサイティというものの発想だと考えておるわけです。

 別の面から言いますと、およそ経済というものは3つの要素から成り立つと思いますが、それは一つは物質であり、一つはエネルギーであり、もう一つは情報であると一般に言われております。

 それで一番簡単な農業という段階を考えてみて、この場合、物質というのはおそらく土地。エネルギーというのは労働力でありますから、原始的な農業は殆ど物質とエネルギーで成り立っている。その場合、情報というのがもしあるとすれば、どうも今日の雲の模様では明日は雨ではなかろうか、段々寒くなったから冬が来るのではなかろうかとか、おそらく農業をやる者は、こういうことを考えてやっておりますけれども、それは情報には違いありませんが、売り買いするほどの情報ではなかったと思います。また、マーケットというものも農業はそう大きくありませんから、その段階では殆ど情報というのは価値はなかったであろうと思われます。

 しかし、それが工業ということになりますと、これは明らかに生産規模が大きくなって参りますから、マーケットというものを無視しては考えられないし、明らかに一つの情報であるし、またデザインというものも無視しては考えられなくなってきます。そこで工業の段階というものは、情報のウエイトが農業の段階よりは、かなり大きくなって参ります。

 今後、物質はどんどん合成されるであろうし、エネルギーは原子力がもう少し安くなれば、殆ど無限であるということが出来る。こうなりますと、物質とエネルギーというもののウエイトが非常に小さくなって、情報というもののウエイトが自然に大きくならざるを得ないと考えられるわけであります。それが丁度先ほど申し上げた、所得が大きくなれば、その多くの部分が1次産業でも2次産業でもない、その次の、仮に第3次産業と呼んだところに最も使われるだろう、と考えたそれとほぼマッチするような関係に、私はなるのではないかと思うわけです。

 今、情報というものについて、私もあまり充分学問をしたものではなく、はっきりしたことを申し上げる自信はありませんが、学者の説明では、例えば私が模様のついたネクタイをしている。このネクタイの持っている模様はやはり情報であります。つまり、こんなビラビラした切れを2,000円出しているのも、やはり模様を買っているわけであります。ご婦人にすれば当たり前のことで、着物にお金をかけるのは、やはり柄とか色々のことであろうと思います。このコップにこういう刻みがありますが、刻みがなくともビールは入りますが、やはり刻みは情報価値があって、グラスが売れるということでありましょう。

 私どもは、洋服なんてものは寒さを防げば足りるという風に育った者ですが、この頃の若い人は、色とかデザインというのはクオリティの一部であると考えているらしい。そういう意味で、情報というものがどんどんウエイトを持つようになり始めるであろう。例えば、あまり適当でない例かもしれませんが、会津に参りますと、白虎隊がこの地で死んだのですが、「社稷亡びぬ、わがこと終わりぬ」といって腹を切るわけですが、その「社稷」というのは国ですから、あの人たちが国と考えたのは会津藩で、会津藩が薩摩藩に滅ぼされた。あのころが丁度経済的には農業の時代であって、その次にそれが工業革命と言いますか、日本が工業化の段階に入ってきた。

 農業化の時代の国というのは、会津と考えてもあまり差し支えなかったであろう。会津でできた物を会津で消費すればよいわけです。しかし、工業化の段階に入ってそれから百年の間に、お互いが、国というのは会津のことではない、日本のことであるというふうに誰でも直感的に考えるようになりました。これには工業化の段階に入ったところで廃藩置県が行われたことも、それだけの意味があったとも思いますが、そうすると、もし工業化以後の社会が現れるときに、今度はお互いが国と言いますか、社会と言いますか、生活のエリアをどの位のものとして考えるかということは、おそらく一つの問題になるであろう。つまり、ポスト・インダストリアル・ソサイティという言葉が「ステイト」とも言っていないし、「ネイション」とも言っていないで、「ソサイティ」という捉え方をしているのは、私は面白いと思うのです。その時に、少し大げさな言い方をすれば、国境というものはどんなことになるのでしょうか。

 新宿あたりにヒッピーとかいうものがおります。あそこには外国からも沢山きておるそうですが、このころの若い人は一向に外国人だと考えないらしい。むしろ、家に帰って親父の顔を見ると、かえって外国人ではないか、というような感じがあるのではないかと思われますが、それはやっぱりナショナリティの差とジェネレイションの差と、少し大げさに言えばどっちがより違うのだというのかもしれない。外国というものについての違和感というものは、若い人には急速になくなっていくのではないかと思われるし、情報というものが本来イデオロギーに乏しいものでありましょうから、或いはそういうことになっていくのかもしれないと考えられるのであります。

 ところで情報社会、或いはポスト・インダストリアル・ソサイティを可能にする一つの最近の発見は、恐らく電子計算機であろうと思われます。そしてこの電子計算機というものが工業などでは現実にニューメリカルコントロールというような使われかたをし、或いはマシーニングセンターというものになって、かつて蒸気や動力が人間の手や足の代りをしたように、電子計算機というものは頭脳の助けをしそうであります。しかし電子計算機というものが、所謂ビジネスの革命はしてゆくだろうが、更に進んで家庭生活まで変えてゆくということは、お互いになかなかわかりにくい。

 先月ある雑誌を読んでいましたら、これから出る本の、小さな紹介がありました。ピーター・ドラッカーが書いたものですが、こんなことが書いてあります。電気というものが発明されたのは確か1850何年かにジーメンスで発電機というものが作られた。しかしこの限りではこの発電機は、何等市民生活に革命的な意味合をもたらさなかった。たまたまそれから33年とかあとにエジソンが電球というものを発明した、その電球によって電気というものが初めて家庭を明るくし、人間生活に革命的な変化を与えた。

 それと同じように、今電子計算機というものは完成したけれども、これがお互いの生活まで改革をするには電球が一つ抜けておるというわけです。そのことはドラッカーに言わせれば、所謂その間のインフォメイションシステム、或いはお互いの言葉で言えばソフトウェアーとでもいうのでしょう。それは人間を含めてプログラマーとか、システムエンジニアとかいうのも含めて一般的にソフトウェアーというものが欠けておる。わが国の場合殊にそうですが、そこがないために、どうして家庭生活が電子計算機につながるかというものがもう一つわかってこない。しかし、これは何かの形でそこが埋まるに違いないと思われます。

 例えば、比喩的で私にもはっきりわかってのことではありませんが、音楽がある段階で符でとらえられるようになった。音符というものを人が考えたと同じように、電子計算機の言葉というものが音符程度我々に理解されるようになれば、それが中心になってそういう情報社会というものが更に進んでいくようになるのであろうという風に考えられるわけであります。

 でそうなった場合に、さてどういうことになるかというのが、私が興味をもつ問題なのですが、その前にドラッカーのことにふれましたので、ちょっとそれを申し上げてしまいますと、彼の新著はこの雑誌の紹介によると「不連続の時代」ジ・エイジ・オブ・ディスコンティニュィティという題だそうであります。ここで彼が言おうとしていることは、今我々が二十世紀になって享受している文明、或いは機械、いろんなものすべて十九世紀には原理的に殆んど完成してしまっておる。或るものは十九世紀からすでに出来ておるのであって、今我々が、かりに今の時点と丁度第一次世界大戦の始まる1913年の時点とを比べて、本当に違ったことに驚くか、違ってないことに驚くかというと、むしろ違っていないことに驚くのじゃないか、と言っております。

 今我々の持っている文明というものは、殆んど前時代の遺産を食っておるのであって、これからあと二十一世紀に至る期間というものを過去の連続と考えると、恐らく間違いであろう。これから新しい産業が将来に向かってスタートしてゆくと考えた方が本当なのではないかということをいうわけであります。
  彼がこれからの産業として挙げておりますものは確か4つありまして、一つは先刻申し上げました情報産業です。これについてはお互いにあまり異論のない所だと思います。

 それから第二には海洋産業を挙げております。これについてもかなりわかりつつあることでありますから、わが国では大体水深200メートル位までの大陸棚の面積を勘定しますと、わが国本土の八割位になるようですから日本にとってもこれは大事な産業になることは間違いない。

 第三に、これはちょっと面白いことですが材料産業というものを挙げております。それはつまり我々が今日使っておる材料というものは、殆んどが今から4、5千年前には既に存在しておったという風にいっております。銑鉄でも非鉄金属でも、ガラスや材木、陶磁器、紙は少し遅れますがキリストの頃には既にありました。我々は材料というものを数千年の間殆んど革命らしい革命をしていないで僅かにアルミニウムとゴムが登場したに過ぎない。本当に材料らしい材料というものは最近になってプラスチックが登場した位であるという風にいっております。そして今後おそらく現れる材料というのは代替性のあるいろんなものが登場していくであろうといっておるわけですが、このことはさっき申しましたポスト・インダストリアル・ソサイティで材料とエネルギーと情報と申しましたその材料というものは、殆んど無限になるということに合致するような感じがするわけです。

 そして最後の第四にドラッカーは、メガロポリスの成長に伴う産業をあげています。これも比較的理解のしやすいことですが、まあ地下の産業であっても、ベンティレーションであっても、公害であっても、殊に廃棄物といったものは、これからいろんな産業原、いろんな発明や発見の母になるのではないかという気がします。つまり先刻も申しましたように段々所得が多くなり、そして大量消費が行われていくと、良いことか悪いことかは別にして沢山の廃棄物が出ていく。プラスチックなんかも恐らくそうであります。このごろは自動車の古いのだって一体どうするのだということが問題になっている。廃棄物の処置はやはり大変なことの一つになるだろうと思っております。これもメガロポリスに伴う一つの産業に恐らくなり得るでありましょう。そういったような一つの産業が考えられるとドラッカーはいております。

 つまり彼がここでジ・エイジ・オブ・ディスコンティニュィティとわざわざ言ったのは、今日が昨日の連続であり、明日が今日の連続であると考えると物事は間違えるかもしれない。むしろこれからは非連続、今迄と違うものだと考える方が良い、ということを言いたかったのだと思います。

 いろいろと、とめどもないことを申し上げて参りましたが、段々わが国が、所謂ポスト・インダストリアル・ソサィティに向っていく、また所得の成長がそれをほぼ裏付けるようになっていくと考えた場合に、いろんな問題がおこってくるであろうと思います。そのような成長と国家というようなものがそういう関係に立つのであろうか、ということを、明日や明後日の問題ではないにしても段々考える必要があるのではないか、と思うのであります。

 国家というものは、これから社会がポスト・インダストリアル・ソサイティに向かっていったとしても、やはり世界が完全に平和であるという時代ではないわけですから、国民に対して平和と自由を保障する、或いは確保するというようなことで、今後と雖も大事な機能であり続けるだろうという風に私は考えるのであります。

 わが国は幸いにしてよその国に対して手は出さないという考え方でありますが、だから手を出されないかということについては、やはり問題が残るであろう。

 それから例えば国内に於ける秩序とか法とかいうもの、ロー・アンド・オーダーと言われるものは、昨年のアメリカの大統領選挙でもいろいろ争われましたが、これの維持というのはなお暫らく、或いは今後も長い間、国の仕事なのではないでしょうか。ただ、ロー・アンド・オーダーというものをいろんな意味で固着したものとして考えることは、或いは適当ではないのではないか。社会というものがいろいろに変化していく、英米法にはそういう考え方がそこにあるのじゃないかと思いますが、やはりロー・アンド・オーダーというものは、法律の文字に固定化されているといったようなものとは多少違ったものとして考え得るのじゃないか。この点はかなり巾広く考えておかないと若い人達にはなかなかわかりにくいことであろうし、世の中はまた、やはりそういう風に動いてゆくのではないか、というような考えもするわけです。

 それからまた恐らく国としては、今後とも国内に於て恵まれない人々に福祉、社会保障といったようなものをやってゆく義務を当然負うであろうと思いますし、また対外的には殊に日本の場合を考えますと、第三次世界大戦の起るのを防ぐという意味では、所謂南北問題がその発端にならないために、どうやって南の恵まれない国々、殊に東南アジアに対してどのような援助をすることが出来るか、ということが、日本としてはこれからの外交に私は一番の問題だろうと思います。ただ平和を口にするだけでは駄目であって、将来起り得る戦争の芽を、積極的に摘んでゆくことが必要ではないかと思います。

 昨年中山伊知郎教授が文化功労賞になられた時に、陛下の前で日本の経済のお話を申し上げ、ハーマン・カーンのことも、二十一世紀には日本はこうなるかもしれないと申し上げた、それに対して一問ご下問があって、二分間でお返事をするというルールだそうですが、お尋ねは、「日本がそのハーマン・カーンが言ったように、二十一世紀にそういう立派な国になるための条件は何か」ということであったそうで「対内的には消費者物価の安定、対外的には、これからの後進国に対して日本がどれだけの援助をすすんでやれるか。国内がそれをどういう風に受け入れられるか、ということではないかと思う」ということを答えられたそうであります。私は確かにその通りであろうと思うわけであります。

 後進国援助というのは実に難しいことですが、これから二十一世紀にかけて、大きく言えば世界の平和、小さく言えば、日本はこれからどれだけいい意味で伸びてゆけるかどうかという鍵になるのではないかと私共は思います。しかしそれ等のことを更に超えて段々経済というものを考えてゆきますと、経済的な繁栄とは、結局それ自身が目的でなく、その結果をどのように生かすか、ということがお互いに生まれてきたその意味合なのだろうという風に思うのであります。

 殊にこうやって段々豊かな社会になってきたと思いますが、我々は民族としてごく最近迄貧乏でありましたから、貧乏に処する道徳というのは親からも習ったし、世間からも知らず知らずに教えられて今日に至った。貧乏でも人のものを取るな、額に汗して自分で稼いだもので暮らせというモラル、それは習ったけれども、いざ富に処するにはどうしたらいいか。豊かな社会になった時にどうしたらいいか。どういうモラルがあるか、ということをついぞ今迄習っていないように思います。宗教的バックボーンを欠いておりますから、どういうことが我々の新らしいモラルであるのか、ということも解らないようになってきているのではないかと思います。

 殊にこれが情報化社会ということに進んでいって、第三次産業、第四次産業かもしれませんが、そういうものに大きな投資が行われる。そういうものに大きな消費があるというようなことになると、そもそも生産という観念さえ段々怪しくなってくる心配すらある。そうなると、物を作ることからくるモラルというものも、どうも今迄考えられたものと同じものであるのかどうか段々疑わしいような気がしてくるのであります。
 

 今の段階では、日本がそういう社会になると考えて、例えば公害という意識は既に生れつつありますが、もう少し先迄すすみますと、これはガルブレイスの「新産業国家」の中で、人間が飲まず食わずの時には食うことが何よりの問題で、それ以外のことを考えろといっても無理なことであるが、その次の段階になって殊に段々今のような豊かな社会になってくると、ここに工場を建てることによってある文化財が失われる。これは果して差引いて、良いことであるかどうか。それは当然問わなければならない問題だろうと言っておりますが、同じような意味で、例えば東京でも関西でも海水浴場がなくなってきていますが、工場用地を埋めたてることと海水浴場がなくなることは、果して得失如何ということをどうしても考えなければならない時代が、刻々私は近づいてくるような気がしています。

 そうしますと、ただ経済的な発展ということそれ自身は最終目的ではなく、それをどのように有利に人生に結びつけるか、おそらく最後にはお互い一人の人間としてもって生まれたその個性で、何かの創造をするということ、クリエイションをするということ、或いは民族として、その民族でなければ出来ない文化的な創造をすることが最終の目的であろうと思います。経済発展ということがそれを阻害することがあってはならないことは勿論として、更にそれを助長するような形で、どのようにあれば良いのかということになりますと、私自身非常に考えさせられることが多い。今日それをまとまった結論として申し上げることはとても私には及ばないことであります。前後四年間、非常に成長の速い経済の運営の一端にたずさわっておって、今日真底考えることは、只今申し上げたようなことであります。
 まとまりませんでしたことをおわび申し上げます。

(衆議院議員・前経済企画庁長官・東大・法・昭16)