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爆発する都市 丹下 健三 No.689(昭和40年11月)

     
爆発する都市  
丹下健三(東大教授) No.689(昭和40年11月)号
 

*—————-はじめに——————–*

 ただいまご紹介にあずかりました丹下でございます。きょうは、皆様の貴重な時間を拝借いたしまして、日ごろ考えておりますことについて、お話しする機会を得ましたことをありがたく思っております。ことに大先輩のかたがたの前で、こういうお話しが出来ますことをたいへん光栄に思います。
  わたしくしは、建築と都市計画といった方面のことを専攻している者でありまして、日ごろ建築とか都市、もっと一般的に申しまして、人間の生活して行く上に必要な環境といったものについて、いつも考えているものであります。 よく建築や都市は、それぞれの国の文化を表現しているとか、文化の顔であるとかいわれています。確かに建築や都市は、それぞれの時代の文明そのものを端的に示すものであります。そういう意味から申しますと、建築や都市は人間がそこに住まい、生活する場であります。と同時に、それは1つの文明現象だといえます。そういった建築や都市がいまや非常に大きな転換期におかれていると申していいかと思います。そういった問題につきまして、少しお話ししてみたいと思います。

*———–人口の爆発的都市化が行われている————–*

 現代、わたくしたちの生活環境を考えるにあたって、一番大きな状況の変化は、第一に、非常に大規模な、急速な都市化現象アーバニゼーション(Urbanization)が起りつつあるということであります。それは、日本ばかりでなく、世界的な現象だといってよいと思います。簡単な数字をちょっと引き合いに出しますが――今世紀のはじめ、世界の人口は、15億でした。ところが、現在(1960年)、世界の人口は約30億になっております。この60年間に倍になったわけであります。それは、非常に急速に人口が増えたことを意味しております。何千年、何万年かかりまして、世界の人口が漸く15億になっていたのが、わずか60年間にその倍になりました。しかし、さらに今世紀の末に、いまから申しますと、あと35年ですが、世界の人口は、60億になるといわれております。また倍になるわけです。そのさきになりますと、人口学者も、多少正確さを欠いて、いろんな意見を申しておりますが、21世紀の最初の20年間にそのまた倍になるのではなかろうかという推測をくだしている人口学者もおります。
  しかし、その段階では、人口増加にたいする制御作用がなんらかの形ででてこざるをえないのだろうと思いますが、ともあれ、現在世界の人口は、爆発的に増加しておりますので、それをよく人口爆発(population explosion)とよんでおります。

 世界の人口がこういう風にふえるというだけでなく、その人達が住む住みかたがひじょうに変わってまいります。古い昔を考えてみますと、人々は田園的に住んでいたのですけれども、次第に都市的な状態で住む人間の割合が増えてまいりました。
  現在、約30億の世界人口のなかで、都市的な状態で住んでいる人口がどれくらいいるかということを、人口学者が推定しておりますが、それは7億前後ではないかといわれています。いまのところは、まだ、世界人口30億の中の7億ですから、そう大きな割合ではありません。約25%ということになります。しかし、これからさきどうなるかと申しますと、世界の人口がどんどん増えて行っても、農業人口は、これ以上は増える必要はなさそうであるといたしますとこれから増える人口の大部分は、都市的な産業、いいかえれば職業に従事する人達になって行くのではないだろうか、と考えられます。
  今世紀末の都市人口は、控えめに推定している人で25億、多めに考えている人で30数億の都市人口が生れてくると考えられております。現在の都市人口は7億でございますから、あと35~40年で、それが30億近くになるということは、それこそまた爆発的な都市化の現象でございます。
  このように世界的に見ますると、今や、大変な都市化現象が進行しているのである、と考えていいと思います。わが国におきましても、たいへんな人口の都市集中で右往左往している訳ですが、これは、ひとり日本だけでなく、世界的な現象なのであります。世界的に見ますと、日本よりもっと激しい都市化が起りつつあるといえます。

 国によっても違いまして、イギリスのようなところは、一国の人口の中で農業人口がすでに4%にまでも減っていますので、もうこれ以上農業人口が減るわけには行きません。そのために、それほどの都市化の現象は行われておりません。けれども、アメリカでは、まだ人口増加も非常に大きいですし、農業人口も多少の余裕がありますので、都市化現象は、かなり急激であります。それ以上に、アジア・アフリカ地域では、人口増加も大きいし、また農業人口率も高いので、大変な勢いの都市化が行われております。
  そういった中で、日本についてどうであろうかと考えてみますと、けさの朝日新聞にも出ていましたが、あと20年経てば、日本の人口は、1億1600万人になって、その9割までが都市人口になるだろうと、という風な大きな見出しがついて出ていましたが、それは最近人口問題研究所で出した数字であります。われわれも前々からそういうことを推測していたのであります。次に、その数字をごく大まかに申し上げます。

 今世紀末という風なことを申しますと、大変遠いさきのようですけれども、たとえて申しますと、現在大学を卒業するような人たちがもっとも働き盛りになるのが、今世紀末でして、この人たちは今世紀から来世紀にかけて活動の生がいを送ることになるわけであり、21世紀も、もう現代の領域に現代の人間が手のとどく範囲に入ってきたといえましょう。そういう意味で、世界の至るところで、今世紀末はどうなるだろう、21世紀にはどうなるであろうと、いう風なことを考え始めております。
  今世紀末を目標にした地域開発計画とか都市計画とかが、世界の各国で行なわれる状態になってまいりました。今世紀末にはどうなるだろうか、ということを一応念頭に置いていただくために、数字を申し上げますと、日本の人口は、絶対量はそう増えませんが、控えめに見積って1億2千万、多めに推測する向きで1億5千万と見ております。おそらく、その中間ぐらいになるのではないかと推計されます。問題を簡単にするため、その最少限の状態1億2千万になるとしまして、その状態におきまして、約1億1千万の人口が都市人口になりそうだと考えられております。そして、そのうちの9千万人は、東海道沿線に集まってくるのではなかろうかと考えられておるのです。東京から静岡、名古屋を経て大阪に至る、その地域に9千万人が集まるのではなかろうかと考えられております。
  で、現在はどうかと申しますと、現在、日本の人口は、9千万強でして、そのうちの都市人口は、1960年の調査では4千万人強でした。すると、都市人口は、1960年の4千万人から40年後の2000年には1億1千万人に、2倍半から3倍近くになります。現在、4千万の都市人口のうち、2千6百万が東京、名古屋、大阪を含む東海道沿線に住んでおります。その2千6百万人が今世紀末には、9千万人になるだろうと考えられております。ですから東京、名古屋、大阪には、あと3、40年の間に約6千万の都市人口がプラスされると考えていただいていいわけであります。こうした勢いで、日本の都市化が急激に進行しております。しかも、その都市化の地域も、主としてすでにお話ししましたように、東海道沿線に集中してくることが予想されております。日本においてもこうであり、世界においてもこういう都市化が行われているのですが、それでは、どういった形の都市ができるか、どういう都市のありかたが考えられるか、どういう都市の配置が考えられるかについて、いくつかの考えかたがあります。

*——–メトロポリス、エクメノポリス、メガロポリス———–*

 都市配置について、世界的にみて大きくわけますと、3つの考えかたがあるかと思います。1つは、メトロポリス(Metropolis)、1つは、エクメノポリス(Ecumenopolis)、もう1つは、メガロポリス(Megalopolis)という考え方です。

 メトロポリスと申しますのは、こうだと思います。世界の都市をみますと、百万をこえるような大きな都市があります。そういう都市が中心になりまして、その周辺に、いろいろ影響圏なり、支配圏なりを形成します。逆に申しますと、その周囲は、中心都市に向かって求心的な活動をしております。
  東京で申しますと、東京を中心にして首都圏という1つの円環的・求心的な構造を呈しております。現在、首都圏整備計画などといわれている首都圏という考えかたがそれにあたるわけでありまして、首都という中心があって、その周辺の百キロ圏を、その影響国とみたてているものでして、それをメトロポリスということばでよんでおります。東京・メトロポリタン・エリアとか、ニューヨーク・メトロポリタン・エリアとかいう風に、現在一般的に使われている概念です。都市を単独にあつかわないで、その周辺に影響を与えている地域、あるいは、その周辺と相当程度相互関係の密接な地域を一体として考える、――そういうものを都市圏として考えているわけで、現在、世界で百万人をこえるメトロポリタン・エリアは、すでに130を数えています。
  日本の首都圏という考えかたも、東京を中心としたある地域、50キロ圏などを考えているわけでございます。いままでのところは、そういった考えかたが、世界的にも支配的であったかと思います。

 これと別にもうひとつの考えかたは、わたくしがさきほど申しましたように、目下たいへんなスピードで都市化が進行しておりますから、このようなメトロポリス的な考えかたでは、将来、律しきれなくなるだろう。つまり、都市になりうる地域、平野という平野は、全部都市になって行くのではないか、と考えられます。
  そうなりますと、特殊な大きな中心があるのではなくて、無数の中心があって、それが網の目状につながっているという形の都市配置が考えられていいのではないだろうか、ということをギリシヤの都市計画技術者であり都市学者であったドキシヤデス(Doxiades)という人がいい出しまして、それをエクメノポリスと云うことばで、彼はよんでおります。これは「世界の都市」とでもいってよい意味を含んだギリシヤ語であります。
  その1つの、日本での現れとして、新産業都市という政策があります。これは、工場をすでに発展した京浜とかあるいは中京ではなくて、未開発地域に分散配置してゆこうという考えかたでありますが、人口をなるべく分散させ、まんべんなくあまねく拡げようという考えかたは、あたかもエクメノポリスという考えかたと似ております。いま日本でとっている地域政策的な考えかたには、首都圏、近畿圏といったメトロポリス的な考えかたがあり、それとともにエクメノポリス的な分散的都市配置がオーバーラップしたメトロポリス・エクメノポリス・コンプレックスとでもいってよかろうかと思います。

 次に、最近メガロポリスという考えかたが出てきたわけであります。
  その一番元になった地域というのは、アメリカでありまして、アメリカの大西洋岸の都市地域、北はボストンからニューヨークを経てフィラデルフィア、バルチモア、ワシントンという地域であります。行政的にはそれぞれ別々の市制をもったものですし、都市計画的にはそれぞれ都市が中心になってメトロポリタン・エリア(Metropolitan area)をつくっているのであります。ボストン・メトロポリタン・エリア、ニューヨーク・メトロポリタン・エリア、フィラデルフィア・メトロポリタン・エリアといったように、メトロポリタン・エリアをもっているのであります。
  しかし、実際のその地域を見ておりますと、それぞれの地域の独立性というよりはそれぞれの地域を横に結んで、1つの有機的な一体になろうとする力が働きかけてきたのであります。むしろ、それと別々の都市あるいは都市圏として考えるより、それら全体を1つの都市地域として考えた方がいいんではなかろうか、というわけであります。
  メガロポリスという名称は、ゴットマン(Jean Gottmann)という都市学者によって4年ほど前に提案されまして、その考えかたがいま世界的にのびつつあります。

*————–日本列島の将来像を考える—————–*

 日本も、現在は、首都圏とか近畿圏とかいう風に、それぞればらばらに、それぞれの勢力圏といいますか、影響圏といいますか、そういう都市圏を確立しようとして、それぞれが競争的にまた対立的に考えられておるようであります。その中間にはさまって、中京圏というものも問題にしなければならなくなってくると思います。けれども、そう考えますと、日本全体が北海道、東北、首都圏、中京圏、北陸、近畿圏、中国、四国、九州という風に、ちょうど人間のからだで申しますと、全体として1つの有機体であるにもかかわらず、輪切りにされて、それぞれが別々に問題にされるということになりかねないような情勢であります。
  むしろ、日本のようなところは、日本は1つでいいという考えかたで徹した方がいいのではないかという考えかたが最近かなり出て来ております。わたくしもその考えかたを採りたいと思っております。そういう場合に、日本のなかに大きな中心が3つあるということではなく、東京から大阪までを1つの「東海道メガロポリス」という都市地域だと考えた方が考え易いんではないか、そう考えることによって、日本列島の将来を見ることができるのではないか、むしろ、その方が、日本を1つの有機体として考える場合には、考えやすいんではなかろうかと感じつつある次第です。
  とくに、東京と大阪と申しましても新幹線が出来ましてからは、いま4時間ですけれども、今秋からは3時間になると思いますし、いまの設備そのままで2時間半まで短縮できるそうであります。また、いまの設備そのままで百の列車をお互いに往復出来るのでありますから、そうしますと上り下りに双方から1日に約10万人づつを動かしうるわけでありまして、大変多勢の人を東西の連絡に運べるのであります。そう考えて見ますと、だんだん東京から大阪に至る一連の地域というものが、1日の生活行動圏内の中に入ってしまうところの1つの都市地域になりつつある、という実感が出て来たわけであります。その交通の設備は、今後ますます急速に発展すると思われます。おそらく、数年のうちに東京から大阪までの高速道路が完成すると思われます。ここ10年~15年さきに、そのくらいの高速道路が日本を横断すると思いますが、この状態になりますと、東京と大阪との間には、第2の新幹線が出来まして、さらに第2の高速道路も出来るということになると思います。
  世界の技術発展の傾向を見ておりますと、これから20年くらいたてば、おそらく東京と大阪の間は運転手なしで車が走れるような高速道路が出来るではないかと考えられております。高速道路の1つの欠陥は自動車は、高速道路をいくら早く走っても、人が運転している限り、時速120キロ~130キロ以上は走れないという欠陥があります。
  鉄道でありますと、時速200キロ~300キロは走れます。しかし、だんだん技術が開発されまして、車を高速道路上に乗せれば、あとは目的地のボタンを押しておきますと眠っていてもいけるといったものです。すでにこどものおもちゃにはでております。アメリカのGMやフォードではすでに相当の技術が開発されているといわれております。おそらく、これはここ20年以内に世界のここかしこに現れてくるにちがいない。日本についても、東京・大阪の間にはおそらく20年内に、この種の高速道路が出来るにちがいないと思われます。そういった状態を考えてみますと、東京・大阪間というのは、まず、1つの都市だと考えた方が手っ取り早いのではなかろうかと思われます。

 しかも、メガロポリスのスケールは、今では、1千万都市という風なことを考えておりますが、8千万とか1億とか、そういうオーダーの人口をかかえた1つの都市地域であります。それを歴史的に考えて見ますと、今世紀のはじめ、人口百万の都市が、世界中に10ほどありましたが、1960年には、人口1千万の都市が10ほど出来ました。
  おそらく今世紀末には、人口1億クラスの都市地域がいくつか出来てくると思われます。アメリカにはそういわれる地域が3つありまして、その1つは大西洋岸――ボストンからワシントンまでを含むメガロポリス、もう1つはミシガン湖を北から南に下ってくる1つのゾーン――モントリオールからシカゴまでのメガロポリス、さらにもう1つはカルフォルニア・ゾーンでありまして、それぞれがやはり8千万から9千万の人口をかかえてそれぞれ1つの都市地域になるだろうと云われております。
  現在、世界のいたるところで、こういう大きな都市化現象が発生しておりまして、日本もその例外ではないと思います。

*——–日本建設のエネルギーはじゅうぶんにある———-*

 そういう条件の中で、われわれの生活環境をどういう風に考えて行くか、われわれの次の時代の文明をどのように表現し、どのように建設して行ったらいいか、という問題が出て来るのではないかと思います。
  それを考えます場合、まず考えて置きたい点は、現在日本では衛星都市だとか、新産業都市といって、都市を分散させる政策に重点をおいております。また一方では、市民や民間企業も都市の中は地価が高くて入ってゆけないために、都市の周辺は、自然放任された発展をしております。そのために、どこの田舎に行きましても、どこの山の奥に行きましても、バラックが立っており、何か建設工事が行なわれており、さらに煙をはいている工場がある、という状態で、自然らしい自然が失なわれつつあるような感じを受けます。
  わたくしは、都市はもっと都市らしくコンパクトに、自然はもっと自然らしくと考えております。
  では、どうすれば都市を都市らしく建設してゆけるのか、ということについて、問題を3つのポイントに分けて説明してみたいと思います。
  1つは、そんなに8千万とか1億クラスの都市が形成されるとしたら、果たしてそんなものが建設出来るだろうか、それにふさわしい道路などがうまく出来て行くだろうか、それだけの経済力を日本が果たして持っているだろうかということであります。
  これについてわたしくし、簡単な数字を挙げまして説明していきたいと思います。それから、今後の発展の動向を考えてみたいと思います。
  戦後1946年から1959年までの状態で、日本は、どれくらいの建設投資をしたか、土木工事と建設工事と合わせてどれぐらいの建設工事をしたかと申しますと、日本全体で15兆円の建設投資をしました。それは1960年の価格にいたしましての15兆円であります。であります。ところが、その次の1960年から61年、62年、63年、64年と、この5年間で、それと同じだけの約15兆円の建設を、またいたしました。日本の経済がそこでは8%~10%の成長を示したわけでありますけれども、建設投資に関しましては20%近い成長を示した時期でありまして、急ピッチで建設投資が進行したのであります。合計しまして戦後現在までに、30兆円の建設投資が行われました。その30兆円で、日本の国が見違えるように変わったのであります。あの焼野原であった日本が一応これだけの姿になるために費した建設投資は30兆円であります。

 では、将来、どの程度の投資があるのか、という問題についていくつかの仮定を置いて考えて見ることにしましょう。
  今後日本の経済がずっと8%の成長を示すとかりに考えます場合、今世紀末まであと35年の間に何兆円の建設投資が行われるか、を推算いたしますと、1,100兆円の建設投資が期待されるのであります。かりに今後4%の成長をするとして、どれくらいの建設投資が行われるか試算いたしますと、今世紀末までに500兆円であります。そこで、経済企画庁におられた大来(佐武郎)さんと試算して見たことがあります。それは1960年代を8%、70年代を6%、それ以後は5%の成長と仮定してみました試算でありますが、その時出た数字は630兆円であります。その額と、先ほども申しました30兆円を比較していただきますと、よくわかることだと思いますが、戦後われわれの生活環境があの焼野原の状態から現在まで変わったのに30兆円を使ったのですが、その20倍の建設投資を今後35年間にするということであります。ですから、やろうと思えば相当のことが出来るということを、まず念頭においていただいていいのではなかろうかと思います。
  しかし、そのうち、約3分の1は、公共投資でありまして、3分の2は民間の私的な、あるいは企業的な投資でありますので、コントロールの可能な建設資金というのはそのうちの3分の1程度にしか過ぎないのかも知れませんが、しかし、何かうまくコントロールして行けば、それは非常にいい形で日本の国土、われわれの将来の生活環境を建設し創造して行くのに役立つわけであります。
  これをアメリカにくらべて見ようと思います。アメリカは、1940年代の10年間に日本円に換算いたしまして、43兆円、1950年代では145兆円投資いたしました。アメリカのライフ・タイム社の推測によりますと、1960年代の末までに240兆円の投資をするだろうといっております。アメリカの成長率は日本ほどではありませんが、やはり、かなりの程度、建設投資が成長しているのであります。これを日本と比べてみますと、人口一人当たりの建設投資は、日本はアメリカの10年遅れで進んでいるという結果になります。しかし、国の広さその他を考えますと、アメリカとは4~5年の開きしかないという風に考えていいのではなかろうかと思います。ですから、アメリカで4~5年前に出来ていたようなことが、日本では、今日出来ると、そう考えていただいていいんではなかろうかと考えます。勿論、アメリカがやったことをそのまま真似をしろということではありません。そのくらいのスケールの仕事はでき、さらにそれをもっといい形で、アメリカの轍を繰り返さないでやることが出来るのではなかろうかという意味です。

 日本は、それだけの力をもっている。じゅうぶん力をもっていると考えていい。さらにまた、今後そういった都市を建設して行く場合に、建築、あるいは土木に関する建設技術は、非常な勢いで成長、発展しておりますことを念頭において、将来の姿を考える必要があると思います。
  既成の技術だけを念頭において、無理じゃないか、技術的に出来ないのじゃないかといった消極的な態度ではなくて、発展的な考えをもって今後の姿を考えて行くことが必要だと思います。これだけの大きな建設量を消化して行くためには、日本の建設産業はさらに近代化して行かなければならないわけであります。さらに新しい技術を取り上げていかなければならない運命にあります。 まず第1番目のポイントであった、生活環境を創造して行くエネルギーがあるかという問題に関しては、資本投資と技術はじゅうぶんに力がある、と申し上げていいかと思います。

*———–新しい都市設計が必要である————-*

 では、2番目に考えなければならない点は、これからの都市を建設してゆく場合に、今までのような建築や道路や土木工事、そういうものの考えかたをそのまま延長していたのではこれからの都市は出来て行かないということであります。
  1つの例をあげて説明したいと思います。
  簡単に申しますと、都市を物理的(フィジカル)に構成している主要なエレメントは、道――広い意味の交通施設を代表させて――と建築だといっていいかと思います。昔は、道がありまして、道に沿って建築が建っていればそれでよかったのであります。ある建物からほかの建物に行こうとする場合、道に面したドアから出て道の上を通り、次の建物のドアに入って行けばいいのでありますからそれで1つの都市が構成されていたのであります。ところが鉄道が出来てまいりますと、道と建築との関係はかなり変わってまいりました。鉄道も一種の道でありまして、人を運び、物を運ぶ1つの道であります。
  しかし、この鉄道と建物との関係は、今までの道と建築との関係とは全く変わったものになったのであります。鉄道が出来たからといって、鉄道沿線に建物を建てても何んの役にも立たないわけであります。そこで駅というものが出来まして、鉄道に乗っている人は、一旦駅で降りて、そこから歩いて建物に入って行く関係が出来まして、駅を持ち込むことによりまして、鉄道と個々の建築との関係をうまく関係づけたのであります。そのうちに、だんだん道の上を自動車が走るようになりましたが、はじめのうちは自動車と人間とが一緒にまざって走っていても、歩いていても、それほど不自然には感じていなかった。――せいぜい歩道と車道くらいを分けて置けば、なんとか解決が出来るという段階があった。

*———–自動車が都市に及ぼした影響————-*

 しかし、自動車の量とスピードが非常に大きくなってきますと、そういう解決では、到底追いつかない状態になってくるのであります。自動車の量が非常に多くなったことによって、問題が全く違ってきたことは、例えば東京で皆さんが日々体験していらっしゃるとおりであります。かろうじて道の上を車で走って来ましたけれども、建物の前に車が付けられない。仮りに付けて、急いで建物の前で降りたとしても、車を駐めておく場所がない、そういう問題が出てきたのであります。さらに、早く走れるはずの自動車がちっとも早く走れないという問題も、一方では出て来ております。そこで、自動車というものは、将来は都市の中ではもうやっかいなものであって、使うのが間違っているのである、と云う考えかたも出て来るのであります。
  けれども、わたくしは、将来ますます自動車は有効であり有用であると思います。逆の云いかたをしますと、縦横無尽に自動車を使いうるような都市を建設した国が次の文明のにない手になる、と考えていいと思います。そういう都市を建設し得ない国は、次の文明のにない手になれないと考えていいと思います。ですから、自動車を捨てるという考えかたよりも、自動車を積極的に都市の中に導き入れて、しかも、うまく問題を解決するという方向に進むべきである、とわたくしたちは考えております。その自動車がこれからの都市の在りかたをすっかり変えつつあります。
  まず、最近皆さまの目についてきましたことは、高速道路が町の真ん中まで入って来たことであります。それは、東京ばかりでなく、5~6年前から、アメリカやヨーロッパでぼつぼつ起こりかけてきた問題でありまして、現在アメリカでは相当大規模に高速道路が既存の都市の中に入り込んできております。そうしますと、高速道路と建築との関係というのは、今までの道と建築との関係とは全く違いまして、やはりあの高速道路に面して建築を立てても、何の意味もなく、高速道路にはやはり駅と同じようにインターチェンジがありまして、そこで一旦普通の道に降り、そこから建物へ、という順序が必要になってくるわけであります。そうしますと、都市の中に、高速道路から普通のスピードで走る道路へ、普通のスピードで走る道路から車を駐めて置くパーキングスペースへ、それから建築へ、という、秩序とでも申しますか序列とでも申しますか、そういう関係付けが必要になってきたのであります。ところが、今まで中世以来ずっと同じ恰好をとり続けてきた道と建築の関係、つまり道があれば、すぐそこに建築が建っているという風な都市の形では、今いったような問題がどれ1つとして解決しないわけであります。
  そこで、これからの都市の考えかたの中では、そういった自動車道路と駐車場と建築という秩序正しい関係付けをもった都市が出来てこないかぎり、次の時代の都市としては生きながらえることが出来ないという状態になってまいりました。さらに、自動車と人間とは同じ平面を歩かないで、それを立体的に分離した都市の建設が必要になってくるわけであります。そういう意味から申しますと、今までの都市は、すでに死にかけている、と考えていいわけであります。

 そこで、都市を次の時代に役に立つように再開発するという考えかたが出てまいります。一方では、今までの都市の中心部を見捨てて、都心から郊外へさらに惑星都市へと逃げて出て行くという考えかた、所謂都市は、もっと分散すべきであるという考えがあります。
  今の日本がややこれに近い政策を取っているわけではありますが、しかし、現実には、人はそうは分散しません。依然として都市に集まってくるし、さらに、ますます集まってきそうだという気配を見せております。ですから、どうしても都市そのものに目をつけて、都市そのものを再開発して行かなければいけないという考えかたが出て来るのも当然です。
  そこで、都市を再開発するということはどういうことかと申しますと、さきほどもわたくしが申しましたように、何よりもまず、道路と建築との関係を全く新しい関係で解決するという都市を作って行こうとすることであります。都市の中に新しい関係づけを作り上げて行くということであります。今まで建っていた古い建物をこわしてその場所に鉄筋コンクリートの背の高い建物を建てれば再開発か、といえば、そうではないのであります。
  青山通りのようなのは、再開発とわれわれは申さないわけであります。と申しますのは、道と建築との関係は、全く昔通りでありまして、道があって、歩道があって、建築がびっしり建っている、そういうことは、中世以来の都市とちっとも変わっていないのであります。再開発というのはそうではなく、道があれば高速道路があり、それが普通道路につながり、その道が青山でいえば青山通りであります。けれども、そこから適当なパーキング設備があって、そのパーキングに車が自由にとまれて、そこから建物に入って行ける、そういう状態がもっとスムーズに解決されるような1つの都市の姿を作り出すことが再開発でありまして、青山通りは、どうもこれには合格していない、とわたくしは思っております。

 それにしましても、世界各国の都市は、再開発をどんどん始めております。
  再開発によって都市を若返らせ、次の自動車時代の都市として新しい生命を獲得するという動きを盛んにやっております。また、やろうとすればそれくらいのことは、日本でもじゅうぶん出来る経済力とエネルギーを、先程も申しましたように、もっております。

*——新しい都市は人生豊かなものとなりうるだろうか——*

 もう1つの問題点にふれたいと思います。都市と、都市を構成している建築は人間の基本的な環境であります。
  物理的(フィジカル)な環境が人間の形成にとって非常に重要な役割を果たしております。そういう環境は、人間社会がつくり出したものでありますが、それと同時に、こうして創り出された環境は、逆に人間社会に働きかけ、人間自身を形成して行く重要な役割を果たしているのであります。そういう意味で都市とか建築とかいうものはきわめて文化的な表現であり、文明そのものの姿なのであります。
  都市を構成しているそれぞれの空間、建築空間というものは、やはり人間性豊かに、美しく、変化があり、個性もある、1つの文化的な価値を持ったものとして建設されなければならない、とわたくしは信じます。そういう意味から、現代の日本は果たして20世紀の文化を創造し、現代文明のにない手たりうるだろうか、という大きな問題があると思います。それは、これから日本が建設して行く都市が果たしてこれにこたえて行くか、ということで判断されていいと思います。
  日本が人間性豊かな、美しい都市を建設する能力がなかったとすれば、要するに現代日本は20世紀の文化を創造し得ないし、現代文明の担い手でもありえないのだ、と考えざるをえないことになります。
  さきほども申しましたように、日本の人口増加は、今世紀末あたりまでで、だいたい終わりまして、それ以後は非常に緩慢になると考えられております。さらに、農業人口が都市化して行くプロセスも、あと20~30年の内に急激に減って7%か5%になります。あと、それ以下には減りようがありませんから、ここ30~40年の間に、日本は急速に都市を形成するわけであります。8千万人とか、1億人とかの都市人口が急激に生れるのは今世紀の間でありまして、それだけのスピードで来世紀も、来来世紀もどんどん都市が増えて行くと云うものではない訳でありまして、今世紀ののこりの30~40年と云うのは、日本の歴史の上で非常に大きな都市形成期になるはずであります。
  そういう都市文明の時期に、果たして日本は20世紀の文化を創造し現代文明を建設し得るだろうかと云うことは、わたくしたちに取っては非常に重要な責任がある問題になってくるわけであります。
  わたくしは、このごろ、時々外国へ行く機会があるのですが、年に1、2度づついろんな所を見ておりますと、少しずつ実感のようなものができております。アメリカ大陸にしろ、ヨーロッパにしろ、この20世紀後半の文明を徐々にではありますが建設しつつあるということ、それぞれの国の文化を創造しつつあるという実感を受けるようになってきました。戦後の混乱の時期を切り抜けて、それぞれの国が20世紀の文化を創造しうるであろうか、どうだろうか、という疑問を抱いたのでありますが、それぞれの国が、その国らしい現代の文化をつくりはじめているという実感を少しづつ持ち始めました。それと同じ目で日本を見ていますと、日本はまだまだである。まだ、それをつくっていないような気がするのであります。
  日本が貧乏なんだろうか、という風なことも考えてみますが、貧乏だけの問題ではなしに、現在もうすでに経済力から申しますと、ヨーロッパの国とそう大きな開きはないのでありまして、少なくとも今後は同等の経済力をもつと考えていいのですから、何か新しい文化と文明のきざしくらいは見えてもいいと思うのでありますが、どうも日本にはその兆候さえないといわざるをえません。

 最近、いろいろな雑誌に、現代は果たして現代の美を創造しうるか、現代は、現代の文化を持ちうるのだろうかといった設問を出しておられまして、それぞれいろいろな立場の方がそれに対して考えを述べておられます。そういった問題のもっと端的な現れを、わたくしは、都市とか建築という具体的にわれわれが毎日生活しながらいやおうなしに見たり感じたり手でさわったりしているような物理的(フィジカル)なものの中に見ようとしているのでありますが、日本が自信を持って20世紀の文化を建設しつつあるとは、まだ、どうもいえそうもない気がいたします。
  どうしたらいいかということは、わたくしにはわかりませんが、経済的に技術的にも自信をもっていいと思いますが、そこから出てくるメタフィジカルな効果に対してはまだどうも自信がもてない、というのがわたくしの現在の実感であります。われわれは非常に大きな経済力を持つようになったし、技術も発展した。それによって相当程度の都市を建設して行くことが出来るということ、しかも、新しい時代に相応した新しい都市の形をつくることもそれだけのエネルギーの中ではじゅうぶん出来て行くのである、ということを感じると同時に、果たしてそれが人間的な、美しい、個性ある、豊かな都市になるだろうか、ということに関しては、大変大きな疑問を持っております。

 非常に悲観的な結論を申し上げて恐縮であります。最初の2つ、経済的・技術的の項目に関しては、大いに楽観的でありますが、人間性豊かな都市がつくれるかという最後の項目に関しては、非常に悲観的な実感を持っている、と申しあげざるをえないことを残念に思っている次第です。
  本日はどうもありがとうございました。

(東大教授・東工・工・昭13)
 
※本稿は、昭和40年5月20日午餐会における講演の速記録であります。