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護謨事業と南洋發展 (第十一囘茶話會講演大要) 本多 靜六 No.340(大正5年6月)

     
護謨事業と南洋發展 (第十一囘茶話會講演大要)  
本多 靜六(林學博士) No.340(大正5年6月)号
 

 玆に護謨事業と南洋の發展といふ演題に就いて暫らく諸君の御靜聽を煩はします。ゴムに關する一般知識は十八世紀の中頃迄は極めて幼稚で南米の土地の一部の外はゴムは何の木から採れると云ふ事さへ分らざる狀態なりしが、今を去ること百四十六年前英の化學者パリストレー氏が護謨を鉛筆の消護謨に利用するに至りて世に知られ、今より九十三四年前ゴムを布にひきて防水布とすることや、叉護謨を以て種々の形を作ることが發明せらるヽに及んで其用途漸く世に認められたるも、今より七十七年以前米のグードエーヤ氏が硫化法を發見するに及んで護謨工業は甚だ盛大を致すに至りました。我國に於いては二三十年前私が初めて護謨に就いて書いた頃は、未だ世人は護謨とはアラビアゴムのことであると誤り叉たお堀端に植えたアカシアなるものである抔と云ふた位であるが、最近十年間に護謨に關する知識著しく擴かつたのである。需要額の增加も亦年と共に增加し、今より五年前大正元年には巳に世界の需要額十萬噸となり昨年の統計は不確實ではあるが約十七八萬噸と推算せられ鐡の時代は最早過去に屬し、護謨の時代が來たと稱せられ、價格の如きも急遽に昂騰し、明治四十一年度までは一封度一志と稱せられたものが、四十二年には九志となり、四十三年度には實に十二志といふ高價を傳へた。而して出産額は六七年生の栽培護謨の樹一本にて一年三封度乃至五封度を採取することが出來るから、其收入は我二三十圓となる譯である。是れが爲に當時栽培會社は多大な利益を得、其配當の如きも五割十割二十割に達せるものあり、セランゴールの護謨會社の如きは、實に二十八割七分の配當をなしたといふことである。されば所謂護謨成金なるもの著しく簇生した。日本人では笠田某といふ人が著しく財産を作つた。氏は元來水夫上りであつたが、初めシンガポールで商業を營み、多少の蓄財が出來たので馬來半島に押渡り、珈琲を栽培したが後米國人に聞きて護謨樹栽培に從事し、百七十エーカー許りの土地に植樹したが、護謨の騰貴せる時に之を三十萬弗に賣却したので、昨日までは裸足で父母と共に護謨樹の手入れに從事して居た二人の娘は、急に流行の服裝で佛人の學校に通ひ、道路目を側てたといふ珍談もある。かくて護謨熱の大流行は、我日本の勢力家をも驅りて其栽培に從事せしむることヽなり、現在には三菱、三井、藤田等其數十餘ヶに及んで居る。元來護謨栽培の如きは、日本が南洋に發展する出發點として最も確實な根據地であると思ふ。而て日本の南洋發展は是れ實に自然の大勢に隨ふ日本の國是にして之が盛否は實に我帝國の興廢存亡に關す。これ私が特に今夕本問題を提出し來て敢て諸君の靜聽を煩はさんと欲する所存である。とかく眞面目に申し上ぐればとて、何時まで長談議を聞かされるのかなぞと御心配はゴム用に願ひたい、ゴムは伸縮自在であるから私の講演も亦伸縮自在である。

 却説御承知の如く護謨は元來熱帶植物であり、其種類も百六十餘種に逹して居るのであります、日本の領土中にも數年前發見せられましたゴムカツラ鳥モチの如きにも多少のゴムが交り居るが、經濟上最も護謨栽培に適するものは、ヘペアブラヂリインヂス卽ちパラゴムで之れは約今日ゴムの六割以上を産し、次はマニホツトゴム卽ちセアラゴムで稍劣り、第三はカスチローナゴムで多くは中部亞米利加地方に栽培し、第四は我小笠原島臺灣等に並木として見らるヽインドゴムでありますが、是れ等は腰弱く性質も亦惡ひ、故に主としては第一のパラゴムを栽培して居る。パラゴムは、ブラジルのアマゾン河畔に天然に生長して居たのであるが、今より四十一年前其種子を英國のキユーガーデンに取寄せて發芽させ之を印度錫倫島に植えたのを始めとし、其後馬來半島に移植したのであるが今日では栽培地の面積八十萬エーカー(我が二十萬町步)に及び、ジャワ、スマトラボルネオには約五十萬エーカー、錫倫島英領印度に四十二萬エーカー、其外各地に栽培せられて居るものを合して二百萬エーカー、其資本合計十億圓に逹して居る。

 栽培ゴムの産額は七年前までは四千噸に過ぎなかつたが、四年前には三萬噸となり、昨年は十七萬噸になつた、三四年後には恐らくは三十萬噸以上に逹するであらう。

 護謨の栽培が隆盛に赴いたと共に、天然護謨は減少して來た。これは栽培護謨の採取は甚だ容易で、其費用も少ないのに反して、天然護謨の採取は非常に不經濟で、現今の如く一ポンド二志内外にては引き合はない爲である。栽培護謨の採取費は少なく、其採取法も只樹幹に傷をつけ、其分泌液を取り、ローラーに掛くるのみであるから、生産の資本は一ポンド最少二十五錢平均五十錢位であるから、現今の價格にても充分の利益を見ることが出來る。

 現在日本人の經營する護謨栽培會社はシンガポールにも二三あるが、主としてジョホールに存し、三五公司、三井護謨園、藤田組、森村組其他十數ヶ所あり、其所有地十餘萬エーカー、植付五萬エーカーに逹して居る。ジョホールに護謨園を開くは甚だ容易であつて、此地方には天然の叢林多く、之を伐採して護謨苗を植ゆるのであるが、肥料を施すの必要もなく、種子を播けば三ヶ月か六ヶ月位にて立派な苗となり、三年後には護謨を採取することを得るのであるが、現今の如き安價なる時には五六年後に第一囘を採取する。地代も一エーカー五十錢乃至一圓で、賃與契約九十九ヶ年であるから、殆んど所有と同樣である。採取量は最初は一本の樹より一ポンド乃至一ポンド半であるが、十年生のものなれば平均四ポンドを採取することが出來、一エーカーに百本乃至百六十本を植ゆるから、百本としても四百ポンド採取することが出來、其費用は十年間三百五十圓を要するから、結局、一ポンド壹圓の相場を以てしても尚其利益は七割五分に當り、若し二三ヶ月前の相場一ポンド壹圓五十錢を以てすれば十一割餘に當るのである。日本人の經營する護謨園は、未だ木若く採取に着手せるもの少ないけれども、數年の後には五萬エーカーは採取することが出來る。而して之れには約五萬人の人を要するのであるが、山を開くには支那人叉は土人を使用するけれども、採取には薄く切る等の手際を要するから、器用な日本人が最も適するのである。

 從來ゴム事業には英人が多く從事して居るが、日本人は之れと競爭する爲には甚だ好都合な特長を有して居る。卽ち第一には外人は政治上の外割合に勢力なく、最も勢力ある支那人とは日本人は割合に好く融和することが出來る。第二は日本人は英國人等に比して南洋の風土に順應し易いことである。南洋は夏も中々凉しく、生活狀態も日本と甚だよく似て居る。卽ち食物の如きも米飯魚肉を食し、就中米は甚だ安價で極上は一斤五錢砂糖は上等にて一斤九錢位、其他煙草も酒も安く、バナヽの如きは無代價同樣である。野菜は一年中絶ゆることなく、衣類も要しない。現にシンガポールに住する日本人三千餘人、馬來に住するもの三千餘人あるが、一ケ月の生活費六圓乃至十圓位で甚だ生活し易しといつて居る。英人は之れに反し、生活費を要するが故に給料も高い、此點許りでも日本人は充分に競爭し得るのである。勿論頭株には高等敎育を受けたものを要するが、それ以下は人夫五十人に一人位の中等敎育を受けたものを置けばよい、而してこれは地方の農林學校出身者を以て充つれば必ず好結果を得るであらう。而してそれ以下は地方の農家の二三男を移住せしむれば、現今の地方の生活難を救濟する最良の方法であらうと信ずる。現今に於ける地方の生活難、農村の疲弊は誠に悲しむべき哀むべき事である。近來地方に勞働者の急に增加したるは電氣や瓦斯事業が發達し、電力、瓦斯等の應用は農家の子弟の仕事を奪つたからである。例令一馬力一ヶ月七圓の電力は一日十時間にて米十俵乃至十二俵を搗き、一人前に働く人間十人に相當す。原より電氣、瓦斯等の事業の勃興發達は甚だ望ましい事であるが、急據なる勞力の增加は農村を疲弊せしめ、地方靑年の遊食者を生じ、靑年の遊食は品行亂れ、希望を有せない、希望なく光明なき靑年程不仕合せなものはない。現に我國には目下計畫中の水力電力百萬馬力あり、其十分一を地方の米つき粉挽等に用ふるとするも約百萬人の勞働者而も僅か月に七八十錢で飯も食はず休まず不平も云はずに働く勞働が出來たわけで之によりて奪はれた靑年の勞力の大多數は剰つて居る。私は之を護謨園に送れば、一は以て此生活難を救濟し、一は以て我國の發展に資することが出來ると思ふ。是等靑年を當分の間シンガポールに置き、南洋の言語事情に慣るれば、スマタラ、ボルネオ、セレベス其他の群島は面積も日本より多く、殆んど無人島であつて天然の惠甚だ多く産物は夥しく、チークの林、檳榔樹の森、香木、藥木、唐木多く、誠に現世の極樂園である。靑年一度去つて南洋に行かば、誰れが此寶庫を見逃がすものがあらうか、是れ今日此話をするは、一に護謨の爲めのみでなく、實に我國民南洋發展の出發點、根據地として、南洋に發展せしめんとするの意に外ならない。

 さて護謨の用途としては特別の機械に使用せらるヽ外、日常用品として使用せらるること甚だ多く、水道管瓦斯管より靴、水枕、ゴム活字より、諸車のタイヤ、汽車汽船旅舍其他の建築物の廊下階段,サツク等に至るまで其用途甚だ廣く、現に露國より○○○サツク三百萬ダースの注文があつたと傳へられて居る。就中最近に現はれたる甚大の用途としては自働車のタイヤであるが、平均一臺に要する護謨の量は、二百二十五ポンドであるが、現今世界に存する自働車數約六百萬臺であるから、是等に使用せられて居る護謨の量四十二萬噸であるのに加へて、米國の自働車製造力は一年約百萬臺といふから、其需要量は愈々增加する許りである。

 叉我國には國家の保護により諸所に輕便鐡道が布設せられつヽあるが、是等は最早時世遅れてある、之れに代ふるに自働車を以てすれば少し從來の道を擴げる丈で、多くの田畑をも損することなく一層有効なる交通機關を設け得るのであるから、鐡道の支線の如きは速かに自働車とすべきである。かくの如くであるからして護謨の用途は今後益々增加せねばならない。叉近頃道路面を護謨にて作ることが發明され、二年前に護謨栽培協會は一千トンの護謨を寄附し、猶將來一千トンツヽを一ポンド一志にて提供するが故に、道路面を護謨にて作らんことを倫敦市廳に出願したことがあつたが、若夫れ道路面を護謨に改むれば、第一には音響を消し、第二は滑かとなり、第三には水を彈き、第四は取代ふること容易に、第六には彈力の爲に通行甚だ樂になる。一笑話に道路を護謨にて作れは如何なる遠距離も容易に到達し得べし、是れゴム道は短く縮め得るが故なりといふことがあつたが、誠に穿ち得た笑話である。さて本講話も縮めて此邊にて終はりとする。