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学士会アーカイブス

法学教育の見直しとエリートの役割変化 河合幹雄  No.888(平成23年5月)

法学教育の見直しとエリートの役割変化
河合 幹雄
(桐蔭横浜大学法学部教授)

No.888(平成23年5月)号

法学部生が学ぶこと

法学教育を問題にするとき、そもそもその定義が案外明確ではない。狭義には法曹養成のための教育、広義には国民一般の啓蒙と分けられそうであるが、深く考察するならば、前者も後者も一筋縄ではいかない。建前論に終始するならば、前者は、法曹として活動できる高度な法律知識、後者は、社会人として生活していくうえで、あるいは市民としての政治参加や裁判員としての役割を担えるレベルの知識を身に付けることとなるであろう。ところが、現実を観察するならば、日本きっての有力大学法学部に入学した法学部生は、大学で、まず何を学ぶであろうか。いきなり、新入生歓迎コンパで、未成年者飲酒の法律違反を犯し、酔いつぶれて醜態をさらし、そのような違法行為も醜態も、「みんなでやれば大丈夫」ということを習うことで始まる。

開国と二重構造

この不思議な状況は、日本社会の二重構造と呼ばれてきた現象から説明できる。つい二〇年前までは、日本は、非西洋国として唯一、産業化に成功した「成功国」と言われ、それでいて伝統文化も残している「謎の国」であった。実際どのように観察しても、表面的には、欧米から受け継いだ法制度、憲法によって民主主義的な法治国家の装いを纏いつつ、意思決定や人事のメカニズムにおいて、日本的な方法が温存されてきたことは間違いない。この二重構造は、どのように支えられて来たのであろうか。法律は、遵守しなければならないし、必ずしも守らなくても良いとはどういうことであろうか。

この使い分け自体が日本的であり、根本が日本的であることは間違いないであろう。法治国家の体裁は、やはり貸衣装という側面を否定できない。いわゆる進歩的知識人たちは、この日本的体質を批判し続けてきた。川島武宜の『日本人の法意識』は、その典型的なものであった。太平洋戦争中は、鬼畜米英と叫ばれたように、戦時体制には、明治維新期以降の欧化政策に対する反動を掬い上げる側面もあった。そのため、戦後は、第二の開国を意味した。その成果が六〇年代には、経済復興の成功として実感された。それにもかかわらず、日本はまだ遅れているのではないか、司法機関は十分活動していないのではないかというのが、川島の指摘であった。その論拠は、訴訟の少なさと調停(話し合い解決)の多さであった。

現在、第三の開国期と言われている。これには内外、両方の要因が絡んでいる。外圧については、通信移動の容易化からくるグローバル化の進展への対応もさることながら、欧米中心の世界秩序から、アジアの大国の存在を前提に世界のルールが、近いうちに再構築されることを想定しなければならない。ここで、欧米の借り物を捨てるのか、逆に本当に身に付けるのか岐路にある。中国との関係を考慮すれば、欧米流を捨てる選択肢はないと思う。法科大学院も裁判員制度も、順調にはいかないとしても後退はできないのだ。

内側の要因は注目されていないようであるが、こちらも重要である。自由民主党の長期政権は、民主党によってではなく市民の変化によって倒されたと見える。司法改革は、上からの改革だと見られがちであるが、これまでのやり方が行き詰まったことに注目すれば、これもまた社会体質の変化の結果である。戦後教育が誤ったために若者が人として劣化したといった論調に賛成するつもりは全くないが、人と人の関係が変化してきている、より個人主義化してきていることは間違いないであろう。そして、お任せ民主主義の前提として、一般国民が知らないでいることは、組織と個人の関係の変容とインターネットの普及によって情報が容易に暴露される今日、成り立たなくなりつつある。

法教育は誰に必要か

詳しく検討することは割愛させていただくが、これからの日本社会を統治するにあたって、法の役割が大幅に重要になることは間違いないと考える。それが本当の意味で法治なのか、あるいは開国なのかというむずかしい問題は、直ちに結論がだせないとしても、法(権利)と個人を重んずる方向性は明確である。このことを前提にすれば、日本人は法(権利)について本気で学ばなければならない。

さて、ここで日本人と言ったが、これは誰のことであろうか。国民の啓蒙を言う前に、知識人であるはずの層が、法を理解していない。とりわけ日本独特の問題点は、エリートという言葉が適切かどうかはさておき、リーダー格の人々が、それぞれの分野ごとを治める一方、ジェネラリストとして、全体のことに対して関心も発言もしない傾向にあることである。簡単に、哲学者、文学者および自然科学者と、政治、経済、法律といった社会科学系の専門家にわけて考えてみよう。いずれも、高校までは英数国理社の五科目の基礎科目を学んだ後、教養課程を経て専門教育に進む。非社会科学の専門家たちは、大学の教養でかすかに学ぶか中高で学んだ公民の知識がベースである。なんたることであろうか。しかも実践においては、学級会、部活動など全てが日本的運用であり、阿部謹也が指摘するように、大学の教授会は、典型的に日本的意思決定機関である。

ここで、社会科学を学んだ専門家だけでも、欧米流の民主主義や法に基づく運営をしているのであれば、これは教育の改革をすれば対応できる。ところが、実際は、知識として法も政治もよく知っている人々が集まってさえ、やはり日本的意思決定を実践している。国民の啓蒙などが問題なのではない。無知の克服が問題なのではなく、根本的な問題、二重構造の解消こそが課題なのである。

トップから変える

二重構造が成立したのは、旧来の日本的やり方と法が抵触したときに、古い部分を法によって崩さなかったからである。たとえば、企業から政治家への資金提供、公共事業と談合の関係など、全て検挙すると大混乱を生ぜしめたであろう。検挙が国益にかなうかどうか、司法機関は「高等な判断」を下してきた。これこそ国家エリートの仕事であった。

ついでだが、マスコミも、問題点を報道した時点で、二重構造の古い部分を壊してしまうため、同様の選別を行ってきた。司法もマスコミも、二重構造を維持するために、「腐敗」を検挙しない、国民に真実を伝えないという、本来の役割と逆の仕事をしてきた。ここから変えなければならない。もう既に、政治資金の税金からの手当て等の準備は整い、手加減は不要である。文字通り法に基づき違反者は摘発すればよい。この変化は換言すれば、司法のトップは、国家エリートから優秀な法律家へとダウンサイジングしなければならないということである。法科大学院と新司法試験の導入は、二一歳で難関の旧司法試験に合格できる者、トップレベルの人材は不要とする改革である。既に舵は切られたとみてよい。

エリート教育の不在の解消

若くして司法試験に合格したような、最高の人材は、これからはどこへ行くのか。どの分野に配置されるべきなのか。これこそ国を決める決断である。ただし、本稿では、その内容を検討することはしない。

注目すべきことは、司法試験に大学在学中に合格し、国家I種試験で最高成績を獲得し大蔵省主計局を目指して入省、通産省に入省、あるいは、司法官僚になるといったエリートコースがあることが一般に知られていなかったことである。

東大を頂点とした有名難関大学に合格し、良い就職先に就職するという目標が、受験競争という形で、日本中の少年少女に与えられていたのと対比すれば興味深い。大学を出た後の仕事と結びつけて教育課程が理解されてこなかったわけである。このことは、難関校入学者の中に、よく勉強した見返りを欲しがっているだけという、エリートにあるまじき態度をとる者が観察される原因となっていた。

日本には、エリート養成の仕組みが欠如していると批判されてきた。これには理由があったのだ。エリートの仕事は、自分たちの「高等な判断」によって社会の二重構造を維持することであったとは国民に説明できなかった。それゆえ、日本におけるエリートが、そもそも誰なのかさえ国民一般に対して伏せられてきた。官僚が日本を支えてきたと漠然といわれてきたが、少年少女にとっての具体的な目標としては示されることはなかった。国民にとって、知らないまま信じるというお任せ民主主義からの脱却は、エリートコースの明確化をもたらすであろう。

法学教育で何を学ぶか

エリートではない人々にとっても、二重構造の終焉は大きな変化をもたらす。たとえば、欧米の実体法学や、政治学、社会学、心理学などを、その学説史を辿って教育すれば手堅いが、そのまま輸入したのでは役に立たない。日本の現実において、その知見がどうなるのか、どこをアレンジしなければならないかを考えなければならない。換言すれば、本当の意味で、西洋の知見を日本に取り入れて融合し、さらに世界に発信することが必要になってくる。

あらゆる分野で専門化がさらに進み、大学入試前に勉強した知識どころか大学院で学んだことでさえ、たちまち陳腐化してゆく。実際に社会に係わりながら生涯学び続ける必要があるという意味でも、実践と欧米輸入学説との融合が課題となるであろう。

(桐蔭横浜大学法学部教授・京大・法修・理・昭57)