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夕食会・午餐会感想レポート

2020年9月午餐会「短歌の魅力」

夕食会・午餐会感想レポート

9月23日午餐会

新型コロナウィルスに掛けて「不要不急の短歌の魅力」と題するレジメを基に短歌の魅力を語って戴いた。講師は日本芸術院会員で朝日歌壇始め数紙の短歌の選者をされている歌人。レジメにはコロナに関する短歌が多く紹介されている。前半は口語調の短歌が多く、文語調の短歌を好む私としてはやや不満だった。しかし、「お葬式みな一様にマスクしてマスクせぬのは棺の母だけ」が表現する現実の真実の有り様の説明を聞き、なるほどと思った。更には、バイオリンの名器ストラディバリウスを産み、今は新型コロナウィルスの最前線であるイタリアのクレモナの病院の屋上で在住の日本人バイオリニスト横山令奈さんが励ましの演奏をしたことを詠んだ「弾く音の祈りの響き夕暮れのクレモナの街この星の芯」の説明を聴き心を動かされた。「この星」と言うのは地球のことである。その他小学生の、父親がコロナの自粛で帰ってこないことを詠んだ短歌等も紹介されている。

漸く、後半になって万葉集の大伴家持の歌「うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りし思えば」等が解説される。この歌には、「心の痛みは歌でなければ紛らすことができない」と言うような意味の注がある。また、それとは逆に、古今和歌集仮名序では紀貫之が、「和歌は、人の心をもとにして、いろいろな言葉になったものである。人は、関わり合う色々な事がたくさんあるので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して、言葉に表わしているのである」と言っている。

最後に俵万智の二つの対照的な和歌「『嫁さんになれよ』だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの」、「ゆく河の流れを何にたとえてもたとえきれない水底の石」を紹介し、後者の歌は、方丈記に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず...」と書いた鴨長明に挑戦していて、彼女はこういう歌も詠むのですよと褒めておられた。その他穂村弘の口語調の短歌も紹介し、これらを受け継ぐ口語調の短歌が盛んになって来たということで講演を終わられた。

質問の時間になり、私は次のように質問した。「先生の講演で口語調の短歌に対する考えを改めなければならないかもしれませんが、最近は『歌会始め』の入選歌に小学生の作文のような、これでも短歌かと言うものも見かける。私は歌は、大和言葉と伝統的な仮名遣いを用いた『調べ』のあるものに魅力を感じますが、先生はどう思いますか」と。それに対する講師の答えは、「文語調の短歌が口語調の短歌に負けつつありますが、仰るように伝統的な短歌は大事です。口語は垢が付いているが、文語には垢が付いていない。文語の良さを伝えていくことは大事です」だったので安心した。別の人の「先生は92歳のお歳ですが今後の目標は」との質問に対して、「正統的な歌を作っていきたい」と仰っていた。声の張りもあり92歳とは思えないおばあさまだった。出席して良かったと思っている。

(東大・工 加藤忠郎)


馬場あき子先生は講演の中で「平安時代に比べて現代の政治家は歌を詠まなくなった。」とほとんど叱責に近く述べられたが、これは一般の人々にも言えることである。
その理由は「正岡子規にある。」と指摘するのは山本夏彦で、短歌は本来教養であり、たしなみとして詠まれていたが、子規が「短歌は文学である、文学は芸術である、したがって、短歌は芸術である。」といったおかげで、普段に詠まれることは少なくなり、一部の愛好家が結社によって、あるいは新聞歌壇に投稿するのみとなった。

日本語には、五音、七音の律が潜在的にしみこんでいて、心に浮かんだことを、五音七音の歌にすることは、容易いはずである。それが普遍的に行われないのはなぜであろうか。政治家にとっては、政争に敗れて「悽惆の意」を歌にするには生々しすぎることもあるだろうが、ペーパーの漢字を読めないという教養問題もありそうである。

一般の人にとっては、「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」(穂村弘)が芸術的、ないしは優れた歌とは、説明を聞くまでわからないだろう。歌壇と一般人との乖離が大きすぎるのである。

明治以降、出版技術の発達により、短歌の賞が増え、短歌に優劣をつけるのが多くなったが、その基準が一般人にはわかりにくい。選者も玉石混淆である。一般に気楽に歌を作る雰囲気が失われている。

短歌は、人生の記録として、上手下手に関係なく、日常的に歌われて、日本の世界に類のない文化となるのである。そのためにはどうするか。新聞社が、一年に一度、一週間分の応募歌を、すべて掲載することがその一助になるのではないだろうか、と考える。

(東大・経済 五十嵐信之)


九月の午餐会は歌人馬場あき子先生の講話であった。「不要不急の短歌の魅力」という演題であった。新型コロナ・ウィルス禍で不要不急のことはやらないようにというご時勢の中で意外にも短歌が活況を呈しているという。

最近の投稿歌から話を始められた。新聞の歌壇に載った休校中の小学校低学年生の作品の素直な心情が胸に響いた。短歌の専門誌の乗った専門家の作品で新型コロナ・ウィルスが前向きの文化活動を産んでいるのを知った。

万葉集の大伴家持、古今集の紀貫之を取り上げて短歌の取り組み方を論ぜられ、それが現代の若い作家の作品に生きていることで話をまとめられた。時間枠ピタリであった。

実は筆者は朝日歌壇で馬場先生に採っていただいたことがある。もう40年も前のことである。仕事に明け暮れる毎日であったが退職後にもできる趣味を持つべきだと考え母がやっていた短歌が頭に浮かんだ。

度胸試しに朝日歌壇に投稿することにした。一回でも採ってもらえば止めようと思って始めた。そうしたら10回目に馬場先生に採っていただけた。次の歌である。

ふた年を山に寝かせし榾木(ほたぎ)にも春に来るけり初茸を採る

近所の農家の方からシイタケ菌を埋め込んだ原木を数本いただいた。その方は山持ちであり、そこに置いておけばよいという。時々米のとぎ汁をかけた。2年目の春にシイタケが採れるようになった。それを五七五七七にした、それだけのことである。

一回採ってもらったのだからこれで止めにするつもりだった。ところが朝日新聞から賞品としてハガキが10枚届いた。この10枚で続けることにした。今度も10回目に馬場先生に採っていただけた。次の歌である。

繰り言をとつとつと吐く母のごと森蔭にいて山鳩の啼く

亡母はこの頃、軽い痴ほう症の気が出始めていて娘時代のことを初めて聞かすように毎日何度も繰り返すようになっていた。そのことを歌にした。妹は母の悪口だと責めた。その妹は母の跡を追うように事故で早逝した。

今度も賞品のハガキが10枚届いた。そのハガキで続けたが、こんどはダメだった。その頃の朝日歌壇には毎週のように入選歌をお見掛けする方が何人か居られた。著名な学者の方も居られたし、海外在住の方も居られた。そういう方が入選歌で歌集を作られたと報じられたこともある。足元にも及ばないので短歌から離れてしまった。

先生のお話によると、朝日歌壇には毎週2千5百首程度届くがステイホームが要請されてからは3千首に増えたそうだ。毎週40首が入選するので、入選するのは2パーセント以下という計算になる。私の場合は30回出して2回だったから、まあまあだったのだと知った。

先生は92歳だそうだが、背筋はすっと伸び、軽い足取りであってお年を感じさせなかった。短歌への不断の取り組みが若さの秘訣なのだと感じた。そして私も短歌を続けておけばよかったと遅ればせながら反省した。

(京大・工 三好 彰)