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夕食会・午餐会感想レポート

平成28年7月夕食会「古代ゲノムで解明する日本人の成立」

夕食会・午餐会感想レポート

7月8日夕食会

本日の講演の主題は、日本人のルーツに関し、「二重構造説」否定による「地域差説」の提唱であると思う。

篠田氏は、国立科学博物館の「二重構造説」のイラストを、やんわり否定し、資料にも「二重構造説」は「日本人の成立をうまく説明している(ように見える)」と、これを否定的に書かれている。また列島内の集団の違いは、「渡来系弥生人」に由来するものではなく、「地域差」であるとも説明された。この説には説得力があり賛意を表したい。

「弥生人が(水田耕作や金属器等の文化を携え)大陸・半島から日本にやって来た」という、「弥生人渡来系説」が現在定説となって、教科書等にもそのように記されている。イネの遺伝子のうちb変形版は北九州を始め日本列島に隈なく存在するのに、半島には存在しないことからも、イネの半島ルート説は極めて疑わしい。と言うより否定される。1980年の菜畑遺跡の発掘等により、水田稲作は紀元前10世紀頃に遡ると言われて久しいにもかかわらず、未だに弥生時代の始期は紀元前3世紀と教科書には書かれている。篠田氏の「地域差説」は、こうした「二重構造説」をベースにした、「弥生人渡来系説」のような、旧態依然たる学会の通説・俗説に大きな一石を投ずる内容であったと思う。「二重構造説」は「上手く説明している(ように見える)」などと遠慮がちに否定せず、明確に否定すればよい、と思われた。

惜しむらくは、質問にもあったが、mtDNAという女系のみの分析で、より重要と思われる男系のY染色体の分析が無かった。この分析を行えば、本土日本人に多いDやO2b1が韓国人には少なく、中国(北京)人にはほとんど無いことから、「弥生人渡来系説」は否定され、篠田氏の主張する「地域差説」はいっそう補強されるのに、残念である。

最後に念のため質問締め切り後に「弥生人は縄文人の子孫か」と敢えて質問させていただいたが、篠田氏は「時代は違うが」と質問には肯定的に、「時間差」と説明された。つまり同じ系列を時代の区切りの前後で呼称が違う、と暗に「弥生人渡来系説」を否定された。「弥生人」というと、判で押したように「渡来系」という修飾語を付け、あたかも同義語ででもあるかのような誤解を与える説が多いが、今回これを否定されたことは、学会の通説を覆す画期的なことであると思う。

ついでながら、4月3日NHK「日本人のルーツ発見 “核DNA”が解き明かす日本人」に篠田氏が出演された。そこで、日本人の形質の違い、例えば髪の曲毛・直毛、瞼の二重・一重を、縄文系・弥生系の違いと説明していた。なぜ篠田氏はこれを、「地域差」と説明しなかったのだろうか。篠田氏は、縄文・弥生は「時間差」と言われた。身長のような骨格の違いは「時間差」で説明できるが、髪や瞼の違いは「時間差」では説明できない。

篠田氏には、学会の通説に慮ることなく、「地域差説」を主張してもらいたい。

(東大・経、水野 靖夫)


単一民族という固定観念を抱きがちな日本人の起源は、考古学・文献解読の観点から「列島に自生した海人」、「未開・野蛮な縄文文化と先進的な弥生文化」、「豊かな縄文文化の再評価」といった側面の諸説が論じられて来た。その度に好奇心をかきたてられた国民は多いのではないだろうか。

現在、世界各地で熾烈を極める民族・人種対立に起因するテロ事件や、英国民のEU離脱選択が問題となっている中、科学に基づいた地道な解析が、日本人のみならず、諸国民の起源に関する詳細な人類学研究につながって行くことは明らかで、将来に希望を抱かせる講演内容であった。

講演では、文京区にある切支丹屋敷の埋葬記録に基づく発掘により、新井白石が訊問した宣教師シドッチの遺体からイタリア人の特徴を割り出せたことが紹介された。保存状態が良ければ、歯一本からでも解析可能という技術に感心すると共に、江戸時代のこととは言え親近感が湧いた。

縄文集団と渡来系集団の混合により形成された日本人には、均一な縄文人という概念の再検討が必要、また、遺伝的特徴からオホーツク文化人の進入の影響がある北海道集団の例もあり、中央が重視される画一的な見方でなく周辺から見た視点も必要、という講師の指摘には納得した。

日本語に酷似するタミル語研究の第一人者であった故大野晋氏より現地古代人の調査・解析を熱心に依頼されたが、熱帯のため遺骨収集が叶わず、不可能との結論に達したという講師の話もあった。ゲノム解析の制約・限界によって当該研究に寄与し得なかったのは残念なことである。

講演では言及されなかったが、15年前、東大の研究者グループが中国で実施した調査の結果、「2500年前の春秋時代の山東省には現代漢民族とは異なる欧州人集団が住んでいた。その集団と現代漢民族との中間に位置するのが漢時代の人達と判明した」との新聞記事を読んだことがある。

講演後、故江上波夫氏提唱の大和政権「騎馬民族征服王朝説」を踏まえたと思われる、日本人が大陸北方より来たのではないかという、出席者からの質問があった。上記の春秋時代の調査結果同様、民族の起源というものは、時代を超え、歴史のロマンを感ずるに相応しいテーマではある。

家譜・系図に基づき家・個人のレベルでの血筋による相似性を調査し、区々たる事例を集積したところで余り意味をなさない。豊富なサンプルを収集し、広範囲の地域・国家をカバーする、信頼性の高いゲノム解析調査で、時代毎の民族混淆・融合の推移を理解することの意義は大きい。

ゲノムによる実証・解明の成果が、国家帰属の妥当性、国民性・国民病の把握に役立ち、各国内の政治的不協和音や国際紛争を少なくすることに活用され、お互いが民族の固有性を認め合い、尊重しつつ、「万民同胞」という確たる理念を押し広げて行くきっかけとなることを期待している。

(東大・法、古川 宏)