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夕食会・午餐会感想レポート

平成28年6月午餐会「死を創る時代の生き方」

夕食会・午餐会感想レポート

6月20日午餐会

「たとえ明日地球が終わりであっても私はリンゴの木を植える」。
人は、どの様な絶望的な時代でも、明日への希望を己の心の中に燃やして今の瞬間を懸命に生きてきた。また生物的な本能から自分の命を守ろうとするだけでなく、家族や仲間の命を守り、将来この世に出現するであろう子孫へと命をつなぐために自分の義務を果たそうとしてきた。人間はいかなる時代、場所に生きようともこうして明日へと命をつないできた。

今日世界中でテロや戦争、大災害が多くの人々の命を脅かしている。また癌などの様々な病気や感染症が人を死へと追いやる。我々は、いつか死を迎える。しかし生物的に消滅しても、精神は残るであろう。残された人々の心の中に記憶として生き続けることはできる。その記憶はより美しく、懐かしく、楽しいものでありたい。

私がいつか死んでも墓の前で子や孫たちが集い、私と語り合い、心豊かな時間を持つことができるように、妻や子供たちと語り合う時間をもっと増やし、自分自身も今をもっともっと充実して生きなければならないと感じた次第です。また亡父が残した俳句集を読み返し、生前は必ずしも十分でなかった父との会話を句集を通してもう一度試みてみたい。また自分が生きてきた歩みをすこしづつ書き綴ってみたいとも思った。

最後に兄弟の生活ぶりを身近に見てこられたことにより、早くから死生観を書かれてこられた柳田邦男先生に、今日この様なお話を聞かせていただいて、今後の生き方を改めて気づかせていただきましたことを御礼申し上げます。

(北大・教育、牛島 康明)


今回の講演は、柳田邦男さんによる、「死を創る時代の生き方」でした。

柳田さんと交流のあった医師が最近、亡くなられたお話から始まり、柳田さんのお兄様が、戦時中兵役で、また戦後、闘病体験を狂歌にしたこと、亡くなられた後には、生前に交友した方々がその後、お元気かどうかを、お兄様の奥様に遺言のように残され、奥様が前向きに取り組まれたそうです。

柳田さんがお話を伺ったという、がんやASL(筋萎縮性側索硬化症)等、闘病されている方々が、運命を受容し、紡ぎだした言葉には、私は重みを感じました。

また、アウシュビッツ収容所の経験を持つ、オーストリアの医師、ヴィクトル・フランクル氏のお話の中で、ある看護師が癌になり、人の役に立てなくなってしまったということで、力を落としていたところ、看護の仕事は、代わりの人が代役を務めることができるが、あなただけにしかできないことがあると、精神性高く生きることを勧めたということでした。フランクルの著書の中に、“人生こそが、人間をいつでも問いに直面させているのだ。”という箇所がありますが、今回の講演で、久しぶりに思い起こしました。

生物学的いのちと精神性のいのちは異なること、「死後生」があり、肉体が無くなっても、他の人の心で生き続けるともお話され、また、スクリーンに写しだされた10か条には、病気だから働く、動かせる身体的、知的機能を活かす、やりたいことを3つから5つくらいに絞る、他者のためになることをする、病気がもたらすいい面に目を向ける、雲の写真集、絵本を編集する、好きな音楽を聴き、絵本や童話を読む、ユーモアの心を忘れない等あり、病気の有無に関わらず、大切なことだと思いました。

柳田さんの講演の最後、140歳まで生きようというクラブを作った、という方からの質問があり、日野原重明先生のご信条をお答えになりました。

「生と死」は大事なことであるが、なかなか考える機会がないこと、命の二面性、現代医学の複雑なシステム、自分で納得できる最後を考える、人は一編の長編小説を生きている、人生を振り返り、エピソードを書き出す、という事柄が全体を通して胸にとまりました。講演の時間があっという間に過ぎ、自分も人生を振り返りたいと思うと同時に、もっと色々なお話も伺ってみたいと思いました。

(京大・経、関 登鯉子)


「死を創る時代の生き方」というテーマに惹かれ柳田先生のご講演とあって参加させて頂いた。いのちある限り避けて通れぬ「死」。結局「死とどう向き合うべきか」先生の豊富なご経験と知識から示唆に富んだお話が伺えると勝手に思い込んでいた。しかし、結論は「今をどう生きるか」であったようだ。先生の人格形成に果たした長兄の役割は大きく、講演の最後に「今を生きる10の心得」の中に色濃く反映されていた。「死」に直面した方々の死に様、生き様の具体例は信仰の有無を問わず感銘深いものだったが、やはり根底に精神性の意義深さが示唆されていたように思った。

ご講演中に「創る」の反対は何だろうと考えていた。それは「壊す」。人生には納得のいかない「死」はつきもの。犯罪に巻き込まれたり、事故(自動車、航空機、原発などの人災に天災もある)、他人事でなくなったテロ、戦争などがある。天災を除けば人間の努力で無くしたり減らすことは出来る。「壊す」ことに加担しないよう微力だが努力したいものだ。

ご講演で示された「死」はいわば王道の死。故三浦綾子さんは日本文学に多大な貢献をされたが生前、「私には死ぬという大仕事が残っている」と言われたそうだ。王道の死とはいえ従容として死に向き合うにはやはり「今をどう生きるか」に収斂されていくのだと深く思わされた。10の心得を念頭に生かされている日々を大切に生きたい。

ただ残念だったのは時間の関係で「死後生」のテーマがスキップされたこと。また機会を得て伺えれば有難いことである。

(東大・農、土肥 由長)