文字サイズ
背景色変更

夕食会・午餐会感想レポート

2021年6月夕食会「棺とミイラから古代エジプト文明の謎に迫る」

夕食会・午餐会感想レポート

6月10日夕食会

5000年も前の人間が何を考え、どんな暮らしをしていたかを知ることは好奇心を駆り立てる。今回、中野教授の講演から自分なりに印象に残ったことをメモ的に記す。

エジプトの文明は石に刻まれていたから残った。今色はほとんど残っていないが、色彩も意味を持っていた。日本の三内丸山遺跡はエジプト文明よりずっと後かと思っていたが、エジプト古王国時代と同時代だそうだ。日本は石を使わないから、当時の人の考えが残っていないが、日本の縄文時代の文化もエジプト並みだったかもしれないと思うと、日本文明も案外いけるとうれしくなってしまう。

エジプトの文明観は当時平均寿命が30歳代であったこともあり、あの世とこの世が本物のピラミッドと洪水のナイル河に映るピラミッドの姿の関係のように考えられていた。だからミイラとして体を残しておくことが大切と考えられていた。洪水のナイル河は王にしか使われない波の模様に象徴されていた。ピラミッドは時代が下がると棺に代わる。

オランダのライデン博物館はナポレオンのエジプト遠征より100年も前にエジプトに調査に入っており、多くの遺品を持つ。初代の館長の見識で発見されたミイラを包帯をほどかずそのままの姿で何体も保有しており、今はCTを使って当時のままの姿のミイラを観察することができる。

来年はシャンポリオンがロゼッタストーンをもとに古代エジプト文字の解析に成功した1822年から200年。ツタンカーメンの発掘から100年。来年はエジプト学にとって何か新しい発見があるのではないかと期待する向きもある。

中野教授は実際に古代エジプト文字の解読をされたそうだが、解読された文章はガイドブックに断片的に記載されたものしか読んだことがない。古代エジプト文字で残された記述を集大成した本があれば一度読んでみたいものだ。

(東大・工 合川徹郎)


講師は現在渋谷のBunkamuraで開催されている「古代エジプト展」の監修をされている中部大学国際関係学部教授の中野智章氏。題名に魅かれて聴講した。エジプトと言うと、ピラミッドの内部構造とか黄金のマスクで有名なツタンカーメン王とかそういうことがすぐに思い浮かぶが、普段あまり聞けない話が多く、聴講した甲斐があった。

「古代エジプト展」はオランダのライデン国立古代博物館所蔵のものが展示されているが、この博物館では日本の文化も紹介されていて上手な字で俳句が柱に書かれている。日本人が書いたのではなくオランダ人が写真を見ながら正確に書き写したのだそうだ。

この博物館ではミイラの包帯を剝がしてしまうと形が崩れるので包帯を巻いたまま保管していた。これが功を奏して、形が崩れずに保存された状態が、CTスキャンなどの現代の技術で綺麗に写し出すことが出来た。勿論当時の人はCTスキャンなどと言ったものが将来出現するなどとは夢にも思っていなかっただろう。固いものを食べていて、砂も交じってか歯がボロボロになっているとか、片足で立っていたとか、ロバに良く乗っていたとかと言うことまで骨の形から分かったと言う。

当時の平均寿命は30代半ばから40代と短かったので、死が極めて身近だったので棺に入れて表に死んだ後の案内になる「死者の書」の内容が描かれていたりする。死者の心臓を秤にかける有名な場面で、天秤の皿に載せられた「真実を象徴する羽根」と釣り合いが取れないと、死者は永遠の生を獲得することが叶わず、復活ができない。ところが大変驚いたのは、肝心の心臓が削られていたり、冥界の神オシリスに関する単語の一部が削られているものがあったりしたと言う。恨みを持った者が死者に対して意図的に行ったものだったのか。ただ、棺の材料である木材は輸入して来る貴重なものなので使い回しが多かった棺の再利用時の過程でそうなったことも十分考えられると言う。

エジプトの気候により棺の中の死者はすぐにミイラになる。始めて聞いたが、ミイラは人間だけではなく動物のミイラもあるとのこと。3mの巨大なワニのミイラもあるそうだ。もう一つ面白い話を聞いた。象形文字の解読で散々苦労しても分らなかったが、よく考えたら古代エジプト人も文法を間違えたのだろうと言うことになった。

シャンポリオンがロゼッタ・ストーンに書かれていた文字(ヒエログリフ)の解読をしたのが1822年。ツタンカーメン王の墓が発見されたのが丁度100年後の1922年。それから100年後の2022年は来年になるが果たして何か大発見があるか。

(東大・工 加藤忠郎)