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夕食会・午餐会感想レポート

平成21年4月午餐会「思い込みの怖さ」

夕食会・午餐会感想レポート

4月20日午餐会

講演の冒頭の乳幼児教育と少人数教室に関する話で、「質問をした時に褒めてあげる」事の重要さについての指摘があったが、全く同感である。本年に入って、日本の最高学府である東大でのシンポジウムに何度か参加したが、とても質問が少なく、物足りなさを感じた。これは、日本の若者が、年少の時期に、質問をしても褒められる事が少ない事や、馬鹿な質問をして恥をかきたくないという意識が災いしているものと思われる。
英米系を始めとする西欧社会では、子供をおだてあげ、質問した事の勇気に対してさえも褒めるという雰囲気が、討論の活発な社会風土の源になっている。ドイツでも、英米程ではないかも知れないが、日本より遥かに質問が多いとの指摘が、日独に滞在した米国人学術関係者から、過去にあった。
同様の例として、学士会における演奏会でも、驚くほどブラボーやアンコールの声が演奏後に聞かれない事が上げられる。一度、東京芸大の学生の演奏に対し、学生に敬意を表し、今後の励みとなるようにと思い、筆者が、アンコールを掛けた時、失笑を買った事があったが、シニア世代の方々に一種の照れくささがあるのだろう。一方、お世辞であっても、アンコールやブラボーの声を聞かないと気まずくなるという国民性の国もあり、この事は、幼児期・少年期の教育の違いが大きく現れているように思われる。照れずに、前向きに、かつ素直に、感情を発露する事の価値も大きいと思われるのだが...
思考のプロセスや研究のプロセスについての話があったが、筆者が、米国に留学した時、まず最初に受けた英語集中講座における英作文の授業で”Writing As A Thinking Process”という教科書を使ってのレッスンがあった。英作文における思考のプロセスの役割の重要性を感じるとともに、日本語における思考のプロセスとの違いを学び、帰国後、周囲の人から、英語がうまくなると日本語もうまくなるなと言われた事があった。思考のプロセスにバリエーションが出来た為であると思う。
アメリカズカップについての話では、イギリスで始まったこのイベントを、アメリカのものにしてしまったアメリカ人の憎めない厚かましさは、数年前のFortuneのカバーにアメリカ国旗を大きく車体に描いたトヨタ車の写真を掲載し、これは、アメリカの車であるとしていた事を思い起こさせる。良かれ悪しかれ、この調子でアメリカに取られている事物も、数多いのであろう。
アメリカズカップで米国が連戦連勝したのは、NASA等で開発されたハイテクがヨットに応用されたりした事も、理由としてあげられる。20年前のNASAのレポートに、艇体に微小なV字溝をつける事によって流れをスムーズにするNASAの技術が、アメリカズカップのヨットに応用されたと記述されていたが、帆への化学繊維材料の応用などもその他の例として上げられよう。化学において、思い込みの怖さと既成の理論では説明できない矛盾を見つける事の大切さも示されたが、物理や力学の世界でも、マクロな世界からマイクロ・ナノなどの微小の世界に移行するにつれて、このような事象が多くなる事を指摘しておきたい。

筆者のアメリカでの体験と重なる部分も相俟って、説得力のある講演であったと思う。

(京大・工博・工、本田 博)