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夕食会・午餐会感想レポート

平成30年1月午餐会「宗像・沖ノ島祭祀史跡の調査と成果」

夕食会・午餐会感想レポート

1月22日午餐会

「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の名で2017年7月に世界遺産に登録された宗像大社に興味があって聴講した。私の予備知識としては、国際記念物遺跡会議 (ICOMOS)では沖ノ島と岩礁だけなら登録するとされたが、世界遺産委員会で、何でも日本に反対する韓国に対し、他国の応援を得て逆転し、沖ノ島の沖津宮だけでなく、大島の中津宮と九州本土宗像市の辺津宮とその周辺まで含めた宗像大社全体の8つの資産が登録されたことは報道で知っていた。

講師は、沖ノ島の祭祀の考古学的価値はICOMOSの委員にも分かり易いが、その祭祀が今日の宗像大社を初めとする日本の神道信仰につながっていることが、外国の宗教を背景に持つ委員には中々分かり難かったと言われた。講師は1954年から1971年にわたる沖ノ島発掘に従事された方で、色々な苦労話を伺った。今は整備された遺跡群でも、昔は草茫々で気付かなかったとか、密林を歩くとヒルに襲われて大変だったとか。本質の逸話もあった。地元の議員さん達の本音は地域振興だったが、研究が無くては駄目と一旦は国内で却下され、急遽講師が引っ張り出されたとのこと。

A3版10頁の配布資料は詳しかった。4世紀後半から他に例を見ない数百年間の祭祀遺跡があるという。朝鮮半島との往来安全を願って常に大和王朝が勅使を派遣し、或いは地元の宗像氏に委託して祭祀を行った。巨石の上に神が降臨するとして巨石の上で祭祀を行った岩上祭祀が百余年、オーバーハングの岩陰で祭祀を行った岩陰祭祀時代が百年で、計二百余年は前史的祭祀であり、以降の律令的祭祀と対比されるという。半岩陰・半露天祭祀が百余年、露天祭祀が二百年弱と記されていた。これら祭祀が伊勢神宮の祭祀に連なり、神道の源になったと言われた。祭祀で残された祭祀品は時代ごとに異なり、国内文化の品々だけでなく朝鮮の鉄の延べ板や鉄製品、ペルシャのガラス、中国の唐三彩など渡来品も多いといい、その写真や図が資料で示された。

沖ノ島には縄文時代からの生活遺跡があるそうで、古来大陸との往来の重要な拠点だったという。講演のお蔭で視野が広がり興味が湧いた。議員さんたちの作戦通り一度宗像大社を参拝しようかという気になった。沖ノ島は上陸禁止で残念だが大島から遥拝しよう。

(東大・工 松下 重悳)