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夕食会・午餐会感想レポート

平成23年6月夕食会「無関心な《神々》の陰謀-ドストエフスキーと現代」

夕食会・午餐会感想レポート

6月10日夕食会

ご講演の演題の「神々」が自分たちの心の奥底にある良心だとすると、ドストエフスキーの生涯のテーマが「黙過」だったという亀山先生のお話がよくわかりました。
実は最近、新聞の人生相談に20代の東北の女子大生からの手紙が載っていました。その方は津波警報がでて、祖母と一緒に山に逃げた。けれども途中で祖母が「もう歩けない、先に行け」、とその場にへたってしまった。おぶって背負うとしたが、祖母に厳として拒否され、先に行かない彼女を激しく怒った。彼女は仕方なく祖母をそこに置き一人山を駆け上がった。自分は助かったが、3日後、村の漁港の魚市場で祖母を発見した。祖母は死んだ魚のようにならべられていた。あんな上品で優しかった祖母の亡きがらをまのあたりにして涙があふれて止まらなかった。助けようとしたら助かった命かもしれないのに、見捨てて自分ひとり逃げて生きながらえた。自分を責めて一生、生きていかなくてはなりません。助けてください。-という手紙でした。回答者のこたえは「二人とも逃げようとしたら、二人とも助からないとおばあ様は分かった。あなた一人でも生きて、その命をつないでほしかったのであろう。あなたが生きながらえたことにはおばあ様の命をも引き継いだ深い意味があるのです。」というものだった。今日、亀山先生のお話を聞いて、黙過とは死をわかっていながら見過ごすこと。それが愛する人なら一生、苦しむ。そして、さらに憎んでいた人なら、さらに苦しい。イワン・カラマーゾフはそれに死の、父殺しの教唆の苦しみがある。意図せずにして教唆したという罪悪感に苦しむ。阪神大震災の時にも同じような悲しい話があった。「信子、父ちゃんを許してくれ」と言って火柱の下敷きになって、まだなお生きていた幼い娘の救出をあきらめ炎の中から逃げ出した。これは黙過であろうか?死に直面した極限状態における目前の選択は黙過ではない。イワンが隣の父の寝室の物音に耳を澄まして過ごした一晩は、神々の恐怖の一夜だった。心の奥底で父の死を期待している黙過。むしろ積極的な黙過。極限化の愛する者の死との選択は消極的黙過。後者は「自分は救いえると自覚」はない。神が存在するなら、祖母は救えるはずだ、信子はいきながらえるはずだ。共通の苦しみ、死んでいくものと生きながらえるものと、共通の苦しみがあるのだろうか?私自身が抱える黙過の苦しみは5年前の老母の介護の果ての病院での死であるが、尽くしても尽くしきれなかった。家に帰りたいといっていたのに、かなえられなかった冷たい自分を今でも責める。
震災のような極限下での黙過の苦しみと、末期的介護の慢性的な黙過と周囲の「無関心」は真綿のようにじわじわと苦しめる。イワンはさらにそれに自分の教唆という罪に苦しむ。
亀山先生は「文学では救えない。生を救うのは本能にゆだねるしかない」、と言われた。
たぶん「本能」とは種の摂理のことかと私は思う。人間は万物の霊長とはいわれるが生き物は全て偉大だ。生きとし生けるもの、すべて「種の保存」のために生がある。ソテツやイチョウや、メタセコイヤは古生代や中生代を経て、何十億年、地球上に生きながらえてきたことか。七日で死ぬセミも、朝に生まれて夕に死ぬ蜻蛉も、みな種の保存のために、長くて短い命をつないでいく。神が存在しないならば、種の保存の、「自然の法則」が存在する。それが先生の言われた「本能」なのか、もっと違った説明があるのか、もっとお話をお聞きしたいと思いました。ありがとうございました。

(東北大・理、田村 恵美子)


この度は、時の人「亀山郁夫=東京外大学長=カラマーゾフの兄弟の著者」の講演会に参加でき感激しております。
30年の封印を解いてカラマーゾフへの熱い思いを一気に翻訳され、未だかつてない「カラマーゾフ」ブームを起こされたその原動力に興味を持ち、講演を拝聴しました。
「黙過」に関わる罪悪感、「罪と罰」のその時代の変化による価値観の変動、「無関心であることの罪」、「東日本大震災への関わり=天災か人災か」、「神の存在」などなど、本来答えの無いような問題に果敢に取り組み、文章で表現することで己の存在を世に問う。
これらの文筆活動に取り組み続ける原動力を、「カミングアウト」という表現で講演者亀山郁夫氏は、説明された。言われて久しい、「人が環境を創るのか、環境が人を作るのか」、これは相互作用で決して単独で成り立つものでないと思う。人を育てた環境をどのように捉え自らの行動に移すか、それらが相俟って世の中は動いているように感じる。
東日本大震災の原因のひとつに「人間の驕り」という言葉が出たが、まったくの同感である。今回の震災復興でも、自然に学び、自然に逆らわず、でも流されない人間の知恵を結集し復興を成し遂げて行くそんな勇気を頂く講演会でした。
本当にありがとうございました。

(会員同伴、塩田 耕三)