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夕食会・午餐会感想レポート

2019年3月夕食会「外交から見た平成という時代」

夕食会・午餐会感想レポート

3月8日夕食会

拉致問題への一般関心度が頂点に達していた頃、夕食会講演の冒頭で「拉致がないと言って来たことは間違いであった」とする姜尚中氏の率直な謝罪を昨日のことのように記憶している。当時重責を担った講師の今の本音は「拉致問題は数多くの外交課題・懸案の中の一つに過ぎない」といった醒めた見方であるように小生は理解した。

講師の言葉の端々からは、現状で良いのかという強い問題意識を下敷きにして「秀逸な立案を指導者が採用するとは限らず、派手な外交はポイントと共にリスクと隣合せで、堅実さを貫けば外交は停滞したままとなる」というような、憂国の思いと政治家に対する期待がコントラストを示したり、ないまぜになっていると感じ取った。

素人は単純化して何事も判ったような気分になるのをよしとするのが常であるが、一般経済よりも複雑怪奇な国際情勢に関する情報収集・分析を秘匿して行うといった作業・決断は並大抵のものではない。世界を俯瞰して交渉に臨む外交官ならではの経験にもとづく、幅広く且つ非常に密度の濃い分析には、以下の通り示唆を受けた。

平成に入ってから多国籍軍によるイラク侵攻の際に日本として資金提供以外の対応能力の欠如がトラウマとなったことは以前から外交関係の記事に頻繁に出ていた。イラク戦争開始当時、逸早い米国支持の表明の他に日本には選択肢はなかったとの話があったが、日米同盟の観点からして最善で、それで良かったように思われる。

日本が米国に対し一種平身低頭に見える外交を続けたように見えるのは、そのことにメリットがあったからであり、対米従属といった自虐的な表現も軍事力の差と同盟関係の現実に向き合って見れば、さしたることもない。損得抜きの国家間交渉というのはあり得ず、何がベストかを絶えず模索することが外交であるからである。

中国との関係は良好にしておくというより、中国側の事情に応じて日本は対応すれば良いだけのことであり、日本側から積極的に動いても効果がなく疑心暗鬼となるだけである。日韓は相互歩み寄りの努力がなされても、政治的に利用する勢力のために両国の融和が益々遠のき、正に「労多くして功少なし」となるのは必然である。

「植民地支配=悪」といった硬直した歴史観を日韓が共有し、一般に定着している限り、両国関係に好転の見込みはない。併し乍ら、或意味では都合の良い歴史観であり、消えることなくこれからも続いて行くのは間違いない。米国が日韓のデリケートな関係に深入りする意志はなく、深入りすることも出来ないのは明らかである。

米朝間の対立が高まっていた一年前、小此木政夫氏による夕食会講演「朝鮮半島情勢の不確実性-五つのシナリオ」を拝聴した。米国頼みの対話路線という米朝首脳会談を通じて問題解決の糸口を残しつつ切迫した危機の回避が出来たことで、交渉が長期に継続する方が日本にメリットありとする見方に、小生は与するものである。

(東大・法 古川 宏)


田中均氏の講演「外交から見た平成という時代」を聞いた。

田中氏の言うように、「無から有は生めない。悪行に金をやってはいけないが、相手と取引できる材料を作る必要はある。」ということは確かに道理であると思う。しかし、どの国と、どのように対応するかは、当然、考えるべきであろう。

田中氏は、現政権のロシアとの北方領土交渉に対して批判的である。日本が従来の「固有の領土」という表現を控えていることは重要な方針の変更だとし、クリミア併合の問題により欧州では評判が悪いロシアと現時点で交渉することも適切でないとしている。

前者については、交渉が具体化しているからこそ表現が問題になるわけであり、後者についてはそのような時期だからこそ、ロシアが譲歩する可能性が高まるのではないかと思う。

一方で、田中氏は北朝鮮と、表現はともかく国交正常化交渉を再開してはどうかと提案している。これこそ時期としては、極めて不適切であると考える。

また、田中氏は中国により近づく外交を提案しているが、国家体制が根本から異なる中国に安易に近づくことは非常に危険なことである。

このように田中氏の論調は、中国・韓国・北朝鮮に甘く、ロシアとの関係改善を目指す、現在の安倍政権の対応に辛い。しかし、現在の日本にとって中国が一番の脅威であり、中国とロシアの両方を相手にする国力は現時点ではないことは、多くの国民の了解する点であろう。そうであれば、ロシアが完全に中国側に付かないように、北方領土問題を解決し、平和条約の締結を目指す安倍政権の方針は妥当なものではないだろうか。 また、憲法改正も基本的に中国の脅威が目前にあるために安倍政権は急いでいるわけであり、田中氏はその点を十分知っていて反対しているのであれば、親中国の度が過ぎると考える。

対ロ交渉にしても、憲法改正にしても、田中氏はビジョンを示せと言うが「中国の脅威」などと政治家が内外共に明言できるはずもない。冷戦時代と異なり、経済的な相互依存の強い現在は、政治がビジョンを示せない時代になっているのである。しかし、中国の脅威を目前にする今、対ロ交渉も憲法改正も必要であることは多くの国民が理解できると考える。まして、専門家である田中氏に理解できていないはずがない。このため、田中氏の意見には偏りがあるように思え、とても賛成できない。

なお、田中氏の講演では事前に資料は用意されず、説明時の資料投影もされなかった。講演の内容はそのような資料作成を憚るものとは考えられない。多くの先輩達の前で、そのような方法で講演を行うということにより、田中氏は傲慢の誹りを免れないと考える。

(京大・理 岸本朝博)


外交官は「日本国民の生命財産を国民が海外にいるときに守ること」が使命の一つだが、そういう外交官像を田中先生の講演から感じた。講演末尾の言葉に気持ちが象徴される。

平成は「ベルリンの壁の崩壊」から始まった。世界の民主主義・自由経済の勝利の中で、戦争などの歴史的大事件は起こらないだろうと予言的書籍を書いたフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」の出版のあとも、各種紛争発生とともに、イラク戦争が起こった。当時経産省住宅産業課に勤務していた筆者のところに、ある夜「砂漠地に絶えうる多国籍軍用の兵舎(バラック)」を日本から供与出来ないかという連絡が米国から入り、緊張しつつ大手住宅メーカ-に検討を依頼した。もとより砂漠地の兵舎のイメージはなく又従業員の安全の保障もないので、これに対応する日本企業などないだろうと半ば諦めていたところ、「対応する」とある企業から連絡が入った。「我々も随行せざるを得ないよ」と言う上司と顔を見合わせたが、日本人ビジネスマン魂を感じて見震いした。その事業は海外に発注され、私の活躍の可能性は消えた。$130億という巨額の資金を多国籍軍に提供したが、クウェート解放に努力した国への感謝広告に日本の名前はなく「金を出すだけでは世界は認めない」という論調が膨らみPKO協力法が成立し、PKOに自衛隊が参加した。

世界はグローバリゼーションの流れにあるが、各国ともポピュリズムに翻弄される。各国とも格差への不満を含め政治の流れが変わりつつある。外交はナショナリズムの声に押され、自虐史観や相手を叩くだけではだめで結末を考えなければならない。米国トランプ政権は、壁問題等で非常事態宣言を出すことなどを巡って議会と戦う一方、国内支持率は変わっていない。

空母を複数所有するなど海軍力を強化している中国に対する抑止力をどうするか。習近平の権力基盤は揺らいでおり、米国一辺倒ではなく中国をからめた協働も必要。外交を進める体制の健全性の監視、ポピュリズムに対する牽制と批判も必要。

北方領土交渉は期限を切る必要がある。日露間で問題なのは、日本人捕虜が60万人いたが、5万人が死んでいる。日本国民として請求権はある。北朝鮮と米国の交渉がまとまりつつある(一点不透明化)が、日(韓)朝関係の歴史を見つつ、忘れてはいけないことがある。日本はKEDOの枠組みに協力して資金負担もした。筆者も事務局の一員として北朝鮮の建設予定地も見ている。Win-Winの関係をつくることが必要であり、核・ミサイルの査察検証にロードマップを作るとか日本が自分でやってみることも必要か。

「使命感がプロフェッショナリズムである。」と締めくくられる。

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(東大・工 上林 匡)