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会館と活動の変遷Ⅰ

万代軒万代軒

学士会の活動は、1台の玉突台から始まりました。創立当初、現在の昌平橋近くの広場に面して営業していた西洋料理店「万代軒」の2階の1室を借りて、専用の倶楽部会場としました。玉突台を置いていたのは、店の主人から、玉突きをやってくれれば家賃を無料にする、と言われたためでした。

発足時の会員総数は243人。帝国大学の卒業者や教員らで構成され、うち東京在住の会員は131人、地方会員が112人でした。この中には、もちろん加藤弘之氏らの名前がありました。

万代軒の会場は、謝恩会や数学物理学会など学問上の会合にも利用されましたが、手狭なことや会員が多忙なこともあり、利用する会員は少なかったといわれています。その後、同じ淡路町内の高級玉突場「淡路亭」に会場が移されましたが、そこも決して立派なところではなく、評判は芳しくなかったようです。

また、創立翌年の1887(明治20)年2月には、会員誌として『學士會月報』の記念すべき第1号が発行されました。内容は創立の経緯、会則のほか、会員消息を知らせる雑報などから構成されていました。しかし、雑報への寄稿者が少なかったことや、編集作業を熱心に行える人がいなかったことから、この創刊号のみで休刊を余儀なくされました。

『學士會月報』第1号『學士會月報』第1号

これらのことから、開始早々から会の活動そのものが振るわず、行き詰まり感が漂う状況であったことがうかがえます。しかし、当時の学士会委員は、卒業者と大学が疎遠になる風潮のなか、卒業後も学術などで両者の協調関係を保つために、学士会がその母体となって存続する必要性を、総会の演説を通じて会員に訴えました。

そして、学士会と大学との関係を親密にするために、特選会員に推挙された帝国大学の渡辺洪基総長の斡旋で、学士会の事務所を本郷の帝大医科大学・別科生教室脇の一室に移しました。併せて、学士会月報を地方会員のためにも欠かせないものと位置づけて、事務所に事務と編集実務を行う書記1名を雇い、常駐させることになりました。

こうした改革によって、1888(明治21)年1月には改めて『學士會月報』第1号を復刊。発行上の公的手続きの関係で刊行されない月もありましたが、ほぼ毎月発行する軌道に乗りました。また、事務所で帝国大学図書館の閲覧許可証の貸し出しといったサービスも始まり、この時期、学士会は同窓団体としての下地ができたと言えます。

玉突室玉突室

その後、会員数がおよそ1300人に達して地方会員の訪問も増えてきた1891(明治24)年、帝大構内に設けられていた外国人教師用宿舎(教師館)が、外国人教師の任期切れなどにより空棟がいくつか出てきていました。学士会は、このうちの1棟「三番教師館」を借り受けることができました。その庭園付きの西洋造りの建物は、休憩室、食堂、書籍室、集会室、碁・将棋などの遊戯室を備え、学士会はこれによって初めて独立した建物に事務所とクラブを持つことになりました。

それから、旧三番教師館の取り壊しにともなって、別の旧教師館に移った後、1897(明治30)年に京都帝国大学が設立され、帝国大学は東京帝国大学と改称されました。東京帝大はこの年、神田錦町の大学付属地にあった東京開成学校以来の講義室を、本郷の構内に移転することを決定しました。

当時、旧教師館が集会施設としては十分な機能を持っていなかったことから、専用の「会館」を設ける希望が多数の会員から寄せられていました。これらを背景に、学士会は1899(明治32)年、この発足時にゆかりのある旧大学講義室・付属室を借用して、初の会館らしい施設「仮会館」を置くことになったのです。

この仮会館は食堂や談話室など大小4室からなり、その後に宿泊室兼囲碁室の日本間を増築し、遊戯室にビリヤード・テーブル(玉突台)を置き、広い庭園にテニス場も設けられました。この時期に、玉突競技会や年賀会(後に新年祝賀会と改称)、囲碁会などの現在に至る学士会の主要な催しが行われるようになりました。

1900(明治33)年に京都帝大の第1回卒業生全員が学士会に入会した後、1907(明治40)年には東北帝国大学、1911(明治44)年には九州帝国大学がそれぞれ創立され、両大学の卒業生も会員に加えていきました。また、明治30年代から40年代にかけては、全国各地に地元の会員らが集う地方学士会が立ち上がったほか、朝鮮や中国、欧米に滞在会員による海外学士会も相次いで発足して、活動を開始しました。

こうした会員の増加を受けて、大正初期、仮会館の敷地に建造した新館が完成しますが、まもなく火災により焼失。本格的な会館の建築計画とそのための募金活動を進めながら、改めて仮会館を建設しましたが、1922(大正11)年に学士会が社団法人となった翌年の9月1日、関東大震災によってまたもや灰じんに帰したのでした。

新館全景(大正2年1月落成)新館全景(大正2年1月落成)

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